第6話 有隣荘の住人達
明くる日の昼過ぎ、前澤は出版社の編集部を訪れていた。
彼の描いた作品が青年誌の新人賞に入選し、連載用のネームを持ってきてくれと言われ、それを持っていくのだ。
出版社に着くと受付でちょっと待っててくださいねと言われる。
受付は綺麗で埃ひとつなく、そしてとても退屈だった。そこで2時間位待たされる。
この後待ち合わせがあるのに…。
「お待たせしてすみません。」
振り向くとキリッとした眼鏡をかけた女性が立っていた。綺麗で地味なジャケットとパンツスーツを着ていて、いかにも編集者という感じである。
「あれ?若宮さんは?」
「彼は退職しました。私が新しくあなたの担当になりました佐伯です、よろしく。」
「何があったんですか?」
「あなたには関係のないことです。」
彼はネームを見せる。彼女は一切感情を見せずに機械的に、等間隔にページをめくり、淡々とネームを読み進めていく。
内容はゲームの中のモブキャラが現実の世界に生まれ変わって大活躍する話だった。彼女が前澤を睨み付けて話し始める。
「主人公が特になんの魅力もないのに、大活躍していて、ちやほやされていて、そうなる根拠がないです。これはあなた自身に魅力がないことの表れではないですか。ひとつひとつ丁寧に根拠を示してください。」
「……はい……。」
「あなたの弱さが浮き彫りになっていると思います。あなたの人生を誤魔化してる。あなた自身がいない。等身大のあなた自身を描いてきてください。」
「読者は俺のことなんか興味あるんですか?」
「読者はあなたの成長が見たいんです。」
彼は自分のことをボロクソに言われて少し泣きそうになる。
打ち合わせの後、彼は田中さんと宇宙人くんと待ち合わせしていたので、そこへ向かう。アンティークな雰囲気で、前澤のお気に入りのカフェである。昼の店内はとても繁盛していて二人を見つけるのに少し手間取った。
「前澤くーん、遅いよ!一時間も待たせるなよぉ。」
「ごめんごめん、なんかなかなか編集者が来なくて。」
「まったくもう、それでどうでした?編集者の反応は?」
「それがさぁ…。」
前澤は編集者に言われたことを話す。
「なんか俺これまでずーっと色々ごまかしごまかし生きてきたような気がするんだよなぁ、だから俺自身に魅力がないのかなぁ…ぐすん。」
「ふふふ、前澤くん泣いてるの?」
「笑うなよぉ、うう〜くやしい〜。」
「泣くことないですよ、だって前澤さんは生きてるじゃないですか。だから常に途中じゃないですか。僕は一緒に旅行に行った前澤さんもカゲローさんと路上ライブしてる前澤さんも知ってます。どんなに現実的じゃなくても、認められなくても、物語に前澤さんなりの教訓があれば、それは魅力になるんじゃないですか。少なくとも僕は好きですよ。前澤さんが書く物語。」
「前澤くんも世の中の理想から自由になったらいいじゃない。あなたが私に元気をくれたように。」
「うう〜、そうかも知んないけどぉ、ありがとう〜。」ズビズビ。
「ところで前澤さん、なんか店の外に僕らの方をずっと見てる小汚いおっさんがいますけど、知り合いだったりします?」
「え?なにそれ。」
前澤が振り向くと、ホームレスのような格好をした男性がこっちを見ていた。
「若宮…さん?」
若宮さんは前澤と目が合うと逃げ出した。
前澤は店を出る。
「若宮さん!」
若宮さんは消えていた。
その日の晩、前澤はカゲローさんといつもの公園で路上ライブをする。
「そんなこと言われたのか、……ネームが報われなくても、その思いの丈をぶつけようぜ!せめて音楽をやってる時は楽しいのが一番だよ少年!行き詰まったらいつもここから始めればいいんだよ。」
「ふふふ、そうですね、ありがとうございます。」
新曲のライブの時は毎回、宇宙人くんと田中さんが演奏を聞いてくれる。また最近はポツポツと立ち止まる人も居る。
その中に若宮さんを見つける、しばらく曲を聞いていたが、曲の途中でどこかへ消えてしまう。
パチパチパチ。
通りすがりの通勤客や散歩に来たおじいさんが空き缶にお金を入れてくれる。道路の向かいで路上ライブをしている若者に比べると集客が少ないのだが、前澤は手応えを感じていた。恵まれなくても、ささやかな成果に感謝することはできる。それに前澤には毎回熱心に聞いてくれる2人のファンがいる。
「良かったよ〜、熱かったねぇ今日の曲も!」
「ギター上達してるんじゃないですか。」
「なんだかんだでずっと聞いてくれてありがとうねぇ。」
「あのぅっ。」
高校生くらいの女の子が話しかけてくる。
「私、高校でバンドやってて…あなたのファンですっ…何が言いたいんだろうアタシ…すみません…。」
「ふふふ、ありがとう。」
前澤は照れてしまう。
翌日の正午、前澤はアパートの一階にある山田さんの経営するオカルト骨董品店に居た。店内には雑多にオカルトグッズが積まれている
「ほんとに色々ありますね、まさかあの漫画のポスターもあるとは思いませんでした。」
前澤は知る人ぞ知る漫画家、実相寺郁夫の描いた呪いのポスターを手に取る。3回見ると死ぬという噂がある。
「前澤くん、今度岩手の遠野にオカルトグッズを買い取りに行くのだけど、観光がてら一緒に行かないかい?宇宙人くんも呼んでさ。」
「それはぜひ!」
「遠野は僕の生まれ故郷なんだ。」
「これください。」
「あ、すみません、いらっしゃいませ、その像はかの有名な…。」
「どうも、前澤さん。」
「!…若宮さん。」
店に入ってきたのは小汚い格好をした若宮さんだった。
「…知り合い??」
彼は若宮さんとともに近所の公園のベンチに座る。若宮さんはどこか店に入る金もないらしい。奢ると言って断られた。
「なんだか、君に会うのが恥ずかしくて、なかなか声をかけられずにいたんだ。」
「そうだったんですね。」
「なぁ前澤さん、俺が解雇されたのは知ってるでしょ。」
「えぇ、編集部で聞きました。」
「確か佐伯さんが君の新しい担当になったと聞いてるけど。」
「そうですね。」
「実は佐伯さんは元俺の嫁なんだ。」
「!そうなんですか。」
「俺が少女漫画家の蓮家さんと浮気してるって噂が流れて、佐伯さんが、うちの嫁がストレスで休職したんだ、それであることないこと噂が噂を呼んで、それを週刊誌にすっぱ抜かれて、離婚して解雇されて…。」
「そうなんですね…。」
「だから誤解なんだ!前澤くんの口から佐伯さんに誤解だと説得してもらえないだろうか…。」
彼は以前から若宮さんの浮気グセの噂は知っていた。売れそうな作家を手当たり次第手にかけて、飽きたり、売れなくなったら捨てるということを繰り返していたらしい。奥さんも堪忍袋の緒が切れたのだろう。
「若宮さん、…俺から言えることはあまりないですけど…何もかも手に入れようとするんじゃなくて、程度を知ったほうがいいと思います。」
「……程度?…何いってんだ、そんなものどうやったら手にはいるんだよ。」
「誰かと共に生きることです…失礼します。」
前澤は振り向かずに一人アパートに帰った。
一週間後、前澤は新たに直したネームを持って、編集部へ行く。
「前澤さんいいですよこれ、新たな4人のキャラがそれぞれ個性があって、魅力的で、主人公が影響されて変わっていくっていう。モチーフはありきたりだけど、ちゃんと物語があります。」
「ありがとうございます。」
「とりあえず連載会議にかけてみようと思うので、2、3話くらいの話も書き直してください。」
「分かりました。」
夕方、彼は人がまばらな電車に乗ってアパートに帰った。窓から陽光が差し、車内がオレンジ色に染まり、なんだかノスタルジックな雰囲気である。うとうとして寝そうになる。はっとして目を覚まし、今アパートに引っ越してきてからの出来事の夢を見ていたことに気づいた。
この世に完璧なんかないけど、少しだけ痛みを緩和することは出来る。才能がなかったり、運に恵まれなかったりしても、どんな所でも立場でも誠実に生きている人はいる。この人達と出会えてよかった。これからどこに居ても時が経ってもきっとそのことを忘れないだろう。忘れなければ大丈夫だ。
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