高揚と快感と

喧騒を聞きながら、本来の体なら存在しないはずの胸の膨らみに手を当てて深呼吸をする。勿論別におかしな理由であてたわけではない。バクバク言っている心臓の鼓動を抑えるためだ。気持ち的にな。風呂とかで洗う時にさんざん触ってるし(谷間とか胸の下とかちゃんと洗わないと駄目なんだよな……)あくまで自分の物だ、その膨らみに今更何かを思う事はない。


本格的なライブは2回目。前回よりも心の準備をする時間もあった。だがそれでも鼓動が収まらないのは、その規模のせいだろう。なにせ予定したチケットは完売。即ちこの喧騒の元で、2800人が俺の登場を待っている。


──正直な所、前回のライブくらいの人数だったら学生時代のイベントとかでその前に立ったことはある。勿論一人で立ったわけでじゃないし、主役でもなかったけど。だけど、今回はその4倍以上だ。完全に未体験のゾーンである。俺はそんな強心臓だというわけでもないから、そんなものの前に立ったら満足に声を出す事もできなかったかもしれない。


本来なら、ではあるが。きっとなら大丈夫。


ステージ上からMCに名を呼ばれ、俺はドレス姿でゆっくりとステージ上に上る。


喧騒が、怒号のような激しいものに変わった。震える空気が全身を包んでゆく。


そんな空気の中に沈んでゆくように前に進み、俺はマイクを設置された場所の前に立つ。


当然と言えば当然だけど、どちらを向いても視線が合う。今誰もが俺に注目している。最前列に陣取っていた少女達は目を輝かせて、「可愛い」とか「美人」とか声を上げているのが聞こえた。そこまで間近というわけでもないのに聞こえてくるのは近く過敏にでもなっているのだろうか。とりあえず君らの方が全然可愛いよと思う、この俺の前に立つ2800人は知らない事だけど、中身はただのおっさんなので。


……そんな事を考えているあたり、まだ余裕があるんだな俺。しょっぱなからこの人数じゃなくて、あの600人のライブをやっていたのは良かったかもしれない。後は時間があったから肝が据わったかな。


ゆっくりと、観客席に向けて頭を下げる。そして頭を上げると同時、バックバンド(TESTAMENTが準備した)が演奏を始め……俺はマイクの前に陣取り、歌い始めた。


──今回は、歌い始めた直後にその感覚はやって来た。


前回はサビの部分からやって来た、体が火照ってくる感覚。気持ちはまるで観客たちと共鳴するように高揚していき、自分の口から出ているとは思えない美しい歌声に更に艶が乗り、口から自然と流れでるように感じていく。


やはり、信仰フェイスを使って歌い始めるとこうなるのか。こうなればもう俺は、ただその感覚に身を委ねて歌を歌うだけになる。不安も何もかも消え、ただ歌いたいという思いとともに曲に合わせ、2800人に声を届ける。


──きっと、この体は歌を歌う事にカスタマイズされた体になっているのだろう。ある種自分が自分でないような感じもしてくるが、別段誰かに乗っ取られているというかそんな感じではない。人間興奮しすぎると普段やらないような行動をするときがあるが、あくまでそれの延長線上な感じだ。


それにしても今回早々に来たのは会場のボルテージが前回より上なのか、単純に人数が多いせいか。……この時点でこんな状態だと、サビの辺りまで来たらどうなるんだ?


その答えはすぐに出る。


「……!」


サビに来た瞬間、より強い感覚が体を襲った。最早ここまで来ると火照りとかそういうレベルではない。快感だ。俺は歌を歌い、その歌に囚われた観客たちが俺に向ける意識を感じる事で、その体に快感を得ている。その感覚に体がぶるっと震え……やばい、一瞬膝から力が抜けかけた。それでも歌の方には一切問題が出ていないのはアレだが。


ただその感覚と共に、力がどんどん溜まっていくのは感じる。この感覚の中に一時間以上身を委ねるの? という若干の恐怖感はあるが、サビを超えると少し収まった。この分だと歌を終えた後、次の曲に入るまでの間は問題ないだろう、実際前回も体の火照りは曲の間は結構収まってたしな。あくまで信仰フェイスによる力の収集の副産物だということだ。その効果は一体なんのためにあるんだよと思ったが、前回もこの感覚に身を委ねた分だけ歌唱のレベルがあがったんだからそのためだろうな。つくづくそのために特化した体なのだ、この体は。


だが、力が集まっているなら俺は歌い続けるだけだ。そのために大勢の人間が動き、そして多くの人間がここに集まってくれたのだから。


一曲目を終え、二曲目に入りながら俺は観客たちを眺め見る。


今回このライブを行っている場所は、かなり緩衝区域に近い場所にある。本来ならライブなどがこの場で行われる事はない、そんな場所で今回開催されたのは理由がある。


その理由は単純で、異星人の侵攻が間近となっているからだ。その状況下で、今回発生するであろう大規模侵攻で切り札と見られている俺が汚染区域から大きく離れた場所に出向くわけにはいかない。だから、その旨を伝えた上でのライブ開催だったけど、結果はこの満員状態だ。警報が出てから実際の襲撃が起きるまでは逃げる余裕は充分にあるとはいえ、中止になるリスクも含めてそれでも遠方からやってきてくれているのは感謝しかない。


本来の俺は一般人だから好奇心に答える必要は感じないが、期待には応える気持ちもある。だから俺はその感謝の気持ちもこめて、次々と曲をこなしていく。3曲、5曲、7曲と。


どれだけ歌っても俺の喉が調子を落としていくことはない。むしろ前回と同じ、曲を重ねるごとにレベルが上がってくる。


ふと視線を向ければ、最初の頃にキラキラした瞳でこちらを見せていた女の子達の集団は半ば陶酔した表情になっていた。


……いやこれ大丈夫? 実は俺の歌魅了の効果あったりしない? 一応俺のどこからか湧いてくる知らない記憶の中にはそんな能力はないし、EGFの検査でもそういう効果は確認されてないけどさ。反応が凄すぎてちょっと怖い。


ちなみに心も体もどんどん高揚していっているが、その中で心の奥底ではきっちりと冷めた自分を感じて少し安心する。本来なら絶対に自分には起こりえないことを体験して、自身が勘違いしてしまっていないとわかるので。


この体は借り物、あるいはゲームのアバターのようなもの。そして今の状況はこの体だからこそ起きている者、本来の俺はただの中年のおっさん。よし自己確認OK。ここら辺の認識がしっかりしているからこそ、今はこの昂る感覚に身を委ねられるのだ。


そしてライブは終盤へと差し掛かっていく。だが客席のボルテージは下がる様子はまるでない。力は……満杯で溜まった感じがある。今の俺なら最大の力が発揮できるはず。


だからこの先は、実は歌う必要はない。信仰フェイスは体力も消耗するから大分体も疲労してきている。それを心地よい疲労だと感じてしまっている辺りちょっとアレだが。


だけど、今日のライブは皆お金を払って聞きにきている。だから少なくても予定した曲は最後までやる義務もあるし、客席を見れば俺も最後までやるべきだと感じる。だから体力を消費する信仰フェイスの能力だけ切って、最後となる一曲を謡い始め──ようとしたその時だった。


会場になり響くバックバンドの演奏に重なるように、警報が響き渡ったのは。




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