変装
「お兄さん、そろそろ時間じゃない?」
あれから、更に片付けを続けて。
とりあえず概ね段ボールから引っ張り出し終えて後は整理していくだけかなとなった辺りで、そう翼ちゃんに声を掛けられた。
その言葉に先ほど壁に掛けた時計を見れば、確かにとある予定の少し前の時間になろうとしていた。
「まだちょっと余裕があるけど、遅れていくよりはいいよね?」
「そうだな。態々時間を割いてもらっているんだから、待たせたくないし」
「じゃ、ここで中断しよっか。きりもいいしね」
「そうだな。それじゃちょっと着替えていってくるか」
「着替えるの?」
「この格好じゃいけないだろう……」
俺の今の恰好は、どうせ埃を被ったり汗をかいたりするだろうと思って、部屋用のひどくラフな格好だ。これから向かう先はすぐそこにあるEGFの支部だとはいえ、不特定多数がいる場所である。さすがにこんな格好では向かえない。
俺は先ほどしまったばかりの引き出しの中から、上下の着替えを引っ張り出す。いっても面談とかそういった事をするわけでもないし、かっちりした格好である必要もない。あくまでちょっとした外出向け程度の恰好を選んで、俺はシャツを脱ぎ──捨てようとして、視線に気づき動きを止めた。
「あの……?」
「ん、何?」
作業の腕を止めた翼ちゃんは、椅子に腰を落としてこちらを見ている。
「見てるの?」
「え、何か問題ある?」
きょとん、と首を傾げられる。
……よくよく考えたら少なくとも外見上は同性だし問題ないのか。逆は問題あるけど。翼ちゃんからすれば、更衣室で他の人間が着替えてるのとかわんないもんな。
納得して、改めて俺はシャツとショートパンツという恰好から着替えると、部屋を後にする。
「それじゃ、適当に休憩してまってて」
「はーい。いってらっしゃい」
◆◇
「案外、気づかれないもんだなぁ……」
それからしばらくして。俺と翼ちゃんはEGF支部の近隣にあるレストランまでやってきていた。昼食を取りにやってきたのだ。
本来EGFの支部の中にも食堂はあるので、飯を食べるだけであればわざわざ外出する必要はない。
そもそも俺はつい先日正体がばれたばかりのホットな存在だ。注目を浴びるのは間違いないので、普通に考えれば外に出るのは出来るだけ避けた方がいい。
それなのにわざわざ外食に来ているのは、どうしてもここの食事が食べたかった──とかそんなわけではなく、ちゃんと理由がある。
それは、検証の為だ。
現在、時間的には昼を過ぎた時間の為満員というわけではないが、それでもそこそこ人がいる。それに、ここまでやってくるまでにも、そこそこ人通りはあった。
いつも話しかけてくる会社の女性社員(新田さん)から来たメールに寄れば、俺の外見画像や動画はネット上だけとはいえかなり広範囲に拡散されたし、今も比較的閉じた場所では派手に切り抜きが飛び変わっているので、気づけば露骨に態度に出る人がいるはずだけど今のところは多少チラ見される程度でそういった相手はいない。
視線だけで周囲をチラ見したあと、レンゲでチャーハンを掬って口に運んでいると、対面でパスタに手を付けていた翼ちゃんが、
「お兄さんの場合、やっぱり髪の色が目立っちゃうから。それを隠しちゃえば案外気づかれないもんだよ」
そう言って、俺の頭へと視線を向けた。
そう、今の俺の髪の色は銀髪ではなく、この国で最も目立たない色である黒に変わっている。
染めたのではなく、ウィッグという奴だ。
先ほど、こちらに向かう前に一度出かけたのは、支部の方でこれをやってもらうためだった。
「ロングヘアなのに、こんな風にウィッグ被れるとは思ってなかったわ」
提案してくれたのは支部のとある職員さんで、その職員さんが一から十まで全部やってくれた。
髪を三つ編みにした後頭に巻き付けてウィッグネットで固定し、その後違和感が出ないようにウィッグを調整して被せてくれた。その姿を鏡で見た瞬間「おお、黒髪に戻った」と思った物だ。顔は変化後のままだから以前の自分に戻ったとかは思わなかったけど。
「これで、お兄さんも気軽に外出できる?」
「いやぁ、気軽は流石に。自分で手早く綺麗にできるとは思えないし」
職員の女性はやたらと手早い手つきで「その道のプロの方?」と思うくらいに流れるようにやってくれたけど、俺が自分でやったらどれだけ時間がかかるかわからん。そもそも現時点では三つ編みの時点で躓く。練習すれば出来る事は出来るようになるだろうが、それでも彼女程手早くやるなんて無理だろう。さすがにちょっと出かけるたびに彼女にお願いするわけにもいかないし……彼女は「これも業務扱いにしてもらえるらしいのでお気になさらずー」とは言ってくれたけど。
「だから当分は引きこもり生活だな」
幸い仕事はテレワークでもほぼ問題ない状態まで持って行ってあったし、そもそも仕事量も減らしてもらっているし。
「でも、朝にセットしたらそのまましておけば一日気にしなくていいんじゃないの?」
「いや、蒸れるらしいから」
頭全部覆う帽子をずっと被ってるようなもんだからな。当然そうなる。
幸いな事に社宅ならそこまで外出しなくてもいいから、当面は買い出しなど必要な時だけでいいはずだ。トレーニング場でトレーニングはしているから、運動不足の心配はないしな。
「それにちらちら見てくる人はいるし、もしかしてと思っている人はいるんじゃないかな?」
「いやそれは単純にお兄さんが美人だからだと思うよ……そりゃ視線は吸われるでしょ」
「まぁ、それはなぁ……」
俺が第三者側であった場合、やはり今の外見は視線を吸われると思うので否定はしづらい。というかこの外見は自分のものじゃないというのがわかっている分、特に謙遜するような気にもならないからな。
「とにかくそうそう気づかれないとは思うよ。目立つ特徴を持っている人程、その特徴が消えると気付きにくくなるし」
俺の場合は銀髪か。確かに大抵の人は髪の色の時点で俺の事を"フロイライン"型の対象から外すだろう。最初から俺の事を目標として探しているなら、顔をじっと見たら"もしかしたら"と気づくかもしれないが、そういった事を本来やりそうなメディア関係者は法の絡みでそういった事をできないし、もし感づいたとしても"もしかしたら"レベルのハズなので、人違いで通しきればいい。
「カラコンもいれれば完璧でしょ」
「そうだな。そう考えると、そこまで心配性にならないで大丈夫だな」
少なくとも、街中でやたらと絡まれたりする可能性はそれほど高くないだろう。カラコンなりサングラスなりで瞳も隠してしまえば、それこそ気づかれる可能性は薄い。
「最悪気づかれても別段死ぬとかそういうわけではないしな」
時塚 静と紐づけられると身内に迷惑がかかる可能性があるから困るが、”サイレン”として気づかれるならその場でちょっとめんどくさい事になるくらいだ。あまり大げさに考える必要はない。
「だと思うよ。だから今度お兄さん一緒に遊び行こうね?」
「はいはい」
「それより、大変になるのはお仕事の方かもね」
「……ん、なんで?」
「だって、不慮の事故とはいえ外見が流れたわけじゃない。となると絶対に外見を非公開にする意味がなくなったわけだから、歌の時と同じようにオファー増えると思うよ?」
「あー……」
「お兄さんお仕事いっぱい増えそうね?」
……主題歌の件でこういったことに関する意思が薄弱だったことが露呈したので、否定できん……どうせもう顔バレしてるしいいかとか思っちゃいそう。
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