記憶

 両親は二人とも、良い人だった。

 そのおかげか、娘である清佳を心配してくれる人は、他と比較できる訳ではないものの、多かったと思う。一面識もなかったのに、事故の怪我で入院していた清佳を見舞いに来てくれる人までいた。

 父の同僚や、高校からの付き合いだという母の友人。

 彼らは清佳を気づかいながら、父、母との思い出を話してくれた。

 とても良い人だった。きっと今も娘の幸せを願っている。天から見守ってくれている。胸の中に生きている。清佳が一人助かったのは、彼らの願いが通じたからだ。

 ありがたいことではあったのだろう。

 ただ、聞けば聞く程に、家族に見せる顔と、外での顔とは、同じようで違うのだと痛感させられたのも、確かだった。

 彼らが語る両親の姿は、清佳が知るものと、いつもほんの少し違っていた。

 母か父、どちらか片方といる時の話は数多くあっても、二人一緒にいる時の話をする人がいなかったことも、余計にそう感じさせる要因になっていたかもしれない。

 時間が経ったおかげかどうか、今はそれを、仕方のないことだと諦められるけれど、以前はその違和感がさみしくて、苦しかった。

 だから、伯母に期待した。

 清佳は幼い頃の数回しか直接会ったことがなかったため、本人に対する印象はあまりなかったが、母から、二人でずっと頑張ってきたのだという話を聞かされていた。頼りになる姉だと、嬉しそうな声を聞いていた。父からも、誤解されやすい人ではあるけれど、結婚する前には何くれとなく気にかけてくれて、清佳が生まれる前後にはよく家に来て、たくさんの世話をしてくれたと聞いていた。

 出来事として数えることもできないような、ただ生きていたら忘れてしまうだけの、家族としての二人の日常の話。

 だが、蓋を開けてみれば清佳は伯母に、あきらかにうとまれていた。考えてみれば当たり前だ。一人だけ生き残って、急にやって来た姪など、厄介でしかない。

 それでも、いつか、好かれたら、と期待を捨てきれずにいたら、いつの間にか思いは積もり積もって積もりすぎて自重で歪み、希死念慮や後悔と混ざり合って、別物に変わっていた。

 清佳自身は悪い子になっていた。

 父と母の陰を追っていたら、父と母に見放されるような子どもになっていた。


「今日も酷い顔してんな~。いやぁ、愉快愉快」


 顔を上げると、正面にあるソファの後ろ側に、光がテディベアを抱えて立っていた。

 清佳が言い返す前に、ダイニングからムラサキがやって来て、首に腕を回して連れ去った。


「いって! おい、暴力反対」

「暴言はいいのか」

「あれは暴言じゃありません。俺なりに発破をかけてやったの。愛だよ、愛」

「それならこれも愛だ」

「痛ぇっての。あ~はいはい、すみませんでした~」

「謝る相手が違う」


 来てほしいと連絡した時間まで、あと三十分ある。


「早い、ですね。悪い訳ではないですけど」

「愛だよ、愛」


 テディベアをぐいぐいと顔に押しつけられた。

 無視して立ち上がって、キッチン付近でうろうろとしているムラサキの元へ向かう。


「ムラサキさん。飲み物なら、私がいれるよ。座ってて。何飲む?」

「……紅茶を」

「了解。光さんはコーヒーでよろしいでしょうか」

「アイスでよろしく~」


 インターネットで見たやり方をぼんやりと思い出し、いつもより手間をかけていれる。美味しくなっているのかは分からない。合っているのかも分からない。

 手間がかかる、ということが重要だ。

 余計なことを考えなくて済む。

 だが、二つマグカップを持ってリビングに戻ると、先程まで清佳が座っていた壁際のソファに、いつの間にか祐希が座っていた。

 じっとりとした目で見られた。


「また一人で働いてる」

「まあ……まあまあ。頑張ってはないよ。今は、動きたい気分だったから。祐希くんは何飲む?」

「もう! 今日だけね。ホットミルク。はちみつ入り。あと、他人の分をいれる前にまず、自分の分をいれること。今日はサヤカが話すんでしょ」

「……はーい」


 ミニテーブルにコーヒーと紅茶を置いて、キッチンに引き返す。

 自分には祐希と同じものを作る。

 予定していた時間まではあと十五分程ある。だが、鍋を出していると、さすがに時間がかかり過ぎてしまいそうだ。いくら手間をかけたい気分と言ったって、祐希を待たせる訳にはいかない。

 電子レンジにマグカップを突っ込んで、温まるのをぼんやりと見る。

 そう言えば、伯母はきちんと食事を取れているのだろうか。宅配サービスを使ってはいたが、それでも食べていない日がたまにあった。不倫相手に振られて、清佳の連絡に返信もできていない今はなおさら、不安だ。

 うとまれて、期待外れで、気が合わなくても、身内は身内。

 全くの没交渉になっている父方の祖父母を除けば、血のつながりがある最後の人。


「おい、檜原。オレにも何かいれろ」


 電子レンジが軽快な音を立てて止まった。


「秀人と同じ奴でいいわ」

「サヤさん、何か手伝うことある?」

「あ、いえ……大丈夫です。小野寺先輩、何飲みますか?」

「白湯をお願いしようかな。敬司、いい?」

「いい訳ねえだろうが。コーヒー!」

「……了解」


 結局、清佳が連絡した時刻の十分前には、全員がリビングに揃った。小野寺や光は待ち合わせ時刻までには待っている方だが、他三人のことを考えると、驚きの早さである。


「愛かぁ」


 今は、嬉しさよりも、辛さが勝った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る