あやまり

 空き部屋である二〇二号室に、三人それぞれ座布団や飲み物などを持ってきて、洋室に腰を下ろした。

 祐希はやや距離を置き、クッションを抱えながら窓際の壁に背を預けて「基本的に口は挟まないから」と言ったきり、どら焼きやおかきを食べている。

 さすがに清佳は、お菓子は持って来れなかった。小野寺も飲み物だけだ。


「どうやって話したらいいのかな。こうして、あらたまって話そうとすると、中々難しいね」


 ペットボトルの蓋を閉める腕を、何となくまじまじと見てしまう。家具の一切ない部屋で向かい合って座っていると、他愛のない仕草でも、妙に視線を取られた。

 ペットボトルは床に置かれる。

 顔をまっすぐに見るのもどうかと思い、そのまま床に目をそらした。


「光さんとは、私からあれこれ疑問をぶつける形で話しましたが」

「そう言えば僕が答えるのは、動機、だけでいいの?」

「あ、いえ……。あくまで小野寺先輩が良ければ、ですが、他にも聞きたいことがあります」


 祐希がいるので、小野寺が自分の首を絞めたことをあまり臭わせたくはなかった。だが、結局、何の工夫もない言葉になった。


「あの夜、私への脅迫を、途中でやめた訳を」

「あぁ、そうだね。そうなると……サヤさんの質問に答えていくよりは、順番に、僕の家のことから話すのが、結局はいいのかな」


 立っているとかなり顔を上げなければ見えないが、座っている今は、少し目を向けただけで、頬に貼られた絆創膏が見える。


「理事長についても少し触れることになってしまうけど、サヤさんは大丈夫?」


 祐希を意識しての言葉だろう。


「大丈夫です、が……。し損ねてしまいそうなので、先に、謝罪させてください。身内が申し訳ございません」

「あぁ……それは、本当に、こちらこそなんだけど……。まず、その話からしようか」


 小野寺の声に、咲坂と祐希の喧嘩を止める時にも見せない、倦怠感がにじむ。


「僕の父親は、一言で言えばクズでね」


 そんな言葉で、小野寺の話は始まった。


「外面だけは良くて、家族には支配的な、典型的なモラハラ人間。実は不倫も初めてじゃない。笠原くんが理事長との不倫現場の写真を見せてきた時に、僕が最初に思ったのも、またか、だった。……とは言え、被害者である母も、到底良い人とは言えないんだけど。サヤさんには悪いけど、僕にとって家は、居心地の良い場所ではなかった」

「私のことを気遣う必要はありません。そういう家もあることくらい、さすがに分かってますし……分かった上で、これというだけで」

「そっか。かえって失礼だったかな。ごめん」

「いえ」

「うん。……それで。僕はずっと家族に失望していた。仲の良い家族に憧れてもいた。……ただね。自分では気がついていなかったけど、そう言う僕もろくな人間ではなかった。どころか、父親にそっくりだった」


 考え込むようにうなった後、まだ少し迷っていそうな声で、小野寺は言った。


「家族に失望して、家族の繋がりに憧れて。だけどクズだったから。敬司と祐希に対して、僕は父と同じことをしていた」


 「はぁ?」という呟きが聞こえるが、小野寺は全く聞こえていないかのように、淡々と話を続ける。


「あ、敬司と祐希が、僕の家に家出して来てたのは、サヤさんは知ってたよね?」

「はい。皆さんの身辺は、調べたので。光さんからもちらっと聞きました。小野寺先輩がプラントポットを求めた理由は、二人のためだと」

「そう……。そうだね。自分でも二人のためだと思ってた。もちろん、夜中に来られても困るとか、父への復讐とか、僕も家から出たかったとか、そういう自分の都合は最初からあったんだけど。本質的には二人のためにすることだと思ってた。けど、たぶん、その二人のためという気持ちも、本当は自分のためだった。……えぇと、サヤさん、共依存って知ってる?」


 その一言で、清佳は小野寺の言わんとしていることを察する。祐希と咲坂に申し訳なさそうにしていた理由も、その辺りにあるのだろう。

 祐希の方は知らなそうだった。


「……私は、知っていますが」


 小野寺に判断は任せようと、それだけ答える。

 しばしの沈黙がある。

 小野寺は説明することを選んだ。


「簡単に言えば、誰かの世話をする自分に強く存在価値を感じて、世話をすることに依存している状態、かな。例えば、病人を世話している人が、世話をしていることに自分の存在価値を置いてしまって、いっそ病気が治らないままでいてほしいと願うような。僕はそれだったんだと思う。……自分で言うのもなんだけど。本当の家族から逃げて、敬司や祐希を助けることを生きがいにして……君たちがずっとそのままであることを、知らないうちに望んでいた。もし、サヤさんが来なければ、どうなっていたんだろうと思うよ」


 小野寺が語りかけている先は、清佳でなく祐希だ。話を聞こうとしたのは清佳だが、この場にいるべきではないのではないかと思えてくる。

 祐希は何か物言いたげにしていたが、「邪魔しない」という自分の言葉を守るためか、ふいと顔を背けた。

 気まずいが、気になったので聞き返す。


「あの、すみません。私が来なければ、って言うのは?」

「あぁ、そうか、サヤさんには分からないんだったね。前にも話したけど、サヤさんが来てから、敬司も祐希も、だいぶ変わったんだよ。例えば前だったら、僕が家に帰った方がいいって言っても、全く帰らなかった」

「……すみません、前にそんな話をしたのか、覚えてはいないのですが。……それは、私が来たことではなくて、小野寺先輩の働きかけだと思います。私が何かしたとしても、それはドミノ倒しの最後の一手に過ぎません。……良いとこどりと言われたらそうかもですが」


 祐希に限った話にはなるが、高校に上がったことで意識が変わったりしたのではないだろうか。咲坂とはあれこれあったので無関係ではないかもしれないが、それもきっと、最後のひと押し程度だろう。

 それよりも、プラントポットという家以外の居場所を得たことの方が、余程大きかったはずだ。荒れていた原因が家族であるなら、家族から離れれば、ゆっくりと考えることができるようになる。


「前にも、似たようなことを言ったね、君は」

「そうでしたか」

「でも、もしそうだとしたら、僕は、自分自身を恨むしかない。……だから、君を恨むしかなかったのかも知れない。今から思えば、の話だけど」


 笑っているように聞こえたが、全く笑えなかった。


「少なくとも僕には、そうは思えなかった。サヤさんのせいで存在価値も居場所も奪われると思い込んで、君を憎んだ。そこで排除より憂さ晴らしを選んだのは、我ながら不思議だったけど。今思うと、血の繋がりって感じがして嫌だな……」


 この理由は、清佳にはどうにもできない。

 非があるかと言えば、プラントポットに来たことが罪だったと言えなくもないだろうが、それを罪とは言いたくなかった。その後にした盗聴などに関してはいくらでも責を負うけれど、それだけは、否定されたくない。


「まあ、これが僕の動機」

「……聞けて良かったです」

「あとは止めた理由だったね。あの時は僕も動転していて……本当に。だから、正直自分でも、うまく言えないんだけど」

「念押ししなくても、信じてますよ」


 カッとなってやった、という犯行動機は最早定型文として扱われているが、あの緊張感を経験した後だと、仕方のないことだと思える。きりきりと糸が張り詰めるような空気の中で、落ち着いて考えることなどできない。

 清佳への言葉というよりは、祐希への目配せだったかもしれない。

 うまく言えないという言葉の通り、考えるのにも、先程より時間がかかっている。

 じっと待っているのも気まずく、持ってきた飲み物に手をのばした。


「ねぇ、ちょっと聞いていい? サヤカの首絞めたのって、シュートくん自身なの? 誰かに頼んだとかじゃなくて」

「そうだよ」


 祐希が問いかけ、小野寺が答えた。清佳も何か言うべきかと思ったが、何も思いつかずに、ぼんやりとあの時のことを考える。

 首を絞められた時の息苦しさや、背後に立たれていた時の恐怖は、完全には忘れられない。だが、それは目の前の人と、いまだに結びつかない。

 外から救急車のサイレンが、微かに聞こえる。


「それを、途中で止めたってこと?」

「うん」

「ふーん……」

「申し訳なくなったとか、かわいそうだからって理由ではないことは、確かなんだけどね。サヤさんが縛られているのを見た時も、何も思わなかったし。サヤさんの家庭環境については、笠原くんに隠していたくらいだし」

「……わざわざそんなこと、言わなくていい」


 自嘲気味な笑い声の痛々しさに顔をしかめていると、ふと小野寺は言った。


「サヤさんの方が、祐希たちに優しかったから、かなぁ」


 若干慌てて飲み物を喉に流し込む。


「あの日。自分が死ぬ程怖い思いをしている時に、この人は、プラントポットの関係者だってこと以外は何も分からない加害者に、花火を見せられないことを謝ったんだよ、祐希」

「馬鹿じゃないの? あ、いや……。いや、馬鹿じゃないの?」


 一度悪いと思ったようだが、思い直してあらためて馬鹿だと思ったらしい。


「……言いましたか、そんなこと」

「忘れたの?」


 光と話した時にも感じたが、どうやら、ショックのせいかところどころ記憶が抜け落ちている。曖昧に返事をして、先をうながす。


「あれを優しさと言うのは、間違っている気もするけど。でも、それを聞いて僕は……恥ずかしくなったんだと思う。あの時感じた焦りは、たぶん。……少なくとも今、自分とサヤさんだったら、サヤさんの方が、祐希たちのそばにいるべきなんだろうな、とは思う」

「何言ってんの」


 間髪をいれず、堂々と。


「友達にどっちの方がいいとかないから。二人ともいて」


 清佳のことまで友達と言ってくれることに苦しくなりながらも、それよりも眩しさが勝って、笑ってしまった。


「……友達かぁ」


 小野寺の声は、嬉しそうで、少し泣きそうにも聞こえた。

 それを叱咤するように、清佳と小野寺の手元に、個包装のお菓子が投げつけられて来た。自分自身も包装を破ってお菓子を口に投げ込みながら、祐希は不満そうに眉を寄せる。


「お前らさー、背負い込みすぎ。もっとわがまま言えって。……僕だってこんなこと言いたくないけど、口に出して言わないと、伝わらないんだよ」

「はは……」

「シュートくん! 笑うな!」


 確かに、祐希には言いにくい言葉だろう。けれど、そう言えるようになったことが、祐希の変化を示してもいた。

 実家ではどんな時間を過ごしているのだろうと、ムラサキに聞いてから心配ばかりしていたが、失礼だったかもしれないとすら今は思う。

 投げられたお菓子を食べる。思えば三月頃には、お菓子を分けてくれるようになるなんて、想像もしなかった。


「ごめん、何か……。そっか。良かった」

「ねぇ。話、これで終わり?」

「あ、えぇと。今ので充分、知りたいことは知れたから……。私からはもう、質問はないです」

「僕は、もう一つ謝らせてほしいかな。すぐに謝れなくてごめん。今の話だと、すぐに反省したみたいに聞こえたかもしれないけど、一度はしっかりごまかそうとしたからね」

「そんなの。私だって……」


 何気なく応えてから、小野寺の顔を見て、後悔した。

 謝罪を後回しにしてでも、小野寺は父親と喧嘩をしに行ったのだ。元々居場所とは思っていない家だったとしても、それはきっと諸刃の剣となり得る行為だったはずだ。家の支配者と喧嘩をした上に、もし祐希や敬司に拒絶されていたら、いよいよ居場所はなくなっていた。

 それでも、きっと、必要だと思ったからそうしたのだろう。

 単に部屋でぐずぐずとしていた自分と違って、小野寺は、きちんとけじめをつけて来ている。

 自分とは比べようがない。私だって、ではない。


「はいはい、もう終わり! そんな辛気臭い話より、僕の話聞いて!」

「あぁうん。祐希、実家どうだった?」

「相変わらず最悪だったよ!」


 はっとして顔を上げる。


「何ともやりにくそうにしちゃってさぁ。大丈夫、とか言いながら、本当は帰ってきてほしくなかったの、見え見えだった。あれで僕にはバレてないと思ってるのが、余計に腹立つ」


 ちらっと祐希の目が清佳に向く。


「まあ、自分のせいもあるって気づいたから、前よりちょっとマシな最悪になったけど。ちょうど姉さんも、二人とも帰ってたし」


 やはり、盗聴や身元調査書だけでは分からない確執があったのだ。身の縮む思いで視線を受け止める。

 誰とでも仲良くできる訳ではない。親だからと言って、気が合うとは限らない。

 常に幸福でいられる人間はいない。

 そんなことは清佳だって分かっている。

 ただ、願わずにいられないだけだ。


「そう、お疲れ様」

「ほんとお疲れだよ。労れ。……って、話聞けってそういうことじゃなくて。お願いって言うか命令聞けってこと。そのお菓子と引き換えに」


 もっと話を聞きたいとは思ったが、さすがにこれ以上は立ち入れなかった。


「お願い?」

「引き換えかぁ……。食べちゃった」

「だからサヤカは絶対に聞かなきゃだめだよ。シュートくんは早く食べて」


 苦笑しつつ小野寺が食べるのを待って、祐希は言った。


「二人とも半年くらい、一人で頑張るの禁止。頑張らなきゃできないことやる時は、誰かに声かけてからすること」


 白い肌がほのかに赤くなっていく。ごまかすように祐希はもう一つずつ、お菓子を投げてきた。


「返事!」

「……了解」

「うん、分かった」


 わがままを言えとただ言っても聞かないことを、理解されている。

 何だかたまらなくなって、服のすそを握りしめた。

 けれど、半年経つまでには、清佳はプラントポットから退去している。

 夏休みが終わった後にはなるだろうが、伯母の家まで行くつもりだ。ただ自分の家に戻るだけで、頑張らなければできないことではない、故に当然一人で。

 その後は、祐希たちに関わることは、なくなるだろう。たとえ彼らが清佳を許してくれたとしても、きっと清佳の方が避けてしまう。


「ありがとう、祐希くん」

「あとでいっぱい労ってもらうから」

「はは、うん……。小野寺先輩もありがとうございます。言いにくいことを話してくださったことも、他にも。とても……言い切れないくらい、感謝しています」


 まだ祐希や咲坂との関係が気まずく、ムラサキに対しても何となく怖そうなイメージを抱いていた頃、それでも日々頑張れていたのは、小野寺の親切さのおかげだった。


「時間の無駄じゃなかった?」

「小野寺先輩? さすがに怒りますよ」

「え? ご、ごめん……」


 首をひねっている。真面目に言っていたらしい。その方が問題ではある。


「時間の無駄じゃないって、さっきも言ったじゃないですか。むしろ良かったです、小野寺先輩のことを知れて。……嫌がられるかもしれませんけど、私は、小野寺先輩のこと、尊敬してるんですよ。ファンクラブでも作りたいくらいに。ネーム入りうちわ振りたいくらいに。だから、私に気をつかう必要なんてないんです」

「……サヤカ、何か、見ないうちに、光に入れ知恵でもされた?」

「な、何、急に」

「あぁ、僕も思った。語彙が笠原くんっぽかったね」


 いくら両親がいないという共通点があれど、口調までもが似るはずがない。祐希たちがいない間、相手をしすぎた可能性がある。


「気のせいです。そんなことより」


 長く息をつく。


「あと一つ、お願いするのを忘れていました」


 光と小野寺、二人と和解をして、終わりではない。それはあくまで手順であって、目的ではない。


「明日……になるかは、みんなの都合次第ですけど。予定では、みんなが夕ご飯を食べ終わった後、くらいに」


 謝ると決めてから、ずっと考えてきた。

 午前中は気忙しく、ご飯の前はお腹が減っているかもしれないから、夕食後くらいはどうだろう。場所はやっぱりリビングが集まりやすいだろうか。

 一人一人に謝りたいところだけれど、知らず知らず話や態度に差が出てしまう可能性もあるから、申し訳なくも集まってもらう方がいいだろう。

 肝心の謝罪の言葉は「すみません」か「ごめんなさい」か「申し訳ございません」か、それとも土下座をするべきか。

 などと。


「話を、ちゃんと、するので」


 ずっと待ちかねていたはずなのに、吐きそうだ。


「その時は。来て、くれると。くださると……ありがたいです」


 謝るから来てほしいと言って、ムラサキが、光が、小野寺が、咲坂が、祐希が、来てくれるとは限らない。

 ごめんで済むなら、警察はいらない。

 「ごめん」の一言だって聞きたくなくなるような怒りも、この世にはある。

 事故の原因となった相手の顔を、清佳がまだ正面から見られないように、拒絶されるかもしれない。


「また思い詰めてる……。そんな言わなくても行くよ! そんな心の狭い人間だって思ってるの?」

「思ってない思ってない」

「サヤさん」


 横合いから飲み物を手渡された。わざわざ、蓋まで開けられている。

 申し訳なくなりながら、一口だけでも飲んでおこうと口をつける。


「……かわいそうって理由ではないとは言ったけど。世話のしがいがありそう、くらいは、思ったかもしれないよ」

「……ん?」

「冗談だけどね。当然、僕も行くから、そんな顔しないで」


 小野寺は相変わらず、ぼんやりと優しく、少し頼りない先輩の顔をしている。

 何となく怖くなったので、聞かなかったことにした。



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