確認

 伯母の不倫について詳しく教えてもらう条件として、両親の死後後見人になってくれた伯母に命じられ、伯母が隠したがっている秘密については何も知らないままに、プラントポットを不法占拠している面々を追い出そうとしていたという経緯を、話した。

 両親の思い出話ができる相手を失いたくなかったという動機についても、今となってはどうでもいいような気がすることも、一応話した。


「さっき謝られた時に、変だと思ったんだよな~。身に覚えのないことまで謝るくせに、理事長の不倫については何も言わないのかよって」


 テディベアの頭の上に、マグカップが載せられる。持ち手は持ったままなのでこぼれることはないだろうが、見ていて少しひやひやする。三万円のテディベアだと言っていた記憶がある。


「いえ、あの。知っていたとしても、謝ったかどうかは分かりませんが……。身内として恥じるところはありますが、さすがにそんな、世間とか学校の生徒にまで謝る義理はないと言うか、荷が重いと言うか」

「違う、そうじゃない。もっと近距離にいる」

「近距離?」

「焦らない焦らない。順を追って話すし、最初も最初だから」


 経緯や動機について話した理由には、和解のふりをするのなら、お互いの事情についてきちんと知っておいた方がいい、という光の言い分に納得したこともあった。

 心持ち姿勢を正す。


「さて。俺の方の経緯だけど」


 テディベアの頭を、マグカップの重みでへこませたまま。


「これは普通に本当なんだけど、最初は偶然なんだよね。脅迫しようと思って理事長の身辺を探ってた、とかじゃなくて、本当に偶然、夜、遊んでたら、目撃しちゃったんだよ。理事長と、小野寺哲人……秀人父の不倫現場を」

「――相手、小野寺先輩のお父さんなんですか!」


 確かに近距離である。そして謝らなければという気にもなる。自分に責任はなくとも。

 是非はともかく、伯母が清佳に何も明かさなかった気持ちも理解はできた。直接生徒を教導する立場にはないとは言え、生徒の父親との不倫は、関係各所を騒がせるには充分なスキャンダルである。しかも、小野寺の父親は政治家だ。話が広まるリスクは極力抑えたいだろうし、姪には言いにくい。


「梓さん……」

「さすがに俺は理事長の顔なんか覚えてなかったから、その時は理事長じゃなくて、政治家小野寺哲人の方に気がついたんだけど。で、あの頃はまだ秀人とはそんなに話したことはなかったけど……だからこそ、か。面白いことになんねえかなって思って、不倫現場の写真をあいつに見せた」


 父親の不倫を、その息子に教える。その行為自体は良いとも悪いとも言い切れないが、少なくとも「面白いことになんねえかな」という動機はろくでもない。


「秀人は元々父親のこと嫌いで、不倫やら浮気も何度かしてたことあるらしくって、反応について言えば期待外れだった。だけど、予想外に、面白いことにはなったな。秀人が相手が理事長だってことに気がついて。何か有効活用できるんじゃねえ? つーかどうせだったら有効活用したいよなあ、って話になり。二人して調べたら、ちょうど理事長が最近、ここを買ったって話が見つかった」


 時期は、いつ頃のことなのだろうと、ふと思う。清佳が知る範囲だけでも、ここ半年程で伯母の身には、葬儀や清佳の引き取りなどの災難が降りかかっていた。


「俺はムラサキ用のアトリエが欲しかった。あいつがスランプって話、知ってたっけ。あ、盗聴してたんだから、俺との会話も聞いてるのか」

「えぇと。まあ……はい。ムラサキさん自身からも少し聞きました。描けるようになったってことも」

「全くねえ、知らんうちに。俺も、親からプレッシャー感じてんのかなぁとか、色々心配してたんだけどな。俺自身も施設から出たかったから、一石二鳥ってことでいいけど」


 清佳がフォローの言葉を思いつく前に、光は続ける。


「秀人の方は、敬司くんと祐希が、自分がいない時でも使える家出先が欲しかった、ってことらしい」


 今も実家にいるであろう二人。

 清佳にも、二人を心配する気持ちがある。だが、小野寺の気持ちはそれ以上であり、そして切実でもあるのだろう。

 父親の不倫を利用して、二人の友人を助ける。

 女一人を拉致暴行してでも、その場所を守る。

 小野寺にとっては、法律や倫理よりも、二人が大切なのだ。


「偶然手に入れたチャンスだし、駄目で元々、ですらあったんだけど、中々うまくいったもんだよな~。不倫相手の息子が脅迫者、ってのがいい感じに効いたかな。……と、ここで一旦質問タイム。何かある?」


 突然の質問タイム。好都合ではあった。


「はい」

「はい、檜原くん」

「今の話の時期はいつ頃ですか」

「あ~っと。不倫現場の目撃が、確か、十月。すぐに秀人に見せて、調べて、十二月の後半くらいに脅迫電話入れたんだったかな。はじめまして、不倫写真をバラまれたくなければ要求を受け入れろ、来年もよろしくお願いします、つって。プラントポットに来たのは一月」


 清佳が両親ともども事故に遭ったのは、十月のことだ。

 その時系列について、今、深く考えるのは止めておこうと思った。


「次の質問、と言うか、意見です。光さんには言うまでもないこととは思いますが、不倫の証拠については、これからも私からは隠すようお願いします。保存しておいてください。仮に知ったとしても梓さんには言わないようにしますが、家から追い出すとか食事を出さないとかになったら、私も表沙汰にせざるを得ません」

「……サヤちゃん、それってお詫び?」

「え?」

「さっきも、できることはしたいって言ってたけど。何でそんなにプラントポットを守ろうとしてくれんの。お得意の善意?」

「善意を得意にした覚えはありません」


 特技、善意。光ほどひねくれていなくても、そんな人間は最悪だと思う。

 それはともかく言われてみると、和解にする理由について話す時に、プラントポットの崩壊が嫌だとは言ったが、そもそも光たちの肩を持つ理由は言っていなかった。清佳にとっては言わずもがなのことだったから。


「お詫びの気持ちもありますが。私はここでの生活が好きだったし、恩も感じているんです。しますよ、それくらい」

「うへぇ」

「質問と意見は以上です。続きをお願いします」


 さっさと話せという気持ちをこめて、光をにらむ。


「いいねぇ。俺、その顔好きだよ」

「つ、づ、き」

「はいはい。遊びのない。で、脅迫が成功して。しばらくは理事長の金で、悠々自適を絵に描いたような暮らしをしていた訳だけれども。……そこにサヤちゃんを寄越すって手紙が届き」


 続きを急かした割に、覚悟はできていなかった。心臓が大きく跳ねた。

 三月。植木鉢が、牢獄のように見えた日。


「俺らも理事長が何をして来るのかは気になったし、生活がこう……紫純はともかく、普通の奴でもこんなに生活できないんだ? 秀人も家事雑すぎない? とは言え俺一人で四人も面倒見るの大変じゃない? みたいな」

「破綻してたらしいですね」

「そんな感じだったので、受け入れた、と。あぁ、あと、不倫してる奴に使われるような人間なら、弱みとか何かしら見つければ、こっち側に引き込めるんじゃないかって目算もあった。お前と同じことを考えた。……実はこいつも、計画の一部になる予定だったんだけどねぇ」


 腹を抱え込まれて、お辞儀でもするかのように、テディベアは曲がった。


「え?」

「隠しカメラ入り改造テディベア~」

「は……隠しカメラ? 盗撮?」

「結局渡さなかったんだから、許してよね~」


 頭を潰され腹を抱かれ、今度は片手を振らされる。

 監視カメラも入れられている。

 だが、かわいそうにとは思えない。


「だ、から……ですから、私も盗聴してたんだし、許すんですけど。って言うかそれより、三万ってカメラ込みの値段?」

「そこ? いや、テディベア単体で三万だけど。母の日に物贈るって初めてで、奮発しちゃった。カメラ込み、工作代込みだと八万くらいかな」

「どこまで本気か分からなくて怖いんですよ!」

「光さんはいつだって真剣だよ?」

「この場合は真剣な方が問題なんですよ」


 母の日だから、という理由は、さすがに冗談だろう。冗談でなければ困るので、冗談とする。

 気になることはもう一つある。

 このテディベアは、先日、ムラサキのアトリエに置いてあった。

 いくら友達相手でも、あるいは友達だからこそかもしれないが、盗撮は歪な行為だ。そちらに関しては、止めなければならないと思う。

 ただ、思い返せばムラサキには、隠しカメラに気づいている節があった。

 友達でなく、マネージャーなら許されるのか。

 深入りするのが面倒になったので「五月以降は?」と話の先をうながした。


「五月以降ねぇ。俺の方は、理事長から派遣されてきた割にやることなすこと中途半端だし、それはそれとしていい子ぶりっ子が鼻につくな〜って、じわじわ嫌いになってただけだけど」


 秀人は、と光が言った時、ほんの少し部屋の温度が下がったような気がした。


「俺よりも、しっかり、嫌なことがあったんかねぇ。詳しくは知らないけど」


 清佳の方に、覚えはない。


「そんな感じで。次どうするか、まあ暴力が手っ取り早いよねぇ、サヤちゃんのこと殴りたいし。夏祭りがちょうどいいんじゃない? 目につくところにチラシ置いておいたら、敬司くん辺りが行きたがるでしょ――と」


 祭の夜を思い出す寒々しさに、ミルクティーを飲む。ぬるくなり始めている。


「一応言っとくか、あの日の流れも。まず、俺らが出かける。そしたら俺の鍵で協力者がここに入って盗聴器を回収し、アパートに持っていく。その間に、人の壁で一般の視界を避けつつ、檜原清佳をアパートに拉致。それから……ここからだったな。予定では、祭の間は適当にごまかして、花火が終わってからゆっくり脅すつもりだったんだけど。さっきも言った通り、思ったより怪しまれるのが早かったから、仕方なし、手分けをして探す流れの時に、秀人が抜けた」


 清佳を痛い目に遭わせるという目的は、かなり、小野寺の意向によるところが大きいようだった。

 脅迫するだけ、痛めつけるだけなら、わざわざ小野寺が来る必要はない。拉致を別の人間に任せたように、別の人間にやらせればいい。

 そうしなかったのは、自分の手で、清佳を痛めつけるという意志があったから。


「仕方なしって言っても第二案に変更って感じで、ある程度用意はしてたけど。動画飛ばしてもらう用の、マイクとかカメラとかイヤホンとか」


 光は数拍沈黙してから、付け加える。


「俺は、警察に通報されたり、秀人がいないことがバレないように、あいつらのコントロール役をしてはいたけど。動画をちゃんと見て、聞いてた。サヤちゃんを脅迫する計画も、秀人と一緒に立てた。そこは勘違いしないでよ?」

「……しませんよ」


 あの夜、清佳の背後に立って、直接首を絞めたのは小野寺だった。

 だが、その場にいなかっただけで、光も同じ気持ちだった。

 清佳のうなずきに、光は鼻を鳴らす。


「それで、まあ、失敗して。一応取り繕いはしたけど、紫純にはバレバレで。……で、今日になった」


 そして話はかなり飛ばされた。

 拉致された後に起きた出来事は既知だ。光の過ごし方については、ムラサキの言葉や先程の謝罪から想像がつく。

 だが、まだ聞きたいことはある。

 犯行動機が同じでも、それを止めた理由までは同じではないはずだ。

 止めた後、今現在の思いも異なるはずだ。


「小野寺先輩は、ご実家に帰っていると、ムラサキさんには聞きましたが」


 脅迫を止めた理由は本人に聞いた方がいいだろう。今の状況くらいは教えてくれるだろうかと、問いかけた。


「そうそう。そこが、理事長に連絡がつかねえって話に繋がってくる」

「あ、そうか。その話でしたね」


 話を聞いているうちに頭から抜けていた。


「味方のいない人だな、あの人も。捨てられたんだよ、秀人が帰ったことをきっかけに」


 光の皮肉っぽい笑いが、胸に刺さった。

 清佳自身の動機もあったとは言え、最後に残った身内とは言え、いいように利用されたのだから、味方でいる義理はない。

 そう思いつつ、しかし、考えてしまう。

 十月。妹夫婦の死去。葬儀や手続き、姪の見舞いで、悲しむ暇もない。

 だが、そんな中でも人の温もりを得て。

 十二月。その温もりによって脅迫されて。

 一月にはきっと、不倫相手の息子が脅迫者だと、知ることになっただろう。

 そして、そりの合わない姪の面倒を見ながら、五人分の生活費を払いながら、脅迫への対応を考え。

 疲れ果て。

 三月。


「秀人は今、実家に帰って、父親と喧嘩をしてる」


 今は深く考えないと決めたのだった。

 伯母の問題は後回し。

 ――本当に後回しにしていいのだろうか。


「不倫の他にも色々あるらしくて、結構な泥仕合になってるっぽいけど。まあその辺は置いておいて。結果、秀人父は理事長との関係を切った。理事長の本気度まで俺は把握してねぇけど、今の時期、連絡がつかないとしたら、十中八九それが理由じゃない?」


 もし、伯母が投げやりになっていたら、下手をすれば小野寺の父親への復讐として、自分も破滅する覚悟で不倫を自ら明かすこともありうるのではないか。あるいは心底ショックを受けて、あらぬことを考えていたりしないか。

 だが、伯母のことばかり考えていられないのも確かだ。

 プラントポットの行く先も、小野寺との話し合いも、自分自身の進退も、全員を集めて謝罪をするタイミングもその時の言葉も、やっぱり伯母も、どれも大切で、考えるべきことだ。


「……そうだったんですか。ありがとうございます」

「……」


 ぼんやりと天井を見る。

 どうしたら。まずは、何から考えていけば。

 優先順位をつけようとするが、自分の中で大切にしたいものと、早く解決したいものとが食い違って、まとまらない。

 それと、さすがに疲れた。

 何もかも自業自得ではあるのだが、とても、疲れている。


「サ~ヤちゃん」


 顔を向けた途端、光の元から大きな茶色が飛んできた。

 マグカップにまだミルクティーが残っていたので、咄嗟に体ごと逃れる。

 大きな茶色は、清佳の隣に落下したた。

 うつ伏せになっていたので、仕方なく、形を整え、膝の上に座らせてやった。


「光さん。テディベアは投げるものではありません」

「君も投げたでしょ」

「それはすみません」


 テディベアを抱きかかえ、その頭にマグカップを載せる。やってみるとこの体勢が中々、すわりが良い。

 無機物には罪はない。

 毛皮で包まれた腹を揉む。


「秀人。しばらくは帰ってこないから」

「あ、はい」


 少し、ほんの少しだけ、安堵する。だがすぐに、安堵してはいられないことを思い出す。


「そう言えばそれも。何と言うか、大丈夫そうですか? 小野寺先輩、その、喧嘩をしてらっしゃるとのことですけど……」

「家では好きに過ごせてるみたいだし、時々脈絡のねえ愚痴が送られてくるし、父親にはぶん殴られてるし、大丈夫なんじゃない?」

「え。最後。殴られ? 殴ったではなく?」

「ではなく」

「大丈夫とは思えないんですが。警察とか児相とか、通報した方がいいんじゃ」

「自分の時にその反応しろよな~。「殴られたら痛いんだな。サヤさんに謝らなきゃ」ってのんきに言ってたし、大丈夫でしょ」

「それも別に、大丈夫と思える情報ではないです。二つの意味で」

「うるせ〜。図々しい。厚かましい。差し出がましい。心配するな。俺、これでも共犯者だから。サヤちゃんよりは知ってるから」


 何も言えなくなった。光が共犯者であるのに対して清佳は、気づかないうちではあれど、何かをしてしまった加害者だ。

 他人の家庭を通報するのには、迷いもある。家庭の普通と異常、善と悪は、簡単には判断できない。その辺りに関しても、恐らく、光の方が伝手も経験も多いだろう。


「……そうですね」

「任せておきなよ、光お兄さんに。愚痴聞いてるだけだけど」


 躊躇いはまだ残っていたが、肩の力を抜いた。

 正直に言えば、今は小野寺を心配する余裕まではない。嫌われながら憎まれながら、相手の気分を害さないように心配する、などという芸当もできない。


「じゃあ、小野寺先輩の心配は任せました、光お兄ちゃん」

「うわ、引く」

「自分が言ったくせに」


 笑いながらテディベアを抱きしめた。

 まだ時間はあるらしい。

 それならばもう一度、考えなければならない。様々なことを。聞いたばかりの、清佳にはどうしようもない光の動機についても、せめて思いを馳せるくらいのことはしたい。

 後悔と反省くらいしか、できることがない。

 ひょっとすると、結局それも自分が安らぐためだけの、自傷行為なのかもしれないけれど。


「大体、話しておくべきはこんなところかねぇ」


 うなずきかけたが、一つ思い出した。


「ムラサキさん、光さんが落ち込んでること心配してたから、早めに顔見せてあげてくださいね。和解についてはみんなへの謝罪の時に、私から言うつもりですけど、先に伝えておいてもらっても、全然いいですから」



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