破局

「何も分かんねえ。誰かまとめてくれ」

「私が拉致されて、殴られた。犯人はしばらくしたら、どこかに行った」

「お前は一旦黙ってろ」


 咲坂の声には怒りがこめられていた。普段の吹きこぼれるような怒りとは違う、静かな激情だった。

 普段であれば清佳も恐れ、遠ざかっただろう。

 だが今は、凍ったように心は固まっていた。


「うん。じゃあ、食べてる」


 ミニテーブルに積み重ねられた、誰かが購入した焼きそばに手をのばす。

 だが微妙に手が届かない。立ち上がって焼きそばを手に取ろうとしたら、節々の痛みのせいで軽くよろけた。

 テーブルの足元に置いていたビニール袋を蹴ってしまう。

 中に入っている盗聴器が一つ、床に転がった。

 ビニール袋に入れ直そうと体を曲げると、今度は殴られた腹に痛みが走った。

 ただ、悲鳴を上げるといらない波紋を広げてしまいそうだと感じて、息を吐いて耐える。

 盗聴器は拾わずにソファに戻り、広々とした背もたれに寄りかかる。

 正面に真っ黒なテレビの画面を見ながら、膝の上でパックを開けて、割り箸を割った。


「まず、二手に分かれた後。俺と祐希とサヤちゃん……檜原さんは、何となく屋台を見ながら道を歩いていた」


 ソファの左辺に座った光が口を開いた。


「で、俺が何かの屋台で物を買おうとして。全員で並ぶこともないかと思って、祐希と檜原さんと、一瞬分かれた」

「あ、うん。それでその後、僕はサヤカと一緒にいようとしたんだけど、横から来た人の流れに押されて、はぐれて……」


 祐希がいなくなって、早くも迷子になったと焦ったことをおもいだす。ほんの数時間前のことなのに、はるか昔のことのようだ。


「その時は、団体に紛れ込んじゃったのかなって思ったけど、今思うとその人たち、明らかに体押してきたし。……何か怪しかった気がする」

「祐希は何にもされなかったんだよな?」


 小野寺の問いかけに、小声の肯定がある。二人とも清佳の背後に立っているため、その表情は見えない。


「それで――俺が屋台で物買ったら、待ってるって言っていた場所に、祐希も檜原さんもいなくて。迷子か~と、その時は。で、最初の連絡入れた。まあその時はこんなこととは思ってなかったから、はぐれたから屋台の近くにいるわ、くらいのを」

「あぁ……見たな、そんなん。大したことねぇだろって流したけど」


 光の背後で、咲坂の言葉に同意するようにムラサキがまばたきをする。ソファの右辺に座る咲坂は、足を組んだ。


「その後祐希が戻ってきた」

「うん。僕は単に人に流されただけだったから」

「あとは……祐希としばらく待ったんだけど、何の音沙汰もないから、トラブルで連絡見られなくて、先に公園行ってんじゃない、とか言って。一応連絡だけして、ちらっと山車見に行った、とそんなとこかな〜。秀人たちの方は何かある?」


 光の目が清佳の背後に向けられる。


「僕は、はぐれるなんて、清佳さんにしては珍しいと思って、気にしてはいたけど。これと言って何かした訳ではない。三人で普通に屋台を見て、時間通りに待ち合わせ場所に行った」

「――で、合流したんだが、テメェは来なかった」


 会話の流れを引きちぎるように、咲坂が言った。


「さすがにおかしくね、つってオレらが檜原のこと探し始めたのは、花火が始まる直前だ」


 黙っていろと言ったくせ、今は、話を強請るような目を向けて来る。

 冷えた焼きそばを飲み込んで答えた。


「私は、光さんと祐希くんとはぐれてすぐ、誰かに殴られて、たぶん軽く窒息させられて、気を失ってた。だから推測にはなるけど、花火大会が始まる前には、あのアパートに運ばれていたと思う。確実に言えるのは、目が覚めたのが花火大会が始まった後ってことくらい。花火の音がしたから」


 それが最初の花火だったかどうかは分からない。ただ、時間にそう差はなかっただろう。清佳が助け出された後も、花火大会は続いていた。


「そんな前なら、さっさと案内所でも警察でも行って、オオゴトにしときゃ良かったな」


 いやみったらしい言葉に、何か応えた方がいいように思うが、何も浮かばない。

 リビングに舌打ちを響かせ、咲坂は続ける。


「結局、祭ではぐれるのなんか珍しくねえし、スマートフォンは充電切れだろ、とか言って、手分けして屋台とか、探して……。一応、二十分くらいは探したんか?」

「連絡の履歴見る限り、大体二十分くらい。……で、ここからが問題で」


 問題、と清佳は首をかしげる。今までの話もずっと問題だらけだったが、彼らの間には「問題」と言えば通じるような出来事があったらしい。

 光がスマートフォンを、清佳に向けた。


「俺と敬司くんの、普段連絡で使ってるのとは違うサービスのアカウントに、ダイレクトメッセージが届いた。檜原さんがいたアパートと、「檜原清佳はここにいる」ってメッセージ」


 画面を見ながら、姿を知らない犯人を思い返す。


「俺はアカウント名、本名とはかなり変えてて、内容も個人情報を特定されるようなことは書いてない。まあ繋がってる奴を見れば、どの辺に住んでる人間か、くらいは分かっちゃうけど。……ちなみに敬司くんは、普通に個人情報書いてる時ある」

「うっせえ」

「そういう訳で。これが笠原光のアカウントだって知ってるのは、基本的に顔見知りだけ。その上敬司くんにも送ったってことは、メッセージ送ったのは、俺と敬司くん共通の知り合いの誰かじゃねえかな、と。……みんな友達だし? あんまり言いたくはないけど、中には一人二人三人四人、こういうことしそうな奴もいる」

「友達選びなよ、二人とも」

「……ハッ。テメェが言うな、テメェが」


 咲坂の言う通りで、苦笑いしかできなかった。ずっと騙していた側の人間が、人付き合いにどうこう言う資格はない。

 笑みを浮かべながらも、光は冷たく目をそらして続ける。


「それ見て、とりあえず俺ら二人で、メッセージにあった住所に行くことにした。何もなくても何時までに連絡入れるとか、それなりに予防策は取ってね。そしたら、椅子にがんじがらめにされてる檜原さんと、そこの……盗聴器、があったって訳」

「あと録音機な」

「あぁ、そう。一台だけ録音機もあった。内容は別に何てことなかったけど……ここ、で。夕食の時に、してたっぽい会話」


 光はかかとで床を叩いた。


「これは何って聞いたら、檜原さんが、盗聴器です、って答えた」

「正確には、プラントポットに私が設置していた盗聴器、ですね。録音機も私が使っていたものでしょう」


 話を聞いている間に、焼きそばは綺麗に食べ終えてしまった。

 大切な人が死んでも、拉致された後でも、お腹は減る。食べなければ苦しみが増す。

 空になったパックと用済みの割り箸を、ゴミ箱に捨てた。


「それで空気の悪い中、みんな集合して帰宅、と」


 光の代わりに半笑いで清佳は、経緯の再確認を締めくくった。

 帰りの電車での空気は最悪だった。

 清佳がアパートで簡単な手当てをしている間に、五人は食事などを取っていた。話をする時間はあったはずだが、咲坂も光も、断片的なことしか話さなかったのだろう。花火大会の途中とは言え、行きと大して変わらない人混みの中、清佳と、清佳からきっぱりと距離を取る二人の間で、三人は途方に暮れたような顔をしていた。

 こんな人間をわざわざ探し回って、疲れていただろうに。

 リビングは静まり返っている。


「花火は、みんなで見れたから、良かったけど」


 空気が軋む気配をありありと感じた。


「何をのんきなこと言ってんだテメェは」

「……そうだね、本当に」


 根っからの本心ではあったが、咲坂の苛立たしげな視線にはほっとした。

 帰りしな、ところどころ建物に隠れた花火を、六人で見ていた瞬間は、忘れがたい思い出として清佳の胸に刻まれている。

 だが、客観的に見ればそれは、自分勝手で醜い感情だ。他の五人は、清佳のせいで、楽しいはずの時間を台無しにされた後だったのだから。良かったなどと言われれば、腹が立つのが当たり前。

 咲坂が正しく、自分は間違っている。

 その真っ当な視線に心が安らぐ。


「じゃあさっさと、私のしていたことについて、話そうか」

「待て」


 ムラサキの目が清佳を見ていた。悪い予感を覚えるが、逃れる間はない。


「清佳さんを拉致した奴の目的は」

「あぁ……」


 話さずに終われそうだったのに、と顔をしかめる。

 だが、こうもはっきり聞かれれば、清佳には答えずにごまかすことはできない。

 既に答えを知っていそうな目にたじろぎながら、渋々答えた。


「それはだから……盗聴をするなって言う……。色々と企んでいる人間は、出て行けって、脅迫」

「つまり、犯人は」

「ムラサキさん」


 背後で祐希が「えっ」と声を上げる。咲坂までもが舌打ちをした。

 どうして犯人は、喋れなくなるまで清佳を脅し切らなかったのかと、不平を言いたくなる。喉くらい潰してくれて良かった。あるいは、何も知らない人には知られないよう内密に、清佳を脅すだけにしてくれれば、こんな追及の場などなかっただろう。

 これでは、庇いたくても庇えない。


「……悪いのは、あなたたちの暮らしを盗聴していた私なんだから。光さんと咲坂くんの共通の知り合いで、プラントポットについて知っていて……あなたたちを大切に思っている誰か。それでいいでしょう」


 犯人に対しては、怒りよりも感謝がある。

 もう彼らの弱みを探さなくてもいい。

 騙さなくてもいい。

 それに、この暮らしを壊したくない。久しぶりに得た賑やかな日常生活は、清佳を救ってくれた。その輪から外されるのだとしても、大切にしたい。

 犯人探しなどせずに、全て清佳のせいにして、みんな穏やかに生きればいい。


「みんな察していたと思うけど、私はこの建物と土地を所有している人の頼みで、プラントポットに来た。そして家政婦のかたわらで、みんなをここから追い出すために、盗聴器で、脅迫をし返すために弱みを探っていた。――そして今夜、それを知った誰かに、釘を刺された。この件は、それだけの……こと」


 覚悟は決めたはずだったのに、話しているうちに、声が震えてしまった。

 息をほとんど吐き切ってから、最後に残ったほんの少しの空気で、早口に告げた。


「私は出ていく。それで終わり」


 立ち上がろうとしたが、咲坂の方が早く、足を踏まれて立てなくなった。

 ソファの背もたれに肩を押しつけられる。殴られた箇所などに痛みが走り、堪らず顔を歪めると、咲坂は手を離した。肩のすぐ横に、拳が打ち付けられる。


「テメェはッ……!」


 声がかすれている。


「何でそんなことすんだよ! お前、そんな奴じゃ……そんな奴じゃねえだろうが!」

「……ハハ」


 首謀者には二つ怒りたいことがある。プラントポットの誰かが犯人だと気づかせてしまう手段を取ったことと、咲坂を発見者に選んだことだ。

 光や小野寺、ムラサキなら、せめて波風を立てずに出て行きたいと頼めば、清佳の意を汲んでくれたかもしれない。

 咲坂だったから、何事もなかったように終わらせることが、できなかった。

 全ての罪を詳らかにすることが目的だったなら、これ以上ない成果だろうが。


「咲坂くん、そんな奴だったんだよ、私は」


 怒りに満ちていた目は、ふと、泣きそうに歪んだ。


「今、謝ったら、オレは許す」


 その言葉に息が止まる。

 思わず、何かを言いかけてしまった。

 だが、何も言わずに口を閉じて、ただ笑った。優しい人だ。


「――何で謝んねえんだよ!」

「梓さんに嫌われると、困るから」


 望み薄な願いだったと理解してしまった後だが、口にする。


「学校の理事長、私の伯母、両親が亡くなってから、私のこと引き取ってくれた人。嫌われたくない。恩もあるし、私と両親の思い出話をできそうなの、梓さんくらいしかいないんだよね」


 背もたれに打ち付けられた手に、手を添える。


「バレなければ、私は、ずっとみんなを騙し続けていた。今もただ、嫌われたら困るなぁとしか思ってない。謝らない」


 清佳を悪役にして、犯人は正しいことをしたのだと称えて、清佳が来る前と同じように暮らしてほしい。

 実際、この言葉はまるきり嘘でもない。


「だから、ね。まだお母さんが生きていて、大切にも思われている、咲坂くん」


 暗い炎はずっと清佳の中にある。


「どいて」


 咲坂が身を引いたので、今度こそ立ち上がった。

 肩をつかまれたせいか、腹や肩の打ち身がまた痛みを主張してくる。

 手首や足首には縛られた痕がついているし、首にも痕くらいはついているかもしれない。鏡で確認くらいはしておきたい。

 伯母に、帰ると、連絡もしなければならない。


「サヤカ」


 背後から、小さな声に呼ばれた。


「何。ほとんど毎晩電話をかけてきてくれるくらい、家族に心配されている祐希くん」

「な……んで、知って」

「だから盗聴してたんだって」


 振り返って祐希に笑いかける。自分でも意外なくらい、刺々しい気持ちがわいてくる。


「文句ならいくらでも言っていいけど、できれば後にしてくれる? 部屋戻るだけだから。出ていくって言っても、今すぐじゃないよ。荷物あるし」

「……何で」

「何が? 騙していた理由は今言った通りだけど」

「そうじゃなくて! ここに、来たのは。料理とか、そんな真面目に作らなくて良かったでしょ!」

「それはまあ、盗聴だけでは、すぐに成果上がらないだろうなと思って。とりあえず節約して、みんなの懐に余裕できたら、何かの名目で共益費増額して、こっそり今梓さんが払ってる光熱費とかに当てようかなーと。あと、真面目にしていた方が、祐希くんたちを油断させられるでしょう。うっかり秘密の話をしてくれるようになるかもしれないし」

「絶対違う」

「……祐希くんも見る目ないなぁ。本当だって」


 こんな風に傷つける必要はないと思うのに、口が止まらない。


「逆にさ。四月から今まで、止める機会なんか、いくらでもあったとは思わない?」


 自分だってずっと、傷つけられてきた。

 親という存在がまだいる幸せと、その環境を捨てられる贅沢を、見せつけられてきた。

 親がいるから幸せとは限らない。離れることが幸せであることもある。知ってはいるが、気持ちが暴れる。


「それでも私は、ずっと騙していた。みんなではなくて、自分の幸せを選び続けてきた。それが全てで、それ以外には何もないよ」


 一言言う度に心の中で、いい子だった自分が潰されていく。

 それでもいいかと、ふと糸が切れた。

 もういい子だと褒めてくれる人はどこにもいない。

 褒められるどころか見放されるだろうが、構わない。


「バレた以上、家政婦を続ける意味はないし、基本的にはもういないものとして扱って。……じゃあ」


 誰とも目が合わないようにしながら、リビングを横切った。

 扉を閉める音は、静けさに飲み込まれた。

 探してくれてありがとうと言い損ねたことに気がつき、階段の前で足が止まった。

 だが、わざわざ戻る気にはなれなかった。

 檜原清佳という人間は所詮、その程度の人間でしかなかったのだ。

 親の顔が見たい、と言われたって、見せる親はもういない。


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