六月
氷菓
「……祭」
背中に体重がかかった。
背中に、背中を、くっつけられている。
体育の準備運動であったなと思いながら、ぐいと背中をのばして押し返そうとした。だが、さらに強い力で押された。全く太刀打ちできない。体格が違いすぎて、全く準備運動にならない。
そもそも体育中ではない。皿洗いの最中だ。
脇腹辺りを肘でつつくが、まるで動こうとしなかった。
「咲坂くん、邪魔。寄りかからないで」
「祭だってよ」
「何? 祭?」
やっと背中から離れたかと思えば、横から視界を遮るようにして、チラシを差し出してきた。
「邪魔! 見ての通りお皿を洗ってるから。後にして」
チラシは引っ込めたものの、咲坂は清佳の横に立って、チラシを見始める。
「オレ、祭って好きなんだよ。デケェ音鳴るだろ、花火とか、太鼓とか」
「そうね。私も大きい音好きだよ。恐竜が人食べる映画とか、建物がぶっ壊れる映画とか好きだったし。……今はあんまりだけど」
以前は好きだったのだが、事故のせいで、身近なものが破壊されたり、父親や母親にあたる役柄が死ぬような映画や映像は、見られなくなってしまった。急ブレーキ音など特に、二度と聞きたくない。
最近は代わりに、特に理由なく何かが爆発する映画を見ている。
「お祭かぁ。いいな。いつどこで?」
「この日付だと夏休みだな。黄浦」
「黄浦市でやるのなら、結構大きい祭っぽいね。私、前は県外にいたからよく知らないんだけど、目玉とかないの? 何とか踊り、みたいな」
「何つったか。でかい……神輿とは何か違うらしい……車? 綱で引っ張ってるの見たことある」
「山車かな? 混みそうだなー」
「行くか」
夏休みなら用事もないし、と何も考えずうなずきかけて、清佳は首をかしげた。
「え、私と?」
「そっ――」
しばし黙り込んだ後、咲坂は突然怒鳴った。
「うはならねえだろ!」
「うるさ」
顔をしかめ、咲坂は若干声を落とした。
「秀人とか祐希とだよ!」
「じゃあ私に話さずに、その二人に相談しなよ。私に話しても意味ないよ」
「い、みねぇ、ことは……ねぇと言うか……はあ? ふざけやがって」
「何で私にキレるの。私、お皿洗ってただけなんだけど」
咲坂はチラシを握り潰しながら、リビングの方へと歩いていった。
最近急に暑くなってきたので、やや疲れているのかもしれない。
「咲坂くん、そう言えば、アイス買ってきたよー。一人二本まで」
「えー。三本食べちゃだめ?」
「……びっくりした。急に咲坂くんがかわいくなったのかと思った。祐希くんか。だめでーす。二本もいらないって人もいるかもしれないけど、ちゃんと交渉してから。自分で」
「サヤカは?」
「私は断固として二本食べる。他を当たってください」
祐希は冷凍庫を漁って、アイスを二本持って、リビングに向かった。咲坂の分も持っていったのかと思ったが、少しして咲坂が来て、二本持っていった。何故二人とも、一度に二本食べようとするのか。
皿洗いが終わったので、冷蔵庫にかけたホワイトボードに「アイス一人二本」というコメントと、祐希と咲坂の名前の横にバツを書く。そして自分の名前の横には、斜め線を一本引いて、アイスを一つだけ手にして、自室に向かう。
しかし廊下に出てすぐ、光と出くわした。帰ってきたばかりのようだ。
「また夜遊びでしたか、光さん」
「夕食いらないって連絡したよね?」
「そういう問題では……何、何か近くないですか」
「どーん」
体当たりでダイニングに押し戻された。
「何なんですか! 肉体言語流行してるんですか?」
「流行は知らんけど。女の子と一緒にー、アイス食べながらー、ソファでまった〜りしたい気分だったから。何だ、あいつらいるのか。まあいいや」
アイスを取った後、肩を抱かれてリビングまで連れていかれた。
テレビの正面には祐希、壁側には咲坂がいる。
光は行儀悪くも背もたれをまたいで、手前側のソファに腰かけると、自分の足の間を叩いた。
「はいほら、お兄さんの足の間においで〜」
「嫌です」
清佳は光を素通りして、ゲームのコントローラーを持っている祐希の右隣に腰かけた。
二本持っていかれたはずのアイスは、一本だけが口にくわえられている。一本は既に食べてしまったらしい。
向かって右側のソファでは、咲坂がまだチラシを見ている。
「祐希くん、アイスくわえてると、口冷たくない? 一段落するまで持ってるよ」
「ん」
くぐもった声だが了承の雰囲気だ。アイスの棒を抜き取り、左手に持つ。
テレビの画面では、天使のような形態を持った敵が、祐希の操るキャラクターに向けて無数の矢を降らせている。どうやら祐希は撤退したいようだが、入り組んだエリアのため、逃げるのにも苦慮している。
「これ、そこそこ集中力いるエネミーでしょ。アイスくわえてやるものではなくない?」
「ここにいるって知らなかったの!」
「あーそっか。じゃあ黙ってよ」
「サヤちゃん、このゲームどこまでやった?」
「とりあえずメインストーリーは終わりました。サブストーリーはまだ」
「早くね? いつやってんの、お前?」
「前の休み、深夜から朝方にかけて、めっちゃ頑張って進めた。あと私、攻略見る方だから」
「うわー何か嫌。俺、攻略見ない派だなー」
「負けた! もー……。サヤカ、アイス返して」
セーブ地点まで戻された祐希は、アイスを食べながら、敵のいないエリアを探索し始める。
宿題をしなければならないのだが、ぐだぐだと話しながら、眺めてしまう。
どうせ明日は休みだ。たまにはいいかと、アイスを食べながら思う。
だらだらしていると、小野寺、続いてムラサキがやってきた。
「二人ともこの時間に下りてくるの、珍しいね」
二人は光を指さした。
「笠原くんから、来いって連絡が来たから。何かやってるの?」
「意味もなく全員揃ったら面白いかなーと思って、何となく呼んじゃった」
「意味なく呼ぶな笠原」
「……一応、アイスあるよ、二人とも」
二人はキッチンに行って、アイスを持って戻ってきた。二人とも自室に戻らず、小野寺は光の左隣、ムラサキは咲坂と清佳の間に座る。ダイニングと違い、リビングには定位置らしいものはない。
「本当に意味もなく全員揃った。暑苦しっ」
「自分が呼んだくせに」
清佳が呆れていると、テレビとソファの間に置かれているミニテーブルに、バシンと咲坂が何かを叩きつけた。
「ちょうどいい。おい、夏休み、祭行こうぜ」
「ケージくん、手、邪魔! 見えない!」
テーブルの上に置かれたチラシに、最初に手をのばしたのは、光だった。小野寺が横からのぞき込む。
「あぁ、黄浦の祭か~。俺もう先約あるわ。女の子四人とキャッキャしながら回る予定」
「じゃあ光抜きで」
「そう言われると、それはそれでさびしい~。みんな行くなら、あっちキャンセルする~」
「先にした約束を優先しなよ、光さん」
「や、誘われたから何となくオッケーしちゃったけどさぁ。四人は前から友達で、俺だけ最近知り合ったばっかり、みたいな感じなのよ。いくら距離感バグの光くんでも、ちょっと気後れしちゃうなって思ってたところだったから」
「僕は行くよ。結構、山車が壮観で。毎年見に行ってるんだ。……ところで何でこのチラシ、シワだらけなの?」
「どうでもいいだろ。じゃあ秀人参加。光は不参加。他は?」
「敬司くん、光さんは保留だよ? 敬司くん? こっち見て」
チラシが清佳に回ってきた。清佳は既に見たので、祐希に見せる。一旦ゲームをする手を止めて、祐希はチラシに目を向ける。
「りんご飴食べたい。チョコバナナも」
「あー、いいねぇ」
祐希程ではないが、清佳も甘いものは好きだ。屋台の食べ物は高価だから、などと言うつもりもない。
「あるかな?」
「今年もあるとは言い切れないけど、僕の記憶では、毎年出店してたと思うよ」
「じゃあ行く」
「ムラサキさんは? 行く?」
チラシをムラサキに渡すが、聞き返された。
「清佳さんは?」
「私も行っていいの?」
全体に呆気に取られたような沈黙が流れて、失態を肌身で悟る。取りつくろう必要性を感じた。
「や、えぇと……咲坂くんがさっき、私と行くの、嫌そうにしてたから」
「してねぇよ。いや別に来なくてもオレは一向に構わねえけど? 嫌とか言う程わざわざお前のこと考えてねぇっつうか。どうでもいい」
「何かあったの、二人とも」
「何もねぇ。とりあえず被害妄想止めろ。オレが嫌な奴みたいになんだろうが」
「ごめんごめん」
あとから伯母に言われてこそこそと入居した女を「みんな」の内から、無意識に外していた。てっきり気の置けない友人同士で行くものだろうと思っていた。
自分も、プラントポットや家政婦なんて関係のない遊びの予定に、加えてくれるらしい。
そんな資格はないと思うのに、単純に嬉しくなってしまう。
「じゃあ、私は……みんな行くなら、って感じ。逆に、誰かが行かないのなら、止めておこうかな。一人で留守番させるの悪いし」
「えっ、つまり祭に行かないことにしたら、サヤちゃんとこの家で二人きりになれる可能性があるってこと?」
「そういう人は一人で留守番してください」
「俺も祭、行く」
「ムラサキさんが行くとなると、私も行くことになるね」
「じゃあ光さんも参加で。キャンセルの連絡入れなきゃ~」
チラシが咲坂のところへ戻った。
「全員で行くってことで。これ、廊下の掲示板に貼っとく。時間とかは追々決めるわ」
チラシを机に叩きつけ、咲坂はムラサキの膝を足置きにして、ソファに寝転がった。
眠るのかと思えば、ぱちりと目を開いた。
「……全員で出かけるのって初めてじゃねえ?」
「そうだね。前に動物園行ったけど、サヤさん来てからは、初だと思う」
「ねえ、何であれ動物園だったの? あの時寒すぎて動物も全然見える場所にいなくて、逆にちょっと笑っちゃったんだけど」
「紫純が動物のスケッチしたがったから」
「俺が動物のスケッチをしに行くところに、お前らがついて来たんだ」
冬の動物園にこの五人がいる場面、少し見たかったと思いながら聞いていると、不意に光が言った。
「サヤちゃん、浴衣着てよ」
他の四人も全員、こちらを見た。
「持ってないので。……祐希くん、やられてるよ」
「あっ……もうやだ。サヤカやって」
「アドバイスだけならしてもいいけど」
「サヤちゃんの浴衣、俺、見たいな~。俺の友達に声かけてみるからさあ、貸してくれるって子いたら着ない?」
「着ません。知らない人から借りた浴衣、気をつかいますし」
「古着とか」
「そもそも着付けができません」
「あ~……。他に思いつかない。誰か~! この中にサヤちゃんに浴衣着せる方法をご存知の方いませんか~!」
「そこまでされると着にくいです」
「自分で自分の首絞めてんじゃねえか、光」
浴衣を着た女子を拝みたいのであれば、何も清佳でなくてもいいのでは、と思いながらも、祐希にアドバイスをするためゲーム画面を注視する。
ずっと噛んでいたせいで木の味がしてきたアイスの棒を、ゴミ箱に捨てる。
浴衣を着る気はないが、祭自体は楽しみだと、ぼんやり考える。
「おこづかいとして、食費から、一人五百円くらいは出そうかな」
そう言うと、リビングにはだらっとした歓声が上がった。
一人一食五百円では、いつもの二倍近いが、最低でもそれくらいなければ、祭を楽しめないだろう。
「……あれ」
咲坂がふと、不思議そうに呟いたが、誰も聞き返すことはなく。
プラントポットの面々で、夏祭りに行くことが決まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます