深夜
「……進展、ないなぁ」
先々週とほぼ同じ文面で、特に成果なしと書き、メールを送信した。
プラントポットに入居してから、そろそろ約三ヶ月が経とうとしている。
伯母の秘密を取り戻すのは最初から無意味としても、その代わりである彼ら自身の弱みも、依然として得られていない。
また、節約による水道光熱費等の支払いと返済、それを根拠にして伯母に免罪を願い出るという小目標も、まだ成果らしい成果はない。
情けなさにため息が出てしまう。
隔週で送っている報告のメールには、毎回、家計簿と通帳のコピーを添付している。時間がかかりそうだから、せめて水道光熱費等だけでも支払わせるようにするつもりだと伝えもした。
だが伯母は、早く彼らを追い出し、土地と建物を取り返せ、の一点張りだ。
伯母の言い分はもっともではある。仮に、彼らが水道光熱費全額を返済して、家賃を支払うようになったとしても、彼らが建物と土地の乗っ取りをしている限り、伯母の精神は解放されない。常に「秘密」を世間に広められる危機に怯え続けることになる。
だから、清佳が望む解決を引き寄せるには、もう一つテコ入れが必要なのだろう。
「もっとも」であるところを、どうにか説得するか。
伯母か五人、どちらかを諦めるか。
あるいは、他に手立てを考えるか。
どれもそれぞれの理由で困難がつきまとう。
解決法が見つからなくてもいいから、慰めもいらないから、誰かに相談したい、と思った。
現状、この件について相談できる相手は一人としていない。学校の友達には当然明かせず、両親の思い出話をできる数少ない相手である伯母には、万が一にでも嫌われたくないので正直には言えない。
五人への相談も難しい。失敗すれば、伯母の頼みも自身の計画も、両方とも無に帰す。
プラントポットから追い出されることにもなるだろう。
落ち込んでいても仕方がないと、ひとまず、日課である、録音データの確認に移った。
まず、音声編集ソフトで、ほぼ音声の入っていない箇所を削除。分割したデータを早送りで再生。
この作業にも慣れた。次々に録音データを再生していく。
自分の声が聞こえてきた。
清佳がいる場で、清佳には秘密にしなければならない会話が行われるはずもない。
瞬時にデータを閉じかける。だが、ふと聞こえてきた言葉から、この時にされた会話の内容を思い出した。
続く音声を聞く。
二十三時三十分、玄関での音声だ。
「――ふふん」
このところ、何故か咲坂が、自主的にスーパーへの買い物について来るようになった。
理由は気になっていたものの、荷物持ちをしてくれるので、下手に聞いていなくなられたら損だと、清佳はあえて聞かないでいた。
その理由が、昨日、偶然発覚した。
以前、咲坂は母親のために、コンビニのスイーツや弁当、服などを買っていた。盗聴で聞いた会話の断片から察するに、どうやらあれは贈り物と言うよりは、「お詫びの品」であったようだ。
かつて母親に対して行った狼藉の、償い。
だが、その気持ちはともかく、品々自体は、咲坂母にとってはもらっても困る――一言で言えば「いらない」ものだった。
「いらない」と思われていることを清佳づてに知った咲坂は、別のものを贈ろうと考えた。
そして癪だと思いながらも、清佳の言った、インスタントのスープや、下ごしらえ済の食材を買おうとした。ただ、一度失敗した咲坂は、買うものに迷った。またいらないものを贈る訳にはいかない。
だからと言って、再び清佳に聞くのも、腹立たしい。
それならば、普段からスーパーで買い物をしていて、余計なアドバイスをしてきた清佳について行き、直接何を買っているか見ればいいのでは。
そういう理由で、ついて来るようになったらしい。
『見んな! ニヤニヤすんな! うぜぇ!』
『ハハ、ごめんごめん。ついでにさあ、手紙とか書いて入れておいたら? 食料品とかより全然喜んでくれると思うよ』
『んなもん書いてられっかバーカ!』
そう言えば、前にムラサキが言っていた「聞きたいことがあるのに聞けなくて、困っている」という咲坂評も、このことだったのではないか。
かわいげのある奴だ。
程々のところまで聞いてから、少しもったいなく思いつつ削除して、次のデータに移った。
しばらくは楽しい気分でいた。
だが、だんだんと憂鬱が揺り戻しでやって来る。
伯母の役に立つような弱みとは言いがたいが、盗聴や普段の会話によって、徐々に彼ら一人一人について知ることは増えた。
特に大きな収穫は、彼らがプラントポットを不法占拠した理由――すなわち、実家を出た理由である。
田中祐希にとってこれは、自分のわがままを何でも許してしまう家族を、怒らせるための家出のようだ。今のところそれは上手くいっていないようで、たまにかかってくる「心配しかしない」電話に、逆に自分の方が苛立っては、一人で落ち込んでいる。
咲坂敬司は、一度、母親に手を上げたことがあるらしい。中学生の頃に起きたことではあるが、以来母親のそばにいることを恐れている。プラントポットに入居するまでは、小野寺などの知人の家を転々としていた。
小野寺秀人は、プラントポットにいる主な目的は、祐希と咲坂の保護者役として、それぞれの両親に二人の様子を報告することだと言っている。ただ、彼もまた政治家である父親とは不仲なようだ。咲坂がいじるのを何度か聞いた。
北条紫純は、落ち着いて絵を描ける環境としてプラントポットにいる。ただし、光との会話から察するに、ムラサキは現在、スランプに陥ってしまっているようだった。スランプに陥った理由については光も知らないようなので、何とも言えない。身元調査書には両親が高名な芸術家と書いてあったが、プレッシャーなどがあったのだろうか。それとも全く別の理由があるのか。無口なムラサキは光にも詳しく話さないが、その解決の糸口を探していることは、確からしいことに思える。
そして笠原光は、本人によれば「もうあんな狭苦しくてうるさい場所には戻りたくないわ~」とのこと。まだ施設に籍はあるものの、施設から出られたことを喜んでいる。その言葉が本心からのものかどうかは確かめようがない。もう一つ、小野寺と同様に、ムラサキのマネージャーとして様子を見守ることも大きな理由だろう。
彼らについて知る前。それぞれの家出の理由を解決できれば、自然と今の事態も解決するのではないかと、思ったこともあった。
だが、その案はすぐに却下した。解決可能か不可能かという問題でなく、そもそも知り合ったばかりの他人が、個々人の問題を解決しようなどとするのは、思い上がりも甚だしいことに気がついた。そして深く知っていくに連れて、自分の判断が正しかったことを思い知っている。
加えて、家出の理由を知った方法には盗聴も含まれている。迂闊に口を出し、何故知っているのかと問われれば、ごまかせるとは限らない。いつか必ずボロが出る。
どれだけ仲良くなっても、盗聴が知られたらおしまいだ。
一度芽生えた疑心は、簡単には消えない。
清佳が、事故によって、ほんの一瞬で日常生活がたち消えることがあり得ると知ってしまったように。
彼らは、そばにいる人間が裏切っているかもしれないという可能性を、それ以降ずっと頭に置いておくことになる。
録音データを聞く手が止まった。
「……今日はもう終わりだ、終わり!」
まだデータは残っていたが、マウスから手を離した。天井に向かって両手を上げる。
パソコンを畳んで、その上に腕を組み顔を伏せた。
何故、こんなことをしているのだろうと、思ってしまう。
答えは明らかだ。何度も考えた。亡くなった両親についての思い出話をできる伯母に、嫌われないように。思い出話をできる相手を失わないように。
だが、それを考えた上でなお、何故という思いが頭を巡る。
そのうち盗聴や騙すことに慣れてしまうのだろうと、やや危機感を持っていたこともあったが、まるでそんな気配はない。
ずっと辛いままだ。
むしろ、彼らと距離が近づく程に、罪悪感は酷くなる。
いっそ何もかもから逃げ出してしまいたかった。両親の死の悲しみからも、伯母への期待からも、五人への親しみからも、自分からも。
「死にたーい……」
彼らのうちの誰かと恋人になったり、誘惑して秘密を探る案もあったが、しなくて良かったと思った。騙し続けながら信頼関係を築くというだけでも潰れそうなのに、そんなことまでしていたら、「死にたい」などと口にする前に、四階からの飛び降りを確実に成功させる方法を考えていた可能性がある。
今だって、冗談らしく言わなければ、本心になってしまうかもしれないという怖さがある。
けれどそれも、自分で撒いた種。伯母の頼みを引き受けた自分のせい。結局止めていないのだから、今感じている罪悪感なんて、嘘っぱち。
すっかり落ち込み、パソコンの上に伏せていた体を起こして、あらためてベッドに寝転んだ。
布団をかぶる気力も起きない。
電灯が眩しくて、横向きになる。
ほとんど無意識に、明日の献立を考えながら、眠りについた。
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