&&けんかタイム

 大所帯になってしまった。

 プラントポットのある高苗市には、よそから人を呼ぶような施設はあまりなく、大部分が住宅街である。

 故にこそ、スーパーは巨大だ。大袋のお菓子や飲料などが、箱入りで山のように積まれている。通路も広く、四人で歩いても、周囲の邪魔にはならない。

 加えて、清佳にとっては思わぬ副産物だったのだが、派手な金髪をした高校生がいると、人がよけていく。いつもそう混み合う訳ではないが、清佳はいつも以上に悠々と、品物を選ぶことができた。

 ただ、ただ歩きやすいだけでは若干相殺し切れない苦労も、新たに生まれた。


「咲坂くん、勝手にお菓子入れないで。子どもか。子どもだけど」

「テメェだって同い年だろうが。お前こそ母親面すんな。つーかお前自身が母親気取ってるから、オレがガキに見えんじゃねえの?」

「してない。断固してない。財布を預かる人間としては、こう言わざるを得ないんだよ」

「あん時の菓子、食わずに取っておきゃ良かったじゃねえか。バカスカ食いやがって。太れ」

「あれは祭みたいなものだったから……。あぶく銭ならぬ、あぶく菓子と言うか」

「サヤカー、スフレも食べたくなった。買っていい?」

「だ……駄目。大袋以外のお菓子は一人一個まで。プリン……三個セットを買うなら、まあ、いい、けど」

「僕が食べたかったの、そもそもそれ。じゃあ、持ってくる」

「うん……。咲坂くん、こっそり入れても、だめなものはだめだから。しかも牛肉。高い。買わない。豆腐にして豆腐」

「肉ですらねえのかよ! セコすぎだろ。あー道理で。五百円にも血眼になってた訳だ」

「うるさいなー」


 この間、小野寺はのんびりと後ろを歩いている。荷物持ちとして呼んだので仕方ないのだが、正直なところ手伝ってほしい。

 いい人に割を食わせるのは、やはり申し訳なくはある。

 ただ、今のところこの場で一番一生懸命なのは、図々しくも、自分ではないかとも思う。


「小野寺先輩、申し訳ないのですが、咲坂くんの見張りもしてくれませんか? 好きなもの購入権、五百円に増額で」

「あぁうん。……敬司、手繋ぐ?」

「どんだけ馬鹿にすんだテメェは」


 監視の目が増えたことで、咲坂は大人しくなった。

 結局、咲坂がついて来た理由は分からなかったものの、荷物持ちはしてくれるようだった。祐希も荷物持ちをすれば三百円分好きなもの買えると知ると、少しならば持つと言ってくれたので、いつもより多めに買って帰路に着いた。

 日々、いっそ台車で運びたいと思いながら持ち帰っているので、これは大変にありがたかった。


「買いすぎだろ、お前」

「自分の食べる量を省みて言ってほしいですねー。買いすぎたけど」

「おい」

「通販でも良かったかもな。はしゃいじゃった」

「……いつも通販で良くない?」


 祐希の問いかけに、悩む。


「たまにはいいけど、いつもはねー。結構、管理が面倒なんだよ。誰も食べないおかずとか、逆に、知らないうちに食べられているおかずとか出て来るし。かさ増しできないし。あと、安いなーと思って注文してみたら、量を見間違えてたり。最後のは自分のせいだけど……似たような画面を見ながら値段の比較をしていると、気が滅入ってくるんだよ。本当に。すごい気が滅入ってくる」

「ご、ごめん」


 祐希が謝ったのに驚いたが、驚いては失礼だと、咄嗟に隠した。


「こちらこそごめん、ちょっと鬱憤が。私が作るより、市販のが美味しいだろうし、適度に使うよ」

「そういう意味じゃ……別に……」


 単なる助言と言うより、清佳への心配だったことに、今更気がついた。フォローを入れる前に咲坂が言う。


「自前にせよ通販にせよ、あれこれよくやるわ」

「咲坂くんだって、バイトでは料理してるんでしょ?」

「そう言えばそうだな。オレもあれこれよくやってるわ。偉いなオレ」

「偉いよ、私たち。まあ私は、値段の比較とか節約とか料理とか、最近は仕事と言うより趣味になりつつあるけど」


 祐希を横目に見つつ言う。少し安堵が浮かんだような気がする。


「あ。でももし、間食とかしなくなってお金に余裕できたら、貯金でもしておいてほしいかな。いつかみんなからお金徴収してサブスク加入して、リビングのテレビで見られるようにするのが夢だから」

「自分のためかよ」

「それくらいの夢は持たせてよ」


 他人の金でサブスクに加入したいのは本心だが、ゆくゆくは水道光熱費を請求するつもりでいるので、できればその時まで貯金しておいてほしいという理由が本命だ。


「……真面目だね、サヤさんは」


 振り返って肩越しに見た。

 小野寺は一番大きな段ボール箱を持って、後ろをゆっくりと歩いている。


「僕は、家計簿もつけてなかったから。ちょっと申し訳なくなるよ。食事もカップラーメンまとめ買いして、置いておくだけだったし」

「あの聞いたことねえメーカーの、クソまっじい奴な。一度目はしゃーねえと思ったけど、二度目に届いた時は、秀人の味覚は信用しねぇと誓った」

「最悪だった奴ね。たまに全部嫌になった時に食べてたけど、ほんと不味かった。何のために食費入れてるんだろ、って思った」

「ご、ごめん。安くて……」


 自分が入居した時、伯母の手先と知られているにも関わらず追い出されなかったことに少し驚いたのだが、その辺りの事情もあったのかもしれない。


「けど、電子レンジとか買い替えたのって、節約した分のお金で、ですよね? 仕方ないですよ」

「買い替えてたの?」

「え。買い替えてますよね? 明らかに新品っぽいし」


 プラントポットには、長らく入居者がおらず、放置されていた割に、いくつか新品に近い家電がある。

 通帳を見直していたら、何度か大きな金額が引かれていたので、彼らが購入したのだろうとぼんやり思っていた。


「うん、買い替えたね。節約した分だけではないけど」

「はーん。そうだったんか。じゃあまあ許してやろ」


 祐希も咲坂も、あまりにも何気なく言うものだから、危うく聞き流すところだった。


「……ん、待って。祐希くんも咲坂くんも、買い替えたの知らなかったの? お金の出どころも? 節約した分だけではない、のに?」


 二人とも知らないと答えた。

 使った金が節約した分だけではないとなると、買い替える際に、住人たちが臨時でお金を出したということになる、はずだ。

 だが、当の住人たちはそれを知らない。


「先輩、もしかして足りない分、自分のお金出しました?」

「うん」


 当然のように小野寺はうなずいた。


「良くないなー!」


 思わず大きな声が出てしまった。

 伯母への借金の上に、小野寺への借金が積まれてしまった。伯母には悪いが、優先順位は子どもである小野寺の方が上だ。


「気にしなくていいよ、サヤさん。僕が自分で使いたくて買ったものだから」

「けれど今、みんなで使ってるじゃないですか! 不味いカップラーメン食べさせてたとしても、ただ乗りしやがってって思わないんですか?」

「う、ううん……。嬉しいよ。役に立てて」

「私は嬉しくない! 他の人もそれ知ったら、悲しみますよ。ねえ咲坂くん!」

「いや別に。こいつの親、政治家だし。ハウス入るより前から家泊まったりで、ただ乗りしまくり。しいて言えばサンキューって感じ」

「聞く相手間違った!」

「僕は悪いと思ってるから。……家には泊まってたけど」


 小野寺の父親が政治家だという情報は、身元調査書の中にあった。表に出る職業だからか、他の四人よりも文量が多かったことを覚えている。

 だが、親が金持ちだからと言って、小野寺の金を小野寺以外の人間が、良いように使っていいはずがない。


「うー……私も、そうは言っても現状、電子レンジなどは使わせていただくしかないのですが……。はー、自腹、どれくらいか覚えてます? いや覚えてる訳ないか。その感じだと」

「本当に大丈夫だよ? 自腹と言うか、親の金だし……」

「親が、小野寺先輩のために、あげたお金でしょう。それは小野寺先輩のお金です」

「それなら、どう使おうが、僕の自由なんじゃないかな」


 思いのほか強い語調に怯んだ。


「それは……そうですが」

「嫌々やったんじゃない。僕が、そうしたいと思って、買ったんだ。みんなが使ってくれるなら嬉しいし、大丈夫だから。気にせず使って」


 その気持ちには、共感しないでもなかった。清佳の場合は誰に対してもという訳ではないが、概ね、他人のためになれるのは嬉しい。

 普段はあまり意見を言わない小野寺が、こうも強く言うということは、相当に強い気持ちなのかもしれない。あるいは、訳があったのかもしれない。

 何となく納得のいかないところはあったが、うなずいた。


「……分かりました。自己犠牲では、ないんですね?」

「うん。犠牲と言われるのは嫌だな。サヤさんも、自分している家事とか、そう言われたくないでしょ?」

「私は仕事ですが……あー、まあ……すみません」


 家政婦という名目ではあるが、実質的に給料は出ていないので、確かに清佳のしている多くの家事は自己犠牲に近い。趣味になりつつあるという言葉には、実はそういう意味もあった。


「じゃあ、気にしないように、します。けれど、せめて――いつもありがとうございます」


 小野寺は「うん」とうなずいた。

 納得はいかないままだが、これ以上言っても仕方なさそうだ。

 正面を向いて、こっそりとため息をつく。


「よくお前そんな、何の得にもならねえことで、ああだこうだ言えんな。疲れねえ?」


 さらにそこに、無神経な咲坂の声が重なった。

 突っかかったばかりの小野寺の前では、言いにくいとは思っていたが、つい口からは本音が漏れた。


「……疲れる」


 疲れるに決まっている。咲坂以外には言ったが、以前は怒ったり、他人に強く言うような人間ではなかった。変わったのは、もじもじしていると、伯母に嫌がられるから。

 だが、最近はそこからさらに、変わりつつある。


「疲れるけど……ああだこうだ言ってる方が気が楽」


 根底にあるのは、正義感や善意ではなく、恐怖だ。

 両親を失い、伯母と暮らし始めて疲れていたところに、人の気配が多く慌ただしい毎日は、刺激が強すぎたらしい。

 このところ、度々、楽しくてありきたりな「今」を、再び失う悪夢を見る。

 人は不意に死ぬ。

 明日があることは当然ではない。

 次の一瞬、手から砂が落ちるように、何もかもが失われるかもしれない。

 それを胸に何度も刻まれて、終わりへの恐怖と、せめてその瞬間は、大切な人たちに、嫌な思いをしていてほしくない。常に幸福でいてほしい。そういう願いを抱くようになった。

 自分にはどうにも左右できない部分ではあると分かっているが、色々と言いたくなってしまう。


「それもやっぱり、趣味、みたいなものかな。個人的な楽しみと言うか、ストレス発散と言うか」

「趣味ぃ? お節介すんのが? 鬱陶しい趣味だな」

「ハハ。そうだね、ごめん……」


 罵声が今は安らぎに思えた。

 咲坂の感じている通りだ。今の自分は、光と似たようなもので、保っておくべき距離を侵しかけている。

 しかし、皆、伯母にとっては迷惑極まりないクソガキでしかないのだろうが、清佳にとっては、悪くもない同居相手なのである。素直ではないが、目の敵にする程ではない。それぞれに事情があるだけで、根っからの悪人ではない。

 むしろ、彼らのおかげで、一人だけ生き残った親不孝者が受け取っていいのか不安になるくらいに、穏やかな――事故に遭った時、完全に失ってしまったように感じた「日常」を、過ごせるようになったことを考えると、大切だと思う。

 もしかすると、計画的に懐柔されているのかもしれないが、居心地の良さに抗えない。

 もう二度と失いたくはない、と思うようになってしまった。

 同時に、彼らを騙しながら。

 その矛盾について考え始めると、頭の中で、大量のスパークが弾ける。吐き気を覚えるような眩しさだ。


「ねえ、ケージくんの言うことなんか、気にしちゃだめだよ」


 祐希の声で引き戻された。


「この人、頭悪そうに見えて、実際勉強は出来ないけど、口だけは何か上手いから。悪魔みたいな奴だから。何か嫌なこと言われたら、聞き流すのが正解」

「あ、うん……」


 恐らくフォローされている。先程の謝罪に引き続き、祐希が、という点に驚いたが、それにも増して嬉しい。


「おいバラすんじゃねえよ」

「うーわ。こういうの、盗人猛々しいって言うんでしょ。ほんとヤダ」

「ま、別にいいけど。分かってても引っかかる奴いるし」

「ちょっと」

「何だよ祐希。思い当たる節でもあーんの」

「どっちが鬱陶しいんだか。詐欺師だ、詐欺師」

「敬司、僕にもかばい切れないことはしないでね」

「名誉毀損だぞお前ら」

「自分に有利そうなことばっかり覚えてるんだから」


 賑やかで忙しない。咲坂には悪いが、猫のじゃれ合いのようで微笑ましい。

 憎めないと思わされてしまう。

 憎めた方が楽だったのにと、苦々しく感じる。


「みんな、優しいなぁ」

「オレに向けられた言葉は聞こえなかったんか?」


 咲坂に堂々と舌打ちされた。出会ったばかりの頃は一々ショックを受けていたが、もう慣れた。気を取り直して言い返す。


「悪用しなければ長所なのに、って言われているように聞こえたかな。小野寺先輩は単に心配してるだけだろうし」

「いい様に取るんじゃねえよ。お前、祐希にだけ甘くねえか。……何笑ってんだ」

「今になって甘いとか言うんだー、と。独特な基準だね」


 無言で、食材の入ったバッグで、ぐいと押された。

 祐希のわがままを何でも聞いていた清佳はいいカモだったろうに、その頃の咲坂は、清佳に関わりにすら来なかった。

 甘くないかと文句は言っても、きっと実際には、便利に使われるだけの人間に対して咲坂は興味を持たない。思えば、咲坂が最初に話しかけてきたのは、清佳が祐希に怒った後だった。


「僕、長所とか言ってないし。咲坂に長所なんかない。何にもない」


 祐希には不平を言われた。やや照れが滲んでいる。


「ひっどーい祐希くん。何にもないってこたねえだろ!」

「無だよ、無」


 再び始まったじゃれ合いを聞きながら、ぼんやりと苦しむ。

 それぞれ全く異なる方向ではあるけれど、祐希も咲坂も小野寺もムラサキも光も、みんな、その人なりの優しさを持っている。

 それを自分に向けてくれる時があるのが、申し訳ない。


「……変わったなぁ」


 背後から聞こえた小野寺の呟きに、少しだけ頭を後ろ向きにひねる。清佳が顔を見上げる前に、小野寺は続けた。


「サヤさんが来てから、変わったよ。二人とも、良い方に」

「そう……なんですか?」


 自分が来る前のことは、言われても分からない。騒ぎながら少し先を歩いていく二人を眺めながら、首をかしげた。


「私がどうとかではなくて、二人とも元々、そうだったんじゃないですか。表に出すきっかけがなかっただけで」


 ただ「良い方に」という言葉はやはり嬉しくて、落ち込んでいた気持ちは少し浮上した。



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