五月

母の日に贈るプレゼント

「ところで、光さんも結構、学校サボったり、夜中に出かけたりしてますよね……」

「あー、やっぱり言われたかぁ」

「やっぱり、じゃないですよ」


 少し休憩しようと、清佳はシャーペンを家計簿の上に転がして、ミルクティーに手をのばした。

 月始め、まだ財布を自分用とシェアハウス用で分けていなかった頃のレシートの整理に時間がかかってしまったせいか、大分ぬるくなってしまっている。

 向かいに座る光はひらひらと、悪びれない顔で手を振った。


「でも俺は敬司くんみたいに、ママの護衛とか雑誌の立ち読みとかしてないから、安心して。街で友達と遊んでるだけ。もちろん、健全に」


 学校をサボっている時点でアウトなのですが、と内心で呆れるが、あまり注意する気はないので聞き流す。


「健全であることを強調されると、かえって不健全なことをしていそうに思えてきますね」

「じゃあ何も弁解できなくない?」

「行動で示せばいいのではないでしょうか」

「え〜。何じゃあ、サヤちゃんもついてくる?」


 どこに連れていく気だと、軽くにらんだ。

 ある意味で、咲坂よりも危険なのが笠原光だ。

 今まで、咲坂に比べると、光があまり問題ないように見えていたのは、人懐こい雰囲気と、出かける時間の早さのせいだった。咲坂と違い、光はまだ授業がある昼間や、清佳が慌ただしく夕食の準備をしている時間に出かけて、清佳が部屋に引き上げた後に帰って来る、ということをしている。

 清佳の行動時間からズレているため、咲坂のように、すぐに気がつくことができなかっただけだ。

 だが、盗聴器に、本来誰もいないはずの平日昼間、足音や、自分ではない女性と光の会話が入っていたため、だんだんと彼の素行の悪さが分かってきた。

 にらんでも一向に気にする様子がなかったので、はっきりと告げた。


「いりません」

「いいの? プラントポットの風紀は私が正します、のサヤちゃんじゃないの?」

「知りませんよ、そんなスローガン。咲坂くんの場合は、私への借金があったのと、個人的な腹立たしさがあったので、色々言いましたが。光さんは年上ですし、こっちにそれ程迷惑かかってもいないから、いいのです。さっきの言葉も注意ではありません。……単なる、心配です。学校サボるのはそこそこにした方がいいと思います」

「大丈夫大丈夫。俺、成績はいいから。去年のテストの答案見る?」

「と、答案? 取ってあるんですか」

「ちゃんとファイリングまでしてあるよ。真面目でしょ? サヤちゃん相手だし、問題と合わせて一教科千円で見せてあげる」

「過去問販売のためだとしても、そこまで管理してるんですね……」


 確かにそれは真面目だ。人は見かけによらない。

 ふふんと光は自慢げに笑った。


「俺、将来有望業界大注目若手絵描き紫純の、マネージャーだから。金の管理とかメールのやり取りとかに英語、社会の知識は欠かせないし。国語は紫純のアイデアを具体化したり、発想広げるのに必要だし。材料の管理とか色知識のために、理科も数学もいるし。きっちりマネージメントできるように、勉強はしてんの。偉いでしょー」

「そ、そうなんですか……。マネージャーって大変なんですね」

「本当にね~。愛しの幼なじみくんの頼みだから頑張ってるけど、もうちょっと分け前もらいたいくらいだわ」


 その場しのぎのことを言っているとは思えない雰囲気があった。

 確かに思い返してみると、ムラサキに何か聞かれて、古典に関する知識を返したり、仕事らしい話をしている場面は、盗聴でも目前でも、見聞きしたことがある。


「大変失礼ながら申し上げますと、ちょっと意外でした。ただ一応、成績の良さは噂でも聞き及んでいるので、答案は見せなくても大丈夫です」

「えー、どんな噂? 光先輩、セクシーでかっこいいのに頭まで良くてすごーい。抱かれたーい抱いてー、的な?」

「……」


 何故か悔しさを感じるが、大部分、その通りだった。

 笠原光は軽薄ながら、本人の言う通りに顔が良いので、学校の女子には人気があるらしかった。

 清佳のクラスには一人、光の熱烈なファンがいて、日々、体育の時間に小さく髪を結ぶのが良い、話しかけたら頭を撫でてくれた、と騒いでいる。その女子と清佳は直接の友人関係にはないが、同じクラスにいれば、その言葉が多少は聞こえてくる。

 頭の良さも、その女子からの情報だ。


「まあ、大体そんな感じの噂です」

「キャー恥ずかしー。寝癖ついてるとこ見られたりしてないかしら」

「光さん、毎朝めちゃめちゃセットしてるじゃないですか。それとも何かの真似ですか? あんまり面白くないので、止めた方がいいですよ」

「サヤちゃん、俺にだけ当たり強くない?」


 自覚はある。

 光はあまり真剣に言っている雰囲気ではなかったが、少し考えて、清佳は頭を下げた。


「……すみません」

「謝んの? 否定しねえんだ」

「あ、そうか。すみません」

「酷くておもしれーサヤちゃん」


 ダイニングに手を叩く音が響く。

 清佳は首をかしげて、ペンを持ち直した。

 嫌いではないのだが、どう接していいか分からない。突き放しても気安く接しても、距離感が清佳が思うようにならない。フレンドリーなようで、とらえどころがない。

 こうして、家計簿をつけているところにやって来て、自分は何をするでもなく、一方的に話しかけてくるのも、意図が分かりそうで分からない。本人が言うには「一人でやらせてるの申し訳ないから、せめて応援をね」とのことだが、間違って書いた数字を即座に指摘されると、共益費などを清佳がごまかさないか、チェックしているのではないかと感じてしまう。

 最初からチェック目的だと言われれば、理解できる。嘘をつかれるから、油断ならないと感じさせられる。


「ところでサヤちゃんってさあ、ぬいぐるみ、好き?」

「は?」


 脈絡のない問いかけで無意識に力が入り、シャーペンの芯が折れた。


「ぬいぐるみ……ぬいぐるみ?」

「ぬいぐるみ。知ってる?」

「いや知ってはいますよ。何故? 何のための質問ですか?」


 光は無言で立ち上がり、ダイニングを出ていった。不気味さを感じながら引き続き家計簿をつけていると、戻ってきた。

 手にはぬいぐるみがある。座り姿の熊、いわゆるテディベアだ。

 テディベアは清佳の目の前に置かれた。

 見た目には奇妙なところのないものだが、じっと向き合っていると、光に代わって、家計簿を見張られているような気分になってくる。


「友達にもらったんだけど、ちょっと俺の部屋に飾るにはかわいすぎてさぁ。いつもだったら他の子のプレゼントに流用……もとい、俺が中継地点となって、本当に必要としている人に行き渡るようにするんだけど」

「うわクズ」

「そう言えば、今は家に女の子いるなー、と思って。かわいくて一生懸命で応援したくなるけど、俺にだけ冷たくて、中々仲良くしてくれない子」

「今、その子がクズって言ったの聞こえました?」

「本当に単なる友達だよ? その子も、父親に誕生日にもらったんだけど、趣味じゃないからあげる、って」

「はあ……。それが本当だとしても、何で光さんに? 他にほしがりそうな友達いなかったんですか、その人」

「俺に合いそうだからって」


 光はテディベアを持って、自分の顔の横に掲げた。

 何を馬鹿なことをと思ったが、意外と合っている。セクシー系で売っている俳優が、普段とのイメージの差異による評判を狙って、雑誌の見開きで持たされていそうだ。


「あと、かなり高いらしいんだよね。確か三万くらい?」

「たっか! 値段相応の生地? なんでしょうけど……」

「さすがに友達にはあげにくい価格だし、かと言って売ったり捨てたりは父親に悪い。だから、そういうの何も気にしない俺に、って」

「すごい友達ですね……」


 三万円のテディベアを娘にプレゼントする父親も、そのテディベアを友達の男にあげる娘も、清佳にしてみると全く異なる世界の住人に思える。

 仮にその父親が、次の日に不意の事故で死んだら、その娘はどう思うのだろう。テディベアを手放さなければ良かったと、後悔するだろうか。

 本当の話か疑う気持ちはあったが、真偽を確かめる方法も、そこまでする動機もなかった。ひとまず、真実と思っておくことにする。


「はあ……。で、それをさらに私に、と」

「うん。ほら、サヤちゃんにも似合う」

「似合っても嬉しくないんですが……。アクセサリーでもないし」


 テディベアをぐいぐい頬に押し付けられる。邪魔である。

 仕方なく、一応受け取った。家計簿の上に置いて、あらためて見つめ合う。

 かわいらしい顔である。手触りも良い。

 あまりかわいいものの趣味がないので、ぬいぐるみを買ったことはほとんどなかったのだが、愛着を持って、いくつも収拾する人間がいるのも分かる。

 だが、部屋に置くところを想像すると、顔をしかめざるを得なかった。

 何せ自室では、清佳はほとんど毎晩のように、盗聴した音声のチェックをしているのだ。

 テディベアとは言え、何かの視線を感じながらその作業をするのは、後ろめたさが増しそうだ。


「売っていいのなら受け取りますが」

「売っちゃ駄目だよ。俺の友達の父親が悲しんじゃう」

「知らねー……」


 そう言ったものの、実はやや罪悪感を覚えた。この世のどこかに、娘が喜ぶと思って高価なテディベアを購入したのに、友達の男に譲り渡されている父親がいる。

 売ることができなくても、三万円の価値がある事実までもが消えてなくなる訳ではない。いざという時のへそくりのつもりでもらっておこうか、と思い始める。

 受け取るだけ受け取っておく、と言おうとした時だった。


「まあほら、そろそろ母の日だし。普段の家事のお礼と思って、もらってよ」

「やっぱりいらないです。母親ではないので」


 思わずテディベアをぶん投げた。

 光の顔でバウンドして床に転がったが、あまり謝る気になれない。

 女好きの割に、デリカシーがなさ過ぎる。

 我ながら、母親のようなことをしていると思うこともある。特に朝食の時間になっても起きてこない祐希を、自室まで呼びにいく時など。

 だが、絶対に、母親ではない。家計簿づけだって好きでしているのではない。母親としての役割を求められたくはない。

 光も自分で言っていて、グロテスクだとは思わないのか、不思議である。


「よく一個下の後輩のこと、母親とか言えますね。あまつさえ母の日にテディベアとか、貰い物だとしても……貰い物だからこそでもありますが、気持ち悪い、です。正直。私が光さんのこと好きだったとしても引くレベルですよ、それ」

「ハハ。本気で引いてる顔」

「そりゃそうですよ。先々月に知り合ったばかりの知人を、冗談だとしても母親扱いって、かなり……かなり気持ち悪いですよ。自覚ないんですか?」


 素行に口を出すような口うるささを、母親のようだといじられるならまだ理解できるが、母の日に、他人を母と見立てて贈り物をするという行為には、ねっとりとした嫌らしさがある。

 思っていたより他人との距離感がおかしいと、光に嫌悪の目を向けてしまう。

 光はのんびりと笑っている。


「今まで、それで何度も振られてきた」


 それを聞いて、さらに不気味さを覚えた。


「言われたのなら、直してくださいよ……」

「直せって言われても、自分だと言われるまで分かんないんだよねぇ。何がだめで、何が良いのか。好きなことに変わりねえと思うんだけど」

「いや……種類がだいぶ、違うかと。例えば、私が光さんのこと、呼び間違いとかでもなくお父さんって呼んだら、うわって思いません?」

「ちょっと嬉しい。お膝の上来る?」

「行きません! えぇとだから……例えだと伝わらないのか……」


 今の例えで感覚が伝わらないのなら、説明の方向性を変えるしかない。


「お母さんやお父さんって、自分を産んだ人や、大切に育ててくれた人のことを言うのであって。家事をしたり、家計簿をつける人のことを言うのではないのです。だから母親扱いされると……大切に育ててって言われるようで、とっても嫌です」


 光は自身の唇に指を添えた。


「だめかー……」


 分かったのかどうかは、うかがい知れない。


「ぬいぐるみに関しては、善意しかなかったんだけどな~」

「それはそれで怖」

「やーん。怖がらないで」

「とりあえず、悪いんですが、それは本当にいらないです」


 テディベアそれ自体は悪くないのだが、何か邪気をまとっているような気すらしてきた。


「そっかぁ残念。どうする、ベアくん。紫純の子になる?」

「……私、作業終わったので、部屋戻りますね。電気消しておいてください」


 レシートやペンをはさんで家計簿を畳む。一応テディベアを拾い上げて、さっさとダイニングを去った。

 今の発言も、盗聴器で録音されているはずだ。

 校内放送などで流せばかなりのイメージダウンになりそうではあるが、本人が気にしていなければ、脅迫にはならない。心にしまっておくことにした。

 それに光には少しだけ、同情を覚えてもいる。

 光には両親がいない。

 自分とは違って、幼い頃からいないようなので、一緒とは言えないが、身元調査書でその記述を見た時、少しだけ救われた。自分だけではないのだと暗い喜びを覚えた。

 距離感のおかしさの原因がそれとは限らないが、光のおかしさは自分ごとのようにも感じられる。

 大切にされたいが、大切にしてくれる人はどこにもいない。その寄る辺なさは、時々、獣のように襲い来る。

 むやみに誰かに甘えたくなる時がある。

 自分自身が母親扱いされるは御免だが、秘密にしておく、くらいのことはしてもいい。

 手に残る、高級テディベアの毛並みに名残惜しさを感じながら、部屋に戻った。

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