HEROのおかえり


「……なぁんだその食い物の山」

「お、敬司〜、おかえり! いつもありがとな! お前はマジでいい奴だって、光くん知ってたわ!」

「僕も、今日くらいはお礼言ってあげてもいいよ」


 一応、咲坂以外が揃った段階であらためて、この食料は咲坂の借金のかたに手に入れてきたものだと説明した。だから光と祐希のこれは、単なる煽りである。二人ともいい性格をしている。

 なお、煽りはしないものの、ムラサキにも小野寺にも遠慮は見られない。


「は? 何?」


 身に覚えのない感謝に、当然ながら咲坂は戸惑っていた。

 自分以外の間で口論が始まる前にと、清佳は食べていたチョコレートを飲み込んで、その場で手をあげた。


「咲坂くん、私と喧嘩をしよう」

「何て?」

「とりあえず、場所を移そうか。みんな、色々食べていいけど、食べる前にちゃんと、咲坂くんへの文句を考えてから食べてね。あとそこにある、咲坂くんの分には手をつけないこと」


 咲坂母には咲坂と一緒に食べると言ったので、何もなしという訳にはいかない。念のため既に、咲坂が好きそうな食品だけは別によけている。

 ダイニングでは声が聞こえてしまう。廊下まで行った方がいいかと考えながら立ち上がる。

 すると同時に、小野寺も立ち上がった。


「待ってサヤさん。二人で話すのは……さ」


 小野寺の顔には「心配」の二文字が浮かんでいた。

 祐希のわがままを拒んだ時、祐希が腕をつかんできたことを思い出す。清佳自身、頭に血が上って、必要以上に酷い言葉をぶつけてしまう可能性もある。

 言われてみると、二人きりは危険そうだ。

 小野寺ならば事情も詳しく知っている。直接聞いてはいないが、きっとこの食料が、元は咲坂から母親への贈り物だったことも察しているだろう。

 結局、手間をかけてしまうことに、申し訳なさはあったが、事が起きてからの方が面倒だろう。


「ありがとうございます、小野寺先輩。じゃあ、三人で」


 そして三人で、一階と二階の間にある踊り場に立った。

 喧嘩をしようとは言ったものの、気が重く、清佳はため息をついてしまう。

 本来、清佳は大人しい方だった。誰かの前で発表したり、大きな声を上げることすらも苦手な性格だ。当然、喧嘩などしたことがない。

 伯母の元に身を寄せてから、黙ったり悩んでいると嫌味を言われるようになったので、意見を言うべき場では言うようにはなった。だが、今も根は変わらない。

 ひとまず咲坂に、状況を説明する。


「咲坂くんに前、お昼代として五百円貸したんだけど。覚えてる?」

「おぉ、忘れてねぇよ」


 忘れていたくせにと思うが、それはもうマシュマロ一袋で許したので言わない。


「咲坂くん、中々返してくれなかったでしょう。と言うか、返す気なかったでしょう」

「そんなことねえけど」


 ごまかすのも、ひとまずはいい。今は状況説明だ。

 ため息をつきつつ、結果を伝えた。


「仕方がないから、咲坂くんの家まで行って、お母様に五百円、返してもらった」

「あ?」

「敬司」


 小野寺が咲坂を手で制する。一九一センチがそばにいるのは、正直なところ心強い。逃げ出したい思いに駆られながらも、清佳は何とかその場に留まった。


「で。その五百円で、咲坂くんがお母様に贈っていた食料を、私は買った。五百円分より多いのはお母様のご厚意。それでも私一人では食べ切れないし、全部を咲坂くんに返すのも気に食わなかったから、お菓子一つにつき、咲坂くんにされた腹の立つこと一つ許す、って条件で、みんなで山分けしてた。――以上」

「ふざけんなよクソ女!」


 肩をつかまれかかったが、小野寺が止めてくれた。さすがに清佳は数歩離れた。


「親は関係ねぇだろうがよ! 何勝手なことしてんだ! テメェも共犯か秀人!」


 自分の中に張られていた糸が、ふつりと切れたような感覚があった。


「小野寺先輩は無関係。でも、お母様は関係あるでしょう。あっちは親で、それでアンタは未成年なんだから!」


 腹が立つ。


「子ども! ガキ!」

「さ、サヤさん? サヤさんも落ち着いて?」


 これだけは、食料や服程度では到底許せなかったから、取っておくしかなかった。


「咲坂くんにも事情があるんだとは思うよ! 私、咲坂くんのこと、全然知らないし、あのお母さんとも少し話しただけだし! 何か事情があるのならごめん! ……でも、さあ」


 声が震えてしまう。涙がつと落ちた。


「泣きゃいいと思ってんのかよ」

「思ってない。勝手に出るの」


 涙を拭って震える呼吸を落ち着ける。

 泣けば、気持ちは少し楽になる。だが、泣いている間にも時間は進む。

 問題は解決しない。

 誰も手をつけなかったものは、そのままそこに在り続けて、埃を積もらせるだけだ。

 最後に一つ、大きく深呼吸をして、無理やりに声を立たせた。


「――咲坂くん、家、帰ったら。お母さん、いらないものばかりもらって困ってたし、咲坂くんと会いたがってた」


 大きな舌打ちが響く。


「何も知らねえくせに、好き勝手言うんじゃねえよ」

「だから、何も知らないけどって謝ってるでしょう」

「好き勝手言うなっつってんだよ!」

「うるさいな! あと、コンビニで二時間も立ち読みするのも止めなよ! 店員さんには迷惑だし、本を作ってる人には失礼だし! 買って読め!」

「テメェに言われる筋合いはねぇわ!」

「じゃあ誰の言うことなら聞くの? 先生? 小野寺先輩? お母さん?」

「二人とも、そこまで!」


 清佳まで、上から頭を抑えつけられた。

 だが、おかげで少し頭を冷やすことができた。


「……小野寺先輩、ありがとうございます。もう言わないので、はなしてください」

「本当に?」

「大丈夫です」


 怒りは収まっていないが、無闇に怒鳴ることはもうない。


「とりあえず、報告は以上。咲坂くんの、私への五百円の借金はなくなった。あとたぶん、他の四人への借金も、なくなってるか、減ってると思うけど、さすがによく知らないから、それぞれに聞いて。その他の文句に関しては、今日はもう受け付けないから、後日にして」


 このまま自室に戻りたかったが、清佳の部屋は二階。咲坂と同じ階だ。

 バイト帰りである咲坂の方が、自室に戻りたく感じているだろう。

 仕方なく階段を下りた。


「……おい」

「何」


 立ち止まりかけたが、一段、二段と下りる。


「いらないって何」


 迷って、結局立ち止まった。

 振り返らずに答えた。


「甘いものは好きだけど、いくら何でも量が多い。コンビニ弁当は味つけが濃いから、最近キツくなってきた。服は着る機会なくてタンスの肥やし、だって。お母さん、料理はするみたいだし、買い物に行くのなら週一くらいで、スーパーで野菜とか肉とかを買う方がいい……と思う。……私は。洗ったり切ったり、下ごしらえが済んだ状態で売っているものもあるから、それの方がたぶん良いと思う。私は」

「……あっそ」

「あと、インスタントのスープも便利、かな。あくまで、私にとっては。……ちゃんと、本人に聞くべきだとは思うけど、しいて言えば」


 階段を下り切って、ダイニングに続く扉を開いた。

 ダイニングからリビングに向かい、ソファに座った。


「おかえり~、サヤちゃん。喧嘩どうだった? 楽しかった?」

「楽しくはないですよ」


 ティッシュで鼻をかみ、お菓子に手をのばす。咲坂に悪口を言われたおかげで、あと七つは食べられる。

 嬉しくはないが、そう思わないとやっていられない。


「はぁ、腹立つ」

「サヤちゃんって、意外と怒るよね」


 光の笑みに顔をしかめた。


「怒りたくはないんですけどね。慣れません。疲れます。私、前はもっと、大人しかったんです。喧嘩なんてしたことなかった。他人に強いこと言ったことすらなかったし、そもそも、怒ったことも、ほとんどなくて」


 事故の時には頭は打たなかったはずだが、事故以前とはだいぶ性格が変わってしまった。何も知らない彼らに言っても仕方ないとは思いつつ、口が止まらない。


「今までに怒ったのなんか」


 事故の相手。飲酒運転をして、対向車線から衝突して来た運転手に対して、くらいだ。

 抑えたはずの涙がぽろぽろと落ちた。


「あっ、えっ、ごめん。泣かせるつもりじゃ」

「大丈夫。ごめん。光さんのせいじゃないです。……今日ちょっと、涙もろくて」


 咲坂母と話した時に、普段は切っているスイッチが入ってしまったらしい。感情の上がり下がりが激しい。

 隣に座っていたムラサキに、背を撫でられた。余計に涙があふれてしまう。


「え。……サヤさん、大丈夫?」


 置いてきた小野寺が戻ってきたらしい。顔を上げると、祐希が小野寺に個包装のクッキーを投げつけるところだった。


「シュートくん。清佳さんに何やったの、ケージくんは」

「いや……五百円の借金?」

「それは聞いた。それくらいでこんなに泣く?」

「さあ、僕にもよく……。敬司の方が怒る理由は分かるけど」

「祐希くん、小野寺先輩は関係ない。何なら咲坂くんのせいでもない。私が勝手に泣いてるだけ」

「何で?」

「……それは」


 四人の目が自分を見ている。

 両親が亡くなったことは、話してはいないが、隠してもいない。聞かれたら答えようと思っていた。

 何を言われるのにも、慣れた。両親を責めるような言葉でなければ構わない。

 だが、このシェアハウスでは言いにくかった。

 ここにいるのは、ほとんどが親と距離を置く人々だ。

 先程、咲坂に対してしてしまったように、彼らの事情を斟酌することなく、自分の腹立たしさのままに、当たり散らしてしまうかもしれない。

 また、清佳が八つ当たりしなくても、妙に気をつかわせてしまう可能性もある。


「……あれだよ、女には一ヶ月に一回ある奴」


 嘘だったがそう言うと、泣き始めた時以上に気まずい空気が流れた。

 両親について正直に告白するよりも良いかと思ったのだが、言わない方が良かった。これは卑劣だ。誠実の反対だ。事実の時はともかく、ごまかしとしては今後使わないと決めた。

 ただ、その前にこの際なので、一つだけ言っておきたいことがある。


「そう言えば、お願いがあるんだけど。生理用品のお金、共益費から出していい? 私しか使う人いないけど、私が今もらっているお金だと、もしかすると買えないかもしれなくて」

「あぁ……うん、いいよいいよ」

「ありがとう。お金が足りない時だけにするから」


 ずっと背を撫でてくれていたムラサキに「もう大丈夫だから」と告げて、ぐっと体をのばす。

 咲坂とは喧嘩することになったが、当初の目的である、五百円の回収は達成した。

 今日の夕食とおやつ分の食費も浮いた。

 良い人にも会えた。

 総合的には良い一日だった。

 とりわけ、食費が浮いたのは嬉しい誤算だった。

 このところ、ある計画を考えていたのだが、背中を押されたような気がする。


 シェアハウス「プラントポット」に入居して、そろそろ一ヶ月。

 この一ヶ月で分かったのは、やはり、自分には盗聴や尾行、他人を騙すようなことは、向いていないことくらいだった。

 だから最近、脅迫とは別の方法で、伯母の悩みを取り除けないかと考えるようになっていた。

 伯母の一番の悩みは無論、プラントポットの不法占拠。

 だが、目下のところで言えば、水道光熱費の支払いも、大きな悩みの種になっているはずだ。六人分の生活費は馬鹿にならない。

 故に。

 プラントポットの奪還を大目標として掲げつつ、不法占拠たちに水道光熱費の支払いをさせることを小目標として、並行して取り組む。それによって、伯母からの催促を和らげ、彼らの気が済むまで引き伸ばす。

 それが清佳の考えている計画だった。

 小目標を達成するには、ただ支払えと命じるだけでは駄目だ。不法占拠者たちも、ない袖は振れない。

 だからまずは、不法占拠者たちの財布に余裕を作る。

 労働を強いるつもりはない。既にバイトや仕事をしているのだから、そんな余裕はない。

 そうではなく、例えば、三食きちんと食事を取らせて、間食による無駄な出費をなくす。早寝早起きをさせて、夜遊びなどで使われる、やや不健全気味な遊興費も減らす。

 さらに、今日のような臨時収入や日々の節約によって浮いた食費を、こっそりと貯蓄する。

 そうして、信頼関係を築いた上で貯蓄を見せて、少しくらいは水道光熱費に充てられるはずだと、彼らを説得する。

 全額は無理でも、返済する素振りを見せれば、伯母も少しは彼らに猶予をくれるかもしれない。

 成果をせっつかれてもいるので、しばらくは盗聴を止める訳にもいかないのだが、この目標があれば少しは清佳も、罪悪感を軽減できる。

 咲坂母がこれだけの食品を譲ってくれたのは半ば偶然で、あてにはできず、節約もそう上手くいくとは限らない。

 だが、やはりこの方針でいこうと決めた。


「よし。心配されたら復活しました。最後のヨーグルトもらっていい?」

「これもどうぞ」

「ありがと、ムラサキさん。光さんと、小野寺先輩と、祐希くんも、心配してくれてありがとう」

「僕、心配なんかしてないんだけど」

「心配してたってことにさせてよ。その方が嬉しいから」

「……してない」


 ヨーグルトを食べながら、決意を新たにする。

 これから、まずは祐希や咲坂、他の三人とも、信頼関係を築く。

 幸い、信頼関係を築くことは、難しいことではあっても、嫌なことではなかった。ただ悪事でないからというだけではない。

 プラントポットは案外、清佳にとって居心地のいい場所だった。隣人たちは一癖も二癖もありはするが、伯母の家で感じていた湿った嫌悪は向けてこない。

 何より、久しぶりにさみしくない。

 毎日賑やかで、忙しくて、一人でないことを実感させてくれる。

 両親が生きていた頃を、思い出させてくれる。

 鼻をすすって唇を噛んだ。


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