おたずね
「あのぅ、すみません。小野寺先輩、いますか」
一学年上の教室を訪れるのは、下を訪ねるよりも、ずっと緊張する。たった一歳違うだけなのに、三年生というものは妙に大人びて見える。進学か就職か、といった未来を見る意識が、人を大人にさせるのか。あの馴れ馴れしい光ですら、ふとした時にはずいぶんと大人びて見える。
昼のため、教室にはあまり人はいなかったが、緊張することに変わりはなかった。内心おろおろしながら立ちすくんでいると、近くの席で弁当を食べていたグループの一人が、返事をしてくれた。
「小野寺? いるけど。小野寺ー! 何か後輩の子ー」
お礼を言っていると、教室の奥からぬっと巨体が現れた。
「サヤさん、どうしたの?」
「すみません、お昼時に。ちょっと内密に聞きたいことがあって」
プラントポットでは、どこで誰が聞いているか分からない。実際、盗聴器が仕掛けられている。
小野寺には廊下まで来てもらい、謝りつつも、夜中に咲坂がしていたおかしな行動について、問いかけた。
「この前、夜中にちょっとコンビニに行きたくなって外に出たら、咲坂くんを見かけて。以前から夜に出かけるのが気になっていたので、あとをつけてしまったんですが……」
「話の腰を折るようで悪いけど、夜中にコンビニは止めておいた方がいいんじゃないかな。敬司もそうだけど、サヤさんは女の子なんだし、なおさら」
「あ、はい……そうですね。すみません。気をつけます」
小野寺には悪いが、真っ当な心配をされたことに、少し嬉しくなってしまう。この嬉しさに依存したらまずいと自制する。
「それで、敬司がどうしたの?」
「咲坂くん、コンビニに行った後、買ったものを、あるアパートの一室のドアノブにかけていたんです」
「あぁ……」
「あのアパート、咲坂くんの何だろう、と思って。小野寺先輩なら何か知っているかもと……その感じだと、何かご存知のようで」
虚偽だらけだが仕方がない。とてもではないが、最初から尾行するつもりで、変装まで用意していたとは言えない。
当然、尾行したのが一度ではないことも明かせない。
初めての尾行の後にも、二回、咲坂を追いかけた。コンビニでの立ち読みは最初だけだったが、それ以外は最初と同じだった。
二回の尾行で、アパートに行った後、結局、駅から黄浦市に行って遊んでいることまでは突き止めた。だが、あの女性の正体については、未確定のままだ。
あのアパートが何なのか、女性が誰なのか。答えは呆気なく明かされた。
「敬司のお母さんのことかな。敬司のお母さんが住んでいる……と言うか、敬司の実家だと思うよ」
驚きはなかった。何となく予想していた。あの女性は、咲坂と顔がよく似ていた。
「じゃあ咲坂くんは、コンビニで買ったものを、お母さんに?」
小野寺は気の良さそう顔に、困惑を浮かべた。
「……ごめん。これ以上は、敬司には無断では、言いにくいかも」
「あ、そうですよね。ごめんなさい。ありがとうございます。……うーん、なるほど」
ひとまず、あの女性が咲坂の身内であるという仮説は、正しいと分かった。
コンビニで買っていたのは、ビニール袋の歪み方からして、恐らく食品だ。理由は分からないものの、咲坂はほとんど毎日のように、母親に大量の食品を渡している。金がないのも当然だ。
食品を渡す理由は、今のところ母親への優しさ以外には、思いつかない。
だが、咲坂がいくら優しくても、借りた五百円が返されないという事実は帳消しにはならない。
他に方法も思いつかない。
「何か、敬司のことで困り事?」
清佳が困った顔をしていたのか、それともいつもの癖か、そう問いかけられる。
小野寺は咲坂と祐希の保護者役として、いつも二人が起こした面倒事や揉め事を仲裁している。二人には内緒で、本来の保護者に定期連絡も入れているらしい。定期連絡に関しては盗聴で知ったのではなく、光から聞かされた。
一応、何をするにしても報告くらいはしておくべきだろうかと少し迷い、小野寺の顔を見上げる。
穏やかで優しげで、どことなく本心の見えにくい顔だ。
知らぬうちに不満や負担を、一人で抱え込んでいそうにも感じられる。
「困り事は困り事なのですが、言う程のことではないので、大丈夫です」
既に長く関わっている咲坂や祐希、その保護者はともかくとして、出会ったばかりの自分が小野寺を二人の保護者扱いをするのは、失礼ではないかと感じていた。
小野寺もまた、小野寺秀人という一人なのだから、その人となりを知るのが先だ。
「そう? 無理してない?」
けれど、じんわりと心に声が沁みる。
「僕自身、お世話になっているし、できたらサヤさんの助けになりたいと思ってる。君は君で、色々と考えることもあるんだろうけど……遠慮はしなくていいからね。特に、敬司と祐希のことに関しては、僕が面倒見ることになってるから」
ゆっくりとした喋り方に癒やされる。ぼんやりとしていたら、伯母の頼みなど忘れて、身を任せてしまいそうだ。
「ありがとうございます。でも、自分ごとですから、自分でできることはやってみます」
「……気にしないでいいのに」
「そういう訳にも。小野寺先輩も進路だとか勉強だとかでお忙しいでしょうし……それに、咲坂くん自身と向き合わないと」
小野寺が嘲笑うことはないだろうが、五百円の借金という話をするのが、やや恥ずかしいという気持ちもある。
そう言いつつ、これで終わりではない。
「ただ、そこまで言ってくださるのであれば、一つだけお願いしてもいいですか?」
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