Xプリンセス


「ねえ、プリン買ってきてよ。前とは違う、クリームかかってる奴」


 翌日、いつものプリンセスのわがまま。

 もう夕食まで終わって、外は暗い。正直に言えば、もう外には出ず、自室でゆっくりと過ごしたい。

 大体、一応は家政婦という名目で強引に入居したものの、彼らのために働く義理はない。

 そもそもパシリは家政婦の仕事ではない。


「うーん……」

「十五分以内ね」


 清佳は皿洗いをしながら、顔をしかめる。

 この一週間、清佳は祐希のわがままをほとんど聞いてきた。まずは住人と仲良くして、最低限の情を持たせる。あるいは、生活において有用と認められる必要があると考えたためである。

 清佳は入居前に、伯母の名前で、住み込みの家政婦を派遣すると通達した。騙し討ちだと反感を持たれるのを防ぐためだった。その通達を受けた上で迎え入れたのだから、現状彼らも、清佳に企みがあると承知しながらも静観しているとは思われる。

 だが、これがいつまで続くか分からない。

 男五人で共謀し、強引に外に追い出されたりすれば、清佳には勝ち目がない。外に追い出すだけで済めばいいという話もある。

 油断は禁物だ。

 祐希を怒らせて、こんな夜中に追い出されるくらいなら、多少のわがままを聞く方がまだ良い。

 そういう考えだったのだが。

 しかし、実際に五人に会って観察してみると、想像とは違う部分もあった。

 一緒に住んでいる割には、この五人は案外に、強固なつながりは持っていない。

 どうやら五人全員でずっと仲が良かったのではなく、ムラサキと光、小野寺と祐希と咲坂という、二つのグループが合流している形らしい。

 清佳への対応も五人五色である。

 伯母によれば、確認できた脅迫者は一人であったらしい。五人が結託しているとは限らず、裏事情について深くは知らない人間もいる可能性がある。

 つまり、同時に五人全員の反感を買うようなことがなければ、一人の機嫌を損ねるくらいでは、着のみ着のまま追い出される可能性は低いのではないか。

 祐希は良くも悪くも、首謀者とは思えない。他の四人を引っ張れるようなリーダー気質ではない。


「ちょっと、返事は?」


 祐希はダイニングから、わざわざ清佳の隣までやってきた。

 加えて、昨晩聞いた音声が気にかかる。

 どう見てもわがままとしか思えない、この態度。

 だが、本当に彼は、ただわがままなだけのプリンセスなのか。


「……嫌です」


 思い切って清佳は言った。

 ダイニングに残って本を読んでいた光が、ちらっとこちらを見たのを感じる。


「はあ? ……ちょっと、聞こえなかったかも。もう一回言って」

「いっやでーす」


 祐希が近づいてきた。流し台に寄りかかり、顔をのぞきこんでくる。下手をすれば、光のいつもの距離感よりも近い。


「何て?」


 しつこいな、と清佳はため息をついた。


「嫌です。嫌だ。もう夜だし。夜じゃなくても、それ、私の仕事じゃないし。そんなに食べたいなら、自分で買いに行ってきたら?」

「はあ!?」


 リビングにまで響く大声。ソファで眠たそうにしていたムラサキまでもが視線を向けてくるような、剣呑な雰囲気だ。

 さらに、腕をつかまれた。童顔で、身長も清佳と同じくらいで、幼い雰囲気はあるが、その手はまごうことなき男の手だ。

 皿を落としてしまう。割れはしなかったものの、他の皿にぶつかって、耳障りな音が響いた。


「おうおう、どうしたよ、檜原サン」


 にやにやとした笑みを浮かべながら、わざわざ金髪がリビングから、ダイニングにやってきた。

 咲坂敬司。見た目だけ取って言うなら、典型的な不良。確実に校則に触れているであろう金髪に、ピアスなどのアクセサリー。


「姫の相手すんの止めたんか?」

「姫って言わないで、敬司」

「へえへえ。檜原サン、いいの? このままだと祐希ガチギレだぜ?」


 今のところ清佳は、咲坂と話したことはほとんどない。第一に浮かぶ姿も、ソファで寝ている姿だ。ただ、わざと祐希の機嫌を損ねるせいで、間接的に清佳が被害をこうむることが多いのと、夜な夜な出歩いたり、知らないうちに食事時にいなくなったりするので、何となく苦手意識を持っている。

 咲坂はただ、性格の悪そうな笑みを向けてくる。清佳を助けにきたのではなく、祐希への加勢でもなく、茶々を入れにきただけのようだった。

 返事をするのに馬鹿らしさを感じてもいたが、苛立ちが勝って、吐き捨てた。


「いいよ、もう。私、祐希くんのわがまま聞くの止める」

「あーあ」


 笑いながら、咲坂は称賛するように手を叩いた。

 それに比例して、祐希の空気は悪くなる。

 腕をつかむ力は、もう痛い程だ。

 流し台が蹴られた。どん、と音がして、重ねていた皿が崩れた。


「聞けよ!」


 怒声で、空気が震えるのを感じる。

 正直に言えば怖くはあった。

 知識として知ってはいたものの、本当に世の中には、怒った時に怒鳴り、物を蹴る人間がいるのだと、驚いていた。

 ただ、盗み聞きしたあの声が忘れられない。

 どういった経緯で祐希がここにいるのか、家族相手にどうしてあんな声を出すようになったのか考えてしまって、不眠も手伝い、昨晩は朝方まで、眠ることができなかった。

 寝不足で今も、ほんの少し頭痛がしている。


「聞かない、もう」


 我ながら情けないくらいに声は震えていたけれど、何とか、言葉にした。


「このままわがままを聞いてると、祐希くんのこと、嫌いになってしまうから」


 少しだけ腕をつかむ力が緩んだ。


「……何。どういう意味、それ。分かんないこと言わないで」


 戸惑いの表情のせいか、顔はいつもよりさらに幼くなる。昨晩、電話をしていた時はどんな顔をしていたのかと想像して、胸が痛んだ。

 田中祐希。

 わがまま放題のプリンセス。

 そして彼は、四人の高校生にまじった、たった一人の中学生でもある。

 あと数日で入学式とは言えその差は大きい。ただでさえ幼い顔立ちは、中学三年生にすら見えない。こうして向き合ってみると、ガキ相手に何を本気で怒っているのだろうとも思えてくる。

 だからと言って、態度を翻すつもりもなかった。

 弱みを得て、この建物を取り返すという企みを完遂するなら、ひたすらに下手に出る方法も有効かもしれない。実際、伯母は清佳に、同年代の女性であることを活かして彼らに取り入るように、暗に言っていた。

 だが、彼らをただの敵として物のように扱うことは、清佳にはできない。両親からは、どんな相手とも出来得る限りは誠実に付き合うように教えられてきた。

 それに――どんな人間だって、明日も元気でいるとは、限らない。


「本当に、分からない? 人の都合を考えず、色々と命令されたら、命令してくる人を嫌いになる。できれば他人を嫌いになりたくはない。それくらいのことしか、言っていないつもりだけど」


 こんな風に強い気持ちを他人に言うのは、初めてだ。


「最初、嫌だと思ったのに何も言わず、言うことを聞いてしまった私も悪かったと思う。だから今までのことは置いておく。これから、素直に嫌いになることにする。私が嫌だって言ったら止めて。できれば、私に祐希くんのこと、嫌わせないで」


 ただでさえ嫌いになりそうなのに、と内心で呟く。

 家族が存命で、しかもどうやら祐希の身を案じるような人なのに、祐希は家出をして、こんな場所に住んでいる。

 無論、祐希には祐希の理由があるのだろう。だが、怒りが抑えられない。

 私の両親は死んだのに、と祐希には責のない苛立ちを感じてしまう。八つ当たりとは分かっている。

 腕を離された。沈黙が下りる。

 ちょっかいをかけてきた咲坂も、何も言わない。

 清佳は無言で皿を洗い終えた。


「そんな感じで。私、部屋に戻るから」


 本当はまだ、明日の朝ごはんの仕込みもしておきたかったが、さすがにこの場に居続けられる程の胆力はなかった。

 手を拭いてダイニングを辞し、自室に戻ろうと階段を上る。

 今になって心臓がどきどきと、激しく鳴り始めた。


「……あ~、言っちゃった」


 階段の途中で、文字通り頭を抱えて、立ち止まってしまう。

 このままではいけないとは思っていたが、言い方やタイミングは、他にもあったのではないかと、考えてしまう。繊細な話だ。他に誰もいない場所で、きちんと向き合うべきだったかもしれない。

 夕食後だったせいで、小野寺以外の全員がいた。リビングにいたムラサキには、内容はあまり聞こえていなかったかもしれないが、雰囲気は伝わっただろう。


「何うめいてんだよ」

「わっ」


 背後から声をかけられて、階段を踏み外しそうになった。

 まさかあの流れで、あとを追いかけてくる人間がいるとは思わなかった。

 振り返ると階段下に、金髪。

 顔には笑みが浮かんでいる。


「意外と強ぇじゃねえか、って見直したのに。単なる根暗の逆ギレだったか」

「咲坂くん……」

「っと、根暗とか言うと、オレまで嫌われちまうか。悪ぃ悪ぃ。悪気はねんだわ。嫌わねえでくれよ、檜原サン」


 見た目で他人を判断するのは良くないことだが、咲坂の場合、見た目と内面はそう解離していないようだった。先程の茶々入れといい、このからかいといい、良い印象は持ちにくい。


「いいけど……。強くはないよ、私は」

「そうか?」

「言うこと聞いておかないと面倒臭いかな、って、先に逃げたのは、私だし。一歳だけだけど、年上ではあるんだし、最初にちゃんと言わなきゃならなかった。弱かったからこうなった」

「それでも、ちゃんと取り戻しただろ」


 称賛なのだろうが、素直に受け取ることはできない。

 心変わりのきっかけは盗聴だった。

 あの声を聞かなければ、ずっとわがままを聞いていたかもしれない。

 だが、それを正直に言うことはできない。

 清佳がまごついていると、咲坂は階段を上ってきて、清佳に向かって手を差し出してきた。


「ま、仲良くしようじゃねえか、檜原サン」

「え……」

「何だよ。握手くらいしてくれよ。ほら、挨拶もちゃんとしてなかったしよぉ」


 それは清佳の入居時、誰が住もうがどうでもいいと、咲坂が出かけてしまったからである。

 ただ、仲良くできるのは、悪いことではない。


「まあ、うん。あらためてよろしく、咲坂くん」


 清佳は何とか笑みを浮かべて、咲坂の手を握り返した。


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