ペアレンツ


「しかし、梓さんも、パニックになってたしなー……。良いとか悪いとか、どうでもいいんだろうなー」


 ひとりごとで胸の苦しみの軽減をはかりつつ、考える。

 伯母の秘密とやらは写真の形で残されているらしい。伯母の依頼は、その写真を取り返すか、削除することだった。

 だが、はっきり言えば、それには意味がない。写真を撮った媒体が、カメラなのかスマートフォンのカメラ機能によるものなのか不明だが、仮にその写真を消したところで、クラウドなど他の場所に保存されている可能性は大いにある。データは全て消したと言われても、確認の術はなく、何の信用もできない。

 伯母は彼らが通う高校の理事長や、衣料事業の経営もしていて、それなりに成功もしている。そう頭の悪い人ではないはずなのだが、この件に関しては、全く頭が働いていないようだ。どうやら、秘密を知られていることが、大きな重荷になっているらしい。

 嫌々であっても、ここは清佳が主導で動くしかない。

 伯母の言う通りに秘密を取り返すことに、意味がないのは、間違いない。

 ではどうするか。

 現状、伯母は何らかの秘密によって脅迫されて、この建物に加えて、光熱費や水道代なども払わされている。

 だが、一方的に弱みを握られているだけではない。

 こちらには、彼らの不法占拠を訴えるという手がある。

 ただし、当然それは諸刃の剣である。伯母も秘密を公開されるリスクを背負うことになるため、その手段は使えない。

 それならば、発想の転換だ。

 逆にこちらも、不法占拠以外で、彼らを脅迫できるような秘密を見つけ出す。

 既に法に触れることを恐れるような連中ではないことは分かっているので、それが違法かどうかは二の次だ。

 絶対に世間に知られたくない、不法占拠はリターン以上のリスクになると、彼らに思わせることのできる秘密を、手に入れる。


「よし、聞くか」


 原点を再確認して、清佳は気合を入れ直した。

 良くないことだとは思う。

 伯母が抱えている秘密の内容についても、清佳には関係ない。

 それよりも清佳は、伯母に嫌われることの方が怖い。伯母の中にある家族の記憶を失うのが嫌だ。

 イヤホンをつけて、再生を押す。先程の会話の続きが流れ出した。

 さすがに、録音された全てを聞いている時間はない。ひとまず盗聴自体は上手くいったようだから、次は設置場所や時間を工夫して、より弱みに近づけるような音声を入手する方法を考えるべきだ。

 今回設置した場所は、一階や廊下など、共用スペースのみだ。

 だが、共用スペースで、人に知られたくないような秘密を聞けるとは思えない。


「個人の部屋……か。でも、えー……」


 共用スペースでされている会話を盗み聞くだけでも心労が酷いのに、完全なプライベートをのぞくことを考えると、ぞっとする。

 伯母からマスターキーはもらっているが、バレる危険性を考えても、しばらくは共用スペースに仕掛けるだけに留めておこうと考える。

 音声再生ソフトで音がない場所を確認し、飛ばし飛ばしでひとまず一日分を聞き終えた。リビングに仕掛けた分だけだと言うのに、聞き終えた頃には三時間もたっていた。

 今は春休みだからいいものの、あと六日で学校も始まってしまう。

 両親が亡くなったショックで、清佳は一年生の後半は、単位を落とすまではいかないまでも、やや休みがちだった。

 その分の勉強を取り返す必要もあるので、さすがに、こればかりに構ってもいられない。


「方法考えないと……」


 ひとまず、今できることをしようと、うんざりしながらも音声を切り替えた。

 今度は三階の廊下にしかけた盗聴器だ。

 三階は、祐希、光、小野寺と、住人が最も多い。直接的な弱みでなくても、弱みにつながるような立ち話などしてくれないかと期待する。

 しかし、一階のリビングと違い、今度は無音が続く。たまに音があっても、足音と扉が開く音がするだけだった。気は楽だが無意味だ。

 かちり、かちり、とマウスを緩慢に動かし、一応、飛び石のように入っている音を確認するが、だんだんと眠たくなってきた。

 聞いているうちに、清佳はうとうととし始めた。伯母の家にいる間は事故の夢ばかりを見ていたが、このところは環境の激変と日中の心労のせいで、不眠に逆戻りしている。起きていたい時には起きていられないのに、眠りたい時には眠れない。

 だが、十数分で眠りは遮られた。

 電話の着信音が響いた。

 飛び起きて、自分のものかと咄嗟にスマートフォンに目を向けるが、音の聞こえる位置が違う。そう言えば録音を聞いているのだと思い出し、音声が記録された時刻を確認した。

 昨日の十七時四十八分。夕食後だ。

 確認している間にも、録音は流れ続けている。


『……何?』


 電話に応答したのは、祐希の声だった。


『元気にやってるよ。……うるさいな。ちゃんと食べてるって』


 家族からの電話だろうか。

 心配してくれる相手がいるのって羨ましいな、と清佳は机の上で、自分の腕を抱く。

 だが、イヤホンから聞こえる声は、徐々に、少し心配になるくらいに苛烈になっていった。家族からの心配を照れながら振り払うような、穏やかなものではない。いつものわがままな声とも違う。


『帰らない』


 低く、怒りを抑えた声だ。


『――うるさいってば!』


 音割れする程の声に、びく、と清佳は肩を揺らした。

 盗聴器越しなので、本来より音は小さくなっているはずだが、耳が痛い。

 一時停止を押して、自分の中で音声を振り返った。

 これこそ自分が求めている音声なのではないかと、ぼんやりと思う。

 世間には知られたくない秘密。心の柔らかな部分を削ぐ弱み。

 悩んだ末に、再生を押す。

 音声再生ソフトを見ると、この先には少しの音しか入っていない。足音程度かもしれないが、念のために聞かなければならない。

 電話は切ってしまったのだろう。会話らしい声はなかった。

 だが、ノイズの向こうに、人の気配がする。


『……また言っちゃった』


 待っていると、後悔に満ちた声がした。


『はぁ……しかも廊下だし。また何か言われる……あぁもう!』


 壁を蹴る音、深いため息と、鼻水をすするような音が聞こえる。

 その後、足音の後に、扉が開け閉めする音がして、三階廊下にはまたしばしの無音が訪れた。

 清佳は停止を押し、イヤホンを外した。


「……何か、訳が」


 呟いてから、自分で苦笑いする。


「いや、ないことないか」


 子どもは、親とともに暮らすもの。

 自分のように両親を亡くしたり、酷く仲が悪かったり、といった事情がない限り。

 もちろん、必ずしも悪い理由とは限らない。だが、プラントポットに住んでいる五人――全員が裏事情を知っているとは限らないが、少なくとも内一人が、不法占拠などという手段を取ってまで家を出たことに、良い理由を想像するのは難しい。

 単なる調子に乗った若者の暴走と処理するには、プラントポットにいる彼らは、妙に落ち着いている。

 本当は薄々理解はしていた。だが、今はっきりと、向き合わされてしまった。

 不法占拠や脅迫という単語で酷く悪辣に聞こえていたけれど、実際悪辣だけれど、彼らなりの切実な理由がある可能性に。


「……あーあ」


 データは消さないまま、パソコンをシャットダウンして、清佳はベッドに横になった。


「やだなぁ」


 自分だって、実家で、両親とともに、何事もなく暮らしたかった。

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