第三話 壁に耳あり、障子に目あり、天井裏には口もある(1)

 久しぶりに図書館を、というか司書さんを訪ねた。

 図書館に入ってすぐ右に、司書さんがいつも読書をしているカウンターがある。

 ここで用紙に名前と日付を記入して、本を借りられる。

 カウンターの後ろには、八畳ほどの広さの司書室がある。

 司書室と言っても、そこは司書さんにより完全に私物化されており、心地よいお茶スペースとなっているのだった。

「おー! ついにうっかりさんも農家デビューですか」

「と言っても、まだ農家と言えるほどの規模では全然ないんですけどね」

「初めはみんなそうでしょう。『千里の道も一歩から』です」

「あ! そのことわざは知ってます!」

 初めて図書館を訪れて以来、僕は時々この司書室を訪れていた。

 おしゃべり好きの司書さんはいつも話し相手を求めている。

 もっとも、綺麗な姿勢で静かに本を読んでいる司書さんは、まるで一枚の絵画のようで、そんな内面を一切感じさせない。

 そのため司書さんとお茶をしながら話すのは、この村でも僕くらいのものだそうだ。


 僕は司書さんとお茶をする時間が好きだ。

 だから図書館を訪れればいつでも司書さんがお茶に招いてくれる今の状況は、とても心地良いのだけれど、司書さんの方はどう思っているのだろうか。

 僕は決まった日に図書館を訪れるわけではないし、つい最近なんかはあまりお茶の時間を取れなかった。

 おしゃべり好きの司書さんとしては、もう少し話し相手が欲しいのではないだろうか。

 少し気になった。

「そういえば司書さんは、他の人をお茶に誘ったりはしないんですか?」

 若干唐突な話題転換だったけれど、司書さんは頭の回転が速く、僕のうっかりに対応するのも慣れている。

 一瞬きょとんとしたものの、すぐに頭を切り替えてくれる。

「他の人、ですか。その……きっかけがないじゃないですか」

「きっかけ?」

「図書館に来る人は、本を借りに来るものです」

 ああー、なるほど。

 話したくても、話すきっかけがないのだ。

 僕の時は、引っ越しの挨拶というきっかけがあった。

 村のことを紹介するというごく自然な提案もできた。

 けれど、既に村に住んでいる人が図書館に来た時に、いきなりお茶に誘うのは難しいだろう。

「それに私は、積極的に人に話しかけるのが、あまり得意ではありません」

「え? 司書さんがですか?」

 おしゃべり好きとは思えない、意外な発言。

「私が、です。私はけっこう人見知りなんですよ?」

 まさか。司書さんが人見知り?

「いや、でも初めて図書館に来た時は……」

「あの時は、かなり頑張って勇気を出したんです! 引っ越してくる人がいると聞いて、どうにかこの、いつもひとりぼっちで本を読んでいるだけの毎日を打破しようと! でもお家を訪ねるのはさすがに無理ですから、図書館に来られた時にどうやって話しかけようかと悩んで悩んで……、まあ、すげなく断られてしまいましたけど?」

 あ、ちょっと怒ってる。

「その節はどうもすみませんでした」

 深々と頭を下げた。

「あ。いや、別にうっかりさんは、悪くないです……。それに今はこうして時々でもお話ができる間柄になれていますし」

 司書さんは取り繕うように言った。

「でも、まあ、そういうわけなんですよ。お話は好きですけど、昔から誰かに話しかけるのは苦手で」

 そうだったのか。

 ちょっと意外な一面だった。

 本を読んでいる司書さんは、少し話しかけづらい空気を纏っている。相手からのアプローチを待っていても上手くいかないのかもしれない。

 仲良くなってしまえば、こんなに会話が楽しい人もそうはいないけれど。

「それに、うっかりさんほど話しやすい人は私も初めてですし」

「え? そうですか?」

 そういえば、初めてお茶をした時にも、そんなことを言われた気がする。

 けれど、社交辞令のようなものだと思っていた。

「そうですよ。言われませんか?」

「そんなこと、初めて言われましたよ。僕って、あんまり話し上手ではないというか、ほら、面白い話とかもできないし……」

「んー、そういう意味ではないんですよね」

 司書さんは両手を組んで、何かを思い出す時のように視線を時折斜めに向けながら話す。

「上手にオチを作って、思わず笑ってしまうような話をする人は、います。間の取り方や声のトーンを変えながら、引き込まれるような話をする人もいます。豊富な語彙と修辞で、まるで目の前にあるように景色や出来事を描写する人もいます」

 そんな人達と、司書さんはこれまで、会話を楽しんだことがあるのだろうか。

「それは、すごいですね……」

 素直な賞賛だったはずの言葉は、どこか暗い声となって口から出た。

「ええ」

 司書さんは、にこりと微笑む。

「でもね」

 その柔らかい視線が、僕の目に真っ直ぐと向けられた。

「たとえ話し上手でなくても、思ったことを素直に話してくれていることが伝わって、たとえ聞き上手でなくても、こちらの話にのんびりと耳を傾けてくれて、もしも会話が途切れた瞬間があっても、その小さな静寂さえも心地よく感じられる話し相手。私はそんな人の方が、ずっと話しやすいです」

「それって……」

 僕の目を見つめて、司書さんははっきりと言う。

「もちろん、あなたのことですよ。うっかりさん」

 僕は思わず、目を見開いた。

 そんなふうに、思ってくれていたなんて。

 司書さんがそんなふうに感じてくれていたなんて、嬉しい、本当に。

 でもそれ以上に……恥ずかしかった。

 顔が熱くなり、視線に耐え切れなくなって目をそらす。

 それでもまだ、司書さんがこちらに目を向けているのが分かる。

 うわぁ、恥ずかしい。うわぁ……。

 ていうか、よくそんなこと相手の目を見て言えるものだ。

 人見知りとか言ってたくせに、こういうのは恥ずかしくないのだろうか。

 熱くなった顔がいっこうに冷めない。

 絶対赤くなってる。最悪だ。テーブルに突っ伏したい。

 一秒が何時間にも感じられる。

 司書さんはまだ目をそらしていない。

 え、なんの拷問?

「うっかりさん」

「――は、はい」

 なんだろう、顔赤いですよとか言われるんだろうか。地獄だ。

「実は、言おうか迷っていたことがあるんですけど」

 これ以上何を言おうというのか。

 赤いですか? 顔。

「うっかりさんなら、笑わずに聞いてくれるかなと思ったので、やっぱり話してみることにします」

「は、はぁ」

 どういう話?

 え? もしかしてさっきの恥ずかしい話終わった?

 それともその続きだろうか?

 というか司書さん、僕の顔が赤いことに気づいてない?

「うっかりさんは――」

 やっぱり僕の話か!

 さっきの恥ずかしい話の続きか!

 もういいから!

 お願いだから一度トイレにでも行かせて――


「――座敷童って、信じますか?」


 あまりにも急な話題転換。

 けれど、その言葉を聞いた瞬間、僕の頭は一瞬で切り替わった。

 熱くなっていた顔は冷め、心を埋め尽くしていた恥ずかしさは消えてなくなった。

 居住まいを正して、さっきまでとは打って変わって不安そうな表情をしている司書さんに向き直る。

 そして、僕は答えた。

「――信じます」


 ◇


 特に妖怪に詳しいわけではないけれど、僕だって座敷童くらいは聞いたことがある。

 外見は子供、イメージとしては、和服を着たおかっぱの女の子の姿をしていて、家に憑く妖怪。

 家に幸せをもたらすとか、不幸から守るとか、守り神のような、良い妖怪だったように記憶している。

 とは言っても、妖怪はあくまで迷信。おとぎ話、怪談だ。

 この村に来る前の僕だったら、座敷童が本当にいるなんて露ほども思わなかっただろう。

 でも、この村に来てから、僕は既に二回、怪奇現象に遭っている。


『ひっこしむしがついていますよ?』

『この村には、小人がいるからなあ』


 あんな奇妙な怪奇現象があって、座敷童は絶対にいないなんて、僕は思わない。

 あまりに僕がはっきり答えたためか、驚いた様子の司書さんに、話を促した。

「お話を、聞かせてもらえますか?」

 司書さんは驚いた顔を真剣な表情にして、話し始めた。


 つい最近のことだそうだ。

 正確には、五日前、三日前、二日前、そして昨日。

 一人で暮らしているはずの家で、知らない人の声が聞こえるらしい。

 その声は幼い女の子のような高い声で、いつも噂話のような話をしているらしい。

「噂話? ってことは、声の主は一人じゃないんですか」

「いえ。聞こえる声は一つだけです。ただ、一人で二役をこなして話しているようで、それもまた不気味で……」

 聞こえる声は一つ。

 でも、その一つの声が二人で噂話をするように声を出す。

 声が聞こえるだけで、姿は見えない。

 その声は決まって、司書さんが寝る部屋の天井から聞こえるそうだ。

「外の声が聞こえているってことはないですか? ほら、風の通り道があると建物の外の声が思いもよらない方向から聞こえることってあるでしょう?」

「それは……ないと思います。寝室で寝るのが怖くなって、昨日は別の部屋に布団を敷いて寝たんです。でも、同じように天井から声が聞こえました」

「天井裏がつながってたり……」

「それに、声が聞こえるのは夜中です。子供が外で遊んでいられる時間ではありません」

「あ、声が聞こえるのは、司書さんが寝る時なんですね?」

「昼間に聞こえた時もありましたけど、基本的にはそうです」

 夜中。子供の声。噂話。

 なるほど、これは確かに不気味だ。

 それに、なんとなくイメージにある座敷童とは違う感じだ。

「真っ先に疑ったのは、幻聴ではないかということでした」

 たしかに、妖怪よりは幻聴のほうが現実的だ。

 けれど、そういう言い方をするということは……。

「違ったんですか?」

「……はい」

 それが幻聴ではないと確信したのは、聞こえてくる話の内容が司書さんの知らない内容で、その上、その内容が正しかったからだそうだ。

 天井からの声で、○○さんと××さんが喧嘩をした、という話を聞いた。

 司書さんはその話は知らず、まさか本当ではないだろうと思った。

 しかし翌日、○○さんと××さんが前日に喧嘩をしたのだという話を別の人から聞いた。

 その後も同じようなことが起こった。

 噂話の内容は、司書さんが知らないことばかりだったが(これは司書さんがあまり村の情報に詳しくないことが原因だろう)、その内容は確認するとすべて正しかったらしい。

 なるほど、これは確かに、幻聴で済ますには無理がある。

 幼い子供が真夜中に司書さんの家の天井裏に忍び込み、独り言をつぶやいている、という恐ろしい仮説も、まあ、現実的ではないだろう。

 座敷童なのかは分からない。

 でもこれは、僕がこの村で既に二度経験したものと同じ類だろう。

 つまり、怪奇現象だ。


「怪奇現象、百科事典……?」

 重厚な本の表紙に彫られた金字の題名をさすりながら、司書さんは呟いた。

「ええ。この本が、僕を助けてくれた例の本です」

 司書さんが怪奇現象に遭っている。

 そう考えた僕の頭にまっさきに思い浮かんだのは、二度も僕を助けてくれたこの本だった。

 とはいえ、司書さんからしたら怪しげな分厚い本でしかない。

 だから僕は、この村で遭った二度の怪奇現象について簡単に説明した上で、この本を持ってきた。

「やっぱり、見たことありませんか? 一番奥の本棚に、乱雑に突っ込んであったものですが」

「……いえ。うっかりさんが借りていくのを見て、あまり見覚えがない本だなとは思っていました」

 物珍しそうに、司書さんは本を開いてパラパラとめくる。

 それぞれのページには、奇怪な絵とともに聞いたこともない怪奇現象の名前が書かれている。

「……これが、全部実際に存在する怪奇現象なのでしょうか。奇妙な名前ばかりです」

「存在する、という言い方が適切なのかは分かりませんが、少なくとも、僕が経験した怪奇現象はこの本に刻まれていました」

 博識な司書さんをして、この本の内容は初めて見るものばかりだったらしい。

『小人』など、単語としては聞いたことがあっても、その詳しい性質などは知る由もない。

 改めてこの本の異質さに気づかされる。

「……座敷童は、書いていないようですね」

 司書さんは索引から座敷童を探したようだが、その名前はなかったらしい。

 マイナーな怪奇現象ばかりで、ポピュラーな妖怪などは載っていないのかもしれない。

「ひょっとしたら、別の名前の怪奇現象なのかもしれません。正直私も、座敷童と言ったのはそれしか思い当たる妖怪がいなかったというだけで、微妙にイメージと違うところがありますし」

「そうかもしれませんね。とはいえ……」

 とはいえ、この分厚い百科事典で、現象から逆引きして正体を探すのは簡単じゃない。

 大変な労力が必要な上に、見つからないかもしれないのだ。

 それに、『声が聞こえる』というだけでは情報不足だろう。

 色々な怪奇現象が当てはまりそうだ。

 司書さんも同じことを思ったのか、目線を斜め上に向けて何かを考えている。

 その目が、ぱっと僕の方へ向けられた。

「うっかりさん、今から家に来てもらえますか?」



 司書さんの家は、図書館の裏手にある。

 図書館裏にある従業員用の扉を開くと、ほんの10m程先に立派な和風建築が見えた。

 古い木造の家で、まるでお屋敷のようだ。

 司書さんは、ここに一人で住んでいるのか……。

 僕の家も広く、一人でいると開放感と同時に一抹の寂しさを感じることもある。

 けれど司書さんの家はそれ以上だ。

 司書さんも僕と同じように、紹介されてこの村に来て、その時空いていたこの家に移り住んだのだろう。

 立派であるのはもちろんなのだが、その前に共感めいた寂寥感を覚えてしまった。

 司書さんはこの広すぎる家に一人でいづらくて、いつも図書館のカウンターで本を読んでいる、なんていうのは、僕の勝手な邪推だろうか。

「どうぞ、入ってください」

 気が付くと玄関の前まで来ていた。

 引き戸を開いて先に入った司書さんが、僕を招いてくれる。

「お邪魔します」

 中に入ると、目の前には真っ直ぐと廊下が続いていた。

 年季の入った木の壁に囲まれた廊下は、奥ほど暗くなっており、引き込まれてしまいそうに感じる。

「何というか、時代劇に出てきそうな――」

「あ! 足元危ないですよ!」

「おおっ!?」

 バタン!

「――って、もう遅かったですね」

 靴を脱いでそのまま歩き出した僕は、段差があることを忘れて足を引っかけて転んだ。

 結構痛い。

「大丈夫ですか?」

「あはは、うっかり、段差を忘れてました」

 かがんで心配そうに僕を見る司書さんを安心させるように笑って立ち上がる。

「ここ、石段を挟んで二段あるんですよ。すみません、伝え忘れてました」

「いやいや、司書さんは悪くないですよ」

 二段あったのか。

 僕は段差があることさえ忘れて、二段分の段差に足を引っかけた。

 我ながらうっかりしてるなぁ。

 廊下を歩いて、声が聞こえたという部屋まで案内してもらう。

 畳が敷いてある、十二畳の部屋だった。

 部屋には特に異常は見られない、って、当たり前か。

「何か分かりましたか?」

「え……すいません。特に何も……」

 司書さんに聞かれるが、僕は別に怪奇現象の専門家というわけではないのだ。

 部屋を見ただけで、何かを感じ取れるような特殊能力はない。

 注意深く観察してみても、天井の木目がこちらを見ているようで不気味だな、とか、子供みたいな感想しか出てこない。

 司書さんが昨日寝たというもう一つの部屋にも案内してもらったが、結局のところ何も分からなかった。

「すいません。力になれなくて……」

「いえ。話を真剣に聞いてもらえただけでも、随分気が楽になりました。また相談してもいいですか?」

「もちろんです! 何ができるかは分かりませんが、僕にできることなら何でもしますので」

 この日はそれで別れた。

 結局怪奇現象については分からずじまいだったが、最近は毎日声が聞こえるという。

 その時の様子や話の内容を注意深く聞いていけば、そのうちヒントも出てくるかもしれない。

 とりあえず、明日も図書館に行って話を聞いてみよう。


 ◇


 翌日、僕は再び図書館を訪れた。

「こんにちは」

「あ、うっかりさん、こんにちは」

「ええ、こんにちは」

 図書館に入ると、いつものようにカウンターで読書をしていた司書さんが、顔を上げてニコリと笑う。

「昨晩はどうでしたか?」

「それがですね、昨晩は声が聞こえなかったんです」

「そうなんですか。それは何よりですね!」

「ええ。昨日は普通に寝室で寝て、途中までは声が聞こえないかと起きていたんですが、気づいたら眠っていました。こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりです」

「ああ、それは本当に良かったです」

 司書さん、眠れていなかったのか。

 確かに、そんな不気味な声が聞こえると思ったら普通は眠れないだろう。

 それが眠れたというのだから、これほど良いことはない。

「ありがとうございます。まあ、そのせいで怪奇現象の解明の糸口は見つかりませんでしたが」

「それはそうですけど、まあそれはまた声が聞こえた時でいいじゃないですか」

「そうですね。うっかりさんの言う通りです」

 声が聞こえないなら、それに越したことはない。

 この日は少しお茶をして家に帰った。



 その翌日。

「こんにちは」

「こんにちは。うっかりさん、今日も来てくれたんですね」

 また僕は図書館を訪れた。

 作物を育て始めたと言ってもまだ数は少ないし、それほど忙しくはない。

 仕事をしていた時と違って一日中働く必要はないから、司書さんと話す時間くらいは、その気になれば毎日でも取れるのだ。

「昨晩は、声は聞こえましたか?」

「それが、昨晩も聞こえませんでした」

「そうですか。このまま何も聞こえなくなれば一番良いんですけどね」

「……そうですね。そうだと、いいんですが」

 そう応える司書さんは、どこか暗い表情に見えた。

「何か良くない心当たりでもあるんですか?」

「えっ? いえ、そういうことではなく……。ただ……そう、ただ、このまま終わったら結局何だったのか分からないなー、と。それだけです」

 司書さんは曖昧な笑みを浮かべた。

 怪奇現象の正体を解明したかったのだろうか?

 それか、僕に相談までしておいて、結局何も起こらずに終わるのが気まずいのかもしれない。

 そんなこと、気にしなくていいのに。

「まあ、また声が聞こえたらいつでも言ってください。図書館にはまた来ますけど、僕の家を訪ねてもらってもかまいませんので」

 この日もしばらくお茶を楽しんでから家に帰った。



 その翌日も僕は図書館に向かったのだが、その途中で、気になる声が耳に入った。

「ねえ、この間引っ越してきた若い男の人、いるじゃない?」

「ああ、あの、うっかりさんとか呼ばれてる人。あの人がどうかしたの?」

 僕の話だ。

 どうやら村のおばさんたちが世間話をしているらしい。

 場所は図書館の裏手で、司書さんの家と、隣の家の間くらい。

 あまり人通りのない所だ。

 おばさんは世間話が好きなものだ。いつもなら素通りするのだけれど、今回は自分の話だったので少し気になった。

「あの人、最近毎日図書館に通っているらしいの」

「へえ、勉強熱心なのかしら?」

「そう思うでしょ? 違うのよ。図書館に行って、いつも司書の娘とお茶してるらしいわ」

 ドキッとした。

 なんでそんなことを知っているんだろう。

 まあ、図書館は僕以外の利用者もいるし、隠しているわけでもないから、おかしいことはないけれど。

 それにしても、こういう言い方をされるとなんか……。

「ええー! なにそれなにそれ! つまりそれって、そういうこと?」

「たぶんね。あのうっかりさんって人、司書の娘のこと狙ってるわ」

 そういう話になりますよね、はい。

 いや、別にそういうつもりじゃないのだけれど。というか最近の話は怪奇現象に関わることだったし。

「司書の娘って、確かメガネをかけて、いつも一歩引いた感じの」

「そうそう。ああいう大人しい感じの娘に限って男をその気にさせるのが上手かったりするのよねぇ」

「え? じゃあもしかして男の方じゃなくて司書の娘の方が……」

「可能性はあるわね。そういえばこの前――」

 なんだか、これ以上聞いていられなくなって踵を返した。

 あんな話をされているなんて……。

 あまり聞きたくなかった。

 もっと人に聞かれないような場所でしてくれれば、って、だからあの場所なのか。

 居たたまれない気持ちに苛まれながら歩き、気がつくと家に戻ってきていた。

「あー……。今日は、いいか」

 確かに最近は毎日図書館に通っていたけれど、昨日も一昨日も司書さんの家で声は聞こえていないようだった。

 ひょっとすると、このままこの一件は終わるかもしれない。

 司書さんにはまた声が聞こえたら僕の家を訪ねてほしいと言ってある。

 毎日通う必要は、もうないだろう。

 なんとなく図書館に行くのが気まずくて、この日は図書館に行かなかった。


 その翌日も、何度か図書館に行こうかと思ったけれど、結局行かなかった。

 考えてみれば、怪奇現象の話を聞く前は一週間に一回行くか行かないか、という程度だった。

 その頃に戻ったと考えれば、普通だと言える。

 再び声が聞こえない限り、怪奇現象の件は一時中断だ。

 このまま、気づいたら忘れているかもしれない。

 なんとなく図書館から足が遠のいて、司書さんと会わない日が続いた。

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