第二話 小人がいる(1)
「あれ? ペンがない……」
呂方村に引っ越してきて数日。
僕がそろそろ農作物を育ててみようと準備を始めていた、夏のある日のことだった。
どんな作物を育てようかと候補を書きだすために、紙とペンを用意しようとしたのだけれど……。
いつもペン立てに入れているはずの黒ボールペンが、そこになかったのだ。
「どこいったんだろ?」
心当たりのある所をいくつか探してみても、ペンは見つからなかった。
僕は黒ボールペンを一本しか持っていない。
とはいっても、鉛筆やシャープペン、赤や青のボールペンはペン立てにあるから、今困ることはない。
「うーん、まあ、そのうち出てくるかな? 出てこなかったら、文房具屋さんで買わないと」
ペンがなくなるなんて、特に珍しくもない。
この時はまだ、そう思っていた。
◇
「えっ、いいんですか? こんなにいただいて」
「うんよかよ。みんなトマト育てとーから余っとーっちゃん」
目の前にはバスケットに入った美味しそうなトマト。
トマトをくれたのは、人懐っこい笑顔を浮かべる小柄な女性だった。
たぶん僕よりも年下だと思うけれど、100人を超える村の人全員と交流があるなかなかすごい人だ。
彼女は村の人の余った農作物を受け取り、代わりに他の人から受け取った農作物を渡すといったことをしている。
彼女の元に行けば何かしらほしい野菜が手に入ることから、八百屋さんと呼ばれ親しまれている。
もちろん、野菜をお金で買うこともできる。格安だ。
僕はまだ何も育てていないから、お金で食糧を買いに来たのだけれど、トマトがたくさんあるからタダでくれるという。
ありがたくいただこう。
せっかくだからピザを焼こうかな。
「野菜が余っとうことはようあるけん、またたまに来るとよかよ」
「えっ、いいんですか? 正直とても助かりますけど」
「いっちょんオッケーばい。うちなんて自分で育てとらんけん、みんなから集めた野菜ん中から一番良かとばもろうとーし。あ、これ内緒よ?」
人差し指を唇に当てていたずらっぽく笑う彼女は親しみやすく、なるほどこれは友達が多いわけだと納得する。
「なら、お言葉に甘えてまた来ます。あ、あとピーマン買います」
「はーい、ピーマンね」
あとピザの具材は……チーズとベーコン、ツナ……玉ねぎは確か前に買ったのが残っていたはず。
こんなものかな。
もう一度八百屋さんにお礼を言って、他の買い物に向かった。
◇
家に戻ってくると昼食時までまだ少し時間があったので、コーヒーを淹れようかと思ったのだが……。
「あれ? マグカップがない」
食器棚を見ると、マグカップがあったはずの場所だけがポカンと空いていた。
流し台やテーブル、ありそうな場所を探すけれど、見つからない。
なくなったマグカップは僕の姉さんがヨーロッパの国々へ旅行に行った時、お土産として買ってきたものだ。
少々変わった絵柄で、持ち手部分も不思議な曲線を描いている。
姉さんはそこがいいのだと言っていたが、正直僕にそのセンスは分からなかった。
とはいえ、マグカップは他には……ああ、うっかりしていた。もう一個あったっけ。
もう一つのマグカップにコーヒーを淹れて飲む。
「ふぅ、美味しい。……それにしても」
今日は物がよくなくなる日だ。
黒ボールペンにしろマグカップにしろ。
そのうち出てくるだろうか?
ぼーっと部屋を見回しながら、ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいると、
「…………ん?」
何か違和感を覚えた。
漠然とした、部屋に対する違和感。
いや、気のせい。
たぶん、気のせいだ。
けれど、どこか、こう、なにか少し、足りないような……。
「いやいや、何考えてるんだか」
ペンとマグカップがなくなったから、他にも何かなくなっているんじゃないかと、そんな気がしているだけだろう。
首を振って考えを追い出して、ピザの準備に取り掛かることにした。
この家には、ピザ窯がある。
いや、実際のところ、ピザを作るための窯なのかは知らないけれど、レンガで作られたドーム状の窯だ。
薪を燃やした熱を閉じ込めて、ピザに限らずパンや鳥の丸焼きなど、色々な物が焼けそうだ。
これを見た時から、ピザを作ってみたいと思っていた。
強力粉に薄力粉、塩にドライイースト……、材料を大きなダイニングテーブルに並べていく。
「さてさて、それじゃあピザ作りを始めよう!」
まず、生地を作ります。
強力粉と薄力粉、塩、ドライイーストをボールに入れて軽く混ぜる。
ぬるま湯を加えて……こねる。
こねますこねます。
こねて……。
まとまってきた生地をボールに打ち付ける。
打ち付ける打ち付ける。
こねる。
打ち付ける打ち付ける。
こねる。
………
……
…
「よし、こんなものかな」
ボール状になった生地に濡れふきんをかぶせて一時間ほど放置。
発酵させる。
「……本でも読もうかな」
一時間後。
テーブルにラップを敷いて、そこに生地をおく。
生地を下に押し付けてガス抜き。
生地をピザの枚数分に分けて、また濡れふきんをかぶせて放置する。
20分後。
「生地の完成です!」
生地からピザを作るのは初めてではないけれど、手間がかかるだけあって生地ができた瞬間は嬉しい。
あとは麺棒で丸く平らに伸ばして、具材を載せる。
「さあ、ここでとっておきのトマトの出番だ!」
今朝もらった新鮮なトマトを使ったピザは、さぞ美味しいことだろう。
鼻歌を口ずさみながら、トマトの置いてあるリビングに行く。
しかし――
「あれ? トマトがない」
みずみずしいトマトが入っていたバスケットは、なくなっていた。
「え?」
確かに僕は、もらってきたバスケットをここに置いた。
その後どこかに移動した?
いや、それはない。つい数時間前のことだ。
記憶違いということはないはず。
僕はあの後、バスケットに触っていない。
それはつまり、どういうことだろう?
僕はバスケットを移動していない。
それなのにバスケットはなくなっている。
誰かが僕の家に入り、トマトのバスケットを持ち去ったとしか考えられない。
でも、一体誰がそんなことを?
玄関の扉に鍵はかけていない。
入ろうと思えば誰でも入れるけれど、扉を開けると鈴が鳴るから、気づかないということはないと思う。
そもそも、トマトの他に何かが盗まれた形跡もないし、部屋が荒らされていることもないのだから、強盗ってわけじゃないだろう。
誰かが窓からこっそり入って、トマトだけを持ち去った?
それなら辻褄はあうけれど、誰がそんなことをするだろうか?
トマトが欲しければ八百屋さんの所に行けばいいのだ。
そう、トマトが欲しければ……。
僕は丸く引き伸ばしたピザ生地を見た。
「……とりあえず、もう一度八百屋さんのところに行こう」
たとえ買うことになっても、トマトは必要だ。
◇
「トマトが盗まれた?」
「自分でもおかしなことを言ってるのは分かってるんですけどね。そうとしか考えられなくて」
「ふーん……」
八百屋さんは何かを考え込むように顎に手を当てる。
どうやら僕が嘘を言っているとは思っていないようだ。よかった。
「まあ、そんなわけでトマトが欲しいんですけど、まだありますか? 今度はちゃんと、お金もお支払いします」
「……え? ああ、いや、いらんよ、お金は。まだまだトマトはあるけん、気にしぇんで。ただちょっと、盗まれたって話は気になるなぁ。こん村に盗みば働くような人がおるとも思えんし……。野生動物ならいっぱいおるばってん」
「野生動物、ですか」
猿、猪、鹿、あるいはねずみ。
猿なら、窓を開けて中に入ることもできるだろうか?
ねずみがいればトマトを食べるのは簡単だろうけど、バスケットも運んだのだろうか?
分からない。
とりあえず今は、ピザが食べたい気分だ。
「うーん、分からん。……はい、これトマトね」
「ありがとうございます」
首をかしげて考え込む八百屋さんにお礼を言って、僕は家に戻る。
謎解きよりもピザだピザ!
ピザ生地にケチャップを塗る。
その上に輪切りにしたトマトとピーマン、ウインナ―を並べていき、最後にピザチーズを載せて完成。
シンプルだけど確実に美味しい盛り合わせだ。
さらにマヨネーズとツナ、コーンにのりを振りかけてピザチーズをのせるピザ。
トマトとブロッコリーにベーコンを並べ、ピザチーズをのせるピザ。
後は焼けば完成。
おっと、窯を温めるのを忘れていた。
火を起こして薪を投入。
高温で安定してきたら、焼き皿に載せたピザを入れていく。
………
……
…
「で、できた!」
ピザ窯から焼き皿を取り出すと、それは美味しそうにとろけたチーズがふつふつと泡を作っていた。
美味しそうな香りが広がり、お腹がなる。
ピザをお皿に移動したら、ピザカッターで切っていく……。
「あれ? ピザカッターがない……」
引っ越しの時に持ってきたはずのピザカッターは、あるはずの場所から消えていた。
仕方がないのでナイフでお皿を傷つけないように切っていく。
三枚の彩り豊かなピザが、それぞれ六つのピースに分けられた。
「よし! それじゃあ、いただきます!」
もう我慢できず、すぐにピザにかぶりついた。
初めはスタンダードなピーマントマト。
噛み千切ると、チーズだけがとろーんと伸びて、伸びて伸びて千切れる。
トマトの旨味とチーズが絡み合い、奇跡的なハーモニーを奏でる。
ピーマンとウインナ―はその中で引きたち、それぞれの美味しさが生地の上で融合する。
「ううううぅーん、……うまい!」
最高だ。
ピザ生地はもちもちと弾力があって、これだけでも美味しく食べられそうなぐらいだ。
タバスコをかけて少し辛くしてみる。
「ああー、これもグッド」
お次はツナマヨコーン。
ツナとマヨネーズは相性が良い。そしてコーンとマヨネーズも相性が良い。
ツナとマヨとコーンは兄弟姉妹といってもいい。
それらが生地の上で絡み合い、とろけるチーズとのりのトッピングによって完成する。
美味しくないわけがなかった。
そしてブロッコリーベーコントマト。
ベーコンと相性の良い野菜といえば、ジャガイモとブロッコリーがまず思い浮かぶ。
さらにトマトとも相性が良いのはブロッコリーの方だ。
しかもブロッコリーはチーズとも比類ないマッチング力を誇る。
一見ピーマントマトと似ているようで、まったく違う美味しさを届けてくれるのが、ブロッコリーベーコントマトなのだ。
「おい、しい……」
ピザ三枚は焼きすぎたかとも思ったけれど、気が付いたら僕は完食していた。
「ごちそうさまでした……」
ピザの余韻にひたりながら、大きくなったお腹をさすってしばらくの休憩。
後片付けを終えたときには午後3時を回っていた。
「畑を耕そう」
僕はまだ、作物を育ててはいない。
けれどその準備は進めていて、家の裏にある僕が使っていいらしい畑を耕している最中なのだ。
しばらく使われていなかったそこは、背の高い草がぼーぼーに生えていて大変だったけれど、前に大分その処理はできた。
今日はスコップとクワを使って土を耕していこうと思う。
家の裏に出て、小さな倉庫から道具を取り出し――
「あれ? クワがない……」
……おかしい。
これは、何かおかしい。
そうだ。よくよく考えてみれば、今日一日、ずっとおかしかった。
ピザを食べたい一心で、気にしないようにしていたけれど、冷静に考えてみれば異常だ。
物がなくなりすぎている。
ペン、マグカップ、トマト、ピザカッター、クワ……。
自分の過失でなくしてしまったかと思ったペンとマグカップに対して、トマトは最初から何者かに盗まれたと思っていたから、あまりつながりを感じなかったけれど。
よく考えたら同じことだ。
それらは全部、突然僕の家から姿を消している。
何者かがいたずらで盗み出している、と考えるのが一番分かりやすい。
けれど、僕にそんなことをする人がこの村にいるだろうか?
『野生動物ならいっぱいおるばってん』
そういえば、八百屋さんがそんなことを言っていた。
いたずら好きの猿でもいるのだろうか?
◇
「ああ、そりゃ小人の仕業だ」
隣の農家のおじさんは笑って断言した。
最近物がよくなくなるのですがいたずら好きの猿が近くに住んでいたりしますかと、そう尋ねてすぐの返答だった。
「……小人?」
「ああ。この村には小人がいるからなぁ」
その返答に僕は思わず渋面をつくった。
出た。小人。
これを僕は親戚のおじさんで経験済みだった。
僕の親戚のおじさんはよく物を無くす人だった(うっかり者の僕とすごく血のつながりを感じる)。
必要な時に物が見つからず、しばらくしてあるはずのない所から出てくる。
そんなことを頻繁に繰り返しては、「小人の仕業だ」などと自分の迂闊さを架空の存在のせいにしていた。
「小人にやられた」と口に出す度に、なにやら嬉しそうに笑うおじさんに、彼の家族は呆れているようだった。
どうやらその癖が、この農家のおじさんにもあるらしい。
しかし僕が今直面しているのはそういうことではないのだ。
自分で物をなくしたことを誰かのせいにしたいのではなく、本当に盗まれたとしか思えない程に連続して物が消えているのである。
これ以上、農家のおじさんから有力な情報は得られそうにない。
他の人をあたろう。
「あんた、それは小人にやられたね」
「はい?」
僕の家が集中して狙われているわけではないとすれば、僕の家の隣に住んでいるおばさんもいたずらの被害を受けているかもしれない、そう思って聞いてみたのだが。
返ってきたのは農家のおじさんと同じ言葉だった。
「この村には小人がいるからねぇ」
この年代の人は、物がなくなるとみんなこう言うのだろうか?
まったく呆れた話である。
物がなくなるたびに小人のせいにして、自分は悪くないと思っていれば、それは幸せな生き方かもしれないけれど。
ストレスフリー。僕もやってみようかな。
でも、今回に限ってはそうは言っていられない。
何者がやっているのか、突き止めなければならない。
それにしても、農家のおじさんもこのおばさんも、盗みの被害にはあっていないようだ。
当てが外れてしまった。
その後もいたずらの犯人を見つけ出そうとしたが、結局手がかりすら見つからずに終わった。
◇
翌日。
とても可愛らしい水色の花を見つけた。
この村には、花屋がある。
物がなくなる現象、おそらくは何者かのいたずらであるこれの手がかりを探して、僕は村を歩いていた。
といえば聞こえはいいけれど、実際のところ当てもなくぶらぶらしているだけとも言える。
両隣の家に被害が出ていない時点で、僕に手がかりらしきものはもう思いつかない。
僕は頭脳明晰な探偵ではないのだから。
そんな中、僕が足を止めたのは村にある花屋さんだった。
素敵な水色の花に、視線が吸い寄せられた。
いや、正確には僕が目を惹かれたのはその花ではない。
「あなたはうっかりさん、よね? このお花がお気に入りかしら?」
僕がじっと一つの花を見ていたからか、花屋さんに声をかけられた。
ウェーブのかかった長い髪の女性で、年は僕より少し上くらいだろうか?
やわらかな声と穏やかな微笑みからゆるふわした雰囲気が漂っている。
「あ、ええと、はい。素敵な花ですね」
服を押し上げる豊かな二つのモノに、つい視線が吸い寄せられそうになるのをこらえて答えた。
若干、挙動不審だったろうか。
僕がここで立ち止まったのは、綺麗な水色の花に目を惹かれたのではなく、花屋を営む綺麗なお姉さんに目を惹かれたから、でも、なかった。
僕が立ち止まったのは――
「それに、素敵な鉢ですね」
――可愛らしい水色の花が植えてある“鉢”が気になったからだった。
「あ、そうなの。可愛いでしょう? これ、元はマグカップなの。変わった絵柄と持ち手の曲線が魅力的で――」
僕が鉢を褒めると、花屋さんがそれは嬉しそうに説明してくれる。
異国情緒のある変わった絵柄と、他に類を見ない曲線を描く持ち手のマグカップ。
それは間違いなく、昨日ないことに気づいた僕のマグカップだった。
どうしてそれがここにあるのだろうか?
もちろん、花屋さんが元から持っていた、という可能性はある。
しかし、僕の姉さんが旅行のお土産で買ってきたあのマグカップは、日本ではまず売っていない。
彼女が同じように海外に行って買ってきた、あるいは誰かからもらった。
考えることもできなくはないけれど、あまりにタイムリーだ。
となるとやっぱり、“そう”なんだろう。
「ええと……」
困ったような声が耳に入り、自分が黙ってマグカップを見つめていたことに気づく。
おっと、表情も硬くなっていた。これじゃ不審人物だ。
花屋さんは訝し気な目を僕に向けていた。
「どうかした?」
「えっ? あ、すいません、なんでも――」
なんでもない、と答えそうになる。
しかし、なんでもないことはないのだ。
「――いえ。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
「ええ。なんでもどうぞ」
隠すようなことは何もない様子で、花屋さんは微笑む。
やっぱり、たまたま彼女も持っていただけなのだろうか?
いやでも、ここで聞くのを止めるわけにもいかない。
「その素敵なマグカップは、どこで……?」
どこで手に入れたんですか、と聞こうとして、やや聞こえが悪いような気がして口をつぐんだ。
それでも聞きたいことは十分伝わるだろう。
「ああ、そのこと。これはね――」
花屋さんはぱっと表情を明るくして、よくぞ聞いてくれたとばかりに話し始めた。
彼女がこのマグカップを見つけたのは昨日の午前中のことだったらしい。
花屋さんは可愛らしい花や鉢を集め、それらを組み合わせて飾るのが趣味だそうだ。
店もその延長なのだとか。
最近、彼女は水色の可愛らしい花に合う鉢を探していた。
普通の鉢植えではなく、一風変わったものが良い――頭の中にイメージはあっても、どうにもちょうどいいものが見つからない。
ネットで探しても、街まで降りて探しても、彼女が満足する品はなかった。
そんな時、そういえばしばらく開けていない倉庫があったと思い出した。
花屋さんは天啓を受けたように倉庫を開け、そして件のマグカップを発見した。
それは彼女のイメージにぴったりの品で、実際に水色の花と合わせてみても彼女の
美感と一致するものだった。
「なるほど。それはラッキーでしたね」
「ええ、本当に。こんなに良い物を倉庫に入れっぱなしにしていたなんて、私もうっかりしていたわ」
彼女は照れるように笑った。
そうかそうか。倉庫から出てきたのか。
だったらこのマグカップは僕の持っていたものとは関係あるまい。
いやあ、変に疑ってしまった。
失敗失敗。
ごめんなさい花屋さん、それはあなたのものです。
間違いありません。
素敵なお話ありがとうございました!
……と、素直に納得するほど、僕も正直者ではない。
たまたま倉庫から出てきたマグカップが、たまたま僕のなくしたマグカップと同じもので、しかもたまたま前者が出てきたタイミングと後者がなくなったタイミングが一致している?
それは少し、都合が良すぎるというものだ。
では、彼女が嘘をついている?
僕は不審にならないように、他の花を眺めるふりをしながら花屋さんの表情をうかがった。
ニコニコと嬉しそうにしている彼女に、嘘をついている様子は見られない。
少し、想像してみよう。
彼女が一連のいたずらの犯人だったとする。
彼女は無断で僕の家に忍び込み、黒いボールペンとマグカップを盗み取った。
さらに、トマトをもらってきた僕がコーヒーを飲んでいる時、あるいはピザ生地を作っている時に、トマトを盗み取った。
ついでにピザカッターも。
さらにクワを盗んだ。
何食わぬ顔で店に戻ってきて、盗んだマグカップを鉢にして綺麗な花を植えた。
そして今、何の罪悪感も見られない笑顔で、マグカップを手に入れた嘘の経緯を嬉しそうに語って見せた。
と、する。
だとするとそれは、それはもう、“いたずら”なんて可愛いものじゃない。
悪人――それも熟練の犯罪者の様相を呈している。
けれど。
けれど、本当にそうだろうか?
僕はもう一度、花屋さんの方を見た。
年配の女性に穏やかに微笑みかけながら、優しい手つきでお花を渡している。
僕は人の善意を盲目的に信じられる人間じゃない。
でも、僕は思う。
司書さんじゃないけれど、彼女風にことわざを言うなら。
渡る世間に、鬼はない。
「きっと、そうです……」
「うっかりさん? 何か言ったかしら?」
「いえ、何も」
僕は頭に思い浮かんだ、残酷な仮説を振り払って明るく返した。
たとえあのマグカップが僕のものだったとしても、きっと何か他の事情がある。
この人はきっと、そんな悪い人じゃない。
そう思った。そう信じることに決めた。
だからこの言葉に、鎌をかけるつもりなんて毛頭なかった。
だからこの言葉で、何か手がかりが得られるとは思っていなかった。
だからこの言葉は、何の気なしに、それこそ世間話のように言っただけだった。
「ところで花屋さん、僕、最近物がよくなくなるんですけど。この辺りって、いたずら好きの猿でもいるんですかね?」
しかし――
「へえ、それはきっと――」
しかし僕は、花屋さんの返答に、絶句せざるを得なかった。
明るくした表情を、再び一変させてしまうこととなった。
それぐらい、彼女の返答はあり得ないものだった。
二度あることは三度ある?
いいや、逆だ。
二度までならあり得たことでも、三度目があったならそれは――
彼女は、さっきまでと変わらない笑顔で、当たり前のように答えた。
「――きっと、小人の仕業ね。この村には、小人がいるの」
――ナニカが起こっているに、違いない。
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