第43話 告白
「貴様ァ……よくもやってくれたなァ……」
「あ?」
後ろから、声。振り返ると蝿頭の糞気持ち悪い見た目の魔人がいた。なんで死んでないんだろう。俺はそう不思議に思った。
「痛かったぞこの人間が。この4魔凶戦が一人ビビ・クレイレイジーンが主に代わって貴様を殺――フィルレインさまぁっ! この不肖ルートこの魔人を依り代に現界しフィルレインさまを保護――」
「シャイニング・パニッシュ」
俺は聖剣を蝿頭に向けて呪文を唱えた。蝿頭は光の柱の直撃を受けて灰すら残らず消滅した。その段階に至ってようやく俺は違和感に気付いた。
「あれ? なんで聖剣が魔王軍の幹部に使えるんだ? ていうかあの蝿頭、フィルレインのことを知っているようだったが、どういうことなんだ」
「…………」
「あ、いや、無理に答えなくていい。俺はフィルレインのことを信頼している。きっとあいつの勘違いかなにかだろう。それよりも休める場所を探して――」
「フィルレインは神様なの。リュートの主っていったら伝わるはずなの」
「――なん、だと」
俺はフィルレインの告白に絶句した。
「どういう、ことだ」
俺はフィルレインにリュートのことを話したことは一度もないし、そもそもフィルレインに出会ってからリュートという言葉を口にしたことさえない。なのにフィルレインはリュートのことを知っている。意味が分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
「そのままの意味なの。……黙っててごめんなさいなの」
「う、嘘ですよねフィルレインちゃん?」
「本当なの」
「フィルレインがリュートに指示して俺にあんなことをさせたのか。あんな、おぞましいことを……!」
「ち、違うの! あれはリュートが勝手にやったことなの! リュートはもう処分したし今起きてる魔物のパワーアップもリュートと同じ使徒のルートの仕業なの! フィ、フィルレインは悪くないの! 悪くないのぉっ!」
「っ! 馬鹿野郎!!!」
俺はフィルレインの頬を叩いた。フィルレインは黙ってそのビンタを受け入れた。全く抵抗しなかった。
きっと罪悪感を抱いているのだろう。
「神なら部下をちゃんと監督しろ! 部下が暴走したから悪くないなんて理屈は通らないんだ。世界を背負ってるんだろ。責任から逃げるな! ちゃんと自分の責務を全うしろ!」
「あ、あのね。この世界は遊戯盤って言って神が眺めて楽しむために用意された世界なの。だから絶え間なく戦争や悲劇が起きるの。だから、あまり深く責任を追求されたりはしないの。子供に与える玩具みたいなものだから、最悪壊れてもいいくらいの――」
「っ!」
俺はフィルレインの胸倉を掴んだ。そして初めてフィルレインに対して本気で怒鳴った。
「俺たちはこの世界で必死に生きているんだ! 玩具でも遊戯盤の駒でもない! みんな痛みも悲しみも感じる同じ一つの命なんだよ!」
「わ……分かってるの。そんなことフィルレインだってもう分かってるの! だからこんなに辛いの! だから全部告白したの! フィルレインが全部全部悪いのぉ! だからもうフィルレインなんか滅茶苦茶にしてなの! フィルレインにこの世界で生きる資格なんてないのぉ! こんなフィルレインなんて死んじゃえばいいの!」
「馬鹿野郎!」
俺はフィルレインを再び平手打ちした。
「フィルレインは生きているんだ。この世界に生きているんだ。なら、死ぬ程辛くても生きるしかないだろ。どんなに辛くても生きる、それがこの世界に生まれてきた人間の正義なんだ」
「……フィルレイン、神様なの。それでも生きててもいいの」
「正直未だにフィルレインが神様だって言われてもピンとこない。だから、無茶苦茶言ってるかもしれない。それでもだ、言うよ。生きろと」
そして、俺はフィルレインを抱きしめる。苦しさを優しさで包み込むように。
「俺で良ければ側にいる。いや違うな――俺と一緒に生きてくれ。俺はどうしようもなく、フィルレインのことが大好きなんだ」
「――――」
フィルレインは俺の背に手を回し、肩に顔を埋めた。
「うぅ。ふぐぅ。うぇええええええん!」
泥臭くて人間臭い、生の響きを帯びた嗚咽。
こみ上げる愛おしさのまま、荒れ狂う衝動のまま、俺はフィルレインの小さな体を抱きしめる。体の熱と熱が解合い一つになるかのような幸福感が俺の、そしてきっとフィルレインの心の中をも埋め尽くし、満たしていった。
「フィルレイン。神様って何が出来るんだ」
わだかまりが解け和解したフィルレインに当然の如く聞いてみた。
「今のフィルレインは人間だから人間と同じことしか出来ないの。精々転生するときに全振りした高いステータス値で無双する程度なの。人間と同じ条件。それが神様が人間に転生するときの縛りなの。だからルートの暴走をフィルレインに止めることはできないの。期待に添えなくてごめんなさいなの……」
「そうか……え? フィルレインって戦えるの? 俺より強いの?」
「戦ったことないけどたぶん戦えるの。たぶんさっきの蝿頭程度ならたぶんギリギリ勝てるの。けどたぶんマルスたまほど強くないの」
「そ、そうか……」
俺のちっぽけなプライドは守られたようだ。やたらとたぶんを多用しているのがちょっと気になるのだが……まあ戦った経験がないから自分の正確な実力を測れていないだけだろう。うん、きっとそうに違いない。
「そもそもなんでフィルレイン……様?」
「今までと同じ呼び方でいいの」
「フィルレインちゃんは人間に転生したんですか」
「う゛っ」
珍しくにがりきった声を上げるフィルレイン。どうやら聞かれたくないことのようだ。
「話したくないなら無理に話さなくても――」
「は、話すの。それが迷惑をかけた神様としての義理なの。あ、あのね。笑わないでなの」
「約束する」
「えっとね、あのね」
顔を真っ赤にして手で覆い隠しながらフィルレインはおずおずと告白した。
「マルスたまに会いたかったからなの」
「え、それって、つまり」
「……神様だった時から大好きだったの。憧れのヒーローだったの。最初は眺めてるだけで満足だったのに、いつしかそれじゃ満足出来なくなって、マルスたまに会うことしか考えられなくなったの。フィルレインはマルスたまのことが大好きなの。だから、会いに来たの。そしてマルスたまは人間界で人の悪意に晒されて弱ってたフィルレインを救ってくれたの。フィルレインの思ってた通り、いやそれ以上に素敵な人だったの。ねぇマルスたま」
フィルレインが俺に正面から近づく。
そして、俺の唇に唇を重ね合わせた。
「大好き。なの」
――その、はにかむような笑顔を見た瞬間。
「フィルレイン」
――俺は、完全に落ちてしまった。
「ん――」
唇と唇が再び重なり合う。
今度のキスは俺からだった。
キスのあと、ホリィが気まずそうに口を開く。
「あの、マルス……」
「……その、すまないが、気持ちに嘘はつけない」
「いえ、前言ったとおり何人娶ってもいいのですが……私も、忘れないでね」
「当たり前だ。お前も世界で一番大事な人だ」
「はい!」
「男の神は複数妻を娶るのが普通なの。フィルレインもそこら辺はおおらかだから安心するの」
「ありがとう……え? 神?」
「マルスたまは死んだらフィルレインのお父さんになるの。結魂するなら当たり前なの。嬉しいの」
「……まぁ、いいか。神になれば今よりもこの世界の人々を幸せにできるんだろ。やってやるよ」
「うん。勿論なの」
「ただしだ」
ホリィを抱き寄せて俺は告げる。
「ホリィも一緒だ。俺とホリィはずっと一緒なんだ。これだけは譲れない」
「きゅん……ま、マルスぅ……」
「うん。それくらいなら問題ないの。フィルレインもホリィのことは好きだからむしろ嬉しいの」
「え、えへへ。そうストレートに言われると、照れますね」
ホリィははにかんで笑う。暖かくて見ているとほっとする笑み。女神にも負けない素敵な笑みだった。
瓦礫を押しのけホライゾン亭に入った。
アンヌだけじゃない。ダンクさんもランプさんも死んで酷たらしい遺体を晒していた。
西区の街を見て回った。知り合いは全員どこかで死体を晒していた。孤児院のホリィさんも、クゥも、子どもたちも、賭博仲間のガンスも、お気にのスライム嬢のミィヤも、縁故は誰も彼も死んでいた。
死体を集めて回って火葬場でまとめて焼いた。虚無感だけが俺の心を占めた。
「……マルスたま。フィルレインが神界に戻ったら今度はこの世界を優しい世界にするの。約束するの。こんな景色悲しすぎるの」
フィルレインは泣きそうな顔をしながら、強い決意を秘めた瞳で断言した。
「あぁ、頼むよ」
フィルレインの頭を撫でながらそう返した。
中央区に移動する。
至るところにある人間と魔物の死体。一番警備が厳重で外周区と離れている中央区でさてこの惨状。どうやらどの地区も災禍の程は同じのようだった。
「…………マナ、ブレイド。お前たち程の実力者でも死ぬような何かがここであったのか」
中央区にはマナとブレイドの死体があった。
周囲の破壊しつくされたビルや地面は激闘の痕跡か。余程の強敵と出会い、戦い、敗れたのだろう。
「うぅ……マナぁ……ブレイドぉ……」
俺よりも二人との付き合いが長いホリィは、死体の前で号泣していた。
そのホリィの側に寄り添うのはフィルレイン。頭をたどたどしく撫でて必死に慰めている。
「だ、大丈夫なの。死んだらもう苦痛はないの。安らかな場所で気の済むまで休んで、それから輪廻の輪に戻るの。だから二人はもう苦しんでいないの。安心するの」
俺以外の人間を慮るフィルレインの姿を初めて見た。大きな心境の変化を経て、成長したのだ。
そんなフィルレインの姿に死の連続に冷え切った心が少しだけ暖かくなる。
(今のフィルレインならきっと優しい世界を作るだろうな)
残酷な世界の終焉と優しい世界の到来をフィルレインの小さな背中の向こうに垣間見る。それは酷く優しい幻覚。あるいは予期。
俺がこの世界に生まれてきた意味が初めて分かった気がした。
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