第35話 運命の出会い


 俺はずぶ濡れの雨の中を雨避けもせずに歩いていた。

 俺は全力を尽くした。だが、ギルガメスが死んだ。アリアは狂気に飲まれた。世相は明日にでも魔族との全面戦争が始まりそうな険悪な雰囲気。最悪だ。全てが最悪な方向へと向かってゆく。世界は悪意の塊だ。神という名の悪意の。

 もしこの世界の創造神が目の前に現れたらたとえ殺されると分かっていても俺は切りかかるだろう。絶対にだ。この世界を作った神は人が苦しむのを見て手を叩いて喜ぶ真正のサディストだ。無邪気な悪意に満ちたこの世界はきっと創造神の性格をそのまま反映しているんだ。だからこんなに世界は醜いんだ。


「聞いたか? 西区の悪魔の話?」


「とんでもない美少女らしいな。その容姿で油断させて近づいた男を殺して食っちまうらしいぜ。警戒しつつも好奇心で近付いた男が魅了されてそのまま殺られちまうんだとか。かぁーっ! 人の欲望に漬け込むこのやり口

 、まさに悪魔だねぇ!」


 ろくに舗装されていない土が剥き出しの路上をビチャビチャ歩いていると、店の軒の下で雨宿りをしている男二人組がそんな会話をしているのが聞こえた。悪魔、か。夢を見せてくれて、しかも人思いに殺してくれるだけ神より優しい。そう思った。


 さらに道を歩く。ずぶ濡れの服が体に張り付くが、その不快感が今の俺には丁度良かった。不快な思いをしているんだ。不快な格好をして気持ちに身を合わせるのさ。そしたら不快な状態が当たり前に思えてきて少し楽になる。


 ふと、通りかかった路地裏に、弱りきった生の気配を感じた。きっと孤児か浮浪者だろう。珍しいことではない。俺は通り過ぎようと路地裏から一歩離れた瞬間にUターンして路地裏に入っていた。気づいてしまった不幸を見過ごすのはどうも気が引ける。なに、孤児なら無責任に孤児院に預ければいいし浮浪者なら金を恵んでやればいい。あとは知ったことじゃない。俺はそれ以上面倒は見きれない。そんな無責任で最低なことを考えながら俺は路地裏の奥へと歩を進める。きっと俺は俺の考えを裏切る。そんな確信に等しき予感をいだきながら。経験上、これはそういうパターン。


 俺は路地裏の奥、ゴミ箱の陰を覗き込む。

 そこには、これまで見たことがないくらい美しい少女がいた。

 星をはめ込んだような黄金の瞳。光そのもののような淡くさらさらとした髪。銀雪の如く眩い白さの肌。完璧という言葉さえ不完璧に思えるほど整った造形の肌。魔性の、いや、神性の美しさを少女は宿している。俺は少女を見て確信した。


(この子は高級奴隷だ。おそらく、生まれたときから徹底的に管理されて高級愛玩商品となるためだけの教育を受けたのだろう。普通に生きていてはこうも浮世離れした美しさは手に入らない。そして、いかにも金持ちの好きそうな儚くて弱々しい、幻想的な容姿だ。どういう客に売りさばく予定だったのか容易に想像できるぜ。糞ッ! 無知な幼子を食い物にするゲス共が。殺してやりたいぜ……)


 俺は世界に絶望したかのような暗い瞳をした少女を見てそんなことを思う。そして、出来るだけ少女を安心させるため、普段は使わない勇者の肩書を使ってまで自己紹介をした。


「――弱々しい人の気配がするかと思ったら、やっぱり人がいたか――大丈夫か? 俺の名はマルス。一応、勇者をやっている。怪しいものじゃない」


 俺を見て、驚く少女。そして、何を考えたのか、媚売りなのか、少女はとんでもないことを言い放った。


「ねぇ、マルスたま。私とエッチなことしよ」


 ――その言葉を聞いた瞬間、俺の顔は強張った。少女はひどく失望した目をしていた。それは、男という種に対する失望。男は自分とエッチをすることしか考えていないゴミだと思い込んでいる証拠。性奴隷になるべく育てられたという俺の推測は完全に当たっていた。


 ――許さない。下種共め。どうしてこんな、残酷なことが出来るんだ。こんな見るからに純粋無垢な少女に、どうしてこんな目をさせることができるんだ……!


 俺は、少女の心の奥底に染み付いた固定観念を払い取るべく、ショック療法じみた手段を講じることにした。痛ましくとも、それが、少女の心の闇を祓うには必要なことだと、少女の目を見て確信したからだ。


 俺は、少女の頰を叩いた。


 少女は呆然と俺を見た。全く想定外の反応をされた。少女のまんまるに見開いた瞳にはそう書かれていた。


 それでいい。これで少女の固定観念に歪みが出来た。あとは、その歪を取っ掛かりに少女の固定観念を壊すだけだ。


「二度と俺の前でそんなことを言うな。誰に言わされたか知らないが君がそんなことをする必要はない。もし誰かに言わされたのなら――俺がそいつをぶち殺してお前を自由にしてやるよ」


「――お父さまって、呼んでいい? お父さまとずっと一緒にいたいの」


 俺は思わず涙ぐんだ。少女はきっと父というものに憧れを抱いていたのだ。きっと、幼いこの子には父がいて理不尽にもその命を奪われたに違いない。その父と俺を重ね合わせている。――この子はどれだけ父親という存在を望んでいたのだろう。そして、会ったばかりの俺などに父になってくれと言うなど、どれだけ信用できない男共に囲われ、毎日エッチなことを強要されていたのだろう。

 ――俺にはもう少女の要望を拒否することなど出来なかった。だから、俺は少女の手を強く握って頷いた。


「っ! ああ、好きなように呼べ。今日から俺がお前のお父さんだ。必ずお前を幸せにしてやる。お前を縛った醜悪な輩から俺がお前を永遠に守ってやる」


 俺の言葉を聞いた少女は、僅かに顔を赤らめて、微かに、だが確かに、笑った。


 ――俺は、その笑顔を見た瞬間、永遠にこの少女の笑顔を守ろうと、そう決意した――。


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