ここにいたい
きっと、これまでの製作失敗の数々は、今日この日の成功のためにあったのだ。
このタイミング、この時間での成功、そうすべてはこの時のために----。
砕け散った製作素材の残骸の中、見えはしないが多分そこらに転がってるであろう残骸の中、私は一枚の可憐なドレスを掲げ、勝利の余韻に浸っていた。
製作難易度現在の最高値、集める素材も天候時間制限採集ものや敵ドロップレア素材など鬼仕様。
だがその落ち着いた色合いの中にも、女性らしい華やかさも兼ね備えた、シンプルでも可愛く、セクシーになりすぎないシルエットで大人気の「オーロラドレス・シックバージョン」がついにこの手に…!
普段だったら、どんなドレスも素敵に着こなしてくれて憎たらしいアリスをマネキンにして、じっくりたっぷり二人で鑑賞会をしたりするのだが、今回だけは違う。
私は作ったドレスを、胸を高鳴らせながら装備した。そう、このドレスは、珍しく自分で着るために作ったのだ。
夜を彷彿とさせる色合いのドレスに着替えた私のキャラクター、「アルシエラ」は、黒髪で華やかさ控えめの外見なのだが、それでもドレスをまとった姿は美しいと言えるものだと思った。
ただ、やっぱりそこはドレスだ、普段街で歩き回るような服ではなかった。どうしたものかしばらく悩み、他の候補の服に着替えたり、組み合わせたりしてみる。
オーロラドレスも上着を羽織れば普段着っぽく見えなくも…でもちょっと大人っぽいかな…子供っぽいよりいいかな…。
カメラを思いっきりキャラクターにズームして、いろんな角度から検証し、ああでもない、こうでもないとやっていると、画面の左下に白い文字が浮かぶ。オープンチャットだ。
「あんた、恋してるわね」
画面前で本体が飛び上がるほど驚いた。心臓がきしんで変な音を立てたような気さえした。
慌ててカメラアングルを遠目にしてみると、ギルドハウスの入り口で、アリスが仁王立ちしていた。
…そう、ギルドハウスなのだ。失念していた、ここはギルドハウスなのだ。アリスがいついてもおかしくないのだ。
NPC売り子が売っている製作用素材が、ここにはすべてそろっているから。ただその理由だけでギルドハウスで製作作業を開始してしまったのが運の尽き。
自宅を買って、個人製作ハウスに仕立ててそちらで作業していれば…!今更ながらに悔やまれてならないが、アリスはもう目の前にいるのだ。
服をとっかえひっかえしている自分を見られているのだ。頭が高速で回転する。選んだ言い訳は「すっとぼけ」。
「あ、アリスおはこん~~」
「デートの勝負服選び…例えゲームだろうが着飾るのはキャラクターだろうが、その気持ちは変わらない…わかるわぁ~~」
「アリスも着せ替え大好きだもんね~」
「いいじゃない、オーロラドレス似合ってたわよ。で?相手は誰?」
「えー?そうかなー、そんなにこのドレス高値で売れそうー?」
「あんたたちとお兄様のことで話し合ってから、時間の許す限りゲーム内で張ってたかいがあったわね。
あたしの直感は、ライルと何かあったってささやいてるんだけど、どう?」
「アリスずーっとゲームしてたんだ~」
「ライルの本体には直接会ったの?なに、そこで何かあったの教えなさいよ!
待っててあげたんだからね教えなさいよ!!もちろんお兄様のことも進展があったなら逐一!!」
「あはははは~」
ダメだこいつ、まともに会話する気が全くねェ。
あくまで自分の聞きたいことをぶっこんでくるアリスにあきらめるしかないと感じた私は、早々に白旗を上げた。
「わかった、話す。アリスが全然空気読んでくれないから全部話す」
「ものわかりがいいじゃない、そういうの女には大事よ」
「最高にものわかり悪いふりしてた人に言われたくない」
「昔の話でしょ!!さあ、蒸し返さないで今の話しようじゃない!」
引き延ばすのも無駄な気がして、仕方なくアリスとパーティーを組み、パーティーチャットで会話をすることにした。
まずはシエスタの話から始めた。シエスタの母親と連絡を取り合い、ライルと一緒に病院に会いに行ったこと。それが昨日の話であること。
あまりシエスタ本人の病状を詳しく話すのは気が引けたので、当たり障りのない範囲で話しつつ、最終的にあまりいい形で終わらなかったことも説明する。
「という感じで、私たちは何をしに行ったんだか…という結果になりました。ごめんなさい…」
「うーん…まあそんなもんじゃない?」
「そうかなぁ…」
「あたしからしたら、よくやったと思うわよ。あたしなんか最初っからビビッて何もできなかったんだから。
結果はどうあれ、あんたたちは人のためにがんばったのよ」
「アリス…」
「…まあいい結果に繋がってくれてたら最高だったのはホントだけど、仕方ないわよ、うまくいかないことだってある。
やることはやった、反省することは反省した、なら、後は次に繋げるしかない。これが仕事では鉄則」
「どうしよう…アリスがおねえさまに見える…」
「伊達に25年生きてないわよ!ちったあ身に染みてるのよ。
そんなことはいいの、まずはまあ…あとはお兄様がどう出るかね…」
「怒ってたら、二度と私の前には現れてくれないかもしれない…」
「かもね…。でも、そう考えて暗く落ち込んでても、もう相手次第のことなんだからどうしようもないわ。
信じて待つ、それも大事な、相手への信頼であり、思いやりよ。あたしも待ってみて学んだわ」
「アリスが…あのアリスが思いやりを語ってる…!?」
「あんたもいちいちムカつく言い方するわね。そうよ、あたしが思いやりを語ったわよ、本人も鳥肌立ってるわよ。
でも…、ここんとこホントに、いろいろ考えたのよ…」
「キャラ変わっちゃうからやめよう?」
「何の心配してんのよあんた」
正直、アリスとの軽口の叩き合いは、シエスタのこととライル…藤代の告白のことで高ぶっていた神経を、穏やかにしてくれる効果があった。
心の中でだけこっそりアリスに感謝していると、アリスがなでるのエモートをしてくれる。
「あんたは大丈夫なの?」
「ほんとに中身アリス?」
「きもいとか言ったらここで殺す」
「ごめんなさいアリスですねハイ」
「…お兄様には戻ってきてほしいのはホントだけど、あんたたちにだって無理してほしくないのよ。
…あーもう!確かにらしくないわねあたし。なんか鳥肌止まんないわよ」
「うん、でもありがとう、アリス」
「かーーーーーっ!!!!やめて!!なんか気持ちわるっ!!!
そうだ!!コイバナ!!そっちの話しようよ!!」
思わず画面前で笑ってしまった。でも、アリスにも心配させていたのはよくわかった。
ここは彼女の提案に乗ってあげてもいいような気がしたが、その途端、藤代の顔が思い出される。
告白の時の赤い顔。自分の顔が熱を持っていくのがわかる。とても人様に簡単に語れるような気がしない。
戸惑って返事をできないでいると、話題を転換したかったアリスは、私の返事を待たずに話を続けた。
「そうそうあたしの話!!聞いてよ!!
実はあんたたちと話した後、私にも急展開があってさ!職場の同僚に告白されちゃったの!!!」
「え?!まじで!?!?!?」
「マジマジ!!でもさぁそいつ、なんとバリバリのオタ芸型アイドルファンやってること、誰にも隠さずオープンにしちゃってるようなやつでさぁ…。
仕事はできんのよ、顔もいいのよ、だけどどう思う?!アリかな、ナシかな…」
「返事保留なんだ?」
「あったりまえでしょ!!自分の人生かかってる話なのよ!?簡単に即決なんかしちゃダメよ!!
それにあたしにはまだまだお兄様への想いがたくさん残ってたし…。
…まあ、恋としては、何も実らない話にはなっちゃったけどさ…」
「シエスタさんのこと、すっごい語ってたもんね…」
「大好きだもの!!当然よ!!!
…でもさ、なんかこう、あたしのやってたことって、相手への理想像を膨らませてただけって感じなのかなって…。
好きは好きだけど、一方的で片思いで、独りよがりってやつ、だったのかなぁ…とかね」
「ほんとに中身アリス?」
「殺す」
「人ってこんな短期間で変われるものなんだね…」
「あんた知らないの?恋は人を変えるなんて常識なのよ?
…まあ、悪く変わっちゃうこともあるんだけどさ」
「アリスがいい例だね」
「マジで殺す」
アリスから怒りのエモートをいただいた。この後一対一のPVPを申し込まれて、あのデカい斧で頭をかち割られそうだ。
そんなことを考えていたが、当の本人からはその後特にリアクションがない。これだけ煽られて乗らないとは、少し心配になる。
「どうしたのアリス?ほんとにいつもの元気ないね」
「…ねえシエラ。あんただから話すんだけどさ」
「ん?」
「顔も名前も性別も知らない相手に、あんだけ理想の恋を語ってたあたしだったのにさ。
リアルの世界でもらう「好き」はさ、なんかこう、すっごい破壊力で…。
顔も名前も性別も見えるリアルの相手と、キャラと言葉しか知らないオンラインの相手…。
…なんか、オンラインで積み上げた恋の理想は、リアルのたった一言に負けちゃうようなものだったのかなぁとかさ…」
「アリス…」
「お兄様のことこんなにも好きなのに、なんか、違うのかなって思い始めちゃって、悔しい、っていうか…。
お兄様は本体は女性なんだから、違っていいんだ、正しい、っていうか…。
なんか、よくわかんないんだけど、あたしはサイテーだな、って気分になったりもしちゃってさ…」
「…アリスはシエスタさんのこと、真剣に好きでいたかったんだね」
「うん…。正直、その気持ちをぽいっと捨てて、目の前の掴める恋に走った方がお得なんだろうなとは思うけど、あたし…」
「簡単に割り切れなくていいと思う。「好き」は本当に、不確かで難しいものだなって思うから…」
「あら実感こもってるわねぇ?」
はっ、としたがもう遅かった。すでにアリスの目は、しょんぼり小動物から獲物を目の前にした肉食獣のそれになっていた。気がした。
「語りなさいよっ…!!「好き」が難しいって思ったその出来事を…!!
ライルの本体と何かあったの?!何があったの!?そこんとこ詳しく!!!
あたしの萎えモードが吹っ飛ぶくらい語れぇぇぇぇ!!!!」
あああ面倒なものに火をつけてしまった。心の底から自分の一言を悔やんだ。
アリス自身も散々語った後だし、私がここで逃げたりごまかしたりは、きっと許してくれないだろう。
仕方ない、腹をくくるか。そう思い、話し始めようとした時だった。
アリスがふと、キャラの視線を明後日の方に向けた。ギルドハウス入り口の方である。
誰か来たのか?と私もカメラを動かした。ドアの前に女の子が立っている。見たことのないキャラクターだ。
うちのギルドハウスは基本誰でも入れるように設定している。ハウス見学か、ギルドに入りたいという人が来たのかもしれない。
「ギルド入部希望者ー?」
アリスが声をかける。女の子は微動だにせず、返事もすることのないまま、移動魔法で出て行ってしまった。
「何あれ?」
アリスが不思議がっているが、今は説明できない。
一刻も早く、行かなければ。
ささやきはフレンド登録していないと、遠くにいる場合相手にメッセージを飛ばせない。
だから直接会いに来たのだ。キャラをターゲットしてささやきを送るために。
私は適当に組み合わせていた装備を、急いで普段の裁縫師セットに整えると、アリスにごめんのエモートで謝罪した。
「ごめん!用事ができた、行かなきゃ!!コイバナはまた後で!!」
「えっ?!ちょ、何急に、さっきの子??」
「ごめん埋め合わせするから!!」
「シエラ?!」
私は一方的に会話を切ると、アリスとのパーティーを解散した。
慌てふためいているであろうアリスを置いて、ハウスを急いで出る。外に出て移動魔法の存在を思い出した。
魔法を唱えながら、ついさっき、あの見知らぬ女の子から送られてきたささやきの文を一瞥する。
「アリスには秘密にして来てほしい。私はシエスタ。詳しくは「
緊張が一気に背筋を駆け上った。コントローラーを握る手が湿り、震え始めるのを感じていた。
紫幻花の花畑は、名前の通り紫の花が一面に咲いている場所である。
とてもきれいなところなのだが、ここはメインストーリーのNPC…物語上のキャラクターが、主人公である自分を守るために、命を落とした場所なのだ。
とても人気のあるキャラクターだったので、ファンは相当悲しんだと聞いた。それもあってか、後にサブクエストで墓標を立てるイベントが追加された。
その墓標のせいなのか、彼を静かに眠らせてあげたいと思うファン心のせいなのか、ここはいつも人がおらず、閑散としていた。
それを見越してここに呼んだのだろう。彼女が本物なら、さすがはシエスタ、といったところだ。
墓標のそばに、ギルドハウスで見た女の子が立っていた。長い栗毛をポニーテールにしている、少しそばかすのある女の子だ。
私はゆっくり彼女に近づいて、ささやきを使って話しかけた。
「こんにちは」
「こんにちは、シエラさん。突然ごめんね、来てくれてありがとう」
「…疑って悪いんだけど、本当に本物?」
「持ってきてくれたお土産はティーバッグ。はちみつ入りの紅茶と、レモングラスのハーブティー」
「…本当に、シエスタさんなんだ…」
「とりあえず、墓標の周りからは離れよう。イベントで来る人がいるかもしれないから。
こっち、ついてきてください」
シエスタ…と呼んでいいのか戸惑って初めて、その女性のキャラクターの名前が目に入った。
「Sora」、ソラ…空だろうか?ポニーテールの女性の名前は、ソラだとわかった。
ソラは迷いなく歩を進め、花畑の隅の岩場、全く人がこないところまで私を誘導した。
岩陰に座ると、眼下は崖なので花は楽しめなくなるが、高台なので空が大きく見えて見晴らしがいい。
ちょこん、と二人で膝を抱えて座り、会話のきっかけを探った。
だが、何から聞いたものか本当に言葉が出てこない。まずは謝りたかったが、いきなりそれもおかしい。
戸惑っていると、急にアイテムのトレード画面が開いた。中に一つ、移動速度アップキャンディが現れる。
受け取ると、ソラにエモートで微笑まれた。
「いつもワンパターンでごめんね。ここでは紅茶出せないから、飴で」
「ううん、ありがとう。あの、私本当にごめんなさい、あの時常識が欠けてて」
「…その話はもうちょっと後でいい?先にこの子の話、していいかな?」
「この子?…ソラの?」
「うん」
ソラからのパーティー申請が来た。OKを押して、チャットをパーティーモードに切り替える。
それを確認してから、ソラは視線を前方、空の彼方に向けると、ぽつりぽつりと語り始めた。
「「ソラ」は、私が本体に似せて作った、一番最初のキャラクターなんだ。
髪も長くて、そばかすもあって…結構、思い入れがあるの。
だからこの子でメインストーリーも結構進めてて…ここに来れるのもそのおかげ。
だけどね…、私、ソラだとどうしてもギルドに入れなかったの。
リアルの私は、がんばったおかげでスタイルもよかったし、そばかすはお化粧で隠せるから、見た目には結構自信があった。
でもゲームの世界だと、それが反映されないことに気付いてなかった。自分のキャラに丁寧にそばかすまで作ってしまってた。
途端に、ゲームの中の「ソラ」に、自信が持てなくなってしまって…。
フレンドだってたくさん作りたかったけど、この子だとうまく話せなかったの…。
だから私は、完璧な理想の姿として、「シエスタ」を作った」
「シエスタさ…えっと、ソラさん、って呼んだ方がいいのかな?」
「こっちの姿の時は、ソラって呼んでもらえると、助かるかな」
「うん、わかった」
「…シエスタになってからは、何もかもがうまくいったよ…。自分を飾るのはリアルでも得意だったから、「俺」って一人称も何も苦じゃなかった。
完璧な理想の姿…。こっちの世界でも、結局それに頼るしかできなくって、でもそのうしろめたさよりも、ゲームの中での楽しさ、喜びの方が大きくて、何も気にならなかった。
前のギルドが崩壊するまでは…」
シエスタ…ソラの過去を、私は黙って聞いていた。きっとこんなことを話すのは初めてだろう。
苦しいだろうな…そう思いつつ、私は余計なことをしないで話に集中した。
「…ギルドが崩壊した時、良くなってた本体の症状が悪化した。いいところで保ててた体形のことが、すごく気になりだして、痩せることへの執着がまた始まったの。
食べては吐いて、吐くのが嫌だから食べることをやめても、結局お腹も空くし、限界ギリギリで爆食しちゃって、後悔して吐いて…。
でも痩せていく自分のことはうれしく思えて、SNSへの投稿もやめられなかった。いいねがつくと満たされる気がしたの。
大学生活は体力もなくなって、すごく無理して行ってた。それも長く続かなかったけど…。
同じクラスの人に「見た目ヤバいよ?」って言われてから、誰も彼もが自分の噂をしているような気がして、気が狂いそうで、大学に通えなくなって…。
私を支えてくれるのはもう、ゲームの世界しかなかった。
ギルドがなくなっても、もう楽しいことが何もなくなっても、私は「完璧なシエスタ」を手放せなくなってた」
ソラの視線が私に向けられる。私は頷くのエモートをして、話の先を促した。
「ごめんね、こんな話、聞いてもらっちゃって…。
…そういえば、そんなこと、レヴォルグさんにも言ったなぁ…。あの人すごく聞き上手でさ…。
つい、一回だけ電話までして聞いてもらっちゃって。思えば、その番号をシエラさんたちが聞いたんだよね」
「ごめんなさい…勝手なことして」
「ううん…いや、うん。それは、後で話すね。
悪いんだけど、もうちょっと私の話、聞いてくれないかな…。今なら、あなたになら、全部話せそうなんだ」
「うん…わかった」
「あなたも…聞き上手だよね。ありがとう。
レヴォルグさんが年上だったからかな、結構その時のこといろいろ話せて…私も何とか少し安定を取り戻せたの。
そんな時出会ったのがアリスなんだ。
…さっき、アリスには秘密にして、って言ったでしょ。アリスはすごく「シエスタ」のこと、好きになってくれてね…。
いつでもシエスタを慕ってくれるあの子には、すごく助けられた…。それと同時に、あの子には「ソラ」や本体のことは…知ってほしくない、って思った。
アリスにはずっと、完璧なシエスタを、見ていてほしかった…」
「…ごめんなさい、私、さっき未来さんのこととか、シエスタさんの本当のこと、アリスに…」
「うん、それはもう、いいの。
ずっとアリスの憧れでいたいっていうのはさ、ただの私のエゴなんだよね。
完璧なシエスタ…私に、「完璧です!」って言ってくれる人…。その関係に、酔ってたのかもしれない。
そういえば、アリスもあなたたちに出会ってからずいぶん変わった…。何ていうか、人間味がすごく出てきたっていうか…。
私といたときには見せなかった姿が見れるようになって、アリスの人間性が垣間見れるようになって、初めて気づいたの。
私は、アリスの心を利用してた。アリスを見くびってたんだって」
ソラが再び、視線を空の彼方へ向ける。
「アリスには…悪いことをしたと思う。いつか謝りたい。でも…今はまだ、無理なんだ。
今はまだ、自分の罪に向き合えなくて…」
「大丈夫だと思う。アリスは…アリスは待ってくれるよ」
「…ありがとう。あ、ちょっと待って」
しばらく会話が途切れた。多分リアルで何かあったのだろう、おとなしく待つことにした。
数分待つと、ソラの視線がこちらを向く。戻ってきたようだ。
「ごめん、お待たせ」
「大丈夫?そういえば、未来さん今どこにいるの?ゲームできるってことは…自宅?」
「ううん、病院。ノートパソコン、お母さんに頼んで持ってきてもらったの。
病院のWi-Fi使って接続してる。ここの病院、そういうとこもサービスいいんだよね」
「そうなんだ…。そういえば、お母さん大丈夫?体調崩したりしてないかな」
「あ、それは大丈夫。そうだね、じゃあ母のこととか昨日のこと、少し話していこうか」
「うん、わかった」
知らずのうちに深呼吸していた。今は和んだ空気だが、罵倒されるかもしれない、その可能性に少し、身構えた。
「…昨日は、お母さんから話を聞いた時、本当に驚いたよ。
何も知らないところで話が進んでて、突然来ます、なんて言われてもね」
「本当にごめんなさい…。私たちも、舞い上がってたと思う」
「ううん、そこはうちの母が悪かったんだと思う。ショートメッセージのやり取りの文面も見せてもらったから。
…母も私のせいで、追い詰められてたんだと思う。あなたたちにも迷惑をかけたことは謝ります。ごめんなさい」
「いえ、私たちはそんな…」
「でもそれはそれ。本人に何も知らせずこんな計画を企てたあなたたちにも問題はあると思う」
「はい、ごめんなさい…」
「…ほんとはね、すごい怒ってたの、私。体力があったら暴れたかったくらい。
完璧なシエスタの知られたくない部分、本体の私を暴いたこと。母にも、あなたたちにも心の底から怒ってた。
ゲームの中でも縁を切ろうと思ってた。だけどまずは、目の前にいる人、母から怒ったの。怒鳴って怒鳴って、力尽きてベッドに倒れてからも罵倒した。
…でもね、母は泣かなかったの。今までずっと泣き通しで、背中を丸めてこの世の終わりみたいな顔してた人が、背筋も伸ばしてぴんぴんしてるの。
最初から最後まで私の話を聞いて、泣いて遮ったりしなかった。初めてのことだったの。
…実はね、今も、私の隣でこの会話を見てるのよ」
「えっ?!だ、大丈夫なの…??」
「大丈夫よ、ありがとう。
…私ね、初めてお母さんが、私から目を逸らさずに、向き合ってくれた気がしたの。
それから一晩中、いろんなことを話した。母の前で泣いて泣いて、全部話して、恥ずかしい話だけど、一緒にベッドで眠ったの。すごく温かかった。
そして今朝起きて気づいたの。母が変わったのは、きっとあなたたちが来てくれたおかげなんだろうな、って。
母も、すごく心細い思いをして、追い詰められてて、誰かに話したかったんだろうなって…」
「そうだったんだ…」
「…母を見て、話して、私の気持ちも変わったの。
怒りはすっかりなくなって、二人が遠くまで会いに来てくれたこと、すごいことしてくれたんだって、思えた。
今までがあって、今がある。出会えてよかった、そう言ってくれた二人の気持ちが、すっと染み込んだの。
今は心から感謝が伝えられる。…ありがとう、紗耶さん。…そう呼んでいい?」
「うん、ありがとう、うれしいよ…」
「あ!そうだ、今朝ね、もらったお茶、飲んでみたの!」
「え?!体大丈夫…?」
「うん、えっと実は…飲んだ、というより、舐めた、なんだけど…。
レモングラスのハーブティー、すっごくいい香りで…淹れてもらった時、しばらくアロマみたいに香りを嗅いでたくらいなの。
ほんの少しだけど、飲んでもみたの。さっぱりしたいい味わいだった…」
「それ選んだのライルさんなの。聞いたら喜ぶよきっと」
「そうなの?私からも言うつもりだけど、よかったらお礼、伝えておいてくれると嬉しいな」
「うん、わかった、伝えるね!」
「もう一つのはちみつ入りの紅茶なんだけど…、やっぱりどうしても体重に関わる甘いものは怖くて…はちみつ入りって聞いた時、紅茶の方はダメかなって思ったの…」
「ごめん…それ選んだの私…。配慮足りなかったね…」
「ううん、気持ちがうれしいと思えたから…それにね、お母さんに飲んでもらおうと思って淹れてもらったんだけど、色と香りがとても魅力的で…。
実家にいた時は紅茶の時間があったんだけど、一人暮らししてから紅茶なんてほとんど飲んでなかったから…なんだか懐かしくなって。
少しだけ、飲んでみたくなって、お母さんにお願いして一口だけいただいたの」
「大丈夫だった…?」
「うん、自分でもビックリしたんだけど、おいしいと思ったの…。
甘いけど、深みのある紅茶の味わい…すごく、おいしいと思った…。「おいしい」って感じたの、すごく久しぶりだったの。涙が出た」
「よかった…!」
その言葉を聞いて、私の方が涙が出る思いだった。
よかった、あの時込めた気持ちが、伝わったんだ。私は感動で胸が苦しくなるのを感じた。
「…私、この「おいしい」を取り戻したいと思えたの。あなたの選んでくれた紅茶のおかげで…。
だから、これからリハビリと食事療法、がんばろうと思う。
いつか…元気になったら、その時は…」
「…未来さん?」
「…ううん、まだちょっと、勇気でないや…。その時が来たら、聞いてくれる?」
「うん、待ってる。
待つことも信頼の証であり、思いやりだ、ってアリスも言ってたよ」
「え?それ中身本当にアリス?」
「だよねー思うよねーーー」
二人で大笑いのエモートをした。未来に似たソラと、私に似たアルシエラが、口を開けて笑い合っている。
いろんな想いを経て辿り着いたこの景色に、画面前の私も、笑いながら泣いていた。
話が終わると、未来はまだ本格的なゲームプレイはできる気がしないとのことで、ログアウトすると伝えられた。
「いつか必ず…シエスタ、ひょっとしたら、ソラの姿で…戻ってくるかもしれない。
がんばるから、待っていて…とアリスにも伝えてください」
「うん、ちゃんと伝えるね」
「ありがとう…紗耶さん。あなたの名前、忘れないから」
近隣の町に魔法で移動した後、互いに手を振るのエモートをして別れを告げ、ソラのログアウトを見守った。
しばらく会話の余韻に浸り、静かにしていた私のもとに、フレンド欄からのささやきが入る。
「終わったのー?」
アリスだった。フレンド欄から私のパーティーが解散したのを知ったのだろう、しばらく待ってから話しかけてきたみたいだ。
「アリス、ごめんねさっきは途中で」
「いいよ、埋め合わせしてくれるんでしょー?」
「あ、うん、まだギルドハウスにいる?」
「いいからー、今から言う座標にオーロラドレス着て来い」
「は?なんでドレス?」
「四の五の言うな。いいから早く来んのよ!?」
よくわからないが、それが埋め合わせになるなら、と軽い気持ちでドレスに着替え、座標近くの街に移動しようとして気づいた。
座標は街の中だった。
その街は文明の発展した帝都で、基本石造りの豪華な街並みに、上品な貴族風の服をまとったNPCが住んでいる。
ちょうど夜になり、ガス灯の街灯が灯り、雰囲気は大人の街といった風情になった。
私はドレスを着て歩いていたけど、違和感がなかったことに驚いた。場所さえ選べば、この服は普通に着れるのかもしれない。
座標の場所は、その街で唯一海が見える場所、船が出入りする港だった。
埠頭付近に小さな公園のようなものがあり、座標の場所は、ベンチと明るい街灯が設置されていた。
なんでアリスはこんなところを指定したんだろう、なんて考えながら、気楽にベンチに近づく。そこには人影があった。
人影は、特徴的なツインテールではない。アリスったらまた髪型変えたのかなと思ったが、シルエットが何だかおかしい気がする。
近づくにつれ、影は色を持ち、その色合いは相手が男性体であることを表し、さらにそれが見知った人であることに気付く。
気づいた時には遅かった。
「シエラさん…!」
相手はカーライルだった。アリスにはめられたことより何より、オーロラドレスを着てきてしまった、そのことだけで頭がいっぱいだった。
そこでグッドタイミングにささやきの一文が入る。
「にひひひひひひーーーーっ、ごゆっくりー☆」
何をゆっくりするんじゃああああああ!!!!と、画面前で叫ぶのを必死に堪えた。ご近所迷惑は控えましょう。
だがアリスにささやきを打ち返している余裕はない。急いでドレスを普段着に着替えようとステータス画面を開いたが、ここでいきなり着替えるのも変かと戸惑い、頭を抱える。
カーライルはいつもの戦闘服ではなく、普段着だった。でも今まで見たことのある、ボーイッシュな装いではなく、どこか小綺麗な、大人の男性の服装だった。
これもきっとアリスの指定なのだろう。やめろ、これ以上意識させるな、頭が破裂しそうなくらい、いっぱいいっぱいになる。
これではまるで本当に ----
「デート、してこいって、アリスに言われてきたんですけど…」
にあああああああーーー!!!!言うなぁぁぁ!!!!その単語を発するなーーー!!!!!!
「シエラさん、シックバージョンのオーロラドレス作ったんですね!すごく美しい…似合ってます!」
にょえええぇぇぇぇぇぇーーーー!!!!言うなぁぁぁぁぁ!!!!似合うだろうと思ったから作ったけど面と向かって言うなぁぁぁぁぁーーー!!!!
画面前本体、身もだえて撃沈。でも画面内のキャラクターには何も反映されてません。
「…あの、シエラさん?」
このままカーライルを放っておくわけにもいかないので、ぶるっぶる震える指先で、何度となく誤打しながら文字を打ち込んでいく。
「ありがとう。ありがとう。はずかしい」
小学校一年生でももっとマシな文章が書けるだろう、というような返事をしてしまった。
ドレスを着ているのはキャラクター、あくまでキャラクターなのに、なぜこんなに恥ずかしいんだろう、不思議に思いつつも本体の頬は熱を持っていた。
意識しすぎている。藤代の赤い顔と告白を思い出してしまう。駅中ダッシュを思い出してしまう。ちっとも落ち着けなかった。
しばらく間が開いた後、カーライルがぽつりとつぶやく。
「はずかしい、俺も。でも、ありがとう」
さっきの私の言葉を組み替えただけのような返事を返すと、エモートで頭を撫でてきた。
カメラをズームし、画面に大きくカーライルとアルシエラが映るように調節する。街灯に照らされた二人は、あたたかな色合いの光に照らされ、微笑み合っているようだった。
本体の心臓が、胸が高鳴るのを感じた。画面の中のカーライルに、藤代の面影が重なる。
「俺と、デートしてくれませんか…?シエラさん」
断る理由はどこを探しても見当たらなかった。
「…あの、私でよかったら、喜んで…」
キスのエモートがあったら、使いどころはここだっただろう。
二つの影は距離を詰め、重なるように、抱き合うように寄り添った。
「…で?」
「で??」
「…」
「あっはっは!」
込めた怒りのままに、最強の返し文句「で」を使ってみたが、言われた本人であるカーライルからは返事らしい返事がない。
視線も合わせず、明後日の方を向いている。気まずいのだろうが、そんなのこっちの知ったこっちゃない。
強ボスダンジョン入り口まで呼び集められた一人のアリスが、怒りエモートを連発しながら、カーライルを問い詰め始めた。
「で、なぁんであたしがあそこまでお膳立てしたデートを中断して、ライルもシエラも普段着で、こぉんなところに呼び出したりしてくれやがってるんでしょうねぇ?」
「…いや、あの、これもデートの一環というか、延長というか…」
しどろもどろで答えるカーライル。本体の焦りと戸惑いが手に取るようにわかる文面だったが知ったこっちゃない。
「あぁん!?なぁんでデートで強ボス攻略とかしようとしてくれやがってんですかねぇ?!」
「アリス…その言葉遣い、なんか怖いから…」
「怖くしようとして使ってんのよ!!いいから答えろ!!」
追い詰められたカーライルが、この場に集められた一人であるマスター、レヴォルグに視線を向ける。
同じ男として、年上で先輩にあたるレヴォルグに頼ろうとするのは間違っていない。だがお前の心細い心境なんか私は知ったこっちゃない。
レヴォルグはエモートでカーライルに微笑むと、お手上げのエモートをしてから言い放つ。
「ま、がんばれ色男」
「見捨てないでえええええ!!!!!」
「場合によってはシエラにだって見捨てられるわよ、あんた」
「みsyてnideeeeee!!!!!!」
ついに土下座を始める色男。いや、色男とは何なのか。
腕組みのエモートのまま、微動だにしない私に、視線を合わせることもできないカーライルを、画面越しからも睨む。
カーライルは冷や汗のエモートを連発し、また土下座をしてから口を開く。
「…あと何したらいいかわかんなくって…」
「はぁ?!あんたそれでも男なの!?」
「男だよ!!男だけどわかんないこといっぱいだよ!!
港で二人でいい服着て会って、いい雰囲気になったあとみんなはいつもどうしてるんだよ~~!!!!」
雄叫びのエモートを使った後、カーライルはばったりと地面に倒れた。お前、キャラ動かしてる余裕があるとは大したもんだな。
「どう、って…」
「そういやぁオンラインゲームだもんなぁ。食事行ったり映画見たりするわけにはいかねぇか」
アリスとレヴォルグが呟いた内容に、がばっと起き上がったカーライルが食いつく。
「でしょう!?でしょう!?!?!?
雰囲気出来上がっても何したらいいかわかんなくて、強ボス攻略に走った俺何も悪くないよね?!」
「あんたそれで何であたしたち呼ぶの?」
「強ボス攻略だから4人…」
「複数になったら二人の雰囲気も何もあったもんじゃねぇじゃん。事実上デート中断で、シエラがかわいそうとは思わなかったのかよ」
「…二人だと間が持たないかなって…」
結局二人からも責められるような雰囲気になって、いたたまれなくなったカーライルは、ついに私に視線を向けてきた。
腕組みのまま、これまで「で」以外一言も発していなかった私に、3人分の視線が集まる。
私は口を開いた。
「…私から言えることはただ一つ…」
ごくり。聞こえたわけではないが、目の前のカーライルが唾を飲み込んで反応を伺っているように感じる。
私は真っ直ぐカーライルに視線を合わせ、呟く。
「ライルさん」
「…はい」
「DT」
「ぐああああぁぁぁぁぁおおおおあぁおあおぉぉぉぉぁぁぁぁぁあああああああああぁぁぁ」
カーライルは絶叫を上げて地面に倒れた。
小娘が放つにはドキドキする言葉を使って攻めてみたのだが、こうかはばつぐんだ。カーライルに起き上がる気配がない。
「あはははははははは!!!!!シエラよく言った!!!!スカッとした!!!!」
「こりゃ撃沈だなー、しばらく生き返らねぇぞライルのやつ」
アリスとレヴォルグは大笑いのエモートをして、私に拍手してくれた。ウケたのはよかったが、私は釈然としない。
ゲームとはいえ、人生で初めてデートに誘われたのに。人生で初めての雰囲気だったのに。人生で初めての勝負服だったのに。
思い返したら恨みが募った。
「DT」
「ぐはっ」
「DTDT」
「ぐおふっ」
「DTDTDTDT」
「シエラさんっ、マジやめてマジきついマジ死んじゃううううう」
「あっはははははははははははは!!!!!!!!」
「がんばれDT色男~~~~~」
カーライルに追撃を加えているときの気分は、夏の死にかけのセミにちょっかいを出しているときのそれに似ていた。
少しうっぷんの晴れた私は、ここに来る前に着替えてしまった普段着から、ヒーラー用の装備に着替え、さらにそれの見た目をオーロラドレスに変更する。
「あれ?シエラどうしたの?」
「攻略、するんでしょ?私のことはオーロラヒーラーとお呼び」
「あっはっは!!!!いいねぇ、やる気じゃねぇか」
「呼ばない奴にヒールはやらん」
がばっとカーライルが起き上がった。と同時に流れるように土下座エモートに移行、額を地面にこすりつけた。
「オーロラヒーラーさまあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
仕方ないので1ヒールしてやる。起き上がったカーライルは泣くのエモートをして見せた。
「ということで、私ヒーラーやります」
「あたしアタッカー、弓やりたい!」
「俺もアタッカーで拳闘士かな、ライルタンクでいいか?」
「DTタンクやらせていただきまあああぁぁす!!!!!」
「自分でいじりだしたぞ。こりゃ重症だな」
「好きにやらせときゃいいわよ、ねぇオーロラヒーラー様?」
「ヒールが欲しけりゃ言ってみな」
「オーロラヒーラーさまああああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
本日の強ボス攻略、私のヒールは大いにはかどった。
アクションのたびにヒラリヒラリと舞うオーロラドレス・シックバージョンは、その日以降、私のヒーラー専用ドレスになってしまった。
可憐な勝負服だったのになぁ…。残念で楽しい思い出である。
初デート?:本文挿絵
https://kakuyomu.jp/users/wanajona/news/16817330660794610220
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