現実世界のきみに
「こうこうせえっ?!?!」
「声が大きい!電車の中でしょ!!」
私たちは焦ってお互い口を手で覆い、背を丸めて辺りをうかがう。
藤代のあげた大声に振り向く人はいたが、3秒もすると自分の手の中のスマホに視線を戻していった。
ここは都心の在来線の中。車内の誰かへの興味関心なんて、各々の持つスマホの情報量に簡単に負けてしまうのだ。
二人で一安心しつつ、声を潜めて話を続けた。
「生島さん、高校生って何年生ですか?差し支えなければ年齢も…」
「高3。年は18。お願いだからもう大声はやめてね」
「はい、すみません…」
「あとその敬語?丁寧語?はどうしたの?最近とれたんじゃなかったの?」
「いや、実物を前にすると自然に…」
「しゃべりづらいんだけど…」
「すみ…ごめん、その、心がけ、ま、す…?」
頬をかきながら視線を明後日の方向に逸らしつつ答える藤代。良くも悪くも根が真面目な人だ。
私は軽くため息をついた。少し先が思いやられる。
藤代が戸惑いながらも、小さな声で話しかけてきた。
「あの…、高3って、受験大丈夫ですか?
今ってわりと追い込みの時期だと思うんですけど…。
あ、それとも就職…」
「丁寧語」
「すみ…ごめ…はい…」
「…うちは私立校なの。高校合格すればあとは大学まで内部テストで行けちゃうから。
だからこの時期でも時間に融通が利くの」
「なるほど…!すみ…ごめん、その可能性頭から抜け落ちてた」
「藤代さんは大学は受験したの?」
「あ、うん。高校も大学も受験、全部国公立かな」
「へぇ…頭いいんだなぁ」
「いや…どうだろ?税務署職員採用試験はすごくがんばったけど…」
「…国家公務員なんだ」
驚いた。本当に頭のいい人なんだ。
普段の言動からは想像できなかった藤代の職種に、思わず感嘆のため息を漏らす。
「いや、でもまあ、地方…田舎だからね。
すごいかどうかはわからないけど、真面目に働いてます、はい」
「仕事、大丈夫だったの?」
「あと一か月後だとわからなかったけど、今は落ち着いてる時期かな。
それに繁忙期でも休日出勤はないし、動けないことはないよ」
「今日がちょうど土曜日でよかった…」
「本当にね。あ、ちなみに年は23です」
「まだ働き始めてほやほや…?」
「まだまだ繁忙期が怖くて仕方ない若造です」
ニカッと藤代が笑顔を見せた。歯を見せた笑い方にカーライルの面影が重なり、少し安堵する。
こちらだって緊張していないわけではないのだ。むしろガチガチだった。
だからこそ、同じくガチガチな藤代が見せたおどけた姿に、心がほぐれるのを感じた。
目的地までの電車内、私たちはぽつぽつとお互いのリアルの情報を共有していった。
ゲームの中で、未来にリアルで会いに行く気持ちを固めた次の日、私は藤代からの連絡を待った。
自分から話しかけるのはとても勇気がいるから、相手の出方に任せたのだ。
それが良くなかった。
朝、身支度をしながらそわそわ、授業を受けながらそわそわ、休み時間もそわそわ、お昼を食べながらそわそわ。
下校時間にはもうイライラしていた。そして結局いつもゲームにログインする時間になって、ようやく通話アプリに「こんばんは」とメッセージが来た。
「遅い」
そう返した途端、ごめんなさいスタンプの連打画面が、ばーーっと流れていく。
今ならわかる。彼は普通に仕事してただけなんだ。しかも寝不足で。
悪くない、悪くないんだけど、謝ってくれると調子に乗って、いい気分になってしまう私はお子様だ。
「待たせた罰です。一緒にシエスタさんのお母さんへ送る文面を考えなさい」
「喜んでっ!!!!!!!!!!!!!!」
なんとなく画面向こうで尻尾を振りまくっている藤代=カーライルの図が頭に浮かんで、吹き出すのを必死にこらえた。
気を取り直し、咳ばらいを一つしてから、メッセージを綴っていく。
まず、こちらは会いに行こうと思っていること、現在のシエスタ=未来の状況について、行くならいつがいいか、そのくらいだろうか、と提案してみる。
十分だ、まずはやりとりをしてみよう、ということになり、早速未来の母親にメッセージを送ってみる。
だがすぐに反応はなかった。それに少しホッとする。
昨日はきっと娘のスマホを肌身離さず持っていた。それだけ何か緊急性があったのだろう。
それが今は少しは緩和した、と考えていいのではないだろうか。
そこまで考えてハッとする。緊急?娘のスマホを母親が持つほどの?
昨日は驚いてそれどころじゃなかったけど、いったいどのくらい未来の容体は悪いのだろう。
今更ながらそんなことを思っていると、スマホにショートメッセージが来たことを知らせる音が鳴った。
シエスタ…未来の母親だった。
本人にスマホを返さなくていいのか気になったが、こちらがそれを聞く前に、メッセージはどんどん追加されていった。
会いに行こうと思っている、というのがよほど喜ばれたのだろう、軽率なほどに、未来の母親は状況を教えてくれた。
未来自身の住まいは東京都心。病院もその範囲らしい。
元々は都内の大学に通い、一人暮らしをしていたが、親が気づいて入院させた時には、骨と皮だけのようにガリガリに痩せて歩行もままならない状態だったらしい。
摂食障害。彼女は拒食症だった。
調べたところ、数か月前までダイエット動画をSNSにアップしていたことがわかったようだ。彼女は痩せることに固執していた。
未来の母親曰く、昔から人に良く見られようと、完璧な自分を演じる癖があったらしい。外見から、内面に至るまで。
その完璧のために体調を崩すこともあったが、高校時代は安定していたので、もう克服したのだと思っていたそうだ。
自分がもっとしっかりしていれば。そんな一文が送られてきた。そこから連続で母親の心境が語られる。
「恥ずかしながら、私は娘がここに至るまでの心情を何も知りませんし、わかりません。
娘は私にも完璧な姿で接していたようで、その内面まで気にかけてあげることができていませんでした。
何もわからないまま、誰かから娘に連絡はこないのか、そんな思いで彼女のスマホを握り締め、私は一人、娘を失うかもしれない恐怖に震えていました。
そんな時、あなたから娘を心配する連絡が来たのです」
相当不安を抱えていたのだろう。メッセージは一気に来た。
藁にもすがる思い…未来の母親がそう言っていたのを思い出した。察するに、他の誰からも未来に連絡はなかったのだろう。
「本当は、娘に黙ってこんなやり取りをしていることが、正しいのかどうかもわかっていません。
後で怒られるかもしれません。口を利いてもらえなくなるかもしれません。でも、それでも、失うよりいいんです」
未来の母親の気持ちが染み込む。彼女のそれに比べたら、ほんの少しかもしれないけど、その気持ちがわかるからだ。
失わないために、会うことを選んだ。
ただ、正しいかは、やってみないとわからない。
真っ暗闇の中を、手探りで歩くような不安感だった。
私はなるべく、聞いていることをアピールできる言葉以外は返信せず、未来の母親が話すのに任せていた。
未来はSNSでダイエット報告をしていたことなどから、今スマホを渡すと全くの他人が発する余計な刺激を強く受け取ってしまう可能性もあるため、医師からスマホを禁じられているそうだ。
ただ友人の面会は禁じられていないらしい。
顔も知らないのに友人面していいのかわからないが、私たちはその枠で面会を許されるそうだ。
未来が入院してからもうだいぶ経つのに、あまり言葉が交わせないままで行き詰まっているらしく、私たちは何らかの薬になるか、毒になるか、というところのようだった。
先日、未来の母親が取り乱したメッセージを返信したのは、その日未来の容体が急変し、一時は危なかったためらしい。
今は落ち着いているが、もしよければ一刻も早く、会いに来てもらえれば、とのことだった。
私はそこで初めて、私ともう一人の男性と一緒に行く予定であることを伝えた。共にゲーム仲間であることも。
彼と相談して、行く日取りを決めたらもう一度連絡します、と言って未来の母親との会話を終えた。
途端どっと体の疲れが増した。あまりに重い話すぎて、足を突っ込んだことを軽く後悔するレベルだった。
何だか、思えば遠くへ来たもんだ、という謎の感想を抱きながら、私は藤代に連絡を取る。
彼から労りの言葉をもらった後、私は未来の母親とのやり取りをスクショして彼に送った。
その内容に彼も驚きを隠せなかったが、私はもっと驚きを隠せなくなる言葉をその後にもらった。
「明日行こう」
「…まあ土曜日だから行けますけど?」
「この時期なら新幹線のチケットも当日で取れると思うし」
「…新幹線の距離なんだ?」
「飛行機の距離より近いよ。問題ない」
「…その行動力ってどこから湧くの?」
「俺からかな」
「…君、そういうとこやぞ?」
「ん?」
「猪突猛進、ド真っ直ぐ、真っ向からぶつかる、などなど…」
「ごめんなさい…」
「まあ行くけど」
「最近シエラさ…生島さん、俺を落としてから持ち上げるの好きだよねありがとう?」
最近カーライル=藤代はわんこ属性度が上がったよね、とは心の中だけで付け足した。さすがに悪い気がする。
決めたからには行動しなければ、となり、私は急いで未来の母親に返信し、荷造りを始めた。
そこで勢いよく部屋のドアが開く。驚いて振り向くと、母親が真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
そうだ、親との会話、怒涛の展開にすっかり失念していた。
何から話せばいいかわからず、わたわたとジェスチャーっぽいものを繰り出しているうちに、母親は部屋に入ってきて正座した。
私もそれに倣って正座すると、そこから小一時間尋問タイムである。
最近の張りつめた表情、おかしな空気、何か決断したこと、そして行動を起こそうとしていることまで、母親には見破られていた。
なら隠すこともない、と全て話した結果、家族全員集められて会議に発展した。
父と兄には反対された。軽率すぎる、お前に何ができる、と。
だが意外にも母が反対陣営に加わらなかった。じっと考え込んでいたが、最終的には父と兄を共に説得してくれた。
母が何をどう考えたのか、正直よくわからない。でも昔から、私が心からしたいと思ったことについては、じっくり考えてくれる人だった。
それなら俺もついていく、と言い出した兄を止め、信じて待とうと母が言ってくれた時、自分は本当に家族に大事にされていることを改めて思い知った。
母に言われた通り、会いに行く相手と同行する男性の名前、住所、電話番号、知っているものは全て書き記し、それを家族に渡すと、感謝の意味を込めて深々と頭を下げた。
「結果がどうなっても、全て自分の責任だからね。一人の人間として、しっかり生きなさい」
母の言葉は、浮足立つ自分を鎮めつつも、大きな追い風となった。
決めたことをやりきって、無事に家族のもとに帰ってこよう。それが家族に愛されている、私の責任だ。
渡された交通費を大事にしまい、残りの荷造りを済ませると、明日に向けて私は早々に眠りについた。
昨日のそんな話を藤代に伝えると、彼は神妙な面持ちで最後まで何も言わずに聞いてくれた。
そして一言呟く。
「大切なお嬢さんを、お預かりしているんだね…」
「やめてよ、5つしか違わないのに保護者気取り?」
「5つも違えば立派に保護者だよ。でも、違うな…保護者の気分じゃなくて…」
「何よ」
「何て言うかこう…命に代えてもお嬢さんはお守りします、みたいな使命感が湧いたというか…」
「ちょっと。大げさでしょ、そんな結婚の挨拶じゃあるまいし…」
それを聞いて藤代が目を丸くする。それと同時に顔を耳や首まで真っ赤にさせた。
「ちょ…!やめて!こっちまで恥ずかしく…、てか電車の中!!」
「電車の中でそんな話始めたの生島さんだよ!」
「いいからその…顔の赤いの何とかしなさい!恥ずかしいでしょ!?」
「そっちだって真っ赤だよ!お互い恥ずかしいんだからおあいこだよ!!」
「何それ!?私悪くないもんっ!」
ごまかしついでに、私は藤代の耳たぶをつまむと、ぐいっと引っ張り上げた。いててとわめく藤代の顔が、赤らみつつも笑っていたのが許せない。
電車の中の結婚話もどきで、私が恥ずかしがったり喜んだりするわけないでしょう、何思い上がってんのよアホ男め!
と心の中で悪態をついて、上がった心拍数を鎮めているうちに、電車は目的の駅に辿り着いた。
気まずさから視線を明後日の方に逸らしつつ、電車から降りる。
私は咳払いを一つしてからスマホを取り出すと、マッピングを頼りに目的の店を目指した。
あまり難なく見つけられた店は、外観は地味でこじんまりとしていたが、扉をくぐった途端圧倒される。
上品で落ち着く香り。紅茶専門店店内は、豊富な種類の茶葉が所狭しと並べられていた。
試飲できるコーナーもあり、店内には紅茶を楽しむカップルや家族連れなどが何組かいた。
シエスタ…未来に、あの日のお礼を。
そんな意味合いを込めて、手土産は紅茶にしようと決めていた。
こういう店に来るのは初めての様子の藤代は、目を輝かせながら店内を見回し、香りを胸いっぱいに吸い込んでいた。
何を隠そう私もこういう店は初めてなので、同じように香りを吸い込む。気持ちの落ち着く、よい香りだった。
「生島さん、これどうかな?すごくかわいい」
店内を少し回ろうとすると、早速藤代がお気に入りを見つける。
細かな花模様が入ったガラス製のティーポットだった。私は首を横に振る。
「ダメ?」
「見た目はすごくかわいい。でも入院中の人に贈るものなのよ?」
藤代が首をかしげる。
「鉢植えじゃないし…え、ガラス製品ってダメだっけ?」
「慣れない病室で落とした時どうなる?手入れをする人の手間は考えてる?」
「…」
「相手が女の子だからかわいいものを、っていう発想はわかるけど、邪魔になったり手間がかかったり面倒なものを渡すのは、あんまりよくないと思う」
「なるほど…!」
「女性だからって、こういうものへの手間暇は惜しまないものだっていう考えは偏見だよ。理想の押し付けに近いと思う。
誰だって手軽が一番。楽しんでもらわなくちゃいけないんだから、もらう相手の立場で考えないと」
「さすがです…生島さん女子の鏡!」
「全部お母さんが前に言ってたことなんだけどね。親戚のお見舞いの時に…」
知ったかぶって説明した自分が少し恥ずかしくて、視線を明後日に逸らしながら呟く。
藤代に視線を戻すと、優しい微笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「素敵なお母さんだね」
「…うん」
昨日の晩のことも思い出し、思わず素直に頷いてしまった。再びの恥ずかしさにまた視線を逸らした。
入院中の人が手軽に紅茶を楽しむために、と考えた結果、私たちはティーバッグ製品を購入することにした。
関西の親戚の家へ行ったとき、飲ませてもらって感動した、はちみつ入りの紅茶を私は選んだ。
とても甘い紅茶なのだが、ほっとする味わいで、疲れた時に飲むと体に染み渡るような快い感覚を覚えたのを思い出したからだ。
藤代は悩みに悩んで、レモングラスのハーブティーを選んだ。香りが気に入ったのと、自分の直感を信じるとのことだった。
どうかこれが、少しでも彼女を元気にしてくれますように。
ラッピングされるティーバッグセットを見つめながら、私は祈りを込めた。
店を後にし、再び電車に乗って今度は未来の入院している病院を目指す。
目的地が近づくにつれ、顔がこわばっていくのが自分でもわかる。ひどく緊張していた。
その時ふと、背中にぬくもりを感じた。藤代がそっと背に手を当ててくれていた。
彼を見やると、視線を合わせず電車の外を見つめていた。横顔には緊張と決意が満ちている。
私も電車の外に視線を移すと、流れる景色を眺めながら、彼にささやいた。
「藤代さん…」
「はい」
「私が病室で戸惑ったら、またこうしてほしい」
「…背中に手を当てること?」
「うん、こうしてほしい。
もう何も迷いたくないから、私の背中を押してほしいです」
「…わかった。必ず約束を守るよ」
「ありがとう…」
目的の駅のホームに、電車がゆっくりと速度を下げて滑り込む。
ドアが開いたら、あとはもうぐらぐら迷ってはいけない世界だ。
私たちは未来との対面を間近に控え、静かに決意を固めた。
電車のドアが開く。
私たちは未来のいる病院までの道のりを、無言で歩き続けた。
生島 紗耶:キャラクターラフ絵
https://kakuyomu.jp/users/wanajona/news/16817330660794496542
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