第14話 喜久知の異動と富岡砦

 琴似からの引っ越し作業が進む中、喜久知が異動することが決まり、寺山は衝撃を受けた。彼が、牧野研究室に配属されてからこれまで、ずっとお世話になってきた喜久知の異動は、青天の霹靂であった。しかし、人事のことであり、彼にとってはいかんともしがたい事なので、別れを惜しみつつ送り出した。

 彼は、喜久知がいなくなる寂しさとともに、新しく来る室長とうまくやっていけるかの不安を感じていた。特に、喜久知が別れ際に、

「牧野研究室ができたころのメンバーは、高木さんが大学に出て、下村君も別の研究室に移り、お前しか残っていない。広中君は、来たばかりだ。塩野君は、君より年上だが、君の方が古株だ。君が番頭として、研究室を切り盛りしていかなければだめだ。頼んだぞ。」

と言われたこともあり、責任を感じていた。

 広中というのは、前年の秋に異動してきた研究員で、寺山より年下だったが、大卒であった。また、この頃、牧野研究部の他の研究室にも、採用あるいは異動で、次々と大卒の研究員が入り、かなりの大所帯になっていた。


 喜久知が去って1ヶ月後、新しい室長の富岡がやって来た。寺山たちも会議や学会などで顔を合わせているので、全く知らない人ではなかった。

 富岡の引っ越しと合わせて、研究室も新庁舎に引っ越した。研究室は、中央棟から東に延びる研究棟の一階にあり、廊下を挟んで、南側に牧野1研と牧野2研の部屋が並び、向かい側に牧野3研の部屋があった。実験室も兼ねていたため、実験台が4台設置されていた。実験台以外、何も置かれていない部屋は広く感じたが、旧庁舎から机や椅子、薬品戸棚などを入れると、ほぼいっぱいになった。


 新庁舎への全ての引越が済んだのと同時に、旧庁舎の裏で始終業や正午を知らせてきた鐘も役目を終えることになった。すでに新庁舎では、チャイムが始業時間などを知らせていたが、旧庁舎に残っている職員のために、この鐘が、鳴らされ続けていたのである。

 鐘が鳴る最後の日の夕方、鐘楼の周りには、この日のことを知っていた旧畜牧部の研究員や業務科員など十数人が集まっていた。特に改まったイベントもなく、淡々と最後の鐘が鳴らされ、大きな鐘の音が、まだ明るい初夏の空に鳴り響いた。それを聞いていた職員たちは、各々鐘への思いを募らせていた。

 寺山は、朝の鐘を鳴らすのは宿直の仕事なので、宿直手当目当てに、宿直を買って出て、徹マン開けで始業の鐘を鳴らしたこと、喜久知の愛馬「マサル」の遺灰が戻ってきた時に聞いた鐘の音などを思い起こしていた。

 翌日、鐘は鐘楼から下ろされ、旧庁舎も閉鎖された。旧庁舎の近くにあった畜舎にいた家畜は、すでに新しい畜舎に移っていたため、これらの畜舎も取り壊しが始まっていた。

 新しい施設に、新しい人たちを迎え、羊ヶ丘は、新しい時代を迎えていた。


 富岡は、引越が済むと、早速、研究室の試験放牧地や、焼山の野草地など、場内をくまなく見て歩いた。彼は、思ったことをすぐに行動に移すタイプだったので、焼山の東側にある四望台しぼうだいと呼ばれる開けた場所の端に立ち、その下にある傾斜放牧地を見ながら、

「ここからなら牛の動きがよく分かる。よし、ここに見張り台を建てようじゃないか。」

そう言って、一緒に場内を見て回っていた寺山たち3人を驚かせた。

「造るって、どうするんですか。総務には何って言うんですか。そんな物立てる予算なんか付いてないですよ。」

 寺山は、難しい顔をしてそう言ったが、富岡は、意に介さないようだった。

「予算なんてなくてもできるよ。場内にはいっぱい木があるだろ。それを使って、みんなで建てれば、金なんか掛からんよ。」

彼の言葉に、寺山があっけにとられていると、塩野が、いつものようにニコニコしながら言った。

「おもしろそうだから、やってみようか。」

「そうですね。やりましょうか。」

広中も同調した。

 こうして、寺山の杞憂をよそに、監視台を造ることになった。しかし、これが大変なことになることを、この時誰も知るよしもなかった。なお、毎年研究員には、研究費として、経常研究費(経常)とよばれる予算が、一定額が配分され、主に研究用の消耗品などの購入に使われていた。しかし、あまり大きな額ではないので、建物を建てることなどはできなかった。このため、施設の建設や高額な機械の購入には、別途、予算を確保する必要があった。


 研究室に戻ると、早速具体的な話となった。寺山たち研究員の3人は、傾斜草地の頂上部分に小さな小屋を造る程度と考えていたが、富岡の考えは、もっと大がかりなもので、櫓を組んで、その上に造る展望台のようなものであった。このため、十メートルくらいの柱を立てる必要があった。こうなると、とても自分たちだけの手に負えないので、総務部や業務科の協力が必要であった。ちょうど場内では、宿舎の建設工事が行われており、宿舎用地を造る際に切り倒されたカラマツがまとめられていたので、柱にするにはもってこいであった。早速寺山は、総務部に行って、太さが揃った木を、数本分けてもらえないか頼んでみた。しかし、これらはすでに、売り払うことが決まっていて、本数も記録済みなので、手が付けられなかった。そのかわり、場内林の風倒木なら、使ってもいいと言うことになり、これをもらうことにした。さらに業務科に行って、これらの風倒木を現場まで運んでもらうことも頼み込んだ。


 一方、監視台の設計は、広中が担当し、広さを1間半(約2.7メートル)四方とし、地面から約8メートルの高さに床を設け、外側に階段を付けることにした。設置場所は、富岡が見張り台建設の言葉を発した場所の近くで、四望台から続く緩傾斜が急傾斜に変わる境目の所になった。

 場所が決まると、まずはみんなで、設置場所近くの林に入り、適当な風倒木を見つけることから始まった。幸いすぐに適当な木が四、五本見つかったので、両端を切り落とし、枝を払って、業務科のトラクターで引っ張り出してもらった。

 次に、塩野が中心となって、柱を立てる穴を掘った。場内には、パワーショベルのような穴を掘る機械がなかったので、人力での穴掘りであった。予想通り地面は固く、地中には大きな石も埋まっていたので、穴掘りは難行した。試験の合間を縫って作業を行うので、なかなか作業は進まなかったが、塩野の馬力と業務科員の働きにより、なんとか一つずつ掘っていった。

 穴が掘れると、その都度柱を建てていった。防腐剤としてコールタールを塗った柱木の端を穴に入れ、反対の端に付けたロープを引いて立ち上げるのだが、富岡は、この柱の建て方について、

「この建て方は、掘立柱造りと言って、伊勢神宮でも使われている、古くから続く由緒正しき建て方なんだ。」

などと蘊蓄を唱え、人力だけで建てようとした。しかし、人力で立てるには人数が少なすぎたため、すぐに諦めてトラクターで引っ張って立てることにした。みんな、そんな大それた建て方と思っていないので、彼がすぐに諦めてくれたことに安堵した。


 一本の柱が立つと、その日の夜は、牧野センターの作業小屋でお祝いの飲み会を開いた。これには、牧野センターにいる他の研究室の研究員もよく参加し、やがて柱の立ち上げの時は、ただ酒を飲むのも悪いと感じたのか、手伝ってくれるようになった。また、監視小屋を造っていることは、場内にも話が広がり、「高さが10メートル以上もあるって」、「山の上に砦を造ってるらしい」などの噂が広がり、実際、監視台が完成すると、「富岡砦」と呼ばれるようになった。また、牧野開発部以外の人も作業の様子を見に来るようになった。


「まるで、諏訪の御柱みたいだ。」

「御柱なら、木落ししなきゃ。ちょうどいい坂もあるし。」

ある研究員たちは、その様子を、長野県にある諏訪大社で、7年に一度開かれる御柱祭りの時に、山から切り出した御神木を、諏訪大社の境内に、運んで立てる様子に例えて言った。

それを近くで聞いていた寺山が、くってかかった。

「木を落とすって。何言ってるんだ。せっかく苦労して引っ張り上げたんだ。冗談じゃない。」

研究員たちは、あわてて御柱祭りのことを説明して、謝った。


 監視台のことは場長の耳にも入り、部長を通じて視察の意向が告げられたが、完成した時にお披露目するということで、視察はその時まで遠慮してもらうことにした。

 試験の合間を縫って作業を行ったので、四本の柱が立つのに一ヶ月以上掛かったが、柱が立つと、後の作業は比較的早く進み、柱が組み上がって一週間後には、床張り、手すりと階段の設置が終わり、監視台としての形が整った。

 牧野1研の研究員に業務科の迫田を加えた5人だけでなく、作業に加わっていた他の研究室の研究員が登ってもびくともしなかった。監視台に登ると、皆口々に

「確かに頑丈だ。それに広いからここで宴会が開けるな。景色もいいし、最高っしょ。」

「確かに、ここで飲んだら気持ちいいけど、酔っ払って転げ落ちたら、目も当てらんないぞ。」

「そうだな。そんなことになったら、ここで飲んでた奴、全員クビになるんでないかい。」

などと言って、監視台の評価より、酒宴の話で盛り上がっていた。


 監視台の直ぐ下から急傾斜の放牧草地が始まっているため、眼下の牛群をよく観察することができた。しかし、それ以上に、正面に見える江別の製紙工場の煙突から出る煙や野幌の原生林など、石狩平野の景色に目が奪われた。展望台として造るなら、四望台の頂上の方が札幌市街地への見通しもよく、こちらの方が適していたが、そこでは、傾斜地に放牧している牛が見えないので、監視台としては、ここが適地であった。


 牛たちは、作業を始めた頃は、物珍しそうに、近くによって作業の様子を眺めていたが、やがて慣れてきたのか、興味を示さなくなった。牛を視ながら寺山が、

「ここからなら、牛の行動観察がよく分かるけど、下の牧区は、ちょっと分かりづらいな。でも、上から見ると、どこの草をよく食べて、食べ残しがどれくらいあるかが分かって面白いね。」

と、言った。それを聞いて広中が、

「そうなんだよ。牧草地は広いから、歩き回って草の様子を見るのは大変だけど、高い所から見えれば、違いがよく分かるんだ。僕は、その研究をこれから進めていきたいと思っているんだ。」

と、熱く語った。寺山は、広中の言葉を横で聞いている富岡の顔を見て、この監視台を造ると言った訳と、それに広中が反対しなかった理由がやっと理解できた。しかし、そのことを教えてくれなかったことが、少し不満であった。それが顔に出ていたのか、

「何にも言わなくてすまんかったな。しかし、君のおかげで、材料の調達や業務科からの支援をスムーズに受けることができた。特に、林に入って適当な木をすばやく見つけてきたのは大きかったよ。ありがとう。」

 富岡は、不満そうな顔をしている寺山に、そう言って労った。この言葉に寺山は、喜久知が言っていた研究室の番頭としての仕事が少しはできたのではないかと思うのであった。

その日の夜、牧野1研の作業小屋では、完成祝いの祝宴が開かれたのは言うまでもなかった。


 監視台は、これまで、野草地への牧草の導入や牧野の造成、改良が中心だった牧野研究に、牛群の行動観察や空中写真を用いて牧草地を広範囲に調査するリモートセンシングといった、新しい研究の幕開けを象徴するものであった。その一方、展望台としての役割も果たしていった。来客があった際は、よく使われるようになり、皇族の方が登られたこともあった。しかし、無断で場内に入って山菜採りをする市民が、休んだり弁当を食べたりして、ゴミを残していくのが、悩みの種であった。

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