第8話


「僕はこの世に妙なものがある、とは知っている。だから諸君には帰れ、と言った」

 ついて来たのはそちらだ、言い放つ相葉に二人は顔を見合わせる。ぼんやりとした明かりすらない夜だった。若槻にはそこに白石がいる、としかわからない。白石らしき人影、と言った方がいいだろうか。それにぞくりと背筋を震わせた。

「言っていたよ、確かに。忠告を聞き入れなかったのは僕らだ。君のせいじゃない」

「白石君もそれでいいかね。僕はあれらの仲間ではない、それだけ飲み込んでくれれば問題ないのだが」

「……いえ! とんでもない、申し訳ありません」

 主人の友人を疑ったようにも解釈されかねない振る舞いだった、と気づいた白石の頬に血がのぼるも幸い夜闇に見えることはなかった。

「では同意も得られたことだ。どうするかい?」

「どう、とは……」

 戸惑う若槻にこのまま夜道を車まで戻るか、それとも村で夜明かしをするか。そう相葉は提案する。が、若槻は本当に問われているのは自分ではない、と察しては苦笑する。白石に任せるよ、とうなずいて見せた。

「正直に申し上げて、夜道で襲われることを考えると――」

 ただ一振りの刀でどうにかできる相手ではなかった。いまも手に残る鈍い衝撃。手応えはあったのに、ひどく困惑するような感触。

 ――あれは、生きていたのか。いや、生きては、いた。だが。あれは、なんだ。

 動く樹木のような、何か。いっそ化け物と言いたくなる何ものか。所詮は学生でしかないが、だが学問をしている己が知り得る何ものでもなかった。既存の生物とは到底思えない。青白い白石の頬を相葉は見なかったことにした。

「なら、どこかの家を訪ねてみることにする、か……」

 再びの溜息。それで若槻は気づく。ここはもう、小八木村なのだと。村の中に戻っていたとはついぞ気づかぬままだった。そう思って見ればどうにか家と見分けられる影がある。

「やっぱり、明かりはついてない、か」

 電灯などという上等なものはないにしろ、まったく明かりがないことに若槻はぞっとしていた。いかに日が暮れれば眠るものとはいえ、いくらなんでも。そう思うのだろう。

「白石」

「なんです?」

「君の郷里は、どうだった?」

「ここまで、早仕舞いは、しないですね」

 言葉を濁した分、白石も違和感を覚えていると若槻は知る。ここに来たときから奇妙であったと苦く笑った。それを確かめでもしたのか、二人の覚悟を見て取った相葉は黙って真っ直ぐと進んでいく。どうやら大きな家と目星をつけていたのだろう。

「さっき来たときに見つけてたのかい?」

「目端が利くのが探偵というものだからね」

「頼もしいものだ」

 皮肉でもなく言われてしまえば相葉は肩でもすくめるしかない。およそ村長の家らしき大きめの家屋だった。若槻を慮って相葉の足はゆっくりとしている。そのせいかどうか。足元がひどく不安定なような気がして仕方ない。

 ――忌々しい。

 舌打ちでもしたいところだ、内心に吐き出して相葉は戸を叩きもせずに引き開けた。それに若槻はぎょっとする。なんの抵抗もなく開くとは、思いもしていない。

「これは……」

 何かがあったという証左ではないのか。あるいは小八木村の住人はあの化け物に襲われて全滅してしまったのでは。己の想像に気分を悪くしつつ、若槻は相葉の肩越しに家の中を覗いた。

 やはり、動くものは何もない。質素なものだった。黙ったままの相葉が仕種で白石を呼ぶ。それから若槻を玄関に引き入れ、慎重に戸を閉める。

「君はここにいたまえ」

「僕は――。いや、そうだな。足手まといになるだけだろう」

「ご理解いただけて結構だ。何かあったら呼びたまえ。行くぞ、白石君」

「行ってまいります。何かあればすぐに呼んでくださいよ」

 わかったわかった、早く行けとばかり手を振る若槻に送られて二人は靴のまま家へと踏み込んだ。どちらもが脱ごうとは言わない。それだけ肌にひしひしと感じるものがある。靴底が、ぬかりと畳を踏む腐れた感触。

 それなのに、見つけたのはがらんと無人の家。家財道具だけがそのままに残っているのは奇妙の一言。

「相葉さま」

 そして白石が裏口から出てすぐのところに物置を見つけた。わずかに戸が開いていて不審を覚えたのだろう。若槻を気にしつつ、素早くかつ音を立てずに戸を開ける。咄嗟に相葉は白石の肩を掴んだ。いまにも叫ばんとしかけた彼であった。

「……申し訳ありません」

「若槻が危険になる」

「は……」

 皮肉な口調に白石は息をつく。主人を案じてもらえるのならば、いまは何も言うことはない。それから、改めて中を見やった。

 物置には雑多な荷物が放り込まれ、あるいは積み上げられている中、ただひとつ妙なものが。それは、人間の形をしていた。明らかに人間で、しかし微動だにしない。死体と察して声を上げかけたのを止めてくれた相葉に再度白石は感謝していた。

「おかしい……」

 だが、こうして見ればただの死体とも思えない。眉根を寄せる白石を放置し相葉は物置を探る。最低限、他におかしいものはない。

「君はここにいたまえ。若槻を呼んでこよう」

「はい、お願いします」

「念のためだが、触るんじゃないぞ」

 どのような意味かはわかりかねたけれど、白石とて積極的に触れたいようなものでもない。観察に留めると約束する間にも相葉は背を返した。

 ――案外と優しい方だ。

 若槻の友人たり得る、そう思うのは嬉しい反面やはり不安もある。が、いまはとにもかくにも若槻を一人にする時間が長くなりすぎると案じてくれただけでもよしとする白石だ。

 そうこうしているうち、二人が戻る。すでに若槻は死体の件を聞かされているのだろう、顔つきが硬い。相葉は頓着せずに全員で物置へと入り込んだ。

「何か見て取れたかね?」

「いえ、不可解な死体というだけで」

「なら、短時間だがこれが役に立つな」

 にっと笑った相葉が持参の懐中電灯をつけた。闇に慣れた目には刺激が強すぎるほど。ぱっとついた明かりに若槻が目を覆ったのは幸いだった。白石は奇妙な死体を真っ直ぐと見てしまったのだから。

「……ぅぐ」

 聞いたためしとてない白石の呻き声に若槻は驚いて彼を見やり、そして死体を目に。呻くことすらできなかった。端然と立っている相葉が信じがたいほど。

 その死体は、うっすらと埃に覆われているかのようだった。だが、よくよく見れば違う。死体そのものが粉らしきものを放っているのではないだろうか。

「いま……!」

 動いた、言いかけて己の怯懦に羞恥する白石だ。懐中電灯の揺れる明かりのせいに違いないというのに、死体が動いたように見えて怯えるなど。

 ――征克さんに恥ずかしい。

 剣の腕を買われて護衛紛いのことをしているのではないか。ぐっと唇を噛みしめた正にそのとき。死体が。目を、開いた。

「な……」

 自分は何を見た。若槻は二人を見る。己ひとりが恐怖からあり得ないものを見たのだとばかり。しかし白石の凍りついた表情。確かに、目を開けたのだと。

「生きては、いるのだろうな」

 溜息まじりの相葉だった。同情など欠片もない声音。あるのは逆さまに嫌悪だろうか。生きているのならば、助けなければ。あるいは自分たちに協力してくれ。いずれであったのかは若槻にもわからない。何気なく手を伸ばし。

「触るな!」

 思いもかけない険しい相葉の声に、若槻の手は逆に止められなくなった。驚いた拍子に触れてしまう。その瞬間、ばちりと音がした気がした。聞いたのかどうかはわからない。ただ衝撃は感じた。咄嗟に顔を腕で庇うも左手に熱い何かが。見ればべとりと粘つくものが張り付いていた。

「君はあまりに無鉄砲にすぎる。こんなものに手を出すのは愚かな振る舞いだぞ」

「いや、その。生きているなら……」

「こんなもの生きているうちに入らない」

 見せろ、言いつつ相葉のひどく苦い顔だった。どういう意味だ、問う間もなく左手を取られる。相葉はべたつくものに触れようとはせずじっと見るのみ。

「相葉さま」

 白石が差し出した布で粘体を拭いとる相葉だったけれど、落ちた風でもない。若槻自身、まだ肌に感じる。ようやくに恐怖感が押し寄せてきては相葉の手を握っていた。

「若槻、多少の痛い目は覚悟してくれたまえ」

「わかっている。僕の不注意だ」

「白石君、ちょっと懐中電灯を頼む。あと、邪魔立て無用に頼む」

 そう言うからには邪魔したくなるようなことをするに違いない。覚悟を決めて白石もうなずいた。そして相葉は懐からマッチを取り出しては擦る。ぽっとついた火に白石の青い顔。まだわかっていないのか若槻は平静のまま。それならば理解するより先にと物も言わずに相葉は粘体へと火を近づけた。途端に握りしめられる手が痛むが、若槻のそれは自分など比べ物にならないだろう。相葉はマッチが燃え尽きるまでの間、若槻の手についた粘体を焼き払い続けた。

「帰ったら白石君に手当てしてもらいたまえよ。これを教訓に安易な振る舞いは慎むこと。よいね」

「……肝に銘ずるよ。それにしても、これは……この人は……」

 痛みに震えながらも若槻はいまだ生きているらしき人を見ていた。目を開けただけでそれから動きもしない。見れば目の焦点などあってもいない。だが胸はゆるく上下している。

「冬虫夏草というものを知っているか」

「支那の薬だったか」

「あぁ、そうともいうな。効くかどうかは知らんが。あれは、土の中の虫に茸が寄生したものだという」

 それがどう関係する。言いかけた若槻の蒼白な顔。相葉の目顔の先を追えば、足元に生える茸の笠。ぽつぽつと人体まで続いて、否、人体より続いていた。つまりは、これは、そういうことなのかと。焼かれた左手を見る。

「僕も知らんよ。類推するだけだ。仮にそうだとしたら、先ほどのは胞子に相当するのだろうさ」

「もし、寄生されていたら、僕は」

「これができあがり、ということだろうね」

 足先で、だが触れずに相葉はかつて人間であっただろうものを示す。その態度を非難できるものはいなかった。

「相葉さまは、村人がこれになってしまったとお考えですか」

「さぁね? 他の家はどうなったのか。明るくなったら見てみるしかないだろう」

 もし他にもいたら。思うだけで震えが止められない白石だった。幸いにも若槻が似たような顔をしていて安堵する。

「いや、相葉君。反論するわけではないのだがね。さっきの化け物はどう見ても樹木だろう。これは、冬虫夏草に似た何かならば菌類だろう?」

「動く樹木を生物のうちに数えることに僕は抵抗があるね」

「それならそれでかまわんよ。僕が言いたいのは、似ていない、それだけだ」

「二種類の異形が存在した。それ以上に納得がいく回答があるかい?」

 あの樹木が迷信の相手だと言ったのを覚えているか、眼差しで問う相葉に若槻は無言で続きを促した。

「そこになんらかの理由でこの異形の茸が繁殖した。信者を失ったのか捧げ物でもなくなって飢えたか、樹木が暴走して彼らを――喰った」

 あのときの鹿のように。それが神隠しの真相では。相葉は淡々と語る。目は真っ直ぐと寄生された人を見たままに。呻くことすらできず、立ち尽くしたまま。

 物音ひとつしない夜に息などつけない。狭い物置から母屋に移っても安穏とはしかねた。動かなかった死体紛いのあれが動き出すのでは。戸を開ければあの樹木がいるのでは。じとりと汗ばんだ身を震わせながら夜明けだった。

 相葉が眼差しで白石に確認し、ゆっくりと戸を引き開ける。差し込んでくる朝日がこんなにもありがたいものとは。大きく息を吸う若槻の耳、ふと聞こえたのは羽音。否、羽音にして羽音ではあり得ない心胆を寒からしめる悍しい響きが。相葉を見れば彼もまた音のした方向を探っていた。しかしわからなかったのか肩をすくめる。

「あれがいない。それでよしとしよう」

「そうだね。少し、ほっとしたよ、僕は」

「そりゃ結構。白石君、消毒用アルコールを持ってきているかい?」

「あぁ僕が持っているよ」

 火傷の手当てに使えばよかった、思って若槻は照れくさい。鞄から取り出したそれを相葉に渡し、どうするのだろうと首をかしげる。よもや手当てではないだろう。そう見る間に物置へと取って返した相葉は人間だったものにアルコールを振りかけた。一瓶すべてを。そして無造作にマッチを擦る。止める間もなく、火を放った。

「相葉君!」

「僕を止めるかい? 止めても遅いがね」

「だが、それは……。殺人、ではないのか」

「若槻、君は毒茸を焼いて罪悪感に駆られるか? 僕はこの世にあってはならない菌類に似た異形を駆除した、それだけだ」

 火明かりに照らされた相葉に返す言葉がなかった。もし己が寄生されていたならば、殺して欲しいかもしれない、若槻はそう感じたがゆえに。白石はただひたすらにぞっとして。

 村中を見てまわり、見つけ次第火を放つ相葉を止められなかった。途中から若槻も白石もが火をつけた。すべてが灰塵と帰すまで。炎に見入り唇を引き結んだ相葉の硬い無表情を若槻は黙って見ていた。




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