第7話


 時折言葉をかわしつつ、彼らは小八木村を目指す。本当にこの先にあるのか、疑いたくなるほどの道だった。

「道、ねぇ」

 苦笑いをしながら若槻が呟くのも無理はない。道であるのは確かだとしても獣道といった方がまだ近い。小八木村の住人はいったいどうやって暮らしているのか、と不思議で仕方ない。

「買い物とかはどうしているのだろうなぁ」

「自給自足じゃあないのかい」

「相葉君も知らないことがあるのか、面白い」

 にやりとする若槻に彼は嫌な顔。白石もくすりと笑って、少し雰囲気がほぐれた。

「米はこんなところでは育たないと僕は思うよ、相葉君」

「蕎麦は育つだろうさ。粟稗の類もね」

「おっと」

 忘れていた、と言わんばかりで若槻の育ちのよさを相葉は苦笑していた。その分、若槻自身は感じている。相葉は雑穀を食べる生活を普通にしていたのではないか、と。ならば彼は都津上市内の生まれではないかもしれない。

 ――まぁ、どうでもいい話ではあるな。うん。

 興味深く面白い男である以上に大切なことはない、若槻は思う。関心を持てた、それで充分だった。白石が察しているよう、若槻も己に友人らしい友人がいないのはわかっている。相葉は友と呼べる相手になるのかと思えば面映い。

「うーん」

 重く茂った木々が獣道を隠しはじめていた。まだ夕暮れといったところだろうに、道の暗さはすっかりと夜。ちらりと若槻は相葉を見やる。

「なんだ」

「白石の足元が見えないと、危ないのではないかと思ってね」

「君はそれを本気で言うのだから妙なやつだよ」

 肩をすくめた相葉だった。自分が見えない出しにしたのならばまだわかるのだが、若槻は本心から言っている模様。それにきょとんとするのだから呆れてしまう。

「だがな、若槻。明かりはつけんよ」

「理由を聞いてもいいかい? 本職さん」

「そりゃ簡単だ。明かりってのは目立つのだよ、坊ちゃん」

 互いに軽口を叩き合う。聞いている白石にはいっそ微笑ましいほど。それにやはり、とも思うのだけれど。相葉は敵対的な何かがいる、と疑っていないのではないか。

「だいたいな、最新式の舶来懐中電灯と言ってもね、短時間しか使えんよ。そういうものだ」

「ははぁ、なるほど。それは僕も聞いたことがあったんだ。使い物になるわけでもないかい?」

「非常時には役に立つだろうさ」

 そのためにこそ持参したのだ、と相葉は素っ気ない。いまは違う、と断言されたも同然で若槻はこれが非常でないのならば彼の仕事はどのようなものなのだろうかと想像を巡らせるばかり。

 そろそろ本気で白石が道を見失いそうになるころ。やっとのことで小八木村が見えた。すでに白石は不審を抱いていたのだろう。手が刀の柄にかかっている。

「白石」

「おかしいと思いませんか、征克さん」

「何がだい? ずいぶんと静かだとは思うが」

 宵闇にうっすらと家の影が見えていた。静かな田舎の村、に若槻には見えているのかもしれない。振り返った白石は肩をすくめた相葉を目にする。

「それが、おかしいんです。明かりのひとつもついていない」

「……確かに」

「煮炊きの匂いもせんね」

 鼻を鳴らした相葉だった。これほど田舎の村では電気が通っているとは思いがたい。台所だとて昔ながらの竈を使っているだろう。ならばこそ、もうとっくに夕食の支度を終えて家族揃って食べている時間。暗くなれば眠るしかない村ならばそれが当たり前の生活のはず。

 それなのに、小八木村は宵闇に沈んでいた。明かりは漏れず、煮炊きの煙も上がらず。しんとした静寂に山の物音。知らず強張った若槻は平然とした相葉に我が身を振り返っては羞恥を覚えた。

「さて、どう――」

 しようか。どこかの家を訪ねてみようか。若槻が言いかけたそのとき。白石の視界の端に何かが映った。動くものとてない村の中にあれば否も応もなく動きのあるものは目立つ。

「何者」

 誰何を小声に控えたのは相葉のせいかもしれない。彼の態度からは、危険しか感じない。ちらりと見れば険しい表情をしていた。

「何者か、見当がつくかい?」

「知っていたら僕はこんなところまで出向くわけがないだろう」

「では行ってみよう」

 あっさりとした若槻だった。白石はそれにうなずき刀に添えた手に力を入れる。一度だけしかと握った。

「待て。白石君と君はここで――」

「お言葉ですが、相葉さま。別行動はかえって危険かと」

「……危険は覚悟の上だね?」

「無論だよ」

 巻き込みたくないのだろう相葉だったけれど、若槻も白石に同意見だった。一人で見に行かせるなどとんでもない、そう感じるだけの寒気を覚えていた。

 ――これは。

 白石が見たのであろう動くものを若槻は見ていない。それなのに、膝が笑っていた。相葉はそれと気づいているに違いない。待機を求めるのはだからこそ。

 ――ここで怯んでは男が廃る。

 ぐっと下腹に力を入れて白石にうなずいた。うなずき返す彼に若槻は無理に笑みを浮かべる。そうすると普段の己でいられるような気がした。

「僕は忠告したからな」

 吐き捨てるというには、色合いの違う声音だった。勝手にしろと突き放されたにも似ていて若槻はわずかに戸惑う。戸惑い続けていられなかったのは幸いだったのかどうか。

 足音を殺すことができない若槻だった。剣を嗜む白石はともかく相葉までもがそうしているというのに。足手まといになっている、忸怩と唇を噛む若槻を慰めている余裕のない白石でもあった。それだけ、彼も警戒していた。

 ――何か。

 いる。確実にいる。動いたものを追ってきた、ただそれだけではない何かを感じていた。肌身にひしひしと押し寄せる不快感は、たとえようもない。かつて経験したことのないものだった。

「……いる」

 密やかな相葉の声だった。若槻が物音を立てている以上、潜むことはできないと思い定めたのだろう。察知していない若槻が進み続ける方がよほど危険と。慌てて足を止めた若槻だったが、相葉がどこを示したのかさえわからなかった。

 きん、と音がした。白石が鯉口を切り、刀が抜かれる。ぞっとするほどの刀身の冴え。名のある業物ではない由であったけれど逸品ではあった。

 ほぼ同時に相葉もまた懐から銃を取り出し、構える。狙いをつけた銃口の先をたどり、若槻はようやく二人が見ているものを見た。

「あれは……いったい」

 若槻には、木にしか見えない。宵闇が深まりかけているせいばかりではないだろう。ちょうど平屋の軒先ほどだろうか、木としては若木と言うに相応しい高さ細さ。そんなものを二人が警戒する理由が。

 わからない。そう思った瞬間、銃声が響いた。山奥にこだまするそれはひどく大きくて若槻は目を剥きそうになる。飛び上がらなかった己を褒めたい、わずかに感じた余裕はすぐさま消し飛ぶ。

 若木が、身をよじった。動くはずのないものが、自ら動いた。動かないからこそ植物というのではないのか。だがしかし若槻の眼前で若木は動く。

 のたり。根が持ち上がった。否、あれは根などではない。見開かれた若槻の目に映ったそれは、触手だった。枝もまた、触手だった。殊更に太い触手が四本ほど見受けられる。ぶんと風鳴りの音を立てて振り回された。

「白石!」

 そこに飛び込む白石の剣。一刀の下に斬り伏せる。若槻はそう思った。白石の腕のほどは誰より知っている。しかし。

「……ちっ」

 一足で白石は飛び戻った。確かに切った。が、若木にとっては枝を一本落とされた程度のものだろう。太いそれは見事に避けられて痛手にすらなっていない。再び響く銃声。けれど相葉も顰め面。

「駄目だね」

 吐き出す相葉だった。寄り集まり、ひねり上がった触手の塊、とでも表現すればよいのか。あの若木にはまるで銃が効かない。

 ――そんなことだろうと思っていたさ。

 皮肉に唇が歪んだ。白石の剣は多少の手傷を与えている。このまま彼を援護していれば、いずれは倒せるかもしれないが。

 ――駄目だ。

 振り回している太い触手。あれが厄介だと相葉は唇を噛む。白石も同様なのか踏み込めないでいた。ひとり若槻だけが悔しそうに口許を引き締める。何もできない己と。

 若木が彼らを敵対者と認識したのかどうか。そもそもそのように考えるものなのか。否、樹木に思考など。だが動く樹木など。混乱する若槻には幸いだった。場に充溢する緊迫感が、あるいは原因か。飛び出してきたものを咄嗟に若木は捕らえた。

「速い――!」

 ぎょっとした白石だった。相葉もまた銃を構え直す、無駄と知りつつ。振るわれた触手が鮮やかに捕らえたのは、驚くほど大きな鹿だった。それなのに触手の一本にあっさりと。

「……ぐぅ」

 若槻が呻いた。そこにかぶさる鹿の悲痛な響き。触手が何をしているのかなど考えたくもない。締め上げられただけではない苦痛の声を上げる鹿の目が落ちんばかりに。泡を吹き、悶え。ばたつく四肢がほどなく力を失う。

 三人とてぽかんと立ち尽くしているわけではなかった。それほど、早い。あまりにも早い。みるみるうちと鹿は触手から垂れ下がる。ずん、と音がした。見れば若木の根にも似た触手が踏み出して。

「嘘だろう、おい!」

「若槻。撤退だ」

「だが――」

「君に勝算はあるのか。あれに踏まれて白石君が無事だと思うのか」

「わかった。白石」

 うなずきざまに白石が再び飛び込む。背筋が寒くなるなど、はじめてだ。持ち上がり踏み出した触手の先には、どう見ても蹄にしか見えないものが。

 ざん、と草さえ薙ぎ払い白石の剣は過たず触手を切り飛ばす。蹄のそれを狙った剣は的確に振るわれ、けれど狙い通りにはいかなかった。

「いい、白石君。来い」

 蹄ならば足なのだろう。足を切れば動けないだろう。少なくとも、動きは鈍るだろう。そう考えた白石だと相葉はわかってはいた。が、彼だけは更なる事実を理解していた。

 ――常識が通じる相手じゃない。

 苦く唇を引き結び、相葉は動きの悪い若槻の腕を引く。暗さに慣れはじめてはいても若槻だけは足元が危ない。白石が殿を務める中、彼らは退く。己で立てる物音に怯えながら。あれが増えるのでは、と思えば歯の根が合わない。

「なんだ、あれは。相葉君――」

「奇妙な神信心をする村とのことだったね」

 あれが御神体であったのでは、皮肉な相葉に若槻は目を見開く。唇が形作る、馬鹿な、と。

「君は、君は……知ってたのか」

 背後を警戒し続けている白石も相葉に眼差しを向けていた。不信感のあるそれに彼は揺らがない。肩まですくめて淡々と。

「この世にああいうものがある、とはね」

 若槻は知った、相葉の二つ名。怪異を追う探偵とは、この意かと。


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