第6話


 奇妙な村、奇妙な人。白石の郷里でそう聞いてきたけれど、いまだ若槻にはしかとはわからない様子。こればかりはいかんともしがたいと相葉は放ったまま。

 道は白石の村から比べても更に酷い悪路だった。未舗装なのは当然として、これでは人間が歩みを進めることすら難儀、と言いたくなる道。車など到底無理が過ぎて早々に乗り捨てた。

「まぁ、問題はないだろうね」

「相葉君?」

「こんなところじゃ悪さをする人間なんぞいないだろうってことさ」

 最新型の車だ、街中で放り出せば即座に悪戯されかねない。だが、こんなところではと相葉は皮肉に唇を歪めていた。その間にも白石は念のためにと積んできた自らの刀を取り出す。

「使わないに越したことはないんですが」

 言いつつ腰に差す。さすがに腕に覚えがあると見えて姿勢が綺麗に決まっていた。それに相葉は軽くうなずく、白石は使える、と。おそらくは己で言うより若槻が言うより白石は腕が立つ。

「ま、見逃してやろう」

 それを窺わせず相葉はにやにやと白石を見やる。刀を手にした白石はばつが悪そうに顔をそむけていた。そこに聞こえる若槻の声、どうやら吹き出したらしい。

「君が言うか? 銃を持っているのだから同類だろう」

「残念だったね。僕はちゃあんと許可を得ているのさ」

「む、それもそうか。白石、いざというときは守る。いまは存分に働いてくれ」

「は、お任せを」

「二人とも。そう血の気の多いことを言わないでくれたまえよ。僕は『見に』行くつもりなんだからね」

 それで済むと相葉は思っているのだろうか。訝しげな白石の眼差しに彼は答えない。若槻はよくわかっていないのだろう、まだどこかわくわくとした顔をしていた。

 少しずつ陽が翳っていくような、嫌な感じがしていた。まだ午後も遅い、というだけであって日暮れには遠いはず。それでいてこの暗さか、と白石はぞっとしている。

 ――不審な者はいない。

 鋭く周囲を探る彼は相葉の気配をもまた、捉えていた。ほっそりとした、華奢と言ってもいいほどの体つきをしているのに相葉は隙がない。武道の心得があるというよりは非常に高い警戒心を持っているというべきか。

 ――不思議なお人だ。

 一歩前を行く白石は並んで歩いている二人の声を耳にしていた。若槻ののんびりとした喋り声、相葉の面倒そうな話し声。若槻の方はまだわかる、と白石は内心にうなずく。己の主人とも仰ぐ男に剣の腕がないのは知っている。銃の類にも興味は持っていない。だからなのだろう、緊迫感がないのは。

 ――探偵ってのは、こんな荒事に縁があるものなのか?

 相葉の態度を怪訝だと感じ、はじめて白石はぞくりとする。これから先に間違いなく荒事がある、と確信している自分に。

「すごい山だなぁ」

 若槻は白石の緊張には気づかず、しかし山の異常さには不安が勝るのかそんなことを口にしては頭上を見上げた。伸し掛かる、とはこのことだろう。鬱蒼と茂ったと言ってもまだぬるい。

「これほど育つにはいったいどれほどの時がかかるものなのか、僕にもわからないね」

「まったくだ。頭の上が重たいほどだよ」

 うなずく若槻の横顔をちらりと見やり相葉はわずかに顔を顰める。本人が気づいていない恐れに似たものを彼は浮かべていた。

「若槻。君は田舎に縁はあるのかい」

「うーん。避暑に行ったりはするけれどなぁ」

「その程度ってことか。なるほどね」

 ならば本物の田舎を彼は知らない。富裕層が赴く避暑地は都津上市内に比べれば確かに田舎だろう。が、整えられ、装った田舎でもある。のんびりとくつろぎたい反面、不便は拒む富裕層なのだから。

「相葉君。どういうことだい?」

「別に。大変な道をちゃんと歩いたことなんぞないのだろうなと思っただけさ」

「うん、ない」

 きっぱりと朗らかに断言した若槻を白石が小さく笑った。それに彼は怒るでもない。書生といい主人といいはしても友人同士の和やかさがそこにはある。

「白石のところでは、ここまででもなかったものなぁ」

 ゆるりと首を巡らせ、若槻は呟く。どうにも多少の警戒心は持った様子。そうしてもらうために仄かした相葉としては安堵するばかり。巻き込みたくないからと言って過分に守る気もなければ技量もない。

 ――彼らに巻き込まれてこちらが死ぬのは、ごめんだ。

 こんなところで死ねるか、かすかに相葉の唇が歪んでいた。笑みに似て、笑みではないものに。幸いかどうか。若槻は気づくことはなかった。

「白石、君は行ったことはないのかい?」

「ありません。道はかろうじて、知ってますがね」

「父君の……なんと言うか、その。あの言葉では、なぁ」

「えぇ、まぁ」

 前で苦笑したのだろう白石が改めて振り返っては父の態度を今更詫びた。

「前を向きたまえ、転ぶよ」

 若槻が何を言うより先、相葉の素っ気ない言葉だった。それには白石より若槻が笑みを深くする。ありがとうとでも言うような眼差しに相葉は返事をしなかった。

「だいたいな、若槻。あれほど言われていて白石君が知っていると思う君がどうかしている」

「それがぴんとこないんだよ、僕には」

「うん?」

「何を以てして白石の父君があそこまで言うのか」

 まるで見当もつかない、若槻は肩をすくめた。無理もない、相葉は察するものがあっただけにこればかりは己で体験するより他はないと相手にしない。

「たとえばな、村全体が主義者の団体だ、とかならば、まぁ、わからんでもない」

 真っ当な人間ならば、そんなところに近づくな、と言うだろう。まして将来有望な子息には。

「父のことですから、そんなことはないと思うんですが」

「ほう?」

「もし主義者などであるのならば、通報しているでしょうし」

 何より、あれほど恐怖の強張りは見せなかったと白石は息子として感じている。代々の村長として過不足なく村を治めてきた父は白石にとって憧れであり目標でもある。父の方は「とっくに俺なんぞ超えた」と進学するときに笑っていた。

 ――父さん。

 その父が見せた表情に今更ながら寒気がした。小八木村。いったい何があるというのだろう。神隠しが頻発している、と思われる村。それだけなのか。

「村の人は……そういえば……」

 ふと思い出したよう白石は呟く。あれが小八木村のことかどうかはわからないものの、聞いた覚えのある言葉を。

「神信心の篤い村だと、誰かが言っていた気がします」

「そりゃ……この時代になってもというか、立派なことだろうとは思うがねぇ」

 新時代になってから、廃れたとは言わないまでも神社仏閣に参詣する人間は減ったのではないだろうか。若槻は首をかしげてしまう。

「相葉さまもおっしゃってましたが、田舎の村のことですから」

 苦笑する白石だった。白石のところでも祭りは盛大に行なうし、寺参りも欠かさない老人はまだ多い。田舎とあればそのようなものだと白石は思う。

「これが小八木村のことであるのなら、ですが。以前にも申し上げた通りうちの村ではその神信心は迷信だ、と言っていたようですけれど」

「なんだ迷信か」

 呆れた、と若槻は少しばかり笑っていた。大正の御代になってもまだそんなことを言う人間がいるのかとばかり。それなのに、視線を感じて横を見やれば相葉の険しい眼差し。

「どうした、相葉君。君も迷信を信じてしまう口だったのかい?」

 揶揄した若槻に、だがしかし相葉の目は揺るぎない。白石の背中、若槻の目。真っ直ぐと見つめては一度溜息をついた。重たいそれに白石が振り返る。

「迷信迷信と言うがね、二人とも。いかに迷信だとはいえ、信じてしまうものがいれば実現してしまうものでもあるのだよ」

 馬鹿なと笑い飛ばすことのできない声音であった、それは。声そのものに重量があるかのよう、と言えば相葉は笑うだろうか。戸惑いつつ若槻はそんな空想を巡らせる。

「実現、と言われても。なぁ……」

 神信心で祈って現世利益があってたまるか、と若槻は思う。それは神ではなく人間がしていることで、実現したと見えるのならば詐欺だろう。

「その辺りはどうなんだ」

「好きに考えたらいいさ。僕の考えは先の通りなのだからね」

「うーん。君が言っているのは昨今流行の新興宗教というやつかね?」

「さてね」

「だがな、相葉君。白石の父君が言っていたのはもっとずっと前からという印象だったのだが?」

 歩き続ける白石の背中に言えば、幼いころからです、と返ってくる。おかげでよけいにわからなくなった若槻だ。何か相葉には考えがあるらしいのだけれど彼に語る気はないのだろう。

 ――言って欲しいものだが。

 そうすれば気構えができるのだが。傍らの若槻の気配からそのようなことを考えていると察した相葉ではある。それでもなお彼は無言を通した。

 ――言ってわかるものではない。あれは……口で理解できるようなものであっていいはずがない。

「……滅びろ」

 ぽつんとした相葉の声がいやに響いた。ぎょっとして立ち止まりかけた白石の足、若槻の無言の叱咤に止まらずにいられたようなもの。

「父君の言葉かい? あれは中々に強烈だった」

「まぁね。強烈だったね」

 相葉がうなずけるよう言葉を促した己、と若槻にもわかっていた。無論、相葉にそれと察せられてしまっていることだろうとは思う。

 ――乗ってきた、ということは。

 相葉が呟いた理由は違う、ということではないのか。ならば何を相手に彼は。滅びを望むとは、若槻には想像もできない感情のように思う。それほど憎んだ存在などいまだ経験がない。

「何をむつりと考え込んでいるんだ、君は」

「うん?」

「不景気な面をしないでくれたまえよ。前を見ろ前を」

 にっと笑った相葉だった。それには思わず若槻も笑みを返す。相葉は何を押し込め、何を言わなかったのだろうとは、思いつつ。

 歩き続けてどれほど経ったか。若槻など一晩歩いているような気がしているのだが、陽射しはようやく翳ってきたというところか。だが山深くに抱かれた道はとっくに暗い。

「白石君、足元は大丈夫かい」

「まだなんとかは……」

「不安があれば言ってくれたまえよ」

「相葉君、聞いてもいいかい? もし白石が危険だとしたら、君はどうするんだ?」

「そりゃ明かりをなんとかするしかないだろう。こんなところで立ち往生はごめんだね」

 そのために予備のマッチを数多く用意したとでも言わんばかりの相葉だった。たかがマッチで、とは思わないでもない若槻だが。

「君は考えなしだな。用意くらいはしてきているさ」

 鞄の中には舶来の懐中電灯。覗き込んだ若槻が目を丸くしていた。その気配を捉えては白石も笑いをこらえ、だがそうしつつも感じている。本当に危険な場合にのみ彼は明かりをつけるだろうと。


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