第5話
相性がよろしいのだろうな。そう白石は思う。友人らしい友人のいない若槻だった。もし相葉が若槻の友人になれるのならば喜ばしい、とは思うものの。時折感じてしまう相葉へのたまらない羞恥が躊躇を呼ぶ。自分ひとりのことならば勉強ばかりをしている身と反省もするが若槻までも、なのだから。それが不安でもある白石だった。
後部座席で懸念にくれる白石とは夢にも思わず二人は時折交代しつつ山道を運転していく。やはり相葉の運転は達者なもので若槻は彼に任せがちになっていた。そうこうしているうち、白石の郷里の村が見えはじめる。正確には、そこへと続く道が。
「相葉さま、脇道に入ってください」
後ろから身を乗り出した白石に相葉は軽くうなずいてハンドルを切った。途端に跳ねた車体に慌てて若槻が体を支える。白石まで同じことをしていた。
「どこに車を停めたらいいかね」
「空いているところにどうぞ」
「ま、だろうね」
前を向いたまま相葉が笑った。小さな村で空き地はさほどないものの、だからと言って駐車場などもっとない。白石の実家だという家の前から少し外して停めた相葉だった。
さすがに突然に最新型の車が現れたのだ、村はどよめいている。白石の実家から人が出てきたのに村人が群がるところを見れば白石は村長の息子、というところか。
――なるほど。納得だ。
僻地と言っていいだろう村から高等学校に通い、あまつさえ大学まで進学したとなれば考えてみるまでもないことだったかもしれない。優秀であれ、学問には金がかかる。相葉は運転席のドアを開けて降り立ちつつちらりと白石を見ていた。
「お騒がせして申し訳ありません、ただいま戻りました」
「まぁ、一夫さん。あなた……」
「すみません、お母さん」
何か大学であったのだろうか、不安に駆られる母親に白石は照れ笑い。それで年配の婦人は落ち着いた様子。相葉は淡々とした眼差しで眺めていた。
「こちらは寄宿させていただいているお屋敷のご主人で、若槻さまとおっしゃいます。もうお一方はご友人の相葉さま」
「まぁまぁ、息子がお世話になっております。なんぞ不始末をしてはおりませんでしょうか」
「とんでもない。よくやってくれておりますよ」
にこやかな若槻に母親があからさまにほっとしていた。それに村人もたいした用事ではない、と見定めたのか三々五々と去っていく。
――典型的な田舎の村だな。
なんの不審もない、よくある村の景色に相葉がかすかな安堵を浮かべていたと気づいたものはいない。その間にも白石の両親が自宅へと客を誘っていた。
「お言葉に甘えさせていただこう。いいかい、相葉君」
「もちろんだよ。御母堂様、お手間をかけます」
すらりと一礼した美青年に彼女はぽかんと口を開けた。白石の顰め面に気づいてはすぐさま改めたけれど。もっとも息子からして気持ちはわからなくはないのだから母親を責められないと苦笑してもいた。
昔ながらの男らしく、白石の父は無口な男だった。だからと言って不機嫌ではなく、唐突に帰ってきた息子を見る眼差しは案外と優しい。
「申し訳ないのだが。ちょっと話を聞かせていただいてもいいかね?」
和やかな中で持ち出しにくい、そんな若槻の表情に父母は気にしないでほしい旨を訥々と語る。が、温和な空気もほどなく変わるだろう予感が相葉にはあった。
「白石君から奇妙な村が近くにある由、聞いたのだが」
そう、若槻が言った途端だった。母は蒼白に、父は体ごと強張り。息子がそれには驚くほど。これほど顕著な態度を見せるとは予想していなかった。
「母さん。私は近づいてはならない、とお教えいただいた通りにしてまいりましたが」
「その通りです。あそこには――」
「行ったらならん」
「父さん、それは――」
どういうことだ。白石の言葉を遮るよう父は唇を噛み締める。もしこれが若槻と相葉だけであったのならば手も足も出なかっただろう。だが息子は怯みもせずに乗り出した。
「市内で神隠し……行方不明事件が起きている、と話題になっているんです。お二方はそれを調査なさっておいでで、あの村が怪しいと目星をおつけです。ご存知のことがあれば、是非お教えください。この通りです」
手をついて頭を下げた息子に母がおろおろと。黙念と口を引き結んだ夫を見たものの、彼は無言で首を振るだけ。
「む、ならば致し方ない、か……」
「どうするんだね、若槻」
「そりゃあ、向かってみるしか――」
「行っちゃならん!!」
まるで悲鳴のような怒号だった。あまりのことに驚いたのだろう妻が腰を抜かす。慌てて息子が支えに出たけれど、父は気づいてもいないのか真っ直ぐと二人を睨む。
「あの村には、行ったらならん」
「なぜか伺っても?」
端然とした相葉だった。若槻は気を呑まれかけていただけに感嘆の眼差し。相葉は笑みさえ含んで白石の父を見ていた。
「あの村は……おかしいんだ」
「というと?」
「何もかにもない。おかしい、奇妙で……行ったらならん。近づいたらいかん」
「御尊父は行方不明事件のことはご存知で? その村の人が消えているようなのですがね」
「知るか! もしそれが本当なら赤飯でも炊いて祝いたいくらいだ。小八木村なんぞ滅びろ!」
その言葉には白石がまず驚く。父親の物言いとも思えない。若槻は若槻で非常に不愉快だ。いかなる理由があれども他人の不幸を祝ってよい法はない。顔に出さずにいるためには視線を外すしかなかった。
――相葉君?
そのせいか。相葉の表情がふと目に入ったのは。彼は何かを察したような、気のせいと言われれば信じるだろう目の色。しかし若槻は見たのだと思う。そのときには消えた色合いだったが。
「まさ……若槻さま。どうしましょう」
つい普段通りに呼びそうになった白石に若槻は笑みを向ける。胆力のある男と思っていたが、動揺している様子。父母がこれでは仕方ないことだと内心にうなずく。
「若槻」
「うん、なんだね?」
「君は戻れ」
不意に顔を上げた相葉だった。真正面から見据える眼差しに若槻は目を瞬く、白石まで同じことをしていた。端正な青年の顔に浮かんだ表情は、何と言えばいいのだろうか。
「白石君のご両親様はこれほど心配なさっている、君らは戻れ」
「けれどな、相葉君」
「僕は本職だ。忘れたのかい」
悪戯っぽい笑みが、張りついたようだった。作り笑顔、と見ればわかるそれ。若槻は唇を噛み締める。ここで引くことはしたくない、と口を開く前に白石が腰を浮かせた。
「若槻さま、戻りましょう」
「白石!」
「相葉さまのおっしゃる通りです」
険しい眼差しの父親に彼はうなずいてみせた。それでほっとかすかな吐息がもれるのを確認し、白石は席を立つ。すぐさま相葉も続いた。
「お騒がせして申し訳なかった」
母親に頭を下げればぎくしゃくとしたままの彼女。縋る眼差しで息子を見つめ、彼はそんな母に大丈夫とばかりうなずいた。
車に戻る間も若槻は無言だった。しばし走らせてのちもずっと。充分に村から離れたと見るや白石が運転席の背中を叩く。相葉の溜息が聞こえ、だが車は停まった。
「白石君、君は納得していないのかね」
「してません」
「待ちたまえ。なんの話だ!?」
「征克さんはこのまま戻れますか。俺は戻れません」
「君は……」
「あの場はああでも言わない限り父は力ずくで止めに来ましたよ」
後部座席でまるで若槻のよう肩をすくめた白石だった。それにはぽかんとする若槻で、白石の唇も緩んでしまう。相葉だけが面倒だと顔に出ていた。
「白石君はそう言うがね。御尊父の言葉を軽くみるものじゃないだろう」
言いつつどことなく相葉は揶揄するかのよう。彼自身は父も母もないとでもいうような。その言葉を容れる気は毛頭ないと宣言するような。
「待ちたまえ、相葉君。君は僕に戻れと言う。そうなのだろうな。それが賢い選択なのだろうと僕もわからないでもない」
「だろう?」
「だから現実的な話をしよう。仮に僕と白石がここから戻ったとする。そのあと君はどうするつもりだ」
「無論、向かうさ。小八木村だったか? そちらまでね」
「だろうな。だったら、だ」
若槻は車の窓からわざとらしく外を見た。否、空を見上げた。思わせぶりな態度につられるよう白石が見た空は午後の陽射し。
「そういうことだ。ここからその村に向かって、君は調べるのだろう。僕が言いたいのはそのあとだ」
「うん?」
「君はね、相葉君。神隠しが起きているらしい村に泊まる気か?」
どう考えても夜になる。白石の父があれほど頑強に行くなと告げた村。聞き込みから行方不明が起きているらしい村。その村で一晩を過ごすつもりか。
相葉を詰る若槻に白石は目を見開いていた。主人がこれほど一人を案じる姿は見た覚えがないほど。相葉が抗弁するより早く若槻の援護を、と思うものの口が達者な方ではなく言葉がうまく出なかった。
「なぁ、相葉君。僕を心配してくれる君の気持ちは嬉しく思う。本当だ」
「心配なんぞしてないよ。巻き込まれる人間は少ない方がいい。それだけさ」
照れ隠しにも似た言葉に、一瞬は聞こえた。だが相葉の口調にあった奇妙な抑揚。巻き込まれる、とはこの件であるはずなのに、違うことを言ったと聞こえて仕方なかった。
「ま、君がそう言うならそれでもいいがね。相葉君は小八木村だったか? 何かあるのだろうと思っているのだろう?」
「まぁね」
「だったらな、僕はともかく白石は連れて行くべきだ。白石の剣の腕は是非とも頼るべきと僕は思うがね」
「僕にも武器はあるんだ」
「銃だろう? 弾はどれほどあるんだ? 極論だが、村人全員がなんらかの理由で敵対したと仮定する。君の弾は足りるのか」
「……過激なことを言うものだね、お坊ちゃん」
「坊ちゃんに言われるくらい君は無謀なことをしようとしているということだよ」
勝ち誇るでもない若槻だった。正直に言えば白石は恐れてもいる。父のあの態度を見るにつけ、怖くないとは言えない。しかし相葉をここで見捨てる気にはもっとなれなかった。
「相葉さまの銃と俺の刀とがあれば、大抵のことは乗り切れるのではないかと思いますが」
「君は僕の技量を知らないだろうが」
「相葉さまは腕に劣るとお思いですか」
真正直に尋ねられてしまっては相葉も肩でもすくめて諦めるより仕方なかった。それでもまだ彼は思う、巻き込みたくないと。彼らのためではなく、己のために。心の底から強くそう相葉は思っていた。伝わらない、伝える気もないそれならば、口にはせずに。
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