第4話


 もっともなことだったと口を挟んだ若槻は照れた顔。ついでとばかり言ってみた。

「たとえばね、訪ねてみたりはしないもんかね」

「はぁ、なんでそんなことを」

「そりゃあそうだ。ご無理を言ってすまなかったね、些少だが受け取ってくれるかい」

「こりゃご丁寧に」

 相葉が差し出した幾許かの金銭を女将はこだわりなく受け取ってくれた。それに相葉がわずかに息をつく。

「悪かったね、相葉君」

「何が?」

 ふん、と素っ気ない相葉ではあった。が、聞き込みの邪魔をした若槻を彼は許容している。ちらりと若槻の口許が緩み、それを見やった相葉の目に剣呑な色。それをまた若槻が笑った。

 しばらくの聞き込みののち、どうにも行方不明が多発しているのは特定の村の住人らしい、とわかった。しかも、白石の顔色がよくない。

「どうした?」

 若槻に問われてもしばし白石は無言。意を決したよう、顔を上げては彼らを見つめた。

「本当に、俺の郷里の近くみたいです」

「なに?」

「そういえば、親父たちが口にもしたがらない村があって」

 いまにしてそれを思い出した、と白石は言った。偶然ではあろうけれど、何か嫌なものを感じないでもなかった若槻は相葉を瞥見する。彼は気にした素振りもなく肩をすくめていた。

 ――僕は神経質になっているかな?

 自分の書生の郷里である、ただそれだけのことだ。白石が事件のことを知っているわけでもなかったし、まして関係しているわけもない。

「征克さん、向かわれるんですか」

「そりゃあ、行くつもりだが。だって相葉君は行くんだろう」

「君が持ってきた話だがね。まぁ、放ってもおけまいよ」

「ほらな? ならば行くまでさ」

 楽しげに笑ってみせる若槻の笑顔が平素と違う、書生として常に見ている白石は顕著にそれを感じたけれど相葉にはわからないだろう。

 ――だったら。

 同行した方がいい、心を決める。郷里の人が語っていた気味の悪い話を思えば近づきたくなどなかったが、若槻を一人で放り出すことなど考えもしなかった。

「白石君」

「あ、はい」

「君が知ってる話を聞かせてくれたまえ」

 相葉に言われても困惑する彼だった。正直に言えば「知らない」としか。こそこそと影で何かを語っているようなのだけれど、それが気味悪かったのだけれど。そう伝えれば相葉は仕方ないとばかりうなずいてくれた。

「閉鎖的だ、とだけしか。すみません」

「なに、気にすることはない」

「古い村だとか、小さなところだとか。そのくらいしか……」

 申し訳なさそうな白石を若槻が慰めていた。たまたま郷里が近かった、というだけのこと。知っていれば儲け物程度にしか相葉とて思っていないだろうと。その慰めのおかげかどうか。ふと白石は瞬く。

「そういえば……他愛ない話なんですが」

「かまわんよ。どうした?」

「ひどく迷信深い、と聞いたことはありました」

 促した相葉が、だがそれには顔を歪めていた。そんな話か、と見下したのではなく、聞きたくないものを耳にした、とでもいうような不可解な表情。若槻は見なかったふりをした。

「迷信深い、ね……」

「申し訳ありません、相葉さま」

「小さな村ではよくあることさ。君が悪いんじゃあないだろう」

「うん、相葉君。そんな経験があるのかい?」

「探偵だからね。色々あったさ」

 誤魔化した、若槻は短い付き合いながらも顕著に感じた。それだけ相葉は動揺したのかもしれない。たかが迷信。相葉のような男が気にする話とも思えず若槻は内心に首をかしげるばかり。

「なるほどね。いつかその探偵談も聞かせてほしいものだが。まずは神隠し事件と行こうじゃないか!」

「勢い込むのは結構だがね。白石君の郷里はどの辺りだい?」

「それは……その。いまからは、ちょっと」

「だと思ったよ」

 にっと笑った相葉に若槻は赤くなる。はじめての探索に高揚しているのを感じてはいたが、指摘されるとなお気恥ずかしい。そんな若槻に白石まで「準備を整えた方が」と控えめに言った。

「ほう、何が必要だい?」

 しかし乗ってきたのは相葉。現地にほど近い土地を知っている白石がいるのは幸いだったと笑みを向けられて彼まで赤くなる。主従揃ってのそんな顔を相葉は見てもいなかった。

「足拵えはした方がいいかと。山の中、と思って間違いはないので……」

「火の用意と水筒、応急手当ての道具類、そんなものもあった方がいいかな?」

「はい。消毒用アルコールはこちらで準備できます」

「結構。頼んだ」

 医学生ならば所持している分があるだろう、相葉はそれとなく若槻に紙幣を渡す。彼から白石に都合してやってくれ、と。

 ――案外と言ってはなんだが……こんな心遣いをする男なんだなぁ。

 探偵として様々な場にも出入りするのだろう。そうして身につけた作法なのだろう。微笑ましいと言っては馬鹿にしているようで若槻は言わなかった。

「じゃあ、それぞれに準備をして。明日の昼前にジルエットでどうだ?」

「僕はかわまんよ」

「あの、征克さん。それだと間に合いますか」

「あぁ、車を出すさ。っと、相葉君。君、運転は?」

「そりゃできるさ」

「なら交代で行こう」

 にやりとする若槻はわくわくとしてもいるのだろう。本物の事件、本物の探偵、本物の探索。生家に戻りたくないがために高等遊民を気取っていたけれど、これほどときめく経験は中々にない。

 翌日。相葉がジルエットの扉を開けたときには若槻たちがすでに待っていた。白石は普段とさして変わらない格好をしているが、彼にとって袴姿は動きやすいもの、ということなのだろう。が。

「なんだそれは」

 若槻に呆れてしまった。いったいどこの探検に出かけるつもりなのか。長袖はともかくも、ここはどこだと言いたい。黄土色のそれには数多くのポケット、腰はしっかりと共布のベルトで締める形になっている。

「舶来のサファリジャケットさ。駄目かい?」

「駄目じゃあないがね。君ときたら……」

「ちょうどいいと思ったんだがなぁ」

 白石も不賛成の様子。相葉も背広でこそなかったが、そこまでの重装備ではない。多少厚手のトラウザーズに編み上げの堅い長靴程度のものだ。これでは自分ひとりはしゃいでいるようで若槻は照れてしまう。もっとも、それで終わらせてしまう彼でもあったのだが。

「さて、食事をしてから向かおうか」

 相葉は若槻の格好をなかったことにするらしい。まだ知り合って時間が経っていないどころではない、今日で三度目。それでいて若槻の扱いを心得た彼に白石はちらりと笑っていた。

「そうだね。精をつけて行くことにするよ、僕はね!」

「勝手にしたまえよ。僕は鰆のムニエルを」

 呆れ返ったままに相葉は店主に注文をする。店主の方も口許で笑うのみでうなずいた。続いて若槻が元気よくビフテキをと声をあげ。

「白石、遠慮はいらんのだよ?」

「してませんよ。こちらに出てくるまで魚はあまり食べたことがなかったものですから」

 郷里が山の中とあっては魚のフライも珍しいもの、なのかもしれない。二人してあっさりとしたものを選ばれてしまった若槻はどことなく不満げ。

「君もかい、相葉君」

「僕は魚が大嫌いなんだよ」

「うん?」

「だから喰らい尽くしてやりたいのさ」

 皮肉に笑った唇が何を意図していたのかは、わからない。相葉も口にすることはないだろう。意味も意図もわからなくとも、その言い振りが面白くて若槻は楽しげに笑っていた。

 相変わらず店主の作る料理はうまい。カフェーだというのに銀座の店のような洋食が平気で出てくるジルエットだった。満腹した彼らは意気揚々と店を出る。ジャケットと対のハットを自慢げにかぶった若槻は相葉のハンチングを見やる、いい帽子だなと。見なかったことにするらしい相葉共々お怪我がないように、店主が見送っていた。

「ジルエットのマスターは料理上手だねぇ」

「若槻は知らなかったのか? あそこの店主は銀座の一流店で修行した元コックだよ」

「そうなのかい? ちっとも知らなかった」

 驚く若槻だったが、店主の来歴よりそれを相葉が知っていた方にこそ、驚いていたのかもしれない、決して口数の多い男ではないというのに、相葉はどうやって聞き出したものやら。

「そりゃな、君の誤解だ。僕はたまたま元いた店を知ってただけさ」

 肩をすくめた相葉だった。若槻とて一流店に出入りはしているが、ふと夢想してしまう。盛装した相葉がその場にいたならばどれほど見事だろうかと。

「なぁ、相葉君。君はダンスの心得もあるのかい?」

「探偵だと言っているだろう。なんでもできるのが基本さ」

「ははぁ。君が着飾って社交界に顔を見せればご婦人の視線は釘付けだね」

「品のないことを言うもんじゃない」

「ダンスホールでも人気だろう?」

 にやりとした若槻に相葉は見下げ果てたと言わんばかり。ひやひやとしているのは白石ひとり。相葉も若槻もただの洒落でしかないと理解していた。

 若槻が出した車はさすがと言おうか最新型の立派なもの。これはスピードが出そうだと、そのときばかりは相葉も嬉しげ。

「あまりご無理をなさらないでくださいよ」

 白石が念のために、と言い添えたことを鑑みれば相当な悪路は覚悟すべきか。市内中心地からしばし。若槻は運転を気分よく楽しんでいた。それが次第に難儀するようになる。

「代ろう」

 そろそろ疲れただろう、相葉は言い訳をくれたが若槻としては忸怩たるものがある。悪路というより難路だった。細い上に狭い、砂利と泥が入り混じってはタイヤを取られることもしばしば。

「すまん、頼むよ」

「任せろ」

 淡々とした相葉に代わってもらって今度は若槻が助手席へ。出発するとき、そちらには白石が座ると言って聞かなかったのだが、運転を交代するのならば面倒だと退けた甲斐があった。

 ――鮮やかなものだ。

 同じ車を操っているとは思えない、と若槻は目を見はる。俊敏な獣のようすいすいと走っていく車だった。どれほど練習したのだろうと思ってしまう。

「これは、僕も身を入れて練習しないとなぁ」

「君は運転手がつく身の上だろう」

「そんなこともないさ」

 白々しい言い訳を相葉が笑う。生家に帰ればそのようなことにもなろうけれど、若槻は断固として戻るつもりが一切ない。

「これからは運転くらいできないとね。白石」

「はい」

「君も折を見て練習してごらん」

「俺ですか!?」

「なぁに、うちには古い車があるだろう。あれならいくらぶつけてもかまわんよ」

 からからと笑う若槻に、だからいいところの坊ちゃんはとでも言い出しそうな相葉。後部座席から二人の間に身を乗り出すようにしていた白石は思わず笑みを浮かべていた。


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