第3話


「白石、出かけるよ」

 数日後、ばさりと新聞を置いた若槻だった。おおよそこんなことになるだろうと感じていたのか白石はどこか諦め顔。わかりました、とだけ言ってついてくる。

「おや?」

「征克さんだけでお出かけになるといつお帰りかわかりませんから」

「酷いことを言うものだ」

 顔を顰めつつ、これは本格的に父の監視が厳しくなってきたかと溜息をつく。白石は若槻の書生ではあるのだけれど、よもや本家の当主に逆らえるはずもないし、そこまで求めるつもりもない。

「どちらへ?」

 さっと外套をまとった若槻に従う白石は普段通りの格好だった。それを咎めるでもないのだから気楽な外出なのだろうと白石も察している。案の定。

「やあ、相葉君」

 名刺に記されていた事務所に直接赴いた若槻だった。片手を上げるさまなどずいぶんと決まっている。西洋好みと揶揄される若槻だったが本人の姿がよいから嫌味ではなかった。

「なんだ君か。ご依頼かね」

 にやりと笑った相葉は机に向かったまま片手を上げ返す。若槻がすらりとした長身であるのなら、相葉は線の細い美青年といったところか。指先に煙草を挟んだ仕種も物慣れない白石には赤くなるほど。

「依頼ではないねぇ。ちょっと聞いてくれないか」

「どうぞ」

 肩をすくめた相葉は仕方ないとばかり来客用の応接セットへと席を移した。白石などどうしていいものか、こんなときにはいつも迷う。迷った挙句に若槻の背後に立つのだけれど、相葉は面倒だから座れと言ってきた。

「そうしたまえよ。君は一々気にしすぎだ」

 大学生の気概を持ちたまえよ、からりと笑われても所詮は田舎の出。中々若槻のようにはしにくかった。

「それで、なんのご用だい」

「面白い……と言うといささか不謹慎だがね。君の興味を引くんじゃないかと思って話を持ってきたんだ」

 これだ、と若槻は手帳を開いて相葉の前へと差し出した。どうやら新聞記事の書き抜きらしい、真面目なことだと呆れ半分感心半分。相葉はもう一本煙草に火をつけ、精読をはじめた。それを見つつ若槻も煙草を取る。二人のそれが灰に代わるころ、相葉は読み終えていた。

「どうだい、面白そうだろう」

 きらきらとした目、と言ったら若槻はどうするのだろう。相葉は苦笑してしまう。純真無垢な幼子、のふりをしている程度のことは見ればわかるが、本人が自覚しない部分で彼は純なのだろう。

 若槻が持ってきた話はこうだ。曰く、行方不明事件、と。どうやら市内で行方不明が多発している模様との記事だったが、相葉としてはさして興味を引かれるような話でもなかった。

「こちらを見たまえよ」

 そして、はじめから若槻にもそうとわかっていた様子。手帳を繰った先には雑誌の切り抜きが。読みにくいそれに顔を顰め、相葉は目を眇めていた。それが、次第に変わっていく。

 ――やはり。

 この手の話題には、惹かれる相葉だと。初対面で得た感覚は間違いではなかった満足感に浸る若槻に向け、相葉が視線を上げた。

「僕のつぼをご存知だね、君は」

「ははは。どうだ、気になるだろう」

「まぁ、ね」

 ふんと鼻を鳴らした相葉だった。雑誌の切り抜きにはこうある、神隠し、と。古くさいにもほどがある言葉ながら田舎ではまだ通じるに違いない。が、これはこの都津上市内での事件。

「市内と言っても広いからね。どこかは僕も知らないんだ。これを調べてみないかい?」

「うん?」

「僕と君とでさ。調査と行こうじゃないか」

「あのなぁ、若槻。君はどうにも楽天的にすぎるんじゃないか。君は素人だろう」

「否定しないさ、それはね。だがね、相葉君。僕の生まれというのは役に立つぞ」

 傍らで借りてきた猫のようになっていた白石はその言葉に驚いていた。普段は生家が何するものぞと出自を隠したがる若槻が、あえてそんなことを言うとは。ちらりと見やった相葉は、あの日に見たよりもまたいっそう鮮やかで目のやり場に困る。単に見目のよい青年、というだけではない雰囲気を彼は持っていた。それにどぎまぎとする己であるからこそ、白石は若槻が心配にもなるのかもしれない。

 ――お父上さまに申し訳が立たないようなことにならないといいんだが。

 三十の声を聞いた若槻だった。いい加減に身を固めろと本家ではうるさく言っているらしい。それに反発した若槻がそちらの趣味に、とはあり得るようで白石は気が気ではない。

「まぁ、そうだろうね」

 渋い顔をした相葉がうなずいていた。若槻の有用性は彼も納得せざるを得ない。聞き込みに行くのならば実家の名声も、何より即物的な金銭もこの上なく役に立つ。若槻はそれすら飲み込んで言っているとうなずいていた。

「ま、しょうがない。同行したまえよ」

「ありがたい!」

「まったく、君は。なんでこんなことに首を突っ込みたがるのだか。こんな坊ちゃんに仕える君は大変だろうとご同情申し上げるよ」

 にっと笑った相葉に白石はへどもどと頭を下げた。それを笑われてもいっそほっとするくらいの彼だ。では行こう、と席を立ったのに安堵する。

「そういえば、若槻」

「なんだい」

「君はずいぶんと……庶民的な煙草を呑むんだな」

 にやりとした相葉に若槻は目を瞬く。手帳を読みつつこちらを見ていたとはついぞ気づかなかったものを。これだから素人扱いされるのだと悟った気分。指摘した相葉からしてそのつもりだった。

「好きなんだよ、放っておいてくれ」

 先ほどの相葉のよう鼻を鳴らした若槻に白石が思わずといった調子で吹き出す。慌てて取り繕うさまを相葉が笑った。

「僕はバットは呑んだことがないな」

 ふむ、と首をかしげるような相葉に若槻は少し驚く。ゴールデンバットが庶民の友ならば敷島は紳士のたしなみ。はじめからそんなものを呑んでいたとは思いがたいのだが。

「僕が煙草を覚えたのは儲かるようになってからだからね」

「あぁ、なるほどなぁ」

 ほうほうとうなずく若槻が不安になる相葉だった。こんなにもあっさりと他人の言葉を信用するとは白石の頭痛は酷いだろうに。思いつつ、相葉は内心に苦笑していた。ずいぶんと苦いそれは決して他者に見せるものではない。己で感じて全身に苦さが満ちていくようにも思うのだから。

 ――馴染みたくなどないものを。

 素っ気なくあしらっても平気で寄ってくる若槻をどうしたものか。面倒な手合いでもあるのだけれど、さして嫌な気分でもないのが更に困惑の種ともなっていた。

 聞き込みに、と彼らが向かったのはなんのことはない、事務所からもほど近い繁華街。都津上駅の前は多くの人が行き交い、数多の店が軒を連ねている。ひときわ目立つ百貨店にはうら若き婦人らが足取り軽く吸い込まれて行った。

「君の事務所はいいところにあるな」

 今更だ、と肩をすくめた相葉を若槻は照れて笑う。儲かるようになってから煙草を覚えた、というならば相葉は儲かっているのだろう。ならばあの立地もうなずけた。

「あぁ、あれかね。聞いたことはあるが。都津上かね、あそこは」

 二人して煙草呑みだ、ちょうどいいとばかり煙草屋で予備を買うついでに尋ねてみればさも嫌そうな親父の顔。あそこは市内ではないと言い出しそうだった。

 無理もないかもしれない。いまでこそ広い都津上市ではあるけれど、元々この辺りにあった都津上村が中心地。更に言うなら海辺にいまもある集落が本来の都津上、らしい。

 明治のころに港が開かれ、外国人居留地ができ。商業と異文化の街として発展してきた都津上だ。それが少しずつ広がって、いまでは山手の方まで市内になっている。煙草屋の親父が言うにそちらでの出来事らしい。

「わしにゃあ関係がないからね。あっちの方のやつらは言っちゃ悪いが田舎もんだろう」

 それには若槻は苦笑をこらえる羽目になった。根っからの都津上っ子を自慢にしているのだろうけれど、こことて元は漁師の村だ。都会では決してない。いまは発展した、と言うのかもしれなかったけれど。

「どうした、白石君」

 煙草屋を出てすぐだった。さして有用な話でもなかったな、と残念に思う若槻の一歩後ろを歩いていた白石に相葉が問いかけたのは。慌てて振り返れば、ほっとしていたと気づかれてばつの悪そうな白石の表情。

「白石?」

「いえ。臆病なことで――」

「そういう前置きはなしにしてくれたまえ。僕は面倒なのが嫌いなんだ」

「――と、相葉君は言っているのでね。率直にいきたまえよ」

 にやりとした若槻に白石は力なく笑う。彼と二人でならばそれもいいが、言ってみれば主人の友人相手にそれができるものか、と白石は言いたい。

「さぁさぁ」

 それと悟った若槻が茶化すよう囃し立て、相葉の目がかすかに和んだ気がした。すぐさま顰められたそれであっただけに、確かに彼はそうしたのだと白石は思う。

「たいしたことじゃないんですよ。――自分の郷里はその山の方なもので」

「あぁ、気分がよくないな、それは」

「いいえ、征克さん。そうではなく。その……村では、海には行くな、と言われるんですよ」

 ほう、と目を丸くした若槻だった。土地柄なのか面白い話もあるものだと。偶然にもその彼の体に隠れてしまっていた相葉だった。わずかに顔色を変えた彼とは、二人共が気づかないまま。

 ――何か、あったな。

 だがしかし、若槻はこれで聡い。己の背後で相葉が体を固くした気配めいたものを捉えていた。とはいえ、驚いてもいる。白石のよう武術に励んだわけでもない身だというのに、これほど顕著に捉えられたとは、と。見れば白石の方は郷里の話題にしどろもどろなのか相葉の様子に気づいてはいなかった。

「面白いと言っては悪いが、興味深い話もあるものだね。今度ゆっくり聞かせてくれ」

「理由なんて知りませんよ」

「いやいや、思えば白石がどんな生活をしてきたのか、どう育ったのか、僕は知らないんだよ」

 面白いじゃないか。揶揄するのでも見下すのでもない。知らないことを知りたい、純粋な好奇心がそこにはあった。

「それで満足して帰りたまえよ、若槻」

「それは違うな。なんだか気になるだろう? このままじゃあ夜も眠れないじゃないか」

「だったら昼寝をしたらいい」

 にっと笑った相葉は本気で帰すつもりはないのだろう。さっさと歩いていく彼に従っても文句は言わなかった。山の方、と聞いたからか相葉が向かったのは小さな八百屋。若槻など大きな店で聞けばいいのに、と思うのだが。

「あそこの人かい。知ってるよ。もうしばらく来てないねぇ、気にはなってたんだが」

 心配そうな八百屋の女将にようやく若槻は悟った。小さな店だからこそ、直接に知っているかもしれない、そう相葉は考えたのだと。現にこの八百屋には山菜を売りに来ているとのこと。それがしばらく絶えているらしい。眉根を寄せた相葉に代わって若槻がふと口を出す。

「行方不明だって話もあるんだが、そのお人もそんな話になってるのかな?」

「さてねぇ、旦那さん。あたしは売り買いしてるだけなんですよ。あの人がどんな暮らししてるのかも知りゃあしません」

 ならば行方不明などわかるわけもない。単純に来ていないのか、失踪しているのか、女将に区別はつかないのも無理はなかった。


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