一章 音透

#4 私のこと

私はどうしてここに来たんだっけ。


…………この人達カタルシスを殺すため。


そう命令されていた。


だけど私は何故かリーダーのような人と握手をしている。



そもそも、ここに連れてきてもらったのは施設から追い出されたところを助けてもらったからだ。



〈あんたがいると、あたしが女として生きられないのよ!

……あんたさえいなければ、あたしはもっと幸せだったはずなのに〉


〈あんたがいたから、あたしはあの人に捨てられたの!〉



あぁ、こんなことも言われたっけな。



私が6歳のときに両親は離婚した。


ずっと喧嘩ばかりしていたから、あまり仲がいい両親の姿は記憶にない。


それからはお母さんからの暴言と暴力、私と会う度に変わる偽の父親の記憶しかない。



そして、忘れもしない私の10歳の誕生日。



初めてお母さんと手を繋いで外へお出かけするんだとウキウキしていた日。



〈お誕生日おめでとう。二度と私の前に現れないでね〉


寒空の下に放り出された。



私の誕生日は1月だから、ものすごく寒くて、でも10歳の世間知らずな私にはどうすればいいのかなんて全く分からなかった。



それに実はお母さんは誕生日プレゼントを買いに行ってるのかもとか、


新しいお父さんと一緒に迎えに来てくれるのかもって思ってた。



…………そんな都合のいい夢を見ていたかった。



「君、大丈夫かい?」


今夜は冷え込むよ。先生のところにおいで。



かじかんだ真っ赤な手を握ってくれたのは、自分のことを”先生”と呼ぶ人。


先生は、私に温かいご飯をくれたし、新品の服をくれた。



先生の家での暮らしはすごく幸せだった。



だけど、私が……いや、私の身体が徐々に大人になっていくようになってからは先生の目が変わった。


思い出したくもないけれど、先生は私をソウイウ対象に見てた。



触られたり、キスを迫られることもあったし、相手をしろと命令されたこともある。



〈君はお人形みたいに可愛らしい顔しているからね。そうやって黙って笑っていればいいんだよ。……ほら、抵抗なんてやめたらどうだい?〉



このまま、言う通りにしていれば私が望む幸せな生活は手に入る。


もう二度と冷たい地面の上で一夜を過ごすことはなくなるんだ。



〈……わかりました〉



気づけば私の口は勝手に動いていた。



それからのことはあまり覚えてない。



覚えているのは鉛のような身体の重さと、壊れてしまいそうな腰の痛み。


脳裏に響く、口から勝手に出ていった自分の気持ち悪い嬌声。




その日から私は感情というものを捨てた。



感じるから辛くなって、幸せな過去を探して手を伸ばしてしまうんだ。



なんだ簡単なことじゃん。


だったら何も考えず、感じず、求めなければいい。



そんな時だった。



「失礼します、クロノス・センターの清水と申します。こちらに15歳になられた方がいらっしゃると思うのですが……」


「はい。この子がそうですけれど何か……?」



メガネを掛けた、立派な服を着てる長身の男が私を訪ねてやってきたのだ。


私を前に押し出した先生は何故だか嫌そうな顔をしていたけれど。



「クロノカルマ法に基づいて、彼女を少々お借りしたいのです。15歳になっているのなら、試験をうける必要がありますし」


「あぁ〜……わかりました」



それでは行きましょう。


長身の男もとい清水さんが私の手を引っ張って黒い大きな車に乗せた。



「……どこに行くんですか?」


「心配することはありませんよ。私の職場です。

健康診断を受けてほしいのです。


君は年齢の割には細すぎるし、所々傷がある。


だから一度医師に診せる必要がありますから」



もう大丈夫ですよ。


そう言って柔らかい笑みを浮かべた清水さんに心底安心して、繋がれた手をギュッと強く握り返してしまった。



いつもよりも時間が疾く流れている気がした。



「着きましたよ。こちらへ」



……すっごく大きなビル。


見上げすぎて首が痛くなってくる。



スィーッと開いたドアに体を滑り込ませれば、小さな部屋に通された。



「読み書きはできますね?」


「は、はい」



結構です。と微笑んだ清水さんはまた違う人に耳打ちして、壁に浮かんだ数字を10:00に変えた。



「その紙に書かれている問題を解いてください。

終わったら、ここを触ってタイマーを止めて隣に来てください」



壁一面真っ白な誰もいない部屋の中で私は、一枚の"頭脳テスト"と書かれた紙と向き合った。



「(……全部簡単だ)」



パッパッと問題を解いて、壁の数字は09:00。



「(隣の部屋……ここかな?)」



控えめにノックすれば驚いた顔の清水さんが私を出迎えた。



「もう解き終わったのですか?」


「はい……」



引ったくられるようにして取った紙を見た清水さんがなんて呟いていたのかはわからない。


ただ怒っているわけではなさそう。



「あぁ、失礼。それでは、こちらで健康診断と体力測定をしてもらいましょうか。服を脱いで待っていてください」


「わかり、ました」


「健康診断は女医が担当しますから大丈夫ですよ。

では、また後ほど」



服を脱いで、という言葉にふるりと震えた私の肩を見逃さなかった清水さんは目を背けたまま部屋を後にしてくれる。



女医の先生なんだ……よかった。



そのまま色んな部屋をたらい回しにされて、気づけば外はオレンジ色。



「……これは」


「何か問題ですか、?」


「いえ、素晴らしい結果です!早速所長の元へ向かいましょう!!」



ホッチキスで止められた沢山の書類を捲った清水さんは喜色満面に私の手を引いて歩き出した。



すごく暗いところ。


この先に所長さんがいるのだとか。



にしても、どうしてあんなに嬉しそうなのだろう。


それから時折聞こえる"マウス"とは私のことだろうか。



「所長、失礼します」


「どうぞ……これはこれは。結果が出たんだね?」


「はい。こちらに」



もう1人背の高い男の人。


この人が所長さんなんだ。



「……素晴らしい。清水くん、よくやった。

さて、そこのお嬢さん。君、名前は?」


「名前……先生は私のことをベルちゃんと呼んでいました。本名はよく覚えていません」



名前を呼んでもらった記憶はほとんどない。


お母さんは常にアンタって呼んでいたから。



「そうか……では質問を変えよう。君はあの家に戻りたいかな?」


「あの家……先生のところですか?」


「そう。戻りたいのなら明日送ってあげよう。

もしも、君が戻りたくないのなら、ここが君の新しい家だ。だから名前をあげようかと思ったんだけどねぇ……」



私が戻らなかったらどうなるかな。


先生は悲しむかもしれない。


だけど、あそこには沢山の私と同じような子がいるし、前に怒られた時「お前の代わりは沢山」って言ってた。



それに、これは神様が用意してくれた逃げ道なのかもしれない。


あの魔の手から逃げるための。



もう二度とあんなことをしなくてもいいのなら、絶対にその方が幸せだ。



「……戻りたく、ないです」


「わかった。それじゃあ、こちらへおいで」



今度は所長が私の手を引いて少し薬品臭い部屋に連れて行く。


真ん中には大きなベッドがあって、背筋がスッと冷えた。



「そこに寝てくれ」


「えっ……?」


「あぁ、違うよ。君に汚いことをするつもりはない。ただね、健康診断の結果、君には今すぐ治すべき疾患があるとわかったんだ。

幸いここには優秀な医師がいるからね。手術を受ければ治るし、色んなところへ連れて行ける。

君が行きたいところ、やりたいこと、全部私たちが叶えてあげよう」


「ほんとう……?」



学校に行きたい。


友達、というものを作ってみたい。


外で遊びたいし、好きなお洋服を着たい。



やりたいことは山ほどあるし、行きたいところもたくさん。



「……よろしくお願いします」


「嬉しいよ。大丈夫、寝ていればすぐに終わるからね。……”良い夢を”」




所長の大きな手が私の目に被さって----------------------





私は意識を完全に手放した。


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