第七十二話 素敵な夜にあの人との逢瀬を~【荒城佳津美視点】


 宮桜姫みやざきさんたちと海泉うみさとに行き、化粧や美容の話で色々と友好を深めてコテージに戻ってきたのは日付の変わる直前の午後十一時四十七分。


 夜風にあたってきますと言って出てきたのですけれど、本当の目的は向こうのコテージに泊っているあの人ですの。


 明かりがついているので、まだ四人で遊んでいるのかしら?


 最近は携帯ゲームで遊んでいる事も見かけますし、年頃の男の子のように振る舞っていただけることが増えて来たので安心していますわ。


 十一歳の頃のあきらさんは鬼気迫る表情でAGE活動をしていましたし、神坂かみざかさんたちと出会うまでは本当に抜き身の刀の様な危うさでしたの。


 あ、コテージのドアが開きましたわ。


佳津美お前だったのか」


「流石はあきらさん。気が付いてくれましたわ」


「気が付かない訳ないだろう。どうした、眠れないのか?」


 本当に気が付いていただけるとは思ってもいませんでしたわ。


 勘がいいと知ってはいますが、わたくしだと気が付いてもそのままの可能性もありましたし。


「少し……、歩きませんか?」


「……まあ、いいか」


 ずいぶんと数を減らした虫たちが僅かに鳴いている声を聴きながら、わたくしたちはそのまま夜の浜辺に向かって歩き始めました。


 何も話す事無く程よい距離を保ったままでコンクリートで舗装された道を歩き、誰もいない海岸を目指す。今はそれだけで十分ですの。


 空には満天の星と満月よりは少し足りない月。


 元々海水浴客が少なかった事もありますが、海岸にはわたくしたち以外の人影は見当たりませんわ。


 照明を何ヶ所か設置してありましたから割と苦労せずに浜まで辿り着けましたし、心地よい潮騒の音と風に乗った磯の香りが運ばれてきましたの。


「素敵な夜ですわね。まさかあきらさんとこうして歩けるなんて思いませんでしたわ」


「夜に出歩く事は少ないからな。それに佳津美お前の爺さんも煩そうだ」


「御爺様に内緒で夜の散歩こんな事をしたら怒られますわ。あの街が完全安全区域だとしましても……」


 御爺様は人格者ではありますが、だからと言ってわたくしを怒らないという事はありません。


 八年前、わたくしのわがままで護衛の青海おうみをGEによって石に変えられた時もそうでしたし、わたくしがAGE活動で危ない真似をした時にもそれはもう怖いくらいに怒られましたわ。


 わたくしが間違った事や危ない事をしたら必ず怒ってくださいますし、悲しんでいる時には優しく接してくださいます。


「暴漢が出たりするからな。最近は特に」


「無許可の移住者ですわね。他人が苦労して築きあげた平和を我が物顔で踏みにじる屑ですわ」


 その居住区域のAGEや守備隊が命を懸けて安全にした街に巣くう虫以下の存在。


 真面目に働く人も少なく、廃棄地区に潜んで盗みを繰り返して金を稼ぐものが多く問題になっていますわ。


 たまにGEに襲われて潜伏先で石に変わっているそうですが、流石にいい気味ですの。


「そういえば、今の今まで輝さんに言い忘れていたことがありますの。あの時、我儘でピクニックに行った私を助けて頂きありがとうございました」


 わたくしはそう言って深々と頭を下げた。


 八年前、あきらさんに助けていただいて何度も顔を合わせていたのに、この一言だけは伝えていませんでしたの。


 七年前に御爺様が何とかAGE登録をしたあきらさんの情報を掴んで食事に誘った事はありましたが、わたくしの口から直接越してお礼を言う事はできませんでしたわ。


「俺がひとりで先走っていた時期のか。もう、八年前になるんだな」


「ええ。覚えていてくださいましたのね」


「覚えているさ。その後の偶然の再会も、佳津美かつみがAGE活動を始めて出会った時の事もな」


「あの頃のあきらさんは少し怖かったですわ」


「あ~、あの時は故郷が襲われてまだ時間が経っていなかったからな。俺が一番無茶をしていた時期かもしれん」


 無茶をしているのは今も変わっていませんわ。


 誰よりも強くて、誰にでも優しくて、助けられる可能性が僅かでもあればその手を取ろうとする。


 竹中さんの一件もそうですの。


 あの時神坂さんはわたくしを説得しに来ましたが、あきらさんが助けられると判断したという事は成功する可能性の方が高いという事ですわ。


 それでも万が一の時は血路を開いてわたくしたちを逃がそうとした筈ですの。


「ええ、変わっていませんわ。あなたが無茶な所も、そして……」


 傍にいるだけでこんなに胸が苦しくて、それなのに堪らなく幸せな事も……。


 この人と共に歩んでいきたい。


 この人の傍に並んでも恥ずかしくないような力を身に着けたい。


 この人に相応しい女性になりたい。


 それだけを心に決めて、色々と努力してきたつもりですの。


 それでもあきらさんはわたくしより遥か先に居ましたわ。


 勉強では学園でもトップで身体能力は世界最強クラス。AGEとしても戦闘能力はかなう人などいませんし、わたくしが苦労してセミランカーに上がればすぐにランカー直前まで手をかける。


 強がってソロでAGEをしていたのも半分当てつけでしたのに、微笑みながらいつも部隊に誘ってきましたの。


 強がるのはやめて一緒に来ないか? 何も言わなくてもあきらさんがそう言ってくださっているのは理解しています。


 だからあの日。環状石ゲートの破壊に成功した日に意地を張るのはやめましたの。


あきらさん」


 わたくしは勇気を出してあきらさんに向かって一歩踏み出してそっと唇を重ねた。


 ほんの少し唇が重なっただけの刹那の口づけ。


 しかし、それでも八年間あきらさんを想い続けたわたくしにとっては永遠を思わせるような至福の時でしたわ……。


「ご迷惑……、でしたかしら?」


「そんな事は無い。今は答えを返せないが……」


「何年経とうがわたくしの心は変わりませんわ。今、返事をいただいても……」


「分かっているさ。……佳津美かつみには話しておいた方がいいかもしれないな」


「何かありますの?」


「両親の事と、俺の事だ。正直に聞くが、もし仮に俺が人間じゃないとしたらどうする?」


 ……どういう意味ですの?


 あきらさんは間違いなく人間の筈。


 そんなこと、答えは決まっていますわ


「変わりませんわ。例えどんな存在だとしても、あきらさんを想うわたくしの気持ちは揺るぎません」


「ありがとう。そう言って貰えると思っていたけど聞いてくれ。まず親父の事なんだが……。多分今も生きている」


「十年以上前にあの作戦で行方不明と聞いていますけど」


「ああ、富士の樹海攻略作戦で数万人の防衛軍兵士と共に消息を絶った。あの作戦で帰還した人は少ないから、一応死亡扱いにされているけど」


 生きているんでしたら連絡くらいしてくださればいいのに。


 故郷が滅んだ後、あきらさんがひとりでどんなに苦しんできたか。


「それは間違いありませんの?」


「たぶん北海道辺りに潜伏してるはずだ。あの辺りの農地奪還に一枚噛んでるんだと思う」


「それは大切な事ですけれど……」


「親父の件はそれとして母さんの事なんだが、おそらく俺に何かしているだろう」


「何かって、何ですの?」


生命力ライフゲージ扱いもそうだけど、身体能力もそうさ。誰が考えても普通の人間はここまで体を鍛えられない」


 確かにGEと接近戦をしている時点で人間離れしていますわ。


 でも、そんな事は些細な問題ですの


「ほんの少しですわ」


「今のところはだけどね。だからその秘密を聞き出して、この先も俺がを確認しない限り、大切な誰かと付き合えないんだ」


「わたくしの返事は先ほどと変わりませんの」


「ありがとう。故郷のレベル四を破壊できたその日に今の答えをするよ。俺の我儘ですまないが……」


「いつまででも待っていますわ。でも」


 わたくしはもう一度だけあきらさんに唇を重ねた。


 それも今度は一瞬ではなく、あきらさんの気持ちを確かめるように……。


 あきらさんも本当は誰かに縋りたい筈なのに、わたくし以上に不器用で頑固な人。


 長いようで短い時間が過ぎ、どちらからか分からないけど私たちはいつの間にか唇を離して見つめ合っていた。


「俺がこんな事を話せるのは佳津美かつみだけさ」


「分かっていますわ。そろそろ帰りましょう」


 その時がいつになるのかはわかりませんわ。


 でも、わたくしは意外とその日は近いと思います。


 御爺様に頼んで防衛軍を動かすような野暮な真似は致しませんわ。


 わたくしのあきらさんは、必ずあの環状石ゲートをその手で破壊しますの。

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