第十五話 月に数度の学食戦争!!


 大量の蜘蛛型リビングアーマーに追いかけられた遺棄物回収はいひんかいしゅうから一夜明けた六月二十日の月曜日。


 現在時刻は午後零時四十八分。一年A組に三十五人いる生徒は誰一人無駄口を開かず、教室の空気は異様なまでに張り詰めて黒板の上に設置された時計が秒針を刻む音だけが教室に響いている。


 授業内容は日本史担当教師の深山ふかやま先生も教室内のその雰囲気に気が付き、しきりに腕時計に視線を流して板書のスピードを速めていた。


 深山先生は授業に適度な冗談を混ぜて面白おかしく授業を進める生徒人気のある教師なんだけど、この日だけはそんな冗談など授業中に一度も披露する事など無い。言える雰囲気でもないしな。


 板書の速度は生徒が書き写せる限界ギリギリの速度まで増して、白いチョークでこの時間に進めなければいけない範囲の出来事を一気に書き上げた。ここまで来たらもう職人芸と言っても過言じゃないだろう。


 今日進めなければいけない分まで板書を終えた深山先生は四時間目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴っていない事に安堵しているようだ。


「……以上となります、少し早いですが今日の授業はここまでにしましょう」


 その言葉に即座に反応し、この日の日直である江藤えとうが即座に動いた。


 まるでコンマ数秒でも争っているかのような動きだ。


「きりーつ、礼」


「ありがとうございました!!」


 流れるような挨拶。遅れる奴は誰一人としていない。


 そう、これだけ洗練された動きが出来るのはこの瞬間から地獄の様な戦いが始まるからだ。


 この動作がわずか数秒遅れただけでクラスメイトから背筋が凍るような視線を浴びる事さえある


 現時点での時刻は午後零時五十三分。


 学食組の生徒は僅か二分のアドバンテージを最大に生かす為に財布やAGE登録証明カードを握りしめて教室を飛び出し、大きく【廊下は走らない!!】と書かれた風紀委員発行のポスターを横目に全力で学食へと向かって廊下を走り続けた。


 現在、アルミがGE用の兵器として回収された為に市場から一円玉が消滅し、その流れを受けて居住区域にあるほとんどの店では国が発行する電子マネーカードで買い物をする様になっている。


 一応現金でも買い物が出来るんだが、一円玉が無くなった為に会計時に下一桁が五円単位で終わらない時は例え端数が一円でも五円として処理する【切り上げ法】と言う法律が追加された為に、現在では現金で支払いをする者は殆ど居なくなった。


 国民全員に支給された電子カードの他にAGEに登録した者にはAGE資格を証明する端末にも【ポイント】がチャージされており、このポイントも現金や電子カードと同様に使う事が出来る。


 万が一紛失した場合や盗難にあった時には公共機関や提携したコンビニなどでも再発行が可能で、盗んだり拾った他人のカードを使った者に対しては厳しい罰則が設けられていた。


「A組のやつら、もう授業終わりやがったぞ!!」


「先生、時間っ、時間です!!」


「チクショウ!! 今日に限って延長戦かよ!!」


 動き出したうちのクラスの生徒の反応し、まだ授業の終わっていない教室では生徒達の悲鳴に交じり血の涙でも流れそうな魂の叫びが響き始めている。


 僅か数分、されど数分。


 数秒差で目当てのメニューが売り切れる事も珍しくなく、学食組の生徒はそんな悲劇を回避する為に一秒でも早く学食の食券販売機の前に辿り着く必要があるからだが、今日はそれとは別にもうひとつ大きな理由もある。


「ちくしょう、三分遅れた!! 間に合ってくれよ!!」


「学食? 購買?」


「学食に決まってるでしょ!! 今日は二十日よ!!」


 一秒でも早く授業が終わる様に各教室から様々な声が溢れ、延長戦などに突入しようものならこの日ばかりは怒号や悲鳴が教室に響き渡っていた。


 永遠見台高校とわみだいこうこうでは十の倍数の日限定で月に三度開催される各種定食の半額セールと週一で開催される麺類半額セールがあり、この日は通常の日をはるかに上回る規模で腹を減らした生徒が学食に殺到する。


 高校側に言わせれば学食の利用率を上げる為と食べ盛りの生徒たちに安く提供する日を設けているだけらしいが、この制度が様々な悲劇も生んでいる事には気が付いていないっぽい。


「ようやく授業が終わった……、間に合うか!?」


「もう学食は無理だって」


「馬鹿野郎!! 諦められるか!! 今日は定食系が全品半額だ、上手くいきゃ百二十五円で定食が食えるんだぞ!!」


「ケーキ付スペシャル定食が三百円? ホントに?」


桂子けいこはいつも購買だから……、なんでみんながこんなに走ってると思ってるの?」


 AGE活動をしている奴も含めて、生徒の懐事情は概ね厳しい。


 特に学生寮に住んでいる生徒は各地区から避難してきた人間であり、仕送りや安いバイトの賃金でやり繰りしなければならない為に昼食などは出来るだけ安く済ませたいと考えている。


 いつもの値段でも出て来る料理の量から考えれば格安なんだが、その格安な学食での一食を抜いてでも手に入れたい何かがある奴は少なくない。


 ……神坂かみざかの奴のライブチケットなんかもその一つだ。


 あいつは昨日の遺棄物回収はいひんかいしゅうでも食料は何一つ持って帰っていなかったが、蜘蛛型リビングアーマーの討伐報酬が部隊に入ったから幾らかはあいつのカードにもポイントが追加されている筈なんだがな……。


 学食前はそれはもうすさまじい有様で、あの馬鹿でかい食堂が今は生徒で溢れかえっている。


 セミランカーの特権でB定食の特別食券B定特券を使うか、今日半額になっていない丼物を頼めば売り切れてる事は無いだろうがあそこに突撃するのは少しばかり勇気が必要だ。


 昨日のダメージを回復剤で何とかしたから食欲はあまり無いし、今日は部室で適当に何か食うかな。


◇◇◇


 神坂かみざかは地獄のような状況の学食には向かわずに部室で缶詰をおかずにおにぎりをぱくついていた。賢明な判断だな。


 はて、こいつは昨日の遺棄物回収はいひんかいしゅうで缶詰を回収していなかったはずだが?


「おうあきら。ああ、これは昨日の遺棄物回収はいひんかいしゅうの時に回収したんだ」


「おまえは缶詰を回収していないだろう?」


「昼から少し暇だったんで、霧養むかいに見張りを少し任せてあきらが漁ってた店で回収したんだ。店頭には出てなかったが、バックヤードに牛肉の甘露煮が十個残ってたぞ」


「あの店は駐車場から近かったからな。段ボールが散乱してごちゃごちゃとしたバックヤードから見つけるとは運がいい奴だ。中身は無事だったのか?」


「全然問題が無いぞ。あのレベルの環状石ゲートの支配下にあると低レベルの環状石ゲートよりも劣化が遅いって話だしな」


 確かに高レベルな環状石ゲートの支配下にある缶詰の方が状態がいいって話は聞いた事がある。


 昨日回収した鯖缶も十年以上経っている筈なのに、普通に店で売られている物と変わらなかったし。


「そっちのおにぎりは?」


「同じクラスの奴と交渉して缶詰と交換した。流石に牛肉の缶詰だ、喜んで交換してくれたぞ」


「牛肉なんて滅多に食えなくなったからな。金を出せば食えるらしいが」


「この辺りには牛肉を出してる店が無い。広島第一居住区域には食える店があるらしい」


 今は焼肉ですら豚肉か羊肉だしな。


 ファミレスで出されているハンバーグステーキに使われている肉は鹿肉だと聞いた事もあるが、実際には豚肉の比率も高いらしい。


 鹿肉も割と貴重だけど、GEに襲われずに安全区域のある山に逃げ込んで食害を起こしまくっているのでそいつらを駆除した肉を使っているそうだ。


「この居住区域にもあるって聞いたんだが」


「どこかのホテルか? レストランや食堂系じゃ牛肉を出してるなんて話は聞かないしな。丼物屋で出すのも豚丼だ」


 もう少し余裕が出来たら食いに行ってもいいか。


 俺の今日の昼飯はこれだしな。


あきらも今日は弁当か?」


「流石に今日食堂を使うのはちょっとな」


窪内くぼうち霧養むかいは食堂に行ったらしいぞ」


「チャレンジャーだな。B定食の特別食券B定特券でも使ったのか?」


「そうらしい。今日は券売機の前は大行列だからな。特別食券でも使わない限り時間内に食うのは難しいぞ」


 定食半額の日は券売機の前で数秒考えるだけで怒号が飛ぶって話だ。


 しかも相手が三年だろうがお構いなしって話も聞いている。


「今日の弁当は缶詰やウインナーなんかの楽な物が多いな。野菜も少しは入ってるが冷凍物だ、生野菜は下手すると鶏肉より高い」


「葉物は安いだろう? それ以外はお察しだ」


「少ない農地で育てられない野菜は高いよな。アスパラなんかは意外に安いんだが」


 この辺りは食糧事情がいいといっても、食材が冷凍保存されていることが多い。


 少ない食料を無駄しない為とはいえ、この辺りで食えるニンジンなどは確実に冷凍物だ。


 トマトなどは缶詰も多いし、近年では新鮮な生野菜のサラダが意外に高級品と化してきているな。


「野菜なんてそのあたりで育てりゃいいんじゃないのか?」


「ミニトマトとかだったらプランターを使って育てられなくもないが……」


「レタスやキャベツは難しいか。大根のサラダとかも今は難しい」


 滅多に出回ってない野菜も多いんだよな。


 この辺りで育ててる野菜のうち、冷凍されたり缶詰に加工されない物は意外に少ない。


 学生寮のベランダでプランター栽培なんてしてたら怒られるし、農学科でもないのに校内で野菜なんて栽培できないしな。 


「生野菜のサラダは諦めろ。どうしてもって言うんだったら、一部の野生化した謎野菜だったら戦闘区域で見かけるぞ」


「アブラナ系のキメラ野菜か。戦闘区域で長年かけて自然交配した雑種なんで食えるかどうかも分からないが」


「アレに手を出す奴もいるって話だな。戦闘地区での活動のお土産として持ち帰るらしい。昔はサラダ用のカット生野菜がパックで売られてたらしいが、今はコンビニどころかスーパーでも見かけない。値段が高いから売れないのも原因だ」


 同じ値段だったら肉を買うし、冷凍野菜もそこまで悪くないからな。


 どうしても生野菜のサラダが食いたいっていう奴を除いて、そこまで需要の無い物を扱うほど店側も余裕はない。


「さて、弁当も食ったしそろそろ教室に戻るか」


「それじゃあな」


「お前はいいのか?」


「ギリギリまで休んで戻るさ。教室に戻ってもやる事は無いしな」


 中学の時からそうだったが、毎回赤点ギリギリで苦労しているんだから次の授業の予習でもすりゃいいだろうに。


 まさかこいつ、AGE特典で切り抜けようとか考えてないだろうな?


 アレはあまりいいとは思わないんだが毎日放課後はGE対策部で部活だし、毎週週末もAGE活動で忙しいから勉強する暇がないのはわかる。


 試験勉強をしたいっていえば部活は休んでもいいんだがな。ライブに行くからって理由でこいつが休んだことはあるけど。


「ここだと戦利品のCDを流せるからな?」


「バレたか……。あきらも聞いていくか?」


「遠慮しとくよ」


 こいつの布教活動には感心するが、うちの部隊には神坂かみざかほどアイドルにハマっている奴はいない。多少は曲くらい聞くが通常の範囲内だ。


 熱心な活動をしているは神坂だけじゃなく、布教活動というか同好の士を増やす目的で倉庫の隅にデカい筐体を並べてゲームセンターの一角のようにした窪内くぼうちもいい勝負だな。ラインナップにガンシューティングのゲームを置いている辺りあいつもよく分かっている。


 あの筐体を置けば学校側にも訓練の一環ですと言い訳が出来るし、確かに遊びながら楽しく反射神経を鍛えるにはちょうどいいかもしれない。


 やっぱり一芸に秀でた奴には変わり者が多いよな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る