第6話
飲食店の多い繁華街へと彼は向かう。学生街と違ってこちらは酒類を出す店が多いけれどこの時間にはまだ開いていない。そのぶん食事のできる店は賑わっていた。
――さすがに。
昼時に取材は迷惑だ、三門は内心で顔を顰める。手順を間違えた気がしていた。逸る気持ちに足の赴くまま進んでしまったせい。だが幸いにしてちょうどひと段落したのだろう弁当屋があった。
「えっと……山菜稲荷ください」
どうせこのあと森林公園まで足を延ばす。そこで昼食にするつもりで彼は弁当を買い、それから名刺を差し出した。
「お忙しいところ申し訳ないです。少しよろしいですか」
「……なんです?」
季刊レムリアと記された名刺に店番の男性は胡乱げ。年配の人だったから雑誌の名前など知れていないのだろうと三門は気にした風もなく微笑む。
「一月前の事件のことを取材しているのですが、この辺りですよね」
その話を聞かせてもらえないだろうか、穏やかに笑む三門に男性は顰め面。これは無理かな、と三門が思ったとき店番は長い溜息をついた。
「そこだったよ」
ちらりと視線が動き、正面を示す。当たりか、三門の目が驚きに染まっていた。まさか真正面を引き当てるとは想像もしていなかった。
「お店の時間ですよね、ちょうど。よくご無事で……」
人通りの多い時間に発生した事件だった。三門の調査ではこの繁華街が駅前に次いで被害者が多い。この通りを歩いてみて納得した彼だった。思っていたより道が狭い。このようなところで事件が起きたならば、考えるだけで冷や汗が垂れる。
「たまたま、な。わしは店の前を離れていたから。だが」
「すみません、どなたか……」
「家内がまだ入院しておる」
「それは……そんなときに本当に申し訳ない」
頭を下げる青年に店番は表情を緩めた。あるいは恐怖も多少薄らぎ、他人に語った方が回復を早める程度の時間が経っていたこともあるのかもしれない。
「突然だったよ、いきなり悲鳴が聞こえたんだ。事故だと思ったね」
数年前にこの通りにトラックが突っ込んで大勢が巻き込まれて亡くなるという凄惨な事故があったという。三門もそういえば、と思い出していた。
――ここ、だったのか。
なんの関係もないだろうに。それでもこの道路は、その舗装は、多くの血を吸っている。そんな忌まわしい想像をしてしまっては密かに身を震わせていた。
「それがどうだ。若いのが両手を振り回して暴れているじゃないか」
「何か持って……って、持ってて当然ですよね」
「まぁな。あとで見たんだが、そのときにはわからんかった。両手にやたらと長いナイフを持っていたな。他にも、腰のところにこれでもかと刃物を持っていた。あんた記者さんなら知っとるだろう、津山事件」
有名推理小説にもなった事件だ、三門も知らないはずもない。もちろん店番の老人とて津山事件そのものを知っているわけではないだろう。が、それを想起させる酷さだったのは嫌でも伝わる。
「それは……とんでもないパニックになりそうです」
「パニックなんてもんじゃなかったな。悲鳴と逃げ惑う人と、追いかけて刃物振り回す犯人と。地獄絵図だ」
犯人はそれにとどまらずこうして表に面した店には看板や植木鉢を投げ込み手当たり次第に暴れていたという。老人の妻もそれによって傷を負ったとのこと。
「はじめは通り魔だと思っていたんだがな。――その晩だったか……うちのが入院して、なんとか落ち着いて、看護師さんにとりあえず旦那は帰れって追い返され……なんて言っちゃならんな……とにかくうちに帰ってきてニュースつけて。ひっくり返るかと思ったわ」
市内各所で同じとしか思えない事件が起きていたのだから。老人はそう忌々しげに口を歪める。
「確かにな、ここは他所から来た人には奇妙な土地だなんて言われることもある。珍しい習慣が残ってる古い集落もある。だがな、いままでこんな事件はなかったんだ」
苦い老人の言葉が三門は不思議だった。奇妙な土地と言わしめる何があるのかと。事件と同列に語る何が、いったい。
「こんな街じゃあ、なかったんだ……」
けれど沈鬱な老人の表情にそれ以上を問えなかった、三門は。更に踏み込むべき、社の先輩ならば言うだろうけれど、この土地に来てたった一日、それでも薄ら寒いものを覚えている彼にはできなかった。
老人に礼を述べ、彼は歩き出す。老人は首を振りながらも見送ってくれた。たったそれだけの優しさが身に染みるのは昨夜の写真が気がかりで仕方ないせい。
弁当屋を辞した三門は他の店もあたってみる。幸いにして何軒かは話を聞くことができたけれど老人の話と大差はなかった。
「次行くぞ次」
小声で気合いを入れて次の目的地に。人通りの多い場所で起きた事件の中、たった一か所だけは繁華街ではない。カルトのテロが起きた森林公園だった。駅でひとつの距離だが三門は歩いていく。それほどの距離でもないせい。自分の足でまわればなんとなく見えてくるものがある、とは先輩の弁だ。
――ここの森林公園て祟られてんのか?
テロに同時多発通り魔事件。多すぎる、三門は感じつつ訪れてみてわかったこともある。繁華な場所ばかりを狙ったかのような事件の中、森林公園だけが異質と感じていたけれど、思っていたより人出がある。そのぶん顔を顰めた。ここにいるのは親子連ればかり、しかも日中とあっているのは幼子ばかりだ。まだ幼稚園にも入っていないような小さな子供が。
――だめだ、聞けない。
事件を目撃した人とているはず。思うのに三門は動けなかった。こんなことでは仕事にならない、思うのにどうしても。
――さっきの人の奥さんがまだ入院してるっていうなら。
こんな小さな子供ならば、結果は。考えるまでもないことのように思え、それを目撃してしまった人の衝撃を考えると到底取材などできなかった。
――ここを見ただけでよしにしよう。こんなところだって、わかっただけで非道な事件なのは伝わる。
伝える記事にすべきだと彼は唇を噛む。相楽に聞けば被害者の内訳くらいは教えてもらえるだろう。それで充分だ、むしろ書きたくない、そう思ってしまっていた。
親子連れが遊ぶのを見つつ、遊んでいられることに安堵していた。少なくとも彼らにとっての事件は終わっているのだと。ささくれた気持ちをなだめるよう、買ってきた弁当を開く。山菜のぷんとしたよい香り。
「あ、すごい」
業務用の水煮ではなさそうだった。小さな店舗だったから、もしかしたらあの老人が時季になると山菜採りに行くのかもしれない、そんな想像を巡らせる。楽しい想像だった、それは。
「当たりだったなぁ。うまいじゃん」
昨日の不動産屋の社長が誤解したよう、都津上名店案内の記事だったらよかったのに。内心に溜息をつく。はじめは面白そうだとばかり思っていたものを。ほんの一日、たったそれだけの時間を遡り己を殴ってでも止めたかった。
――でも、ここに来たから、けーちゃんの写真を見つけた。
もし取材をしようと決めなかったならば彼の消息は知れないままだったに違いない。連絡がないな、とさほど気にも留めていなかったのだから、連絡不能になっているなど気づかなかったかもしれない。
――ごめん、けーちゃん。
それを思うとき、三門は忸怩とした思いに駆られる。彼のたったひとつだけの親類一家だというのに。その中にあって三門ひとりだけが彼と仲良くしていたのに。後悔は尽きなかった。
――せめて、いまどこにいるのかだけでも。
無事でいるはず。突然に連絡が来て「悪かったな」と笑う声が聞こえる気がする。そうなって欲しいという願望だと理解してはいた。
「よし」
思いの外にうまい弁当にありつけて気合いも入れ直した。三門は森林公園をあとにして更に事件現場を巡る。話が聞けたところもあれば、けんもほろろに追い返されるところもあった。
――やっぱり、どこも関係性はないな。
現場に居合わせた人はみな言う、あとでニュースを見て他でも同じ事件が起きていたのを知ったと、腰を抜かしそうになるほど驚いたと言った人もいた。
――それだけ、突然で。わけもわからないうちに広がって……広がってはいないんだよなぁ。
加害者たちが共謀して起こした事件という匂いがまったくしない。誰に聞いてもいきなり駆け込んで来て暴れはじめたと言うばかり。
――偏見かな、とも思うけど。こんだけ口を揃えられるとなぁ。
弁当屋の老人は言っていなかったけれど、あの通りの他の店でも言っていた。他の事件現場でも耳にした。「薬をやっているような変な目つきだった」と。
――イっちゃった目ってことなんだろうけど。
根本的な問題として、正気の人間が起こした事件とは思えない。そのせいだと三門は考えては、いる。おそらくそれは相楽の言葉。
――相楽さんは薬物反応皆無って言ってたんだよなぁ。
ゆえにその線は消していいはず。だが、聞き込みの結果が裏切る。むしろ三門の記者の勘としては聞き込みの方が正しいと告げている。
――相手は公安だぜ? 向こうがあってるって。
公安にも探知できない新種の薬物、一瞬は想像したけれど、それはないだろうと思う。以前、他の件で薬物の話題が出たときに相楽はいかなる新種でも取り逃がさないと不敵に笑っていた。
――麻取にリークすることもあるとか言ってたし。相楽さんがないって言うならないでいい……はず、なんだけど。
何か引っかかってならない。ただ自分がここで考えてどうにかなる問題でもなかった。それくらいならば三門は先に進むことを選ぶ。もし相楽にも未知な薬物であったなら教えれば済むだけのことだ。
――カフェのことも知らなかったみたいだし。人手が足らないって本気みたい。
多忙を嘆いている相楽を想像すると少し笑える。いつ寝ているのか、いったいどこに住んでいるのか、三門にわかったためしはない。直接会う必要があればいつでも面会できるし、電話ならばどんな時間でも通じる。
――ほんと公安怖いわー。
公安などこのようなものだ、相楽が笑っていたのを思い出し三門は肩をすくめて歩いていた。雑誌社など色合いを言うならば黒だろうけれど、相楽のところは特別に真っ黒な気がする。
――勤務時間をなんと心得るってやつだな。
散策気分で喉の奥で笑っている間に駅前まで戻っていた。栄えている街だけれど、広さで言えばこの程度。郊外には古い集落があったり、海辺には伝統的な祭事を行う人々が住んでいたりするけれど、そこまで足を延ばす気がなければ散歩で歩けてしまう。
――それでも、多すぎる。
ワイドショーでも五ヶ所と言われていた事件。三門は更に二ヶ所取材している。この規模の街でなくとも、七ヶ所はどう考えても異常だ。うち四ヶ所では単独犯ではなく複数が起こした事件。それにもかかわらず、加害者同士の面識すらない様子。
――同時多発的に単独犯が偶然同日同時刻に犯行に及んだ? なんだそれは。
あり得ない。裏がある、絶対に。三門の唇が皮肉に歪んだ。
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