第5話


 まずは閉店したカフェの情報が欲しい。そのために、と三門はノートパソコンを引き寄せる。情報とは何もリアルタイムのものだけではない。ましてすでに閉店しているのならば、なおのこと。

「ふうん、けっこうあるな……」

 経営状態がよかった、というのは本当らしい。ネットには多くの写真が転がっている。主に女性だろう投稿者が可愛らしいドリンクを撮影したもの。

「流行りの店ってやつだよなぁ」

 だとするならば、流行が去り閉店に追い込まれる、ということもある。が、投稿した人たちはみな突然の閉店を嘆いてもいる。

「ん?」

 中には来月からの新作、投稿した時点から考えれば今月の、ということになるが、新作が楽しみだったとの声もあった。つまり閉店時点で新作の予定があったことになる。

 ――これは。

 あまりにも唐突に閉店している。正に逃げた、と言いたくなるほどに。印象として間違っていない気がした。唇を固く引き結んでいるのに本人は気づいているのかどうか。

 三門はポケットからスマホを取り出す。そこには昼間訪れたエスニック料理店チャイチャイの写真が。彼女たちと喋りながら素早く隠し撮りしたもので、大きくはっきり写っているわけではない。が、何を撮影したか程度は鮮明に見て取れる。

「これがなぁ」

 写真を見つつ彼は呟く。内装から考えればあっても不思議ではなかったガネーシャ像。相楽からの情報で裏での繋がりが判明したいま、なおさら不思議ではない。それでも、気にかかる。

「なんか……」

 普通の彫像に見えない、呟きかけて口を閉ざした。我と我が言葉に縛られそうな恐怖感と言えばいいだろうか。ただのインド風の像と笑い飛ばせばいいものを、どうしてもできそうにない。

 溜息をひとつ、こんなことではいけないと検索に戻った。写真系ソーシャルネットワークサイトで調べればこちらにもたくさんの写真があった。

「よほど流行ってた……?」

 多すぎて奇妙なほどだ。たかだかこのくらいのことを妙と感じるのは薄ら寒い感覚のせい。またも陥りかけた思考から強いて目をそらし、三門は検索を続ける。

「あった」

 そして、カフェ・ブラックロータスの店内にガネーシャ像を見つけた。たまたま写り込んだだけの写真ではっきりとは見て取れない。

 ――一枚あったなら、他にもある。

 丁寧に調べていけば、いずれ。三門の目論見は当たる。他にも数枚見つけた。しかも一枚はドリンクを像の横に置いて撮ったもの。思わずにやりとしてしまった。

「ありがたい!」

 これで比較ができる。己が撮ってきたチャイチャイのガネーシャ像、そしてこのブラックロータスのガネーシャ像。見比べれば歴然。

「同じもの、だな」

 まったくの同一かどうかはこの際関係がない。同型の像がチャイチャイにあった、それが問題だった。なぜ、三門は唇を噛む。同じ像を持ち込むその理由。

「守り神とかなら、まだわかる?」

 言いながら、わかりたくないな、と苦笑した。ふと森林公園でのテロが思い浮かぶ。あれはカルト教団が起こしたテロだったと。

「新興宗教がらみはろくなことがない」

 取材したこともあるのだが、話にならないというのが彼の率直な感想だった。信じてしまえばすべてが正しくも思えるのだろうけれど、外部から見れば与太話にしか聞こえなかった話の数々。

「与太、か」

 この都津上でもそう言いたくなる話ばかりを聞いた、苦く笑う。ラグビー部の学生が語っていた宇宙人だの懐かしのリトルグレイだのでは記事にならない。

 ――与太が出るほど、本当のところは隠されてる気が、する。

 取材した新興宗教もそうだった。信者からは隠されていた事実の多さ。のちに検挙されることになった教団だが、あれの方がまだしもなのでは、と考えるほど三門は嫌な感じを覚えていた。

「……え」

 それが、確定する。いまこの瞬間までは奇妙な話だな、で済んでいた。妙なことばかりが出てきて悪寒がする、程度で済んでいた。

 だがしかし、三門はいま、己の目で見た。カフェの写真の一枚に写っている人を。いまでなければ、偶然を笑っていられた。

「けーちゃん……?」

 日付を見ればちょうど一月前、事件の前日。横顔がたまたま写り込んでいただけだったけれど、親戚の顔だ、見間違えるはずもない。

「なんで」

 都津上にいたのか。各地を飛びまわっている、と聞いていた。都津上にいても、だから不思議ではないのだろう、そう思いたい、けれど。

 ――ちょうど一か月前から、連絡がない。

 それが、たとえようもない悪寒を呼んだ。事件に巻き込まれたのか、否、ならば連絡があると自分で考えたではないか。ならばなぜ連絡がない。震える手で電話をかける。

「嘘、だろ」

 すでに使われていない旨を告げる合成音が流れるばかり。いままでも番号が変わることはあった。だがいつも知らせてくれていた。

「けーちゃん、マジでなんかあったの」

 怪しい動きをしたカフェの写真に写っていただけにしては、不安感は尋常ではなかった。知らず己で腕を撫でさする。粟立っていたそれが治る気配は一向になかった。

 気づけば凝視している写真には親戚の他に別の男性が。仕事の関係だろうか。壮年の男性は一般的な会社人というよりはベンチャーの人間のよう。

「けーちゃん、楽しそうだな」

 仕事にしては穏やかな顔をしている、三門はそう見る。中々直接会う機会の得られない親戚だったけれど、三門の両親が同席する場ではいつも硬い顔をしていた彼。三門だけといるときは少し笑った。

「なんでここにいたの、けーちゃん。無事なの」

 答えは取材を続ければ得られるだろうか。仕事、相楽への協力、そしていま親戚の無事を確認する理由まで加わった。唇を噛み締め、三門は彼が写っている写真を保存する。

「っと」

 それで済ませるところだった自分を嗤う。本題であるガネーシャ像が写ったものも保存し、息をつく。時計を見れば想像以上に時間が経っていた。

「怖い、違うな。気持ち悪い、でもないな」

 なんと呼べばいいのか、この感情を。ゆっくりと首を振り、まるで不安をなだめるよう三門は仕事を続ける。保存した方のガネーシャ像の写真を使い、画像検索にかけた。

 引っかからない。どれほど画面をスクロールしても、あるのはすべてブラックロータスでの写真ばかり。類似してもおかしくない他のガネーシャ像は一枚もかからない。

「気持ち悪い……」

 いつの間に画像検索の精度はこれほど高くなったのか。静まったばかりの肌が再度粟立つ。思わず口許を押さえれば、吐き気が込み上げてきた。慌ててトイレに駆け込み胃の中のものをすべてぶちまける。

 ――おかしい。

 嘔吐するような写真ではない。ただのカフェの店内。三面記事も扱う雑誌だ、口では言えないような写真も目にしている。現物だとて見ている。それなのに。

 胃液まで吐き尽くし、ようやく落ち着いた。荒い呼吸で口をすすぎ、さっぱりとする。

 ――悪いもんでも食べたかなって言えれば気が楽なんだけど。

 そうではないと悟ってしまっている。自分の考えは誤魔化せない。あの写真が、更に言うなればガネーシャ像が原因だと。ここまで来たならばとことんまで、覚悟が決まる。

 パソコンを置いたベッドまで戻りその上で胡座をかく。正直に言うなら見たくはない。が、放置する方がよほど怖い。

 ――そっか、怖い、のか。

 単純な恐怖とは言い切れない。それでも恐怖ではあるものを覚えている。噛み締めていた唇にちくりとした痛みを感じ、自分を笑う。

「しょうがない」

 諦めて、何かめぼしいものが写っていないか、一般的なガネーシャ像と何が違うのか、それを三門は確認しようと写真に見入る。

 ――他のが画像検索に引っかからない理由があるはずだ。

 明らかに別物と認識させる何かが。そうでなくてはおかしいではないか。精度の異常さは横に置き、いまはそれだけを考える。

 そうして、注目したせいだろうか。眉を顰め、三門は写真を拡大する。特に象の鼻の辺りを。途端に悲鳴を飲んだ。

「なんだこれ……!」

 押し殺したそれが、唇から漏れるのだけは止められなかった。象頭を持つ神像であるガネーシャ像、けれどいま見ているこれは。

 それは、確かに象の鼻に似てはいた。長いという一点において。それ以外は、生き物とは思えない。ましてこの世のものとは。人間の想像力の限界を超えた造形だ、三門は感じる。こんなものは正気の人間が作り得るものではないと。

 象に似た鼻の先端は大きく開き、まるで吸盤のようになっていた。吸い付くのだろうと容易に想像できる。何に、とは考えたくもない。不思議と脳裏に悍ましい光景が浮かぶ。獲物の頭をすっぽりと覆うその吸盤が、忌まわしい愉悦を浮かべた彫像の表情が。またも込み上げてきた吐き気をなんとか飲み下す。

「これは、ただの像なんかじゃ、ない……」

 いま自分は、本物のオカルトを見ているのかもしれない、三門はぞっとしていた。与太でも冗談でもない、見てはならない真実をこの目で見ているのかもしれないと。

「けーちゃん」

 知らず呟く。彼が巻き込まれている気がしてならなかった。事件そのものの被害者であった方がまだしもであると言えるような何かに。

 夜中うなされた。仕事に障ると思ったからこそ、切り上げてベッドに入った三門だったけれど、まるで寝た気がしない。夢の中には親類が現れたりガネーシャ像に似た像が出てきたり。甚だしくは像の吸盤に吸い付かれる彼を見たり。とても眠れるものではなかった。

「……動こう」

 立ち止まっている方が怖い。一夜が明け、三門は恐怖を口にする。奇妙と言っていられなくなった。あまりにも符合が多すぎる。

「調査だ」

 ぐっと唇を噛み三門はホテルを出る。朝食は口にしたけれど味などしなかった。安いコーヒーの焦げた臭いだけがいまも舌に残っている。

 昨日は学生に聞き込みができたおかげて疎かになってしまった点を今日は重点的に行う予定だった。三門の足は真っ直ぐと目的地へ。まずは手近なところから。

 ホテルを出てすぐだった。昨夜も通りがかった場所。事件現場のひとつ。駅前の人通りの多い場所。ここで一月前、未曾有の事件が起きたと知らせるものは何もない。現場を真正面に見られるコンビニに取材に行ったけれど、従業員は当時の人ではなく何も知らなかった。

「次行くか」

 自分でも取り憑かれているかのよう、とは感じている。感じつつも止まる気はない。

 ――止まれば俺は。

 動けなくなる。そんな気がしてたまらなかった。そして、立ち止まれば餌食になるのは自分だ、その確信。意味もなく理由もわからず悟ってしまった恐怖感に突き動かされ三門は次の現場へと急ぐ。




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