第4話
彼女たちと別れ、三門はひとり歩いている。その目つきが険しかった。たかが内装、たかがインテリア。だがしかし、持ち込む意味を考えたとき、不安が募る。
――意味がわからないってのが、不安、かな。
オカルトをも扱う雑誌の記者などしていれば、奇妙と言われる出来事には慣れている。そのつもりだった。けれど、ここまで腰が落ち着かないのははじめてかもしれない、三門は苦く笑う。
――なにやってんだ、俺。
一月前の事件を調べているはずが、妙なことに首を突っ込んでいる。否、事件そのものが奇妙。報道のされ方も、伝わっていない事実も、あの像も。
――やっぱ、気になる。
ただのガネーシャ像に見えた。近くでまじまじと観察したわけではないから、違う可能性は否定はできない。しかしエスニック風であったこと、しかも閉店したカフェから持ち込まれたのかもしれないことを考え合わせると間違いはない気がする。
――カフェはインド風だったって、言ってたもんな。
インドならばガネーシャ像は違和感はない、閉店したカフェから引き取ったのも無理はあっても「気に入ったから」で充分だ。
――それで、すまない……悪寒がする。なんだ、これ。
あれは本当にガネーシャ像なのか。まずそこすら疑いたい。ではなんだと問われて答えはない。あるいはそれが不安なのかもしれない。
学生街を抜け、駅前へ。人通りの多い場所にきても三門の寒気は増すばかり。この土地に何かがあるのでは、そんなオカルトじみたことを言いたくなってきた。
――記者がこれじゃ、ダメだろー。
人目を避けて溜息をついた。仕事から帰って来る人、これからまだ遊ぶのだろう学生、飲みにでも行くのか会社員たちの陽気な声。
――事件からまだ一か月、か。
この駅前でも事件は起きていた。都津上市内各所で起きた事件ではあったけれど、駅前や繁華街、先ほどまでいた学生街。それらが多かったよう三門は記憶している。
――人が多い場所、と思えば疑問はないんだけど、な。
何か違和感がなきにしも非ず。そもそも無関係に極めて近い連中が同時に各所で通り魔事件を起こす、というのが理解できないが。
学生たちの誰もが突然のことに驚いている節があった。そして親しい友人や特別の共通項は思い当たらないと言っていた。強いて言うならば留学生が多い、その程度。ただ日本人学生も事件は起こしているのだから当てにはならない。都津上大学は留学生を積極的に迎えている様子でもある。学生街でも大勢の留学生を見た。
――切っ掛けは、なんだったんだ……?
通り魔事件の契機になることがあったはずだ。思想上、政治上のテロでもこの際かまわない。理由がわからないのは気持ちが悪い。
――薬って言ってたか。
ラグビー部員がそんなことを言っていた。これにも疑問が残るところではある。もしそうならば、ワイドショーの格好のネタだったろう。貪欲な彼らの餌食になっていないのならば、可能性としては低いのではないか。
そんなことをつらつらと考えているうちにホテルまで到着した。少し上等なビジネスホテルといったところか。ロビーにちらほらいる人のほとんどは出張での利用と見て取れる。
チェックインを済ませ三門はロビーの一角にあるコンビニで飲み物を買い、部屋へと。この辺りが便利にできているホテルはありがたくて少し気分もよくなった。
ホテルの部屋はどこもたいして変わらない。出張慣れしている三門はさっさとバッグをベッドに投げ出し、中から機材一式を取り出す。手早くノートパソコンをネットに繋ぐ。そこまでして、だが彼は電話をかけた。
「三門さん? 都津上からかな?」
「えぇ、いま大丈夫ですか」
「問題ないよ」
相手は相楽だった。取材をして確認したいことがいくらでも出てきている。相楽も立場上答えられないことはあるだろう。けれど、答えられない、とわかるだけでもすっきりする。それを期待しての通話だった。
「ちょっとお尋ねしたいんですが。ブラックロータスっていうカフェがあったんですよ」
「あぁ、わかる。知ってるよ」
「だったらエスニックレストランは?」
「チャイチャイ?」
「です。そこ、たとえば経営者が繋がってるとか、ありますかね?」
「うーん。繋がってると言えば繋がってる、かなぁ」
相楽の歯切れの悪い口調に三門は当たりだと直感する。これは言えない部類の話かと。ならばこちらで突っ込んだ取材を、そう考えたとき相楽が言葉を続けた。
「三門さんだと危ないかもな。そこ、香港マフィアだよ」
「は!?」
「マフィア」
繰り返されても、意味がわかない。三門とてこの世界で飯を食っている。企業の裏に反社会勢力がいる程度どうとも感じないが、香港マフィアは驚いた。
「ここ、そんなうまみのある土地です?」
まずそこだった。やくざにしろマフィアにしろ、都津上まで出てきたならばいっそ東京まで出た方がずっと実入りはいいだろうに。栄えていても所詮は地方都市だ、都津上は。
「あるっちゃあるんだろうけどね。学生だよ、狙いは」
「学生相手にマフィアねぇ……」
これは薬物の線が繋がるか、三門は思ったのだが相楽の言葉に呆気なく潰えた。彼は詐欺だよ、と軽く言ったのだから。向こうで肩でもすくめている気配を感じる。騙される方に問題があるとでも言いたげに。
「小体な稼業だよな、とは思うし、まだ裏があるのかもしれないけど、こっちで掴んでるのはその辺かなぁ」
「あの事件で薬物反応、出てないんですか?」
「出てないよ。真っ白、きれいなもんだ。簡易検査から精密検査までオールクリアだったね」
だから頭の痛い事件だ、と相楽は言う。いっそ違法薬物使用者が起こした事件ならばそれ相応の対応ができるものを、と言いたげ。だからこそ簡易検査で出なかった反応をわざわざ精密検査までして探ったのだろう。
「公安が調べたなら、本気で真っ白でしょうねぇ」
「やるときは徹底するのがうちだからな」
にやりとした相楽の笑い顔が見えた気がして三門は肩をすくめる。怖くないと言ったら嘘だった。が、協力関係にある間は信用できる相手でもある。
その相楽が薬物の線を消し、両店がマフィアとして繋がっていたと明言した。
――だとすると、アリなのか?
あのガネーシャ像はたとえば高価なものであったかして、チャイチャイの方へと持ち込んだ。そう仮定できなくはない。
――違う。
それでも、奇妙な感覚は薄れない。そのような真っ当な理由ではない、理解できるいかなる理由でもない、そんな気がしてならない。気づけば肌が粟立っていた。
「薬物でもない、理由もわからない、犯人同士が繋がってた形跡もない。……奇妙な事件だよ、ほんと」
相楽の言葉に三門は改めてその通りだと感じる。この理由が、せめて納得のいく理由がわからないうちは落ち着かないだろうと。
「もうちょっと突っ込んでみますよ」
「チャイチャイに目をつけてるの? ブラックロータスの方?」
「あ、いえ……」
「どっちでもいいけどさ。裏はマフィアだってこと忘れないようにな」
「うい、了解です。あと、相楽さん」
「うん?」
「ブラックロータス、閉店してますよ」
「……へぇ?」
どうやら相楽の興味を引いたらしい。むしろ相楽が知らなかったことに三門はわずかに優越感を覚える。ここまで言えばいずれわかること、と三門は話を続けた。
「どうも事件前夜に不動産屋に閉店するって連絡があったみたいですね」
「そう、なんだ?」
「家賃は日割りで払ってあるそうです」
それだけ突然の閉店だったのだと三門は思っている。閉めるならば月の終わりでも締め日でも家賃のきりのよいところで充分だろうに。
「うーん、三門さん。ネタ明かしてもらうみたいで悪いけど、経営状態、掴んでる?」
「良好だったみたいですよ。聞き込みだけなんで確定じゃないですが」
「それで突然の閉店ねぇ。事件前夜って、どれくらい前夜なの」
「本当の前夜です。マジで前日の夜」
「ふぅん、そうか……」
向こうで何かしている気配がしていた。相楽は情報収集を担当しているらしいが、コンピュータ関係も相当らしいと三門は聞いている。
「あぁ、ほんとだ。良好だなぁ」
「……何したかは、聞きませんからね!」
「聞かれても吐かないけどね」
にやりとしただろう相楽に苦笑が漏れた。おおよそ税務記録にでもハッキングをかけたのだろうが、それを悟らせてくれるだけ信用されている気がして悪い気分ではない。
「ますます奇妙、だな……」
相楽の呟きに三門は無言でうなずいていた。正にそう言うしかない感覚。奇妙。だが、それだけで済まない感覚もすでに感じている。
――マフィア、か。
直接に襲われるならばまだわかりやすい。怪我などしたくもないし命の危険などごめんこうむる。ただ、理解できる危険だとは思う。この意味のわからない腰の据わらなさが気味悪くてたまらなかった。
「相楽さんが知らない情報があったなんて、ちょっと自慢だな」
嘯くことで気分を変えたい。そんな三門とまるで察しているよう相楽も笑う。
「こっちも手が足らなくってね。困ったもんだよ、ほんと。最近ひとり退職しちゃったからさぁ。補充が間に合わなくって当分だめっぽいんだよね」
「その辺お役所ですよねー」
「うちは行政機関だからね、真っ向お役所だよ」
にっと笑った相楽が見えた気がして少し気分がよくなった。公安が掴んでいなかった情報を先に入手した高揚感、相楽が知らなかった事実を持っていた嬉しさ。取材で得たとっておきを相楽がとっくに知っていた、など珍しくない優秀な男の先を行った勝利感が次を求める。
「じゃあ、また何かわかったらお知らせしますよ」
「繰り返すけど、気をつけるように。相手は裏社会の人間だから」
「と言って引いてたら仕事にならないわけで」
今度にやりとするのは三門の方。相楽もそう答えるとわかっていたのだろう。何度も気をつけろ、と繰り返す。三門は返答しつつ、気持ちを固めていく。
「……気をつけますよ、ありがとう」
通話を切ってから呟くのはどことなく照れるせい。真っ直ぐとは言いにくくて、そんなことを感じる自分に笑う。それでようやく落ち着かなさが薄れた、気がした。
相楽が心配してくれるのは真実ありがたく感じる。ただの協力関係でしかない、相楽にとっては使い勝手のいい情報源だろう自分は。だが、それだけでしかない。
「まさかね」
この件に関して相楽が情報の入手を自分だけに任せているなど三門は想像もしていない。相楽には幾通りもの情報入手手段があり、協力者とて大勢いるはず。
「それでも、こんな気分のときに心配してもらうって、ありがたいよなぁ」
不安感を薄れさせてくれた。相楽はそれと知っていて言ったわけではないだろう。なにしろ三門自身は気味が悪いとは一言も言っていないのだから。
こうして心配してくれるぶん、協力はしたい。自分の仕事としての取材、そして相楽のための情報入手。できることならまた驚かせたいものだ、考えた三門はにやりと笑っていた。
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