第7話


「殺害衝動」

「――は?」

「自他の殺害に及ぶそうです。殺したい、その気持ちが内向きか外向きかの差ですね」

 さらりとした相楽の言葉に恐怖を感じる。そのような薬物があるのか、問いたい。だが、実際に守谷が入手し相楽が鑑定に持っていった。確実にこの都津上に蔓延しつつある薬物。スマホを持つ手がじとりと汗ばんだ。

「継続的な販売も不可。そんな中毒を大勢出したんじゃ、発覚の危険性も高い」

「妙、だな」

「はい。何を考えているのやら」

 呆れた、同時にどこか面白がるような相楽の声音。そうでもしていないとやりきれないのだろう。河崎自身がそんな気持ちだった。

「とりあえず簡易鑑定なんで、この程度です。申し訳ない」

「いや充分だ。――追加で頼む、いいか?」

「もちろん」

 向こうでにっと笑ったのだろう相楽を感じた。漏れ聞こえる声に守谷が耳をそばだて顔を顰めている。一般人にも警察関係者にも同じやくざ者、と捉えられているに違いないが同列に語られるのは不快極まりない、守谷は唇を噛みしめる。そんな彼の肩先を河崎は相楽と話しつつぽんと叩いた。

「入管を調べてくれないか」

「入国管理局ですか?」

「あぁ。どうもな」

 そう言って河崎は守谷が調べてきたことを相楽に伝える。この間、河崎は相楽の名、守谷の名、どちらも口にしていない。相楽が守谷を知る必要もその逆もない。それが互いを守ることにもなる。

「なるほど、短期留学生が消えてるらしい、と。ちょっと待っててください」

「あぁ」

「時間大丈夫です?」

「何時間もこのまま待てと言うんじゃなければな」

 冗談めかした河崎に傍らの守谷がぷ、も吹き出した。真顔でこんなことを言うとは思わなかった、と彼の顔に書いてあって河崎は無言で肩をすくめる。

「うい、わかりました」

「――は?」

「確かに消えてますね、これ」

 どうやら通話片手に入管のコンピュータに潜り込んだらしい。手際のよさを褒めるべきではあるが若干、釈然としなくはある。

「いまざっと調べただけでも数人は確実に帰国してませんね」

「帰ったことにはなってるのか?」

「いえ、失踪扱いです。多いんですよね、こういうケース」

 一々入管も把握できていないと相楽は諦め気味。失踪、その単語に河崎の背筋が反応した。ひくりと一瞬だけ動いたそれ。守谷は見ないふりをしつつ、内心に固く誓う。なんとしても解決するのだと。

 ――俺がこんなこと。おかしいかな。

 所詮は社会からドロップアウトしたはぐれもの。発覚していないだけの犯罪者。やくざが警察に、しかも公安に協力など笑わせると自分でも思わなくはない。

 ただ、相手は河崎だった。余人ではない、河崎。いまこうしてなんとか生きているのは河崎のおかげだと守谷は感謝していた。その彼のためならば何ひとつ惜しいものなどない。

 ――でも俺がもし、部下さんと同じようなことになったら。

 河崎が悔いる。それは避けたいとは思う。何か手段はないものか、考え込む守谷の隣で河崎の苦い顔。

「消えた理由までは、まぁ。わからんわな」

「さすがに。それわかってたら入管も放置はしてないでしょう」

「そりゃそうだ。――こっちでな、嗅ぎまわった勘なんだが。臓器密売の線はあるか?」

 相楽の唸り声が聞こえた。気分のよい話では断じてない。この国に学びに来た若い人々がなんらかの事件に巻き込まれ、そして殺されたのかもしれない。それを思うと強い怒りを感じていた。

「都津上に入ってるのは香港系なんですよね」

 相楽が言う。その線のルートを持っているのは大陸系であって香港系ではないと。最前線の情報に明るい相楽だからこその言葉だった。

「こっちで押さえてる情報では、ですが。臓器密売の線は考えにくいなぁ」

 最後は呟くようだった。相楽も考え込んでいるのだろう。傍らと通話越しと。二人の重たい気配に河崎は気持ちを入れ替える。自分がしっかりと立たねば相楽も守谷も失うことになりかねない。

「わかった。お前はもう少し洗ってみてくれ」

「了解」

「こっちも探ってみる」

 通話が切れ、河崎も言葉を切り。途端に静かになった。午後の森林公園に人のいないわけもない。幼い子供を連れた母親たちの姿があちこちに見られた。それなのに。

「兄貴」

「あぁ……」

 呼びかけ、返答し。だが、なんだというのか。互いに言葉が続かない。なにをどう言えばいいのか。ぐっと唇を噛んだのも同時だった。

「とりあえず、街に戻るか……」

 河崎の促しに守谷は黙念とうなずくばかり。思うところが多すぎて言葉がうまく出てこない守谷など久しぶりに見た、と河崎は思う。

「お前がそんな態度になるのも、懐かしいな」

「兄貴?」

「昔は言いたいことの半分も言えなくてイラついてたもんだ」

「よしてくださいよ、恥ずかしい」

 愚かな若いころを揶揄されて守谷は目許を朱に染める。若いころ、というほどまだ年齢を重ねたわけではなかったけれど、守谷にとっては正しい感想だ。

「あのころは、頭が悪すぎて言葉を知りませんでしたからね」

「なに言っても『うるせぇ殺すぞ』ばっかりだったからな」

「そうでもないですよ」

「あぁ……『黙れクソ』もあったか」

 にっと笑う河崎に守谷は照れ笑い。そんな自分と真正面から向き合ってくれたのは河崎がはじめてだった。あのとき河崎に会わねば相沢組長の言葉を真剣に聞くこともなかっただろうと守谷は思う。

 ――もし、そうだったら俺はもう死んでる。

 組の方針に逆らうつもりなどなくとも、それを理解できずに粛正されるか、あるいは鉄砲玉として使い捨てられるか。どちらにしても死んでいると守谷は理解していた。

「ねぇ、兄貴」

 自分はいま、当時の自分と似たような、否、河崎と出会うことのなかった「自分」に命令をする立場になった。生かすことも、殺すことも。それを河崎はどう思うのか。

「うん?」

「……いえ、なんでもないですよ。懐かしいなって、それだけっす」

 にかりと笑った守谷がなにを考えたか河崎は察したつもりだった。黙って彼の背中を叩く。口にはできない。河崎は聞いてしまえば対応せざるを得ない。守谷はだから言わない。互いの距離を守るためにこそ。

「さっきの、だいたいは聞こえてたか?」

 強引に話題を戻した河崎に、守谷はほっと息をつく。

「えぇ。さすがですね、あんなすぐわかるなんて。やっぱり兄貴たちを敵にまわすなって言った親父は正しいんだなぁ」

「相沢はそんなこと言ってるのか」

 苦笑が漏れた。さすがに現在ではそこまでではないものの、組対とは持ちつ持たれつな部分がなきにしも非ず。だが公安はやると言ったら徹底してやる。それを恐れる反社会勢力は多い。

「きっと、だから解決できます」

 守谷は呟く。その響きだろうか、重さだろうか。奇妙に河崎の心に圧し掛かるようわだかまったのは。

「だといいな、なんて俺が言ってちゃだめなんだがな」

「兄貴でもたまには弱気になりますか」

「泣き言ほざきたくもなるさ」

 肩をすくめれば守谷がふふ、と笑う。なにがおかしかったのか首をかしげる彼をまたも守谷は笑っていた。

 街が近づくにつれ、二人は他愛ない話題を選びはじめる。万が一にも聞かれない用心のために。それだけ緊張が高まっている。

 ちょうど郊外の住宅地に差し掛かった辺りだろうか。ふと河崎の足が鈍ったのは。問うことをせずさっと守谷は周囲を警戒する。

 ――相当な修羅場をくぐったか。

 守谷の鋭い眼差しは二人で話しているときとは打って変わっていた。河崎の目がある、と遠慮したのだろう。一瞬、懐に動いた手を彼は止める。

「慶太。見なかったことにしてやる」

 にっと笑顔が返ってきたときだった。音もなく数人の男が走り寄ってきたのは。いずれもスーツに帽子の小柄な姿。

 ――あれは。

 河崎の目が細められていた。その間にも守谷は懐からナイフを取り出して構えている。河崎も隠し持った特殊警棒を抜き放っていた。

 それでいて、躊躇なく向かってくる男たち。深くかぶった帽子のせいで視線を捉えることができない。まして表情は。

 男たちは無言で二人に殺到し、いつの間にか手に持ったナイフを振りかざす。が、河崎は目をみはっていた。あまりにためらいがない。いかに裏社会の人間とはいえ、他者を傷つけんとするときには肉体が反応する。強張りであったり逆に意気軒昂となったり。くぐった修羅場の数がそれを語る。しかし男たちにはそのどれもが見えない。

 ――なんだこれは!

 本当に、人間か。あるいは薬物で自意識を失っているか。そう河崎は疑う。それもすぐさま否定する羽目になった。的確な攻撃は明晰な意識がなければ無理だ。喉、目、首。急所を確実に狙ってくる彼らのナイフ。

「クソ――!」

 守谷が腕を切られていた。そのときには河崎もまた頬に熱いものを覚える。強引に振った警棒が相手の脇腹に命中するも退きもしない。

「何が目的だ!?」

 掴みかかってきた男の腕を掴み返し河崎は低く問う。答えるとは思っていなかった。

「……テをヒけ」

 喉に絡んだような発音だった。人間が、人間の喉で発音したものとは思えないような。ぞっとした河崎の手が緩んだ一瞬、男が押し込んでくる。反応したのは河崎の方がだがしかし速い。逆手に持った警棒が男の側頭部に当たりかけ、首だけひねった男の帽子を撥ねとばす。

 現れたのは禿頭だった。頭髪がない、もしくは剃っている。それならばなぜこのような悍ましさを感じるのか。

 わずかとはいえ立ち竦んだ河崎は全員から狙われてもおかしくはなかった。だが男たちはさっと退いていく。警告はした、そういうことなのかもしれない。

「なんだアレ。兄貴……」

「あぁ。怪我は」

「掠り傷っすよ。ほんと、なんなんだ……人間、ですよね……」

 呟いた守谷に河崎は答えられなかった。同感だ、とはとても。まるで姿形だけ人間を真似たかのような強烈な不快感を覚えていた。

「とにかく帰るぞ。ホテルで手当てしよう」

 うなずく守谷の傷を改める。少なくともいますぐ命にかかわるような怪我ではないことに息をついた。

「すみません……」

 部屋に入っても河崎はすぐに行動を起こさなかった。襲撃があったのだ、こちらの居場所は筒抜けの可能性。室内の点検を済ませてのち、河崎は鞄の中から応急手当ての道具一式を取り出しては守谷の傷を見た。

「お前が詫びるようなことじゃない」

 手早く手当てし、自分の傷も拭う。刃の先端が掠っただけだ。たいしたことはなく血も止まっていた。河崎は、詫びるのは己こそと後悔している。守谷を巻き込んだ、その思い。

「俺は、兄貴の役に立ちたくて頑張ってます。兄貴のせいじゃない」

「慶太……」

「兄貴のお役に立てれば、組のためにもなる。それが俺の恩返しですから」

 微笑んだ守谷に河崎は何を言えようか。無言で首を振る河崎に守谷はほんのりと微笑んだままだった。




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