第6話


 相沢組長がわざわざそこまでしたか。河崎の驚きは強い、むしろ恐れにも似たものを覚えたのを強いて忘れる。守谷が言うには本家の方はチャイナマフィアとなんらかの接触がある様子で逆に驚かれたとのこと。

「香港なら元が違うんですから当然ではあるんですが、チャイナマフィアらしくない、と本家も感じたらしいです。――伝聞ばかりですみません」

「お前が直で聞ける相手じゃないからな、気にするな」

「本家ですからねぇ」

 これで守谷の世界は案外と縦社会だ。相沢組若頭補佐程度では本家は相手にしてくれない。筋を通せと叱責すらされるだろう。組長が問い合わせてくれたことだけでも彼が可愛がられているのを感じた。

「それで、俺も直で調べたんですが」

「おい」

「子供の使いじゃないんです。聞けませんでした、でおしまいにするわけにもいかないでしょう」

 からりと笑う守谷に普段ならば河崎は苦笑と共に礼を言う。いまは口許を引き締めた彼がいて、守谷の眉間に皺が寄った。何か問題があっただろうかと。

「いや、お前のせいじゃない」

「兄貴」

「そう、だな――」

 河崎の視線が再び舞台へと。守谷はテロの直後にここを見ている、そう言っていた。当時の惨状を思い出したのか顔を顰めている。だが河崎のそれはまったく違う。気づいた守谷の眼差しに押されるよう河崎は話しはじめた。

「テロのときな、ここに部下がいた」

「それ、は――。その。ご愁傷様です」

「あぁ、誤解だ。そのときは元気ってのもな、あれだが」

 かすかに笑った河崎の痙攣するような唇に守谷は何を言うべきか惑う。ゆっくりと首を振り河崎はまだ舞台を見ていた。

「そのあと、やつは失踪した」

「え? 公安の人が、ですよね」

 言わずもがなだった。守谷にとって公安警察官はみながみな、国家の安寧のみに専心する、言ってみれば所轄の刑事より真摯かつ恐ろしい相手だ。その警察官が自ら失踪とは、考えられない。河崎にとっても同じだった。

「真面目で熱心なやつだったよ。辞めるならまだしも、失踪は到底考えられない。職務の遂行中だったからな――」

 何かがあった、のではなく死んだのだろうと河崎は思っている。失踪と言いはしてもすでに死亡届が出されてもいる。公安とはそのようなものでもある。

「失踪した切っ掛けはわからないままだ。何があってやつが死んだのか、何ひとつとしてわからないままだ」

「もし――」

「やめとけ」

 守谷は言いかけた。こちらで、せめて何か調べようかと。表沙汰になっていないことならばむしろ自分たちの領分だと言いかけた。それと察した河崎が即座に止めるとは思いもしなかった。

「俺はな、慶太。お前までそんなことになって欲しくないんだよ」

「兄貴――」

「やつが捜査中だった件と薬物問題は繋がってるのかどうかすらわかってない。無関係の線だと俺個人は感じてる。ただな」

 一旦言葉を切った河崎の喉が動いた。無理に唾を飲み下す。それと見た守谷の目が丸くなる。河崎のそんな仕種は珍しいというより、見たことがない。

「関係はないだろう。それなのにな、なんだこの奇妙な感覚は」

 恐怖、と言い換えてもいいほど、首筋に冷風を感じる。ひたひたと足音が聞こえる。いままでカルトの相手をしたこともある。だがこれほどのものを感じたのははじめてだ。

「しっかりしてくださいよ、兄貴」

「……すまん」

「俺は下手打つようなことはしませんて。いや、部下のお人が下手打ったとはいいませんが」

「打った、んだろうなぁ」

 そのような男ではなかったのだが。河崎はゆるゆると首を振りつつ深呼吸を。テロの報告書だけは読んでいる。それでさえいま血腥い臭いを嗅いだ気がした。

「俺は部下さんのようなことにはなりませんよ。大丈夫です。気をつけますから」

 あいつもそう思って行動しただろう、河崎は言わなかった。ただありがたく頭を下げれば慌てた守谷の上ずった声。小さく笑った河崎にほっと息をついていた。

「兄貴がこんな話聞かせてくれるのは、ちょっと嬉しいもんです」

「うん?」

「職場の内部のことじゃないですか。俺に聞かせる必要はないでしょう」

 河崎が、守谷に、聞くのであって逆はない。それが互いのルールだと守谷は屈託がない。そうでもないだろうと河崎は思うが、それでもふと気づく。部下の話などしたことはなかったと。

「それで、話戻しますよ。いいですか?」

「あぁ、頼む」

「うちの若いのに調べさせたんですけどね」

 いまは仕事の話の方が気が楽な様子の河崎と守谷は感じていた。よほど可愛がっていた部下なのか、本人が思っている以上にこたえているのだろう。

 ――もし俺が。

 同じようなことになったら河崎はどれほど後悔するか。それを思えば慎重にも慎重を期する必要があると心に刻む守谷だ。

「留学生バイトが多いの、気になってたじゃないですか。あれを当たらせたんです」

「目の付け所がいいな」

「兄貴に褒められるましたか。嬉しいな」

 にっと笑う守谷に河崎は救われて、同じほどに恐怖が募る。だからこそ、決心も固くなる。断じて守谷を死なせたりなどしないと。

「まさかと思ってたんで調べてなかったんですが、連中がバイトの斡旋をしてる、とわかりました」

「ほう?」

「どっちの店も評判がいいんですよ」

「誰にだ?」

「バイトにですね。特に留学生に評判がいい」

 もしかしたら本国ですでに話がまわっているのかもしれない、守谷は言う。時間がなくてそこまではわからなかったと申し訳なさそうな彼に再度深追いを戒める河崎。いまの話を聞いたからには守谷も真剣にうなずくしかなかった。

「留学生たちは楽に稼げる店、と言ってるようです。半分くらいは口コミかな」

 本来ならば「稼いで」はならないはずなのだが、そこを突っ込んでも益はないと河崎はうなずくだけ。この辺りが公安だと守谷の口許に笑みが浮かぶ。その顔が真摯になった。

「主に斡旋を受けてるのは短期留学生なんですよ」

 守谷の表情の変化に河崎の目も鋭い。これから耳にすることが段階を一歩進ませる、そう全身が察していた。

「偶然かもしれません。ただ、若いのが聞いてまわった中の数人、短期で来てたのの知り合いがいたんです」

「もう、帰った留学生というか、元留学生の知人ということだな?」

「はい、と言えればいいんですが……。帰ってないんですよ」

「なに?」

「帰国したはずの留学生が、消えてます」

 ざっと肌が粟立つ。偶然にしては出来すぎのような失踪の連続。これはなんだと喉まで出かかりなんとか飲み込む。守谷に言っても仕方ないと理性が働かなかったら問い詰めていた。

「これは、俺じゃ調べられないんで兄貴頼りですが。本当に帰国したかどうか、そちらで調べられませんか」

「やっておこう」

「帰ってないという前提でいまは話します。俺の考えになりますが……どうも金のない短期留学生が消えてるようなんです。だから」

 ぐっと唇を噛んで守谷は視線を伏せた。守谷自身、少年時代には家庭に問題があったと河崎は聞いている。金に苦労してこちらに堕ちたのだと自嘲していた。だからかもしれない、似たような境遇の人間がもし消えているのだとしたら。そう思うとのめり込みたくなっているのだろう。

「金がない、つまり消えても家族が探すこともない。そういうことかもしれません」

「……まず、金のない境遇で留学生ってのが腑に落ちん」

「日本で勉強すればいずれ大金を稼げると考えたのかも? バイトでも国の家族が食える」

「それ以前の問題だ。日本留学はそうとう金かかるぞ」

「そこなんですよ、兄貴。もし、もしです。仮定ですよ? ですが、その三合会系の連中が『消す』目的でわざわざ金出して連れて来てるのだとしたら?」

 あり得ない。即座に否定はできなかった。日本警察は優秀で、おそらくどの国よりも犯罪は成功しにくい。が、半ば合意の上でなされる犯罪は刑法上に想定はあっても発覚しにくいがゆえに捜査の手は伸びようがない。それは公安であれ警察内部にいるからこそ河崎には実感として理解ができた。

「わざわざ、消すため、か……」

 顔も知らない留学生たちが、部下の姿に重なった。ぐっと拳を握る河崎に守谷も唇を引き締める。河崎の負担を減らすため、己ができることはなんだろうとばかりに。

「兄貴だったら、どんな理由を想定しますか」

「現実にあった線なら、臓器密売だな」

「それ日本です?」

「さてな」

 にやりと笑って答えない河崎に守谷は肩をすくめた。それで少し普段の空気が戻ってくる。そのぶん、二人して強く感じていた。普通の事件ではない、と。単なる失踪ではない。消えていく留学生。薬物の蔓延。背後に見える三合会系香港マフィアの姿。

 あのときすれ違った男を思い出す。なぜか覚えた寒気と共に。守谷は中国は広いから少数民族では、と言っていた。いまとなってはそれが正しいとは河崎は思えない。

 ――こんなことは、言ってはならないが。

 あれは人間か、とすら思う。すれ違っただけで肌が粟立つような相手はいまだかつて覚えがない。すれ違いざまに犯罪者を見分けたことなどいくらでもあった河崎にして。

 ――背筋の震えが止まらないなんて、いつ以来だ。

 見えはじめた事件の姿に武者震いだ、と強がることもできなかった。河崎は握った拳に汗を感じる。じっとりとねばつく恐怖の汗。それとなくこすり落とせば守谷もまた同じことをしていた。

 一旦街に戻って更なる調査を。そう帰りかけたときだった、河崎に着信があったのは。仕事絡みだろうと遠慮する守谷を仕種で止め、河崎は通話に出る。

「鑑定結果が出ました」

 相楽だった。相変わらず仕事が早い。口許で微笑する河崎と見えているかのよう、向こうの相楽の満足そうな気配。

「コカイン様の薬物です」

「化学式が違う、ということか?」

「いえ。摂取した際の反応がコカインに近い、というだけですね。ただ、反応は更に激烈だとのことです」

 専門家に委ねた鑑定結果を読み上げているらしき相楽の口調。理解はしているのだが、細かなところになるとわからない、そんな困惑が聞こえる。

「そう、か……」

 調査に赴く前、係長が言っていたのと同じだった。これで噂話に根拠ができた。唇を軽く噛み河崎は気を引き締める。

「それと、既知の薬物ではないとのことですね」

「新種の合成麻薬か?」

「うーん。なんとも言いがたいようなんですが、どうも天然物を精製した可能性が高いみたいです」

「ん? そんなものがまだあるのか……」

「合成の方が利益率も高いはずなんですけどねぇ」

 ちょっとした設備があれば簡単な薬物ならば合成可能になった現代において、わざわざ天然のものを精製する意味は薄い。河崎は不可解な見解に眉根を寄せていた。

「非常に中毒性が高く強い幻覚を見るだろうとも言ってます。容易く人間性の喪失に繋がるだろうとも。それが、おかしいんですよねぇ」

「だな」

「あっという間に廃人になったら利益が出ないはずなんですよ」

 違法薬物というのは中毒に陥れ、度々薬物を買わせることで成り立っている。すぐさま廃人になってはなんの意味もない。

「しかも正気を失うと言えばいいんですかね。かなりまずい薬ですよ、これは」

「その際にどんな反応を示すか、だいたいの見解が出てるか?」




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