第5話


 その守谷がホテルに現れたのは程なくのこと。さほど高級なところでもない、訪問者はロビーで、と徹底されているわけではないのがありがたい。守谷は直接に河崎の部屋を訪ねる。

「こんばんは」

 どことなく照れくさげな守谷だった。このような形で接触するのが珍しいせいか。常ならば外で会う二人だった。狭いホテルの室内を守谷は物珍しげに見回す。

「へぇ、けっこういいところですねぇ」

「そうか?」

「こういうホテルとか、俺ら泊まりませんからね」

「泊まれません、の間違いだろ」

 にやりと笑う河崎に彼は肩をすくめる。暴力団の構成員である守谷は表向き、宿泊施設を使用することはできない。それを冗談の種にできるくらい、信頼が通ってもいた。

「早速ですが」

 守谷がジャケットの内ポケットから薄手のビニール袋を取り出す。まるで証拠品保存袋のようで河崎を苦笑させた。

「ありがたい」

 受け取ったそれは黒い錠剤だった。コーティングされているのかと思ったが、錠剤そのものが黒い様子。

 ――とても口に入れたいようなものではないな。

 顔を顰める河崎の表情に守谷は同感だとばかりうなずいた。

「早かったな、慶太」

「それなりに伝手もあるんで」

「危ない橋渡りやがって……」

「兄貴のためですから」

 綺麗に笑った守谷の命を預かっている、再び蘇るその感覚。河崎はあえて意識しないよう心がける。切り捨てるつもりは毛頭ない。が、いざというときその気持ちに腕を鈍らせては、それこそ守谷とて望まないだろう。

「聞いてもいいのか?」

 どのような手段を取ったのだ。婉曲に問う河崎に守谷の目が柔らかに和んだ。気にせずともよい、いつも言っているのにこちらを慮ることをやめない河崎だからこそ、こうして守谷はここにいる。

「俺が直接ってわけにもいかなくて」

「それはそうだろう」

「向こうに面が割れると厄介なもので。まぁ……割れてるとは、思うんですけどね。――うちの若いのを学生に接触させました」

 苦笑しつつ守谷は語る。何かと面倒を見ている「学生」がいるらしい。借金でも作ったか遊ぶ金が欲しかったか、河崎としては望んで堕ちていく学生にまでかまっていられるか、といったところ。さすがに警察としては口にはしないが。

 そんな学生にあれこれと指示を出しているのは相沢組の若いもので、いわば学生が組に入ったならば兄貴分ともなる男だった。

「学生の方はうちがヤク法度だってのをよく理解してるんで、手は出してないらしいんですよ」

「徹底してるな、それは」

「そこだけは徹底させないと。うちが本家に睨まれたんじゃやってられません」

 たかが学生ひとりのために組を潰せるか、ということだろう。苦笑しつつ続きを促す河崎に守谷も似たような顔で話を戻した。

 要はその学生の友達だかその友達だかが手を出していた、ということだった。悪い仲間はつるみやすい。学生本人は決して薬物に染まらないのを揶揄されていたこともあって、あっさりと入手できたとのことだった。

「いままで臆病だのなんだの言われてたみたいですよ」

「そんなもので勇気の証明をされてもなぁ」

「まったくです。廃人一直線の何がいいんだか」

 大袈裟に両手を広げた守谷ではあったけれど、それが本家の本音なのではないだろうか。河崎はそう感じている。

 ――手下が全部廃人じゃ仕事にならんわな。

 対立する組との抗争とて敗北するだろう。むしろ勝てるわけがない。そこまで考えてやくざ者の勝敗を気にしてやる義理まではないことに思い至っては苦笑した。

「とりあえず預からせてもらうぞ」

「よろしくお願いします。――というか、俺が持ってたら一発検挙ですからね」

 冗談めかした守谷にその通りだな、と笑う河崎の頬に緩みが戻る。部屋に入ってきたときにはひどく強張っていた河崎の顔。ようやくほころんだと守谷はほっとしてホテルをあとにした。

 翌日、河崎は早々に相楽を呼び出し入手した薬物を渡す。この土地を離れられない河崎に代わって相楽が鑑定に持っていくことになる。

「預かります。それと、昨日もうちょっと探ったんですが」

 ファストフードでポテトを摘まみつつ気楽な雑談でもしているかのよう。河崎も新製品だとかのバーガーにかぶりついていた。

「例の組織ですが」

 アイスコーヒーの濡れたカップの水滴を相楽は指に取る。そのままテーブルに「三合会」とだけ記したかと思うとすぐさま消した。

「どうも血縁だけのようですね」

「兄弟の盃がどうのじゃなく、本当の血縁って意味か?」

「です。親兄弟親類、です」

 相楽の言いぶりは俗に「親類縁者」と言った場合の縁者を含まないと如実に語る。その程度ではだめなのだと。確実に血をたどれるほど近くないと組織に入ることすらかなわない。なぜか河崎の背中にぞわりとしたものが触れる。

「本国というか、香港のを本家としたとき、こっちに来てるのは暖簾分けした分家ですかね」

「せめて分派にしてくれ」

「いや、ニュアンスとしては分家の方が近い感じなんですよ」

 あまりにも長閑にすぎるだろう、苦言を呈した河崎に相楽は意図的だと眉根を寄せる。それならば致し方ない、河崎は続きを促した。

「黒蓮会が母体ですね。そこから別れたのが進出して来てる、というところです」

「よく、わかったな」

「はい?」

「この短時間で母体までよく突き止めたものだ。感心する」

「それが仕事ですからね」

 にっと笑った相楽は公安警察官には見えなかった。こうしてファストフードショップにいるとなおのこと。相楽と守谷と、並んでいれば遊び上手な青年にしか見えないに違いない。そんな想像をした自分を河崎は内心に笑っていた。

「それと」

「まだあるとは、さすが相楽だ」

「褒めても湧いては来ませんよ?」

 不遜な笑い方だった。それを許容する河崎と相楽も知っている。庁舎に戻れば話は別だが、こうして外にいるときには相当な自由を与えてくれる警部だった。

「たぶん、これのことだと思うんですが」

 ぽん、と相楽がポケットを叩く。その中には先ほどの錠剤が。わかった、とうなずく河崎に相楽の目だけが真剣。

「精製してるのは、別の分派のようですね」

「都津上に入ってる連中は売買ルートに過ぎないということか」

「その可能性は高い、かもしれません」

 うなずきつつ相楽は簡単な調査ではあるけれど、売価が手頃で学生が容易に手を出しやすい価格設定となっているようだと告げた。

「そのようだな」

「そちらでも話題が出てますか?」

「協力者から預かったときに、な」

 守谷もそう言っていた。テーマパークに行く半額ほどで手軽にストレス発散できるのが売りだと顔を顰めていた。相楽も言う、守谷も言う。狙いは学生だと。気分のよい話ではなかった。

 鑑定に行く相楽と別れて、河崎は調査に戻る。と言って目立つ動きはいまのところは避けるべきだった。それとなく学生街を歩き、留学生バイト、もしくは三合会関係者らしき人間が出入りする店が他にないか見てまわる。

 ――案外と多いな。

 無関係なバイトも当然にしているだろうが、少なくとも三合会系の人間と思しき男を何人か見かけた。一度など目があってひやりとする。それとなく立ち去ったけれど危険だったかもしれない。

 ――慶太に偉そうなことは言えないな。

 危ない橋を渡るなと言っておいてこれだった。逸っているのを河崎自身感じてはいた。この土地にわだかまる異様なものを感じてでもいるかのように。

 ――もし。

 失踪した部下と守谷が、相楽が同じようなことになれば。そう考えてしまうと焦りが止まらなくなる。だから考えないよう努め、ゆえに吶喊気味になっている己とわかってはいる。

 ――だめだな、こんなことでは。

 それこそ万が一の際に身動きがとれなくなる。落ち着いて、冷静に。現状を感情をまじえず分析する。そう教えられたのはできないからではないか、こんなときにしみじみと感じるものだった。

「お待たせしてすみません!」

 向こうから走ってきた守谷だった。待ち合わせに遅れたとの体を作るために本当に走ってきたらしい。律儀なことだと内心に笑ってしまう。若いな、とも。

「お気になさらず。待ってはいませんよ」

 取引相手を装う河崎に守谷は少し残念そう。兄貴らしくない、顔に出ていて河崎はわずかに顔を顰める。それと気づいた守谷が表情を改めた。

「せっかくなので都津上をご案内させてください」

 にこりと微笑んだ守谷がやくざ者、とは誰も思わないに違いない。河崎は小さく笑って芝居上手になった守谷を褒めるべきか悩んでいた。

「狭い土地にぎゅっといろんなものがあるんですよ、ここは。あちらには話題のショッピングモールがありますが、少し行くと森林公園があったりするんです」

「それは興味深いですね。よろしくお願いします」

 つまるところ守谷は森林公園の方へと行きたいらしい。何かを見せたいというよりは人目がない場所へ。歩きながらの会話ならば盗聴の危険は最小限、ということか。それだけ守谷は警戒している。

「大丈夫だ」

 ポケットからスマホを出すふりをして身をかがめた河崎は素早く守谷へと囁いた。すでに周辺の点検作業は済んでいる。先ほど危険を冒してまで三合会系の出入りを観察したのはそのためだった。

「あざっす」

 昔の口調が出た守谷は、自分でそれに驚いた顔をする。緊張している、と己を笑い飛ばす彼に河崎も乗ってやりつつ、内心に冷たいものを覚えていた。ただの緊張ではない。なぜか、理由などない。

 ――もっと違う。遥かに禍々しい、何かが。

 それは、いったいなんだというのか。禍々しいなどと感じた理由もわからず、ひたすらに気味悪い。ふと失踪した部下の笑顔が瞼の裏に浮かんで消えた。

 森林公園は駅でひとつ。とはいえ、歩くことが充分に可能な距離だった。散策を装った二人は尾行の点検を兼ねつつ周囲を見てまわる。河崎にとっては懐かしい都津上の景色。いまは、それを感じない。

 ――何が、起こる。もう起こっているのか。

 相次ぐ奇妙な出来事。関係はないのかもしれないし、繋がっているのかもしれない。いずれにせよ、河崎が携わってきた公安事件ではない何か、を彼は感じていた。

「チャイナマフィアについて、少し調べておきました」

 守谷が切り出したのは公園内に入ってからのこと。野外劇場の最上段、舞台を見下ろしつつだった。ここならば誰が近づいてもすぐに見て取れる。

「香港だ」

 言いながら河崎は舞台を見ていた。ここで、カルトによるテロが起きたのは昨年のこと。この場に失踪した部下はいた。それを思うとやりきれない。

「香港ですか?」

「あぁ。三合会系らしいな」

「そうですか……」

 こくりと守谷がうなずいた。思い当たる節があった様子に促せば守谷は苦笑する。気づかなかったとは不覚とばかりに。若さの見える態度に河崎はつい、笑みが浮かんだ。

「本家に親父が問い合わせたみたいなんです」

 都津上にこのような者が進出しているが、本家では押さえているのか。そんな風に尋ねたと守谷は言う。




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