第3話


 店を出たところで男とすれ違う。妙に小柄だ、というのが印象に残る。それ以上に肌にひりりとくる寒気が。

「さすが兄貴」

「どういうことだ」

「……やつらですよ」

 唇を歪めた守谷に河崎は振り返らないよう気をつけて背後を探る。ちょうど正面の店のガラス戸に男が映っていた。一見して何者ともわからず、少なくとも日本のやくざではない。かといってチャイナマフィアかと言われても首をかしげる。あえて言うならば、奇妙と表現するしかないような。

「映画みたいでしょう?」

 かすかに守谷が笑う。男の格好を見てのことだった。男はスーツ姿ではあった。だが、帽子まで被っているとなるといささか違和感があると言わざるを得ない。似合う似合わない以前の問題として、目立つ。

「ゴッドファーザーみたいだ」

 距離が空いたのを見澄まして守谷は声を上げて笑っていた。苦い顔の河崎がおかしかったのかもしれない。河崎は笑う気にはなれなかった。

「あれが、チャイナマフィアか……」

「どうしました?」

「お前は違和感がないか?」

「そう言われても。チャイナマフィアに知り合いがいませんから」

 いたら困る、とは河崎は言わない。相沢組長か、あるいは本家ならば知己の一人や二人いるのだろうが、まさかたかが違和感程度で問い合わせるわけにもいかなかった。

「それしても、なんというか。小柄なやつだったな」

「ですね」

「うん? なにか、引っかかりがあるのか」

 相槌の打ち方に河崎は続きを促す。悟ってくれたか、と守谷は嬉しげ。こんな顔をすると屈託がなく若頭補佐などという本物のやくざとは誰も思いもしないに違いなかった。

「やつら、何人かもう見てるんですが。だいたいあんな感じなんですよ」

「もう少しはっきり言え。それじゃわからん」

「ですからね、兄貴。みんなあれくらいの身長っていうか」

「ほう?」

「ほら、中国って少数民族とかいっぱいいるらしいじゃないですか。だから、そういうのかなって組じゃ言ってるんですけど」

「お前、慶太」

 きょとんとして見やってくる守谷に河崎は微笑んでいた。あのちんぴらからまさか少数民族などという言葉が出てくるとは、当時は夢にも思えなかったものを。褒められたと感じたのだろう守谷の頬がほんのりと赤くなった。

「少数民族か……そうするとチャイナマフィアの線はなおのこと妙だな」

「そうですか?」

「そういう話は聞かんな」

 ここで面倒な話をしたくはなかった河崎は肩をすくめてそれまでとした。問題はやつらが何をしているか、であって何者か、ではない。

「連中はみんなあんな格好か?」

「そうですね。俺が見たのはスーツに帽子です。制服みたいだ」

「わざとなのかねぇ」

 自らを喧伝して歩いているも同然ではないか。あるいは同類への身分証明の類か。わからないことだらけで河崎は眉根を寄せていた。

「兄貴、ちょっとコーヒー飲みに行きませんか」

「なんだ、さっき――」

 待ち合わせは喫茶店だったではないか。言いかけた河崎が黙る。守谷の目は違うことを語っていた。そういうことか、目顔で問えばにやりとした笑みが返る。

「煙草吸えるといいんだがな」

 学生が多く訪れるカフェなのだろう。そこで守谷は河崎にいまの学生の姿を見せたいらしい。

「大丈夫、喫煙席がありますから」

「煙草呑みは肩身が狭くてな」

「俺もですよ」

 苦笑し合い、道を変えて歩いて行く。昼を過ぎた街は少し静かだ。会社員は仕事に戻り、学生は。そこまで考えて河崎は内心に首をひねった。

「おい、慶太」

「なんです」

「さっきの店もそうだが。なんでこんな時間に学生バイトがいるんだ」

 まだ大学にいる時間帯だろう。渋面の河崎に守谷は小さく笑う。そして、それが大学生ですよと肩をすくめた。

「勉強しに行ってるやつがどれだけいるんです? 遊びとバイト、遊ぶためのバイトかな。そういうもんでしょう」

「まったく」

「兄貴は勉強してたんだろうなぁ」

「そりゃそうだ。やりたくないなら行くなよ」

「卒業証書だけ必要なんでしょ。堅気さんの世界ではあるとないとじゃ大違いだ」

 くすくすと守谷は笑う。楽しげというよりは揶揄するよう。やくざ者の世界とて昨今では学歴主義になりつつあるようだが、基本は実力主義だ。どんなにいい大学を出ても芽がでなければそこまで、という世界で生きる守谷としては学生たちは長閑にすぎて笑えるのだろう。

「そんなことだから、お前らの餌食になるんだ」

「ニュースくらいちゃんと知っとけばいいんです。引っかかる方が悪い」

 河崎は何も言わずに肩だけくすめる。同感だとは、警察官として言えない。詐欺など、どれほど警察が注意を呼びかけても被害はあとを絶たない。

 ――半分くらいは乗せられる方に責任があるな。

 うまい話は転がっていない、ということをよくよく理解して欲しい河崎だ。もっとも、詐欺の手口は年々巧妙化しているから完全に被害者に責任が、とは言わない。そこが守谷とは違う。

 カフェにも学生が大勢いた。講義はどうした、と言いたい気分は多分にあるが、講義の合間かもしれずなんとか平静を保つ。そんな河崎に守谷が笑いを噛み殺していた。

「俺が買ってきますよ。適当でいいですか」

「……任せた」

「お任せを」

 にっと笑って守谷はレジへと。河崎は浮いているな、と自覚しつつ席を探す。高く小さなテーブルとスツールがある席は二人用のようだ。一人で座るならばカウンターへ、とのことらしい。

 ――だめだ。まったくわからん。

 場違いに頭を抱えたくなる。警視庁勤めなのだから都会慣れしていないはずもないのに、このような店に足を踏み入れたことがないせいか、腰が据わらなくて困る。

 手持ち無沙汰に内装を見やれば、先ほどの店と似通っている。が、こちらは若干インド風か。女神の入浴を守る若い神、それを咎めて殺す男神。そして男神によって象頭を据えられ復活した神。店内ぐるりとその情景がレリーフされていた。凄惨なわりに象頭の神の姿がユーモラスなせいか、血腥くはない。あちこちにその彫像もあり、河崎はガネーシャの神話だったかと興味深く見ていた。先ほどの店よりは統一感があって好感が持てる。

「はい、好きな方をどうぞ」

 トレイに透明なカップを二つと灰皿を乗せて戻った守谷は再び笑いを噛み殺す。河崎のひどく苦い顔を見ては笑い出さない自信がないほど。

「何がなんだ、これは」

 言うだろうと思ったとおりのことを言われ、守谷は端から河崎のために買った方を彼の前に差し出した。

 カフェと言われて河崎はてっきり喫茶店と思い込んでいた。おかげでアイスコーヒー、むしろデザートスタイルのコーヒーが出てくるとは予想外。

「お前なぁ」

 ストローを咥えてみれば、それだけで甘い気がする。飲めばそれほどでもなかった。見ただけで胸焼けしそうな生クリームが山盛りのわりには飲みやすい。

「なんです?」

 守谷は守谷でどう見てもコーヒーではないものを飲んでいる。問えばストロベリーなんとかだ、と答えられたが河崎には何を言っているのかさっぱりだ。

「あのな、野郎二人で入るような店か」

 目立つだろうが。こちらの仕事を考えてくれ、言外に苦情を述べる河崎に守谷は口許で笑う。それから周囲をあからさまに見回して見せた。守谷の視線に従って河崎も改めて店内を見やる。

 ――なるほど。

 入店の際に見張られていないか、尾行がついていないかは注意を払うが、逆に無害な人間には目が留まらない。河崎がいま見たのは、大学生と思しき青年の姿、それも二人連れであったり、一人でスイーツを楽しんでいたり。案外と男の姿が多いことに驚いていた。

「東京はもっと多いんじゃないです?」

「こういう店には来ないんだよ」

「調査不足ですよ、兄貴」

 にっと笑う守谷に反論のしようがない。自慢げな守谷に苦笑を返すばかりだった。照れ隠しに煙草に火をつける。つられたよう守谷も。

「いいライター持ってるな」

「あ。兄貴に褒められた」

「褒めてないぞ」

 笑う河崎の真意を守谷は理解しているのだろう、嬉しげだ。蓋を開けるときの涼しい金属音がよいライターだった。いかにも極道者です、といったごてごてとしたものではなく、手に馴染むだろう趣味のいいつくりをしている。

「親父が買ってくれたんですよ」

 若頭補佐として励むように、と。いずれもっと上まであがって来いと。ちんぴらだった守谷をここまで育てたのは相沢組長でもある。組長と河崎と。二人に叱り飛ばしてもらわねばいまごろ自分はどうなっていたか、守谷は時々考える。

 ――沈んでただろうな。

 塀の向こうにか、海の底にか。いずれ這い上がることのできないところへと。それを思うとき、ここにたむろする学生たちが哀れにも思える守谷だった。

「そうか、俺の立場じゃ頑張れとは言いにくいんだがな」

 警察官がやくざを励ましてどうする、と己を笑う河崎に守谷は目で笑っていた。その気持ちが嬉しいと。照れつつライターの裏側を河崎に見せた。そこには守谷の頭文字が刻んである。

「わざわざ彫ってくれたんです。親父の期待に見合う男にならなきゃと、これ見るたびに思うんですよ」

 そうか、うなずく河崎の目も優しかった。甘いコーヒーを飲みつつ、それとなく周囲の会話に耳をそばだてる。守谷が励んでいるのならば、自分も成果を出さねば恥ずかしい。

「気づきました?」

 ふと眉を顰めた河崎に守谷は言う。河崎の耳には面白いことが聞こえていた。一部は写真を撮ってきゃあきゃあと賑やかな学生。別の一部は同じよう賑やかながら、どう聞いても学問上の討論だ。

「これがいまの学生、ですかね。出来の良し悪しが顕著なんですよ」

 今という瞬間だけを楽しむのが悪とは言わないが、同じ瞬間に頭を使っているかどうかは後々大きなアドバンテージになると守谷は示す。

「楽しいこととか快楽に溺れやすいのが増えてる気がしますね」

「だからお前のところが儲かる」

「否定はしません」

 にっと笑った守谷だった。

「ですからね、簡単に手を出すんですよ」

 次いで真顔になった守谷はそう言う。言葉を省略したのは人の耳を憚るせい。あまりにも簡単に違法薬物に染まっていくと守谷は言った。

「いまにはじまったことでもないな」

 学生の薬物汚染は問題になってもう長い。だが、と河崎は内心に思う。直接に学生を相手にしている守谷だからこそ、より生々しく感じているのではないか、と。

「そんなところです」

 河崎の表情を読んで守谷はうなずく。薬物法度の相沢組としては、易々と堕ちていく学生が情けなくもあるのだろう。

「慶太」

「任せてください」

「……まだ何も言ってないだろうが」

「伝手ならありますから。手に入れてお届けしますよ」

「まったく。お前は。――すまんが頼む。ただし」

「身の危険を感じたら退け、ですね。わかってますよ」

 にやりとする守谷を処置なしとばかり河崎は笑う。ありがたかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る