第2話
いい思い出の土地だった、それなのに部下が失踪したいま、苦い土地になっている。カルトのテロが起こるような土地柄ではなかったはず、その思いは強かった。その部下からして別のカルトを追っていた。
――こんなところだったか。
昔、先輩に言われた冗談。この土地は奇妙なことが起こる土地。笑い話だと思っていたものを。河崎は内心にそっと首を振っていた。
「話は戻りますが」
守谷は河崎の表情の変化に逸早く気づいている。何事か、心に抱えるものがあるのだろうと。いまの事件ではなく、別件で。だがそこに立ち入ることはしない、無言のうちに語っていた。
――もし、必要なら話してくれるだろう。
立場が違う。相容れない場所にいる。互いにそれはわかっているから守谷も馴れ合うようなことはしない。一歩引いて弁えるからこそ、付き合い続けられるというものだった。
「ヤクの話ですが」
その話だったな、と河崎が苦笑するが守谷の態度を観察してもいた彼だ。変わっていない、変わらず協力できる相手、と見定めるために。
「どうも、チャイナマフィアらしいんですよ」
「は……? 待て、ここに、都津上に、チャイナマフィアか?」
「はい。最近……ですね」
「だが、言っちゃなんだか旨みのある土地でもないだろう」
東京や大阪の真ん中のような繁華街など望むべくもない。ビジネス街があるわけでもない。そもそも相沢組からしてこぢんまりとした稼業だ。そこにマフィアとは。
「学生ですよ」
どこか皮肉な守谷の声音だった。それで河崎にもようやく理解が及ぶ。我ながら鈍いものだと苦い。
「やつらは学生相手にヤクを売ってるらしいんです」
「学生の薬物汚染なんて縁遠い土地だったのにな」
「まったくです。嘆かわしいってうちの親父も言ってました」
やくざの組長に嘆かれていれば世話はない。河崎は小さく笑いを漏らす。
「相沢も変わらないらしいな」
「うちじゃヤクは絶対ダメです。堅気さんみたいに刑務所行っておしまいなんて楽な話じゃないですからね」
本家が本気で潰しにくる、守谷は間違いないと断言した。いまもその方針は守られていると知ったおかげで河崎は安心して守谷に頼める。
「これから調査だ。手伝ってくれるか」
「もちろん! 喜んでお手伝いします。いえ、させてください!」
「なんだ、俺の役に立ってもいいことなんかないぞ?」
「だって兄貴の手伝い、したいじゃないですか。兄貴がいるから俺のいまがあるんですよ」
「……そうか」
この人懐こいところが失踪した部下を思わせて、河崎の心の柔らかいところを突き刺した。彼もまた屈託なく明るい男だったものを。
「兄貴、昼メシまだです?」
「あぁ、まだだ」
「だったら、いいところにご案内します」
「お前のいいところは怖いな」
冗談を言いつつ席を立つ間際、守谷は自分の分をきちんと小銭で揃えて河崎へと。にやりと笑って会計を済ませる河崎をマスターが笑顔で見送った。
「しっかりしてるな」
「だって、こういうのはちゃんとしないと兄貴にご迷惑がかかるから」
「そっちの兄貴分に仕込まれたか」
はい、と守谷は照れて笑う。まだちんぴらだったころは食事くらいは奢ってやっていたのだけれど、組内での地位が上がるに連れて外部の人間との付き合い方を諭されたらしい。
「それで、どんな店なんだ」
「エスニック料理店ですね」
「俺が、か? まぁ、お前が勧めるなら別にかまわんが」
河崎はいかにも会社員というよりは多少くだけた、ベンチャー企業の幹部といった格好だった。もっと都会であれば昔ながらのどぶねずみ色スーツが一番目立たないが、都津上のような新旧入り交じる土地柄ではかえってこのような外見の方が目立ちにくい。
「いくらなんでも浮くだろうが」
とはいえ、守谷が案内するというのだから学生街にあるのだろう。それを、考えれば躊躇する河崎だ。
「兄貴は若く見えるから大丈夫ですよ」
「それは褒め言葉じゃないな」
「そうですか?」
「貫禄がないって言ってるも同然だぞ」
「そんなもんですかねぇ」
首をかしげる守谷はジャケットこそ着ているものの、相当にくだけている。河崎と並ぶとベンチャー企業幹部とデザイナーの打ち合わせに見えなくてもない。少なくとも「相沢組若頭補佐」には断じて見えない守谷だった。
「そういう格好の方がいいのか? 趣味か?」
「どっちかと言えば仕事着ですね」
「ほう?」
「うちは基本が学生相手なんで。ガチガチの会社員っぽいよりはこの方が警戒されなくて」
「まぁ、聞かなかったことにしとこう」
苦笑する河崎にからりと守谷は笑っていた。仮に詳細を語ったとしても――そしてすでに河崎は語らずとも知っているとも思っているが――河崎がそれを端緒として逮捕に及ぶことはない、と守谷は考えている。
――兄貴の目はもっと遠くもっとすごいところを見てる。
公安はたかが学生相手の小銭稼ぎで逮捕などするより泳がせて利用した方が遥かに得だと考えているに違いない。それとわかった上で守谷は河崎に手を貸す。組のためではある。が、河崎のために。河崎の力になりたい、その思いは彼にも充分に伝わっていて、守谷は粗略に扱われたことはなかった。
学生街に入ると、河崎の目には見慣れないものがいくつもある。当時はなかった店が散見されていた。華々しい外観をしてはいるが、周囲との調和も一応は考えているようで浮き上がって見えるわけでもない。
――なんだ、あれは。
それなのに、河崎の目には違和感として映る。ただのレストランであったり雑貨屋であったり。夜になれば開くのだろうクラブもある。普段から目にしている普通の店に見える。
――普通に見えるのが妙だってのは、どういうことだ。
ちらりと守谷を見やれば「兄貴もですか」と言わんばかりの眼差し。彼にも妙な店と映る様子。
「中はどうなんだ?」
「普通ですよ。どこにでもある店――なのに、前を通るだけで気味悪く感じることもあって。兄貴分には神経質だって笑われました」
「わかるな」
「ひどいな、兄貴まで言いますか!」
抗議をしつつ守谷はからりと笑っていたから誤解の訂正をし損ねた。河崎は守谷に同意したつもりだったのだが。改めて店の外観を見ても得るものは特にはなかった。
「とりあえず入りますか」
「慶太、お前」
「お察しのとおり、やつらが構えてる店です。が、この時間帯はバイトしかいないんですよ」
調査済みです、にっと歯を見せて守谷は自慢げ。面会以前に調べていたのだろうことを思えば相沢組がチャイナマフィアを警戒していることが察せられた。
「一応な」
少しばかり行き過ぎて、周囲を見回す。互いにさりげなくだった。店のガラスや車のミラー、そんなものを利用して尾行の有無を確認するのは二人共に慣れたもの。
「二人ね」
店内へは守谷が先に入った。彼の方がこのような店には馴染む。連れてきてもらった珍しい店に興味がある、そんな河崎の顔。守谷がそっと笑っていた。
「こら、笑うな」
「兄貴も案外と茶目っ気あるなと思って」
「うるせぇぞ」
言いつつにやりと笑う。二人して安全を確認したならば、おそらくは問題はないだろう。油断はしていない彼らだったが。
「おススメはフォーですね。ここのオリジナルアレンジっぽいです」
「うん?」
「本場の味を食べやすくってやつですよ」
皮肉げな守谷だったが、味は悪くはないと言うので河崎は素直にそれを頼む。他にも生春巻きなどのいわゆるエスニック料理、がメニューに並んでいた。
「それらしいのがあるでしょう? どれも本場のじゃないんですがね」
内装を見てくれ、守谷は言う。すでに見て取っている河崎も苦笑気味にうなずいていた。タイやベトナムの飾りらしきものが適当に混ぜてあったかと思えば壁紙は中国風。
「要はそれっぽく見えればいいってことなんでしょう」
「そんなもんじゃないのか?」
「どうでしょうねぇ。最近の若いのはけっこう見抜きますから。やるならやるできっちり作り込むか、ごちゃ混ぜカオスを徹底するか。どっちかに方向付けないと見向きもしませんよ」
「お前だってまだ若いだろうが」
「学生のバイタリティには負けます。ついていけない」
ついて行きたくもないと守谷は笑って肩をすくめた。その気持ちはわからなくもない河崎だ。
「ほら、兄貴」
他愛ない会話をしているようでいて守谷の眼差しは時折鋭くなる。同年代の会社員などが見るはずもない修羅場を知る目だった。
「……ほう」
示唆に従って鏡越しに見やったそこには留学生らしき男女が数人談笑していた。アルバイト中なのだろう、この店の制服がしっくりとはまっている。
「多いと思いません?」
そう河崎も感じていたところだった。ほんの数人ではある。だが、昼食時から少し外れた時間にバイトが、しかも留学生バイトがこれほどいるとは。
「普段から多いんですよ」
「バイトがか。留学生がか」
「どっちも。食べに来るのもいますし。――商店街の会合なんかでは『彼らの故郷の味を提供するエスニック料理店として、留学生の助力がしたい』とか言ってるようです」
「故郷の味、なぁ」
ちょうどそこに料理が運ばれてきた。河崎は口許で笑う、守谷の言うとおりだった。アレンジが効きすぎていて、フォーと言うには若干の抵抗がある。
「まぁ、うまいな」
うなずく河崎に守谷は笑顔。偽物のエスニックでも料理自体はまずくはない。これで「故郷の味」を主張される留学生は迷惑だろうが。
「兄貴もお察しのとおり、それは間違いなく表向きの理由なわけです」
「裏向きを掴んでるのか?」
「掴めてはいません。ただ――」
顔を顰めながら守谷は生春巻きにかぶりつく。スイートチリソースが好きでつい唇がほころんだのを慌てて引き締めた。
「チャイナマフィアです」
「……ここでもか。というか」
「はじめから、ではあるんですけどね。お連れしたのはそれが理由ですから」
「にしても、留学生バイトをチャイナマフィアが?」
薬物汚染のためなのか、目顔で問えば守谷は首を振る。短期留学生が多く、バイトの入れ替わりが激しい。おかげで相沢組でも把握ができていなかった。
「マフィアがバイトの斡旋に手を広げるってもの、考えにくいですよね」
「お前以上の小銭稼ぎだな」
「ひでぇな、兄貴」
「大金を稼ぐ話をされても困るが」
「そのときはこっそりお教えしますよ、兄貴」
なにを言っているのやら、笑いつつ河崎は料理を片付けた。どれも味付けは中々だ。そのぶんチャイナマフィアがかかわっていると思うのが忌々しかった。せっかくの料理なのに、と。
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