最近観た3本のバディ映画 ※ネタバレあり

1⃣〈2人のローマ教皇〉

2⃣〈侍タイムスリッパー〉

3⃣〈鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎〉


 まずは1⃣から。

 〈教皇選挙コンクラーベ〉で改めてキリスト教に興味をもったといううちの母(似非クリスチャン)が「Netflixで観たわよ」と言うので、狂喜乱舞してお相伴に預かった作品。


 ドイツ人教皇ベネディクト16世(俗名ヨーゼフ・ラッツィンガー)の許に、辞任の許可を求めるために訪れた未来の教皇フランシスコ、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(どっちも高齢)の、「辞表を受け取って」「ダメ」(もしくは「聞こえなーい」)という話がどうしてバディものになるかというと、保守派で、(おそらく気質的に)他人を寄せ付けないベネディクト16世の孤独を、陽気で人たらしな(笑)ベルゴリオが、そうと気づかせないうちに解いていくからでしょう。


 気難しくて、服装規定にうるさくて、「面白くないのがドイツのジョークだ」とか言っちゃうベネディクト16世と対照的に、ベルゴリオは初対面の庭師からハーブの苗をもらっちゃうし、ローマのバーでサッカー観戦して地元民と盛り上がっちゃうし、とにかくカワイイ。


 しかし。融通がきかない堅物なだけに見えるベネディクト16世にも、温和で明るいベルゴリオにも、お互いに背負ってきた重圧と罪悪感が存在する…とわかったとき、ふたりの距離がちょっと縮まる。


 あのねー、ふたりの間に肉体的アクションなんか全然起きないんですよ(最後におふざけでタンゴを踊るところを除いて)。なにしろ高齢だし(笑)。

 あるのは、と、(キリスト教的)赦しと、赦しながらもなお、どうしても滲み出てしまう、人間的な…怒りや憤りといった感情のやりとり。


 んで、最後。最初はサッカーに全く興味がなかった名誉教皇ベネディクト16世(退位)と、教皇になったフランシスコが、アルゼンチン対ドイツの試合を一緒にTV観戦するんですけど。試合の趨勢に一喜一憂する緊迫した(?)雰囲気の中、酒とつまみを前にしたふたりのおじいちゃんの間に気安く飛び交う皮肉! えっ、どこの老人ホームのサロンですか??

 …もう、こうなるまでの間が長くてね!!(いい意味で)

 私は思いました。「階層社会ヒエラルキーの中にいる男って、ここまでしないと友人のひとりも作れないの?」

 だからこそ、男同士のバディものって、憧れの関係でもあるんでしょうね。


 次に2⃣。

 映画館でも、地上波でも観るくらい笑える。

 尊王攘夷派の会津藩士・高坂新左衛門コウサカシンザエモンが、倒幕派の山形彦九郎ヤマガタヒコクロウを暗殺しようとしたところ雷に打たれ、現代日本、よりによって京都は太秦うずまさの時代劇撮影所にタイムスリップ。周囲からは、記憶喪失の役者バカと勘違いされつつ、時代に培われた剣技を活かし、「斬られ役」として活躍していく…という、ド直球タイトルのコメディです。

 

 どこにバディ要素があるかというと、実は、タイムスリッパーは高坂だけではなく、一緒に雷に打たれていた山形が、タイムラグでひと足(一時代?)早くタイムスリップし、時代劇俳優・風見恭一郎カザミキョウイチロウとして活躍していたことが判明。その風見から「一緒に最高の“時代劇”を作ろう」と誘われる後半から。

 最初は(一方的に・笑)反発していた高坂も、風見=山形の過去を知るにつれ、次第に憎めない気持ちを抱くように。


 とはいえこの映画、1⃣と違って9割方コメディですからね。ふたりがセリフの入らないシーンの撮影の裏で深い話をしていると思ったら、たわいないきっかけで子供みたいにののしり出すし、風見は風見で奥手な高坂をからかって遊んでるしで、「男の子っていくつになってもチャンバラごっこが好きよねえ~(この関係性変わんねーな)」と、ほっこり笑って観ていられる映画でした。好きなものが一緒だと、仲良くなるのも早いよね(それが女の場合を除く)。


 最後に3⃣…これはね…下馬評高かったし私自身もほぼほぼリアルタイムどころか再放送されても必ず観ちゃう、鬼太郎シリーズのファンなんですが…

 ゴメン、鬼太郎父(ゲゲ郎)役の声優さんの声が生理的に合わず、何を言われても「いいこと言ってんだろうけど如何せん声がなー…」で終わってしまった。

 作中で語られる田舎の異常な閉塞性についても、相方(母方の実家が広島県北部の山地)は「これがだからね( ̄ー ̄)ニヤリ」とするばかりでさほどショックも受けず…。

 北海道出身の私にとっても、ふだん胸糞展開の話ばかり読んでいるせいか、くだんの一家が近親相姦で子を成していたのだと明かされても「ふーん、そう」という感想しか抱けず…。

 

 それでも最後まで見たんですけどォ…

 そもそも、製薬会社を経営する龍賀リュウガ一族と製薬の謎を探りに東京からやって来た水木と、突如村に現れたゲゲ郎がバディ(と言ってよければ…)になる心理的なキッカケがよく分からない。

 1⃣みたいに共通項(=信仰)があるわけでも、2⃣のように思想的に対立していても、ベクトルの根っこは同じ(=大義がある)、というわけでもない。

 1⃣2⃣と違って、コイツとコイツが共感し合うのは理解できるな、と思わせるほど(ということは主人公の水木にも!)、ゲゲ父の人となりが描かれていないんですよ。水木についてもですけど。

 だから、私もここで書くエピソードがない。


 については、なりゆきでバディ組んだ(?)後、次第に明かされていくんですけど、それまでは共通項っつったら「どっちもよそ者」くらいしかないし、別に利害関係がすごく一致してるようにも思えない。行方不明になった奥さんを探すため、というゲゲ父個人の動機は理解できるけど、片や水木は、その当時は色恋より金銭崇拝に傾きかけてるところだし…。


 だもんで、いくらオタク的知識があろうと(目玉のオヤジが悪い奴なわけない)、水木が初対面のゲゲ父を信用する理由も、逆にゲゲ父が水木を信頼する理由も理解できない。まま終わる。鬼太郎誕生の謎、というより、このふたりでバディ関係が誕生する謎。


 今回は、舞台設定が全然違う映画3本を、「これってバディものじゃね?」という観点で斬ってみましたがいかがでしたでしょうか。

 いい脚本ホン…と、そうでもないやつ…を立て続けに観ると、「どこが悪いのか」が際立ちます。

 これは小説にも言えることだと思うんですけど、

「あいつは俺の親友だ」とかセリフで言わせる前に、(描写)で見せてよ!

3⃣は、登場人物キャラクターを話の都合で動かしちゃいけませんっていういい例かもです。

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