何を見ても何かを思い出す 『新教養主義宣言』
単行本の刊行が1999年、文庫の初版が2007年だから、古い本だ。文章が書かれたのはさらに古い。本文中で語られているネット環境は、なんと「パソコン通信」(使ったことない)。私はこれを中古で買っている。いつ買ったか忘れたけど。山形浩生『新教養主義宣言』。
『たとえば映画を観に行く。最近はどんな映画でもすぐ満員なんだけれど、ちょっとストーリーにひねりが入った瞬間にすさまじい割合の連中が取り残されているのがわかる。カップルの反応を見ていると、それがよくわかる。(略)そして最後のクレジットが流れた瞬間に「ぜーんぜんわかんなーい」という声があちこちであがる。さらにそれに対してカップルの相方が、まったくとんちんかんな耳を覆うばかりの説明をしているのが聞こえてくるだろう。』
『だからどうした、という考え方もある。知らない連中は、そんなこと知らなくても平気でまったり生きているのだ。だからそいつらの無知や頭の悪さをこうやって憂慮してみせるのは、オヤジの「最近の若者は」談義と同じクソの役にもたたない愚痴だ、連中は勉強する気もなければ啓蒙される気もないのだし、そういう分断された人間関係のありかたこそが現代的なのである。かれらは不幸なんかじゃないし、それを不幸だと言うのはおまえの思い上がりだ、という説もある。』
でも私が事あるごとに、教養の程度がどうとか言い出すのは、たぶんこの本の影響だ。
『この両者〔引用注:映画『恋に落ちたシェークスピア』『ロミオ&ジュリエット』〕で、トム・ストッパードとバズ・ラーマンは『ロミオとジュリエット』のせりふをとっても巧妙に読み替えていた。そしてあれを観ていた西洋人どもの多くは、その読み替えのうまさからも多大な効用を得ていたのはまちがいない。日本人の多くは、あれをただのラブストーリーとしてしか観られない。西洋人どもはそれとは比べものにならないほどたくさんのレベルで深く豊かにあれを観ていたはずなんだ。
まあ地域的な問題はあるだろう。しえいくすぴあ知らねぇって、ったりめーだろが、こちとら江戸っ子よぅ。ほうほう。んじゃあ日本だと何だ? 近松か八犬伝か。話にならない。かろうじて桃太郎に竹取物語だろうか。でも民話でも、うりこ姫の話になるともうみんな知らない。キコバタトントンケケロウケー。通じないな。四谷怪談とか忠臣蔵ならなんとかなるか? どうだろう。あなたのまわりの人間は古事記の内容をどれだけ知ってるだろうか。ヤマトタケルノミコトの最期をおぼえているか。イナバの白うさぎは、なぜワニザメをだまくらかしてまで向こう岸だか向こうの島だかに渡りたかったんだろう。』
民話といえば、この間、「耳なし芳一」を知らないという同僚(20代後半か30代の女の子)がいて、家に帰って相方にその話をしたら、「耳なし芳一? 知ってるよ」と言うので、じゃあ話してみろよと言ったら、「体にお経を書かれるとどんどん強くなってく琵琶法師の話でしょ」って――どんな少年バトルマンガだよ! 逆に読んでみたいわその「耳なし芳一」! マックス・ヴェーバー『職業としての学問』を「久しぶりに読んでみたくなったから」とか嬉しそうに買ってくる人間と同一人物とはとても思えないな。
んで、じゃあこの本はどんな本かというと、半分くらいは書評で、残りはプロローグ(一番面白い。そして長い)と、雑誌やネットに掲載された評論集。
書評本の書評ってどうなのよ、とも思うけど(笑)、私の思う面白い書評は、“その本”を紹介しようとしていざ始めてみるんだけど、なぜか評者が途中から別のことを思い出して“その本”の話からどんどんずれてくとか、書評書いている人の話自体に含蓄があってもうそれだけで“その本”を読んだ気になっちゃうとか、“その本”を知るにはまた別の本を読んでることが前提条件でもあるみたいに他分野の話がトートツにブチ込まれてて、それがまた書評みたいになっている…という、融通無碍かつ縦横無尽に博覧強記を感じさせ(ておトク感のあ)るもので、この本はまさにそれなのだ。
だから、書評を外れて、政治、経済、情報論…なんかの話としても読める。「権利はただのお約束にすぎない」とか、「選挙権を売ろう!」とか、どこのアナーキストだよ、みたいな提言も、よく読めば「ふんふん、なるほど」と思える。で、もしこれが実現したら、私はどうするだろう…と、その先を想像したくなる。今だって、一票の格差があれだけ言われているのだから、何票を幾らで買えば最も効率的に政治に影響を…。さらにそれに刺激されて、小説を一本書くことも、ある…かもしれない。
『いつだって、伝えるべきなのは、その教養そのものじゃない。その教養の持つ力であり、おもしろさだ。それがわかれば、みんな黙ってても勝手に自分で勉強するようになる。
(中略)
ぼくはそれを伝えたいと思う。それがいろんな分野、いやあらゆる分野にいろんな形で存在していることをちょっとでもいいから示したい。というより、そういうのを見てぼく自身がおもしろがっている、そのおもしろがり方を少しでも見せられればと思う。』
まあ、一票の効果なんて無いに等しいってことは証明されちゃってるんですけどね。
あ、それを証明した、この本にも出てくる(といっても一行だけだけど)、スティーヴン・デヴィッド・レヴィット&スティーブン・ジョセフ・ダブナー 『ヤバい経済学』はほんとに面白いので、マジでオススメ。不謹慎で、笑える。
『ヤバい~』のせいで、イロモノ経済学者かと思ってたけど、つい先日、ちゃんとしたマクロ経済学の本を出してた。
…けどねえ。こーゆーのを面白がれる人ってどれだけいるんだろうってのが、21世紀を生きる人間の正直な嘆息。
『選挙権を売ろう、という態案は、ロッキングオンの掲示板などでもあれこれ議論を呼んだが、「選挙権売買は違法だ」といったくだらない批判ばかりで、有益な話はほとんどなかった。多くの人は、なぜ選挙権を売買してはいけないかについて何ら考えがなく、「それが決まりだから」という奴隷根性によりかかっているだけだ。
(中略)
ぼくの書く文は、中高校時代の自分が読んで何の苦もなく理解できたであろう水準にあわせて書いているつもりだけど、最近とみにネットでの反応を見ていると、それが要求水準としてあまりに高いのではないかと感じるようになっている。』
視点を変えてみる面白さ、これはあれにつながるんじゃなかろうかと推測を巡らせる楽しみ、あるいは不道徳なものでも受け容れやすくしてしまえるような価値観の転換の試み――なんかは、まさしくこういう幅広い教養に裏打ちされてこそ可能になるものだと思うのだけど。いくら創作が無から有を生み出す作業だとはいっても、薄っぺらい知識と思考しかないのでは、それなりのものしか想像/創造することはできないのだから。面白さには多様で多層の深みがあるんだということを、小説なんか書いてるひとには、せめて
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