異世界転世も楽じゃない? 『アーサー王宮廷のヤンキー』

 異世界転世(生)ものが好きじゃない私が唯一持っている異世界転世(生)ものが、マーク・トウェインの『アーサー王宮廷のヤンキー』。

 まあ、「同時代ではないどこか」へ強制転移させられるのを異世界転世とすると、『家畜人ヤプー』もそうだといえるんだけど…。


 19世紀アメリカはコネチカット州出身のヤンキー・ハンクがケンカに巻き込まれて目を覚ますと、そこは6世紀の…アーサー王の宮廷。


 余談ですけど、中世ヨーロッパ(風)世界に転世(生)するのって、そんなにうらやましいものですかね?

 天然痘がバリバリ現役活動中で、皮膚病は神の罰、抜歯は無麻酔で行われる時代が? 

 え、魔法があるから万事解決ですって? ――高度に発達した科学は魔法と区別がつかないんですよ!〔*〕


 そんなわけで、19世紀時代人であるハンクは、19世紀の知識を駆使してアーサー王の“終身の大臣兼行政官”になり、いかさま魔術師マーリンを尻目に、迷信と階級意識に凝り固まった6世紀の世界で無双…しません(笑)。


 いや、しようとするんですが、そうそう思い通りにはいかない。

 衛生観念を発達させ、国中に秘密の通信網を整備し、平民の青年に陸軍士官学校ウエスト・ポイントも顔負けの近代戦の訓練を施す、のですが――


『しかも、天使だって途方にくれるようなその問題を、彼はなんでもないようにやっていくのだ。――それに日食・月食、彗星、夏至・冬至、星座、平均太陽時、恒星時、夕食時、就寝時についてのすべてや、そのほか考えおよぶ限りのもの、つまり雲の上にあるもの下にあるもの、それを使って敵を苦しめおどかし、相手にこんな所へ来なければよかったと思わせることのできるものについてだ。――そして最後にこの若者が軍隊式の敬礼をしてかたわらに引き退がったとき、わたしは彼を抱きしめてやりたいほど誇らしく思った。』


 王は、字も書けず九九も知らない若い貴族を、彼が四代続く貴族の家系だからという理由だけで、軍の司令官に任命するのです。


 中でも私が好きなのは、ハンクが名目賃金と実質賃金の違いについてドヤ顔で説明するのだけど、何度説明しても農民たちには全く響かない!


『「ねえ、いいかね、ダウリー君、あんたにはわからないかねえ? あんたたちの賃金はわたしたちの賃金よりものうえで高いだけなんだよ。は違うんだ」

「なに言ってるんだ! おれたちのはだ――あんただってそれは認めたじゃねえか」

「ああ、認めたさ。認めないなんて言ってやしない。しかし、そのこととは関係はないんだ。たんに貨幣のうえでの賃金のは、その賃金を知るために無意味な名称をつけているだけであって、そのこととは関係がないのだ。――それが肝心なのだ。確かにあんたたちの国では腕のいい職人が一年に約三ドル半もらい、わたしたちの国では約一ドル七十五セントしかもら――」

「ほらみろ――また認めているじゃねえか。やっぱり認めているぞ!」

「えい、いまいましい、認めないとは言わんと言ってるじゃないか! わたしの言うのはだね、つまり、わたしたちの国では一ドルのであんたたちの国のよりも多くのものが買える、ということなんだ――これは当然、常識の中の一番の常識から言ったって、わたしたちの賃金のほうがあんたたちの賃金よりということになるのさ」

 彼はキョトンとしていた。そして、すっかりもてあました、というような調子で言った。

「まったく、おれにはわからんな。あんたは今もじゃないかね、おれたちの賃金のほうが高いって。そしてその舌の根もかわかねえうちに、すぐさまそいつを引っこめるんだからね」』


 そりゃそうだ。

 スティーブ・ジョブズひとりが6世紀に飛ばされたとして、彼がiPhoneの素材全てを発明したわけじゃない。液晶ディスプレイを開発した人がいて、半導体を製造した人がいて、その前にはアラン・チューリングがいて、さらにその前にはエジソンが…。


 要はのだ。

 変化は急には起こらない。

 宗教や王権が絶対で、識字率がビールのアルコール度数より低い状況では、世界の大多数を構成する当事者に、理解のための土台が無い。


 私が大半の異世界転世(生)モノを好きじゃないというのは、まさにそこなんですが。

 あなたがコッチの世界から持っていって、大胆にもアッチの世界(と人々)を救おうとしているその“知識”も、あなたがひとりで手に入れたものじゃないし、いかにも文化度が低そうな世界で生きている人たちにも、そうなるだけの背景がある。

 そこを無視してひとりチートしようとしても、そうは問屋が卸さない。

 大体、21世紀現代の私たちの常識や知識だって、後世の人から見たら、「そんなことも知らないなんて、何やってんの?」ってなものかもしれない。


 世界を変える英雄になるのは楽しいし、憧れるけど、そうそう上手くいくもんじゃない。

 楽しくてほろ苦いこの小説の結末を読むたびに、どこの世界で生きていくのも大変なんだなあと納得して、現実世界に戻ってくるのです。



* SF作家アーサー・C・クラークの〈クラークの三法則〉のひとつ。

 Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.




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チラシの裏に書いとく創作論とか 吉村杏 @a-yoshimura

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