「リサーチが足りないね」――男と女の深い溝

 先日あるBL小説を読んでいたときのこと。一行のセリフに目が釘付けになりました。


「誰がヤクザのペニスなんて舐めるか」


 これは大学生の青年(受け)が暴力団構成員(攻め)に面と向かって発したものです。


 この時点で私は本を閉じたのですが…このセリフが数日に渡り呪いのように頭につきまとって離れなかったため、思い切って相方に訊いてみることにしました。


私「ねえ、ちょっと聞きたいんだけどさ…」

相「何、深刻な顔して」

私「男ってさあ…他の男性に対して、自分もしくは相手の性器のことを表現するのに、口頭で“ペニス”って言う?」


 相方は一瞬、「コンビニの看板を見ると宇宙人が話しかけてくるから行けない」と告白されたかのような哀れみと驚愕の表情を浮かべ、

「あなたともあろう人が…どうした?!」

 と、答える前にこちらの精神状態を心配してきました(相方は私がBL小説を書いていることまでは知らないが、誕生日にトム・オブ・フィンランド〔*〕の画集をリクエストしたことやその他諸々の事象から、私のことを「僕よりたくさんのチ○コを見た女」と認識している。…それは誤解だ)。


 そこで私は詳しく事情を説明。


相「なるほど、そういうことか。言わないね。男の友達に“ペニス”なんて言ったら『お前どうした?!(笑)』って逆に心配されるし、普通に言うなら“あそこ”とかだろうし。そういう解剖学用語は泌尿器科医と面談する時でもないと使わない。その場合でも日本人なら“陰茎”だろうね。医者が“ペニス”と言ったら医者に合わせるけど」

私「だよねえ…。わたしがおかしいのかと思ってたんだけど…疑問が解けてよかったよ」

相「僕もね、当然わかってるはずのあなたが突然そんなこと聞いてきたもんだから、どうかしたのかと思ったよ」

(やはり本気で心配されていた)


 そして相方は最後にニヤリと笑ってこう締め括ったのです。


「弟か彼氏か夫がいれば、聞けばすぐにわかると思うんだけど。リサーチが足りないね」


 ――「リサーチが足りないね」!

 BLを読んだこともない男にこんなことを言われるなんて。


 しかしまあ、この種の問題は昔から存在していたようで、


『初期のK/S物語〔引用者注:ドラマ〈スター・トレック〉の男性登場人物を主人公にしたスラッシュ小説。日本で言うところの二次創作BL小説〕は、二人が同時に何度も絶頂に達するとか、潤滑剤を使わずにするアナルセックスを簡単に描写したりしていて、これらの物語の作者はおそらく実際の男どうしのアナルセックスを想像してみたことがないのではないかと思われる。スラッシュ小説の作者は、セックスシーンにそういった技術的な間違いがあることに気づくと、正確な記述をしなければと努力し――たとえばアレックス・コンフォート(Alex Confort)の『ゲイのセックスの楽しみ(The Joy of Gay Sex)』を読んだりして――やがて性行動の描写はよりリアルなものになっていった。』

(『女だけが楽しむ「ポルノ」の秘密』キャスリン・サーモン&ドナルド・サイモンズ)


『ネット上のゲイ向けポルノを見ると、世間はゲイの性的欲望について、いろいろ誤解していることがわかる。(中略)ゲイの男もストレートの男も、好きなものは同じなのだ。どちらも、若い子、積極的に誘惑する熟年、体のあからさまな描写、大きなペニス、射精シーン、感情を伴わない匿名のセックス、複数の相手とのセックスといったものを好んでいる。

 では、心を捉えるキューについてはどうだろう? ゲイの男性も、ロマンス小説やファンフィクションに表現されている女性の心を捉えるキューに反応するのだろうか?(中略)

 ゲイ向けの官能小説では、体のパーツ、とくに「ペニス」や「尻」についてのあからさまな描写に重点が置かれている。一方、女性向けのアダルトファンフィクションでは、もっとわいせつ度の低い「見つめる彼の目」、「彼のハート」、「彼は吐息をもらした」、「彼の恋人」といったものや、感情の描写に重点が置かれている。』

(『性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し、女は「男同士」に萌えるのか』オギ・オーズム、サイ・ガダム)


「でも」とツッコミを入れる声が聞こえてきそうです。

「BLの作者は大体が女性だし、現実のゲイを描いているわけでもない。ファンタジーなんだから、男キャラが自分の“性器”〔**〕(この表現も地の文でよく見る)を解剖学的用語で呼ぼうと大した問題じゃないでしょ」と。


 そりゃもちろん私だって、男性向け官能小説を読んで、「現実の女はこんなこと言わないのになあ」と思ったりはします。とはいえ世の中には猥語が好きな性癖の人たちというのもいるわけで、それが女性であったとして、下品に振れる分には別に気にならない。

 が、それこそ泌尿器科医でもあるまいに、現代のフツーの男子大学生が、ヤクザに対して啖呵タンカを切るのに、わざわざ上品な方向に舵を切るか…?

 これだけ、「男」と「女が考える男」に差がある中、ただでさえ、ヤクザ×大学生などというファンタジーな設定(BLではよくありますが)に浸っていたいところを、突然「いや、私がこれまで男だと思って読んでいたこのキャラは本当に“男”だったのだろうか…?」などと謎な疑問に頭を占領され、それきりその先へ進めなくなるなんて事態は御免蒙りたいのです。それだけ。



 *フィンランドの画家。本名トウコ・ラークソネン。筋骨隆々のゲイのイラストを多数描いた。ご本人も同性愛者。


 **ちなみに、同じ話を看護助手でもある友人(女)にもしたところ、「なんというか、解剖学用語使うのって変な照れ隠しがあるように感じる。百歩譲って地の文ならともかく」と感想を述べていました。

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