第82話 不安定な心
次から次へと俺へのヘイトが増えていく。俺は怖くてコメントを見るのを辞めた。しかし、気持ちが落ち着く事は無い。それどころか、新たにどんなコメントが着ているのか気になって落ち着かない。俺はすぐにコメント欄を見てしまう。そして、心がえぐられるほどの苦しい気持ちになり涙が止まらない。
目に見えない誰だかわからない人からのコメントなど、どうでも良いと思えるかもしれないし、嫌なら見なけれ良いと思うかもしれない。俺も実際にそうのように思っていた。しかし、自分がヘイトのコメントを受ける立場になった時、そのような柔軟な気持ちに切り替える事は出来なかった。
コメントを見ないようにしても気になって仕方がない。一度見てしまったら最後、ヘイトの苦しみから逃れる事はできない。そもそも、俺はそれほど精神力は強くない。ヘイトに耐えれる精神力を持っていれば、50歳まで引きこもる事はなかっただろう。
俺は自惚れていた。イケメンになりモデルにスカウトされて調子に乗ってしまったのだろう。引きこもりの陰キャの俺がモデルになんてなれるはずがない。鼓さん達は本当の俺を知らない。レベルを上げて見た目を変えた張りぼての俺しか知らないのだ。不屈の心(銅)を持つ俺でも、画面を埋め尽くすほどのヘイトには立ち向かうのは不可能だった。
俺は完全に心が折れてしまい大声で泣き出してしまった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ~ん。うわぁぁぁぁぁぁぁ~ん」
俺の鳴き声が撮影室に響き渡る。防音設備がしっかりとしているので、撮影室の外には俺の声が響かないのが幸いだった。
「昴君、辛いのはわかるけどモデルを目指すならこれは越えなければいけない試練なの」
鼓さんは冷酷な目で俺を見る。
「昴君、私の胸で泣くがいい」
笑さんは小さな胸を俺の顔に押し付ける。
「笑、甘やかさないの!」
鼓さんは笑さんを俺から引き離す。
「弱っている今がチャンスタイム」
笑さんは鼓さんの手を払いのけて俺にしがみつく。しかし、俺は笑さんの柔らかい胸に顔をうずめても何も感じない。心が折れてしまった俺には性欲など湧いてこない。心が痛くて苦しかった。息が止まりそうなくらい呼吸が乱れていた。1㎜先の視界が見えないくらい涙が溢れていた。
ヘイトコメントは、人の心を壊す最強の暴力であった。力を持たない者に与えた最強の武器であった。俺はあっけなくヘイトに屈し、ヘイトコメントをした人たちが望んだ状態に陥った。ここで、俺がモデルを辞めれば、ヘイトコメントをしたアンチの勝利である。
「昴君、負けないで。ここでヘイトに屈したらアンチの思うつぼよ。ヘイトコメントをする人は、モデルが苦しんで辞める姿を想像して喜んでいるの。そして、そのアンチを助長させているのが配信型口舌バトルなの。配信型口舌バトルが流行ってからモデルを辞める人が急増し、中には命を絶つ人もいる。いきなりヘイトの洗礼を浴びさせてごめんなさい。でも、ここでモデルを辞めてしまうメンタルなら、モデルになれないの」
「辞めても良い。私が責任をとる」
「・・・」
俺はモデルを辞めたいと言いたかった。喉の奥にまでその言葉が出ていた。しかし、俺はその言葉を出すのを辞めた。いや、辞めたのではなく辞めさせられたと言っていいだろう。
俺が辞めたいと言おうとした瞬間、目の前の景色が白黒になった。
「昴にゃん、その言葉を口にしたらダメにゃん」
俺の目の前に黒猫が姿を見せた。黒猫が姿を見せた瞬間、目の前の景色は白黒になり、聞こえていた生活音が消えて無音状態になり、黒猫の言葉だけが俺の耳に響く。
「ど・・・うなっているんだ」
俺は黒猫の言葉よりも周りの景色の方が気になっていた。鼓さんも笑さんも人形のように止まっていて、呼吸音さえも聞こえない。俺の耳に届くのは黒猫の声だけである。
「昴にゃん、まわりの事は気にせずに話を聞くにゃん」
「気にするなと言っても無理だろ。なんで、景色が白黒で鼓さん達が止まっているんだ」
「他の人に姿を見せるわけにいかないから時を止めたにゃん」
「お前はそんな事が出来るのか?」
「もちろんにゃん。吾輩に出来ない事はないにゃん」
「出来ない事がないのなら、俺へのヘイトを辞めさせてくれ。もう・・・耐えられない」
「あ!それは無理にゃん。それに、昴にゃんは【不屈の心(銅)】をゲットしているにゃん。どんな事があっても心が乱れる事は無いはずにゃん」
「じゃぁ、なんでこんなに心が苦しんだよ。ヘイトコメントを見れば見るほど心がえぐられたように痛い。アイツらはなんで俺のやる事全てを否定するんだ。俺が何をしたって言うんだ」
【不屈の心(銅)】のスキルをゲットしてからは、どんな事があっても冷静に対処することが出来た。多少の動揺や不安、恐れを感じてもすぐに呼吸は落ち着いて冷静に対処することが出来た。しかし、口舌バトルに参加して、ヘイトコメントにさらされるようになってから、不安や焦り恐怖を意識するようになっていた。謝罪動画のコメントを見た時、その不安や焦り恐怖が一気に押し寄せて、俺は情緒が不安定になってしまった。
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