第4話


 安曇は問いたくなる、このメールの真偽を。事実なのか、問いたくなる。自分も知らなかったような神社の内部のことをいったいどうやって調べたというのか。ぶつけることはたぶん、できた。

 ――あの、新聞社の人。か。

 黄衣の王の出版について調べてくれた人。あの短時間であれほどの情報を。ならばこれとて、いい加減なものではきっとない。そう思ってしまえば、問えなかった。

「気になることが、あるんですよね……」

 ふと呟くような大和だった。安曇の頼りない眼差しが不安ではある。が、大和は口にする。何度も繰り返し疑念に駆られるよりはずっとましだろうと。

「ん、なに」

「簡単に、見つかりすぎです」

「え――」

 長田が納めた彫像。大和にはおかしいとしか思えなかった。情報を得てくれた相手は大和が知る限り最も優秀な男だ。だが、それにしても奇妙。

「だってね、安曇さん。神社の中のことですよ」

「それは、僕も、そう思う」

「でしょう? 長田教授がたぶんご自分で持っていったんだと思うんですよ」

 安曇が知らないのならばそういうことだろう。眼差しに促されて安曇はうなずく。そのとおりだと。

「だったら、教授と相手神社のやりとりがどこに残ってるんです?」

「あ……」

「まぁ、奴が調べられたんだから、どっかに残ってたんだとは思いますよ」

「それはおかしい」

 即座に言う安曇だった。大和の発言がおかしいのではなく、文書が残っていることが。更に言うならばそのようなものを外部の人間が調べられたことが。ゆるりと大和もうなずく。

「俺は、この情報が見つかること前提な気がしてならない」

 その意味はなんだ。安曇の目顔に大和は答えられない。考えは、ある。長田が安曇をなんらかの手段で追い詰めようとしているような、そんな気がしてならない。ただ、根拠はない、何ひとつとして。

 ――でも、そう考えると辻褄が合う。

 福島に彫像を貸したこと、劇に誘ったこと。いずれも安曇は多大な精神的衝撃を受けた。共に過ごしてきた研究室の学生たちの無残な死を安曇は眼前で見た。見せられたのでは、と大和は疑っている。

 ――なんのために。

 それだけが、わからない。

「……これ、さ。さっき、封印ができてるって、書いてあったじゃん。神社でやったんだよね」

 その効力の有無は問わない、安曇は呟く。そういうものならば、それでいいと。少なくとも神社で封印した、ことになっている、その事実はあるのだからと。

「教授はさ、知ってたんだと、思うんだよ」

「向こうの神社かもですよ?」

「だとしても、あっちに預けた、然るべき場所って知ってたなら一緒だろ。――教授はなんで福島君に貸したの」

「……です、よね」

「僕から見て教授は福島君を可愛がってた。とても将来を楽しみにしてた。僕もだよ。真面目なだけじゃない、いい研究をすると思ってた」

 距離こそおいていた、それでも安曇は福島を大切に感じていた。馴染めないと言いつつ、研究者としての先行きを微笑ましく見ていた。

「友人なんて言わない。そんなものじゃなかった。それは認める。でも近々、切磋琢磨しあう仲間になれると、思ってた」

 研究のことならば、そう言えるのだと安曇は苦く笑っていた。福島個人に思うところはない。研究室の中において、楽しみな「研究者」であったというだけだと。

「その福島君を、教授はどうしてあんなことに、巻き込んだんだろう……」

 大和に語るというより自らに問うような安曇だった。いまの安曇には聞けない。伊藤に関してはどう思っていたのか、とは。

 ただ、福島と同じように感じていたのではないか、そう大和は思う。ならば、長田がしているのは、安曇の側から彼の親しんだ相手を奪うことか。

 ――だとしても、意味はわからない。理由もわからない。

「教授が福島さんになんかする理由って、ないですよねぇ」

「なかったと僕は思うよ」

 長い安曇の溜息だった。あれからも調査は続けていたけれど、大和が調べた限り長田が福島に対して殺意を抱く動機は見つかっていない。

「僕のせいかなって、思う」

 ぽつんとした安曇の声音だった。狭いアパートにけれど反響し、降り積もっていくような、静かな声だった。

「安曇さん」

「だってさ、死にすぎでしょ。この短期間で二人もだよ? 僕の周りで二人も学生が死んだんだよ」

「それは」

「しかもあんな死に方だよ、大和君。福島君は呪われたとしか思えない状況で死んだ。伊藤君に至ってはあの有様だ」

 とても口にできるようなものではない。火脹れで人間の形をなくして破裂した伊藤、ぶくぶくになって、膿と血と脳漿を撒き散らして死んだ。握った手だけを安曇に残して。あの軽さを安曇は忘れていない。

「率直に言って、頭がおかしくなりそうだ。僕の周りで……みんな死んじゃう、そんな気がして、気が違いそう。僕のせいで、僕にかかわったせいで、僕の近くの人が、みんな」

 握られた拳をその上から大和は包む。固く閉ざされた拳は開くことはない。それでも少しずつでもぬくもりを伝えようとする大和を安曇は見ていなかった。

「この短期間って安曇さんは言いますけど」

「短くないとでも?」

「そうじゃなくて。あのね、安曇さんの周りっていうか、俺の周りでもあるわけですよ」

「それは、そう、だけど……」

「福島さんの件て、俺が研究室に入ってからですよね、安曇さん。伊藤さんはそのあとだ。ですよね?」

 何を今更、安曇の眼差しの険しさ。見えてもいないよう大和はほんのりと微笑んでいた。そして安曇を覗き込んでは語りかける。

「みんな、俺が来てから亡くなったんです」

「違う!」

「どこがですか? 俺が切っ掛けかもですよ」

「そんなわけないじゃん、なに言ってるの!?」

「だったら、安曇さんのせいでもない。でしょ、違いますか」

「僕は――」

「俺のせいじゃないって言うなら、安曇さんのせいでもないんです。両方とも根拠がない不安でしかないんですよ」

 かすかな呟きだけが返答。それで大和には充分だった。うつむいた安曇に自らを追い込むような真似はして欲しくない。これ以上、神経をすり減らすようなことになって欲しくない。

「安曇さんは怒るかもだけど。誰のせいって言うなら教授でしょ」

 伊藤が亡くなる前だったら。あるいは、本の解読がここまで進んでいなかったら。安曇は反論しただろう。それも強い調子で大和に抗弁しただろう。いまは。

「彫像も、見つかりやすいとこにあるっぽいのが違和感しかなくて、俺。正直怖いんですよ」

「大和君……」

「また、安曇さんに何かあったら。そう思ったら、いても立ってもいられない」

 大丈夫だよ、とは安曇は言えない。根拠のない慰めを口にしたくないのではなかった。確実に、まだ何かが起こる。その予感めいたものを感じていたのかもしれない。

「安曇さん、だから、約束してください」

「僕にできることなら」

「無理は言いませんよ」

 からりと笑った大和の目許にこそ無理を見る。入院していた間ずっと心配して見舞いに来てくれた大和だった。彼は加療の必要なし、と日常生活を続けていた。だがしかし、こうして改めて見つめれば。

「大和君、痩せたね」

「ま。色々ありましたからね」

「……だよね」

 安曇が動けるようになるまでに。大和はそれこそ寝る間も惜しんで活動していた。彼だけは、なにをおいても救いたくて。安曇だけは守りたくて。そう考えていたのだから大和もまたなんらかの予兆を感じていたのだろう。

「それで、僕は何を約束すればいいの」

 ふっと笑った安曇だった。大和が言わなかった懸念を読み取ったかのような、照れた眼差し。大和もかすかに笑い返す。安曇の手を両手で包んで彼を見つめた。

「本の解読、他にも危なそうなこと。俺に相談してからにしてください。解読は手伝いますし、何か調べたいなら協力は惜しみませんから」

「辞書引いたり?」

「もちろん」

「調べるって言っても新聞社の人に頼むんだろ」

「そこは突っ込まないで」

 にっと笑う大和に安曇も笑みを浮かべた。本当は、そう言ってくれたことがどれほど嬉しかったか。言葉がなくて身じろぐ安曇を大和はただ見つめていた。

「もう。そんな目で見るな!」

「はい?」

「恥ずかしいでしょ、大和君」

「いや、その。俺、それ言われる方が恥ずかしいんですけど……」

 生真面目を装って言った大和の手を振りほどき、けれど安曇は笑っていた。ほんの少し、いまこの瞬間だけでも明るい気持ちにさせてくれた感謝。伝わっただろうか。覗き込んだ大和の目はあたたかだった。

「メールで中断しちゃったけど、続けるよ」

 切り替えるよう唇を引き結んだ安曇に大和もうなずく。概要はわかったのだからもういいだろうとは、大和は言わなかった。言っても止まらない安曇であったし、彼と同じ気持ちでもある。

 ――わからないのが、俺も怖い。

 本の内容。翻訳できていない部分に何が書き記してあるのか。想像だけが膨らんでいくのは恐怖でしかない。

 いままでと同じよう大和は書き出された単語を辞書で調べる。よくぞこんな使いにくい文語で書いたと思うほど、古い言いまわし。今更ながら思う。これは、いつの本なのだろうと。流通した書籍ではないらしい。現時点では調べようはなかったが、相当に年月を経ているのではないだろうか。

「安曇さん、ちょっと待った」

「ん?」

「いま引いたこの単語」

「あ……」

 調べろという意味で書き出したのではなかったのだろう。単語としてはわかりにくいものではなかった。安曇の手が偶然に、あるいは無意識に止まって書き出された単語。大和の指先が示す。

「古き印。そう、翻訳できると思いませんか」

「……大和君なんて大嫌いだ」

「はい!? ちょっと安曇さん!?」

「そのとおりだね、これ。古き印って訳せばいいね」

 むつりと唇を尖らせたのは、またひとつ長田への疑いを深める結果が出てきたせい。細く長く吐き出される溜息。安曇の心持ちのよう頼りない。

「その本にあるってことは、これも危険だったり?」

「まだ……ちょっと待って。もう少し」

 慣れてきたのだろう、はじめのころに比べると翻訳が速くなっている。それが安曇にとっていいこと、とは大和は思えなかったが。

「なんだ、これ……。逆、だね」

「逆?」

「この本によれば、確かに封印の役は果たすらしい。それもかなり強力に」

 同時に安曇は思う。あの彫像は確かに神の一柱だったのだと。ギリシャ彫刻風の青年像。悪夢をもたらす神だったのだと。神を封ずるための敵なる神の印、古き印。それによって封印されたあの彫像。ふと風を感じて安曇は周囲を見回す。隙間風ではなかった。唐突な大和の腕に抱きしめられて震えている己と知る。




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