第4話


 疲れた顔をした安曇が研究室に戻ったのは学生たちがあらかた帰ったあとのこと。論文執筆に励む学生もいまはちょうど図書館に調べ物に行っているらしい。

「あぁ、大和君。まだ――」

 帰ってなかったのか、問いかけて安曇は困り顔をした。福島の件を頼んだ自分、と思い出したのだろう。気にするな、と大和は目を細める。

「福島さんは図書館寄ってから帰るって言ってましたよ」

「そっか。それでもまだ頑張ってるんだ……」

 だからこそ、相談には乗りたいと思うのだが。いかんせん悪夢への対処法などわからない。唇を引き締める安曇に大和は福島から聞いたことをまとめたメモを差し出した。

「すごいな……」

「何がです?」

「レポートみたいじゃん。こういうの、得意?」

 何をどう聞き取ったか、福島の態度や仕種まで克明かつ簡潔に記されているメモだった。それこそレポートと言ってしまってもいいほどに。目を瞬いた大和は苦笑して得意みたいですね、と肩をすくめた。

 その間にもレポートを読み進める安曇だった。さすがに助手として研究に携わっている彼だ、読むのが早い。ざっと目を通しているようで内容は把握していた。

「うーん」

 だが、安曇は腕組みまでして唸っていた。さっぱりわからない、という声音には聞こえず大和は首をかしげる。それと気づいた安曇が彼を見やっては口許を緩めた。

「よくある話ではあるんだよ」

「はい?」

「夢とか、妙なこととか」

 どういうことだ、と眉根を寄せた大和に安曇はよくある話だと繰り返す。冗談ではないらしい、と大和は驚いた様子。

「たとえばね、得体の知れない宗教的遺物を入手したら奇妙なことが起こった、とかね」

「奇妙なことってのがピンと来なくて」

「要は呪いだね」

「はいー!?」

 大和の突拍子もない声を安曇が大きく笑った。それに彼の冗談かと一瞬は大和も思う。が、安曇の眼差し。決して戯言ではないらしい。

「民俗学でもなかった、そういう話」

「いや、聞いたことはないわけじゃないですけど。学校の怪談的噂話だと思ってました」

「まぁね、わからなくはない。ただ呪いは実在するよ?」

「安曇さん?」

「呪いっていうのは、つまりは共通認識なんだよ。これをしたら呪われる、という常識が共同体の中にあれば呪いは成立する」

「禁忌、タブーってことですか」

「近いね。いまでは少なくなってる、と信じたいけど、昔は先住民族が信仰する神の像とかを研究だの一言で勝手に持ち出したりとかもあったわけじゃない。でもそのとき向こうの人は警告はするし、抵抗もする」

「当然じゃないですか」

「ね? それが、頭に残る」

「あ……」

「そうすると、普段とは違うことが起こった、ような、気がする。そのとき、言葉が蘇る。呪いだと感じたら最後、呪いは成立する」

 なるほど、と大和は納得していた。あり得ない話ではない、というよりあり得るだろうと感じていた。そんな彼に安曇が悪戯っぽく笑った。

「余談だったね。福島君の件とは、関係ないと思うし」

 確かに福島は彫像に関して何か知っている風でもなく、まして安曇が言う「共通認識」の中にいるわけでもなさそうだ。だが、安曇の話でふと大和は思いついたことがある。

「仮に、福島さんが何か近いような話を知ってて、とか。ないですかね」

「あぁ、なるほどね。類話を耳にしたことがあって、それが切っ掛けで、はあるかもしれない」

「どっかで調べられないかなぁ」

 まずは図書館か。大和は文献を当たる算段をつけているらしい。まだそう関係が深くもないだろうに、生真面目に真摯に対応する大和に安曇は微笑む。

「図書館もいいけど、類話を探すなら長田教授の蔵書がいいと思う」

「すごい量なんだろうなぁ。にしても、教授の蔵書とか。探させてくれますかね?」

「大丈夫だよ。来る?」

「え?」

「言ったじゃん。僕は長田教授のご自宅に住まわせてもらってるんだってば」

 ぽかん、とした大和を安曇が笑っていた。いまでも、とは思わなかったのかもしれない。くすくす笑い、安曇はいまから来るか、と再度問う。もちろん、とうなずく大和だった。

 長田の自宅はそれほど遠くはない、と安曇は言う。研究室を閉めて出た二人は安曇の運転する車で教授宅へと。すっかりと陽も暮れていた。

「そういえば、研究室閉めたの安曇さんでしたね」

「今日はね」

「いつもは教授でしたもんね」

「教授が学会なんだよ。留守番は助手の仕事、かな」

 からりと安曇が笑う。同行は院生がしていて、そちらの準備の方が大変だったと安曇はこぼす。

「僕が行った方が楽なんだけどね。今回の発表は筆頭研究者が院生だから。教授は監督役なんだ」

「そんなこともあるんですねぇ」

「大和君もそのうちやるんじゃない? 院まで行く気でしょ?」

 編入までしたのだからその気なのだろう、言われて大和はうなずく。前を見たままの安曇に通じたかどうかはわからなかった。

「福島さん、喜んでましたよ」

「うん?」

「安曇さんが心配してくれたんだって」

 それに安曇はしばし答えなかった。助手席から見やった大和が訝しく感じるほどの間、無言で運転をしていた。

「ちょっと一歩引いて助けてくれてた安曇さんがって」

 彼の言葉を引き出す助けに、そんなつもりで口にすればかすかな安曇の笑い声。どことなく虚ろなそれに大和は内心に顔を顰める。さして知りもしないけれど、安曇らしくない、感じてしまった。

「苦手なんだよ、本当は」

「人付き合い?」

「人間関係が、かな。時々、自分は異物だ、みたいに感じることもある。ったく、中学生じゃあるまいし、なに言ってるんだかね」

 ふふ、と笑った安曇だったけれど、本音なのだろうと大和は思う。前方から決して視線をそらさない安曇だからこそ、そう感じる。

「別にいいんじゃないですかね? ほら、俺はそんな風に感じてなかったし。ちょっと変わったのかもですよ」

「大和君が来て面倒見なきゃって思ったんだよ」

「そんなに頼りないですかねぇ」

 情けない顔をした大和だった。ちらりと横目で見てきた安曇の柔らかな眼差し。虚ろさは薄れていた。小さく笑った口許に大和も笑い返す。

「なんか、他人のような気がしないんだよ、大和君」

 薄れていても、厳然とそこにある空虚。大和は気づかなかったふりをして驚いて見せた。それを安曇が望んでいる気がして。

「あ、いや。そんな、なんか変なこと言った!? って、言ったよな! ごめん、変な意味じゃないからね」

「変な意味ってのが何か、聞きたいですけどねー」

「だから、特に意味はないんだって! そんな気がするってだけ!」

「なるほど……」

 言葉を切った大和にむっと安曇は唇を引き結ぶ。もしかしたら、と大和は想像を巡らせる。研究室のみなは、こんな安曇を見たことがないのかもしれないと。正解だった。

「安曇さん」

「何!?」

「お兄ちゃんって、呼びましょうか?」

 にやりとした大和だった。安曇はハンドルから片手を放し思い切り大和の太ももを打つ。ぱちん、と固そうな音がした。

「ほんと、もう。鍛えてるなぁ」

「そんなことないですよ?」

 ふふん、とだが自慢げな大和だった。体格に優れているわけではない安曇としては羨望の的らしい。それがくすぐったい大和だ。

 長田の自宅は都津上市郊外にあった。閑静な住宅地、として造成された地域ではなく、昔からある地区らしい佇まい。夜になって定かではなかったけれど、近隣はそこそこ大きな家が並んでいる。

「もしかして教授ってお金持ちです?」

「個人的な資産を僕が知ってるわけないじゃん」

「だって、この家ですよ!」

 教授宅は付近でも大きな家だった。ぐるりと囲んだ生け垣など、大和ははじめて見た。田舎に行けばまだあると思われるがちな生け垣だが最近では滅多に見ることはない。

「家柄はいいみたいだよ」

 言いつつ安曇は鍵を開けては中へと。玄関の明かりをつけては大和を招く。光の下で見れば呆気に取られるほどの設えだった。旧家、というものだろうか。

「これ、掃除とかめちゃくちゃ大変じゃないですか?」

 まるで旅館の玄関だ、と大和は思う。沓脱ぎ石のある玄関など旅館でしか見たことがないせい。飾られた置物も立派、としか言いようがなかった。

「お手伝いさんが来てくれてるから。僕はやらなくていいんだ」

「わー。お手伝いさんなんて、ほんとにいるんだ!」

「わかる。僕もそんな気分になった」

 数年前のことだけれどね、安曇が微笑む。聞けば長田は独身とのこと。知り合いの女性が家政婦として通ってくれていると安曇は言う。

「知り合いっていうより、教授の遠縁、なのかな。よくわかんないんだよ」

 お互いにそれで不都合はなかったし、家政婦も積極的に安曇にかまうことはないのだと彼は言う、それがありがたいとも。

「突然どっかから拾って来たんだもん、びっくりしたと思うけどねぇ」

「そりゃ驚きますよね」

「うん。お手伝いさんが『先生、隠し子ですか』とか言ってるの聞いちゃって笑いこらえるのが大変でさ」

「疑われても……無理はない、かなぁ」

「だよね」

 学問の素質があるから、と言って施設育ちで得体の知れない少年の面倒を見ると連れて来てしまったのだ。家政婦の驚きはいかばかりだったか。まして見るからに旧家の佇まいなのだからよけいだった。

「あぁ、そうだ。大和君」

「なんです?」

「真っ直ぐ帰って来ちゃったけど、お腹空いてない? って、空いてるよね」

「いや、まぁ。それなりに、ですかね」

「何か作ってくれてると思うし、僕もちょっとなら作れるし、先にご飯にしちゃおうか」

「あー、すいません。気が利かなかった。コンビニでも寄ればよかったっすね」

「いいよ、別に。夜食なんかは自分でするんだ、手間でもないよ。好き嫌い、ある?」

「あったらこの身体にはなりません」

 にっと笑った大和に安曇もほんのりとした眼差しを返した。どこか懐かしさを帯びた目。安曇本人もそれと気づいたか苦笑していた。どうやら本当に大和とは親しみやすいらしい。

「手伝いますよ」

 旧家らしい大きな台所は一応は使い勝手を考えて改装してある様子。ざっと野菜炒め程度のものだったけれど、奇妙に楽しかった、二人して。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る