七話 夢、進化(1)
「おう、来たか」
グリーンホエールのコントロールルーム、ヒスイは父のアゲートに呼び出されていた。
アゲートは機長の椅子に座り、ヒスイは普段は収納されている椅子を引き出して座った。
今日は休日であり、グリーンホエールは月面都市ヘカテーに停泊中だ。この部屋の壁にあるモニターも全てオフになっている。
「来月でお前も十九か……。長いようで短いような」
父はわざとらしく感極まったような声を出した。演技半分本気半分とヒスイは感じた。
「で、なんなの父さん」
「いや、もうちょっとノッてくれよ。割と無愛想だなお前」
冷たくあしらったヒスイにアゲートはふて腐れるが、すぐ真面目な顔になった。
「来月当たり、お前に機長の座を譲ろうと思う」
「それは……本当?」
確かにヒスイはグリーンホエールの操作方法やLFの指揮はマスターしたと言っていいし、副機長としてずっとコントロールルームにいたが、ヒスイ自身は自分が機長になるのはもっと先の話になると思っていた。
「本当だとも。
……まあ俺も体力が衰えて来たし、そろそろ下がろうと思ってな。
ちょっと早いかもしれんが、お前なら大丈夫だ」
自分を見つめる父の視線にヒスイは胸が熱くなるのを感じた。
認められた嬉しさとわずかな不安を抱き、姿勢を正す。
「わかった。俺が機長を引き継ぐよ、父さん」
「おう!任せた!」
アゲートはヒスイの答えに破顔一笑する。父の嬉しそうな顔にヒスイも顔が綻んだ。
「ヒスイ、俺には夢がある。月面運送業組合を創ることで、無駄な争いや危険を減らしたい。この会社はそのために創ったんだ」
「それは、母さんと別れても?」
「……それについては言わないでくれ……」
「ご、ごめん」
自身の失言にヒスイは頭を下げる。
アゲートは真剣に辛そうにしてたが、やがて立ち直って話を続ける。
「まあとにかく、人間はやりたいことがあるから生きていけるんだと俺は思う。
ヒスイ、お前にはこの会社を継いだとして、なにかやりたいことがあるか?」
そう言われるとヒスイは言葉に詰まってしまった。父の会社を継ぎたいという気持ちはあるが、その先の話は考えていなかった。
「急に言われても──」
夢を、見ていたようだ。
白い天井。利用したことはないがここはグリーンホエールの医務室だろう。おそらく自分はベッドの上だ。
「社長……」
声の方に視線を向けるとアルテがパイプ椅子に座っていた。いつもの無表情だが僅かに憔悴しているように見える。
「ハワードさん、社長が目を覚ましました!」
アルテは立ち上がって医者のハワードを呼び付けた。ヒスイに負担をかけないようほどほどの大きさの声だ。
ヒスイは自分の体が重く、上手く動かないことに気づいた。顔や全身に包帯が巻かれ、腕が辛うじて動くといったところか。
すぐにグリーンホエールに勤務する医者のハワード・スミスが現れる。細身で背の高い白衣を着た男性だ。
「今日はMC61年10月11日……だと思うけど違う?」
「いえ、あっています。今はその十七時です」
ヒスイの質問にハワードが答える。
確か戦い始めたのが十五時だから、二時間ほどたったのだろうか。
「戦ってて……俺はどうなったんだ?」
「……白騎士によってコントロールルームは破壊されました。
が、装甲内部のエアフィルターフィールドが作動して空気の流出は防がれました。
あなたは破片や衝撃により重傷を負いましたが命に別状はありません」
ヒスイの質問にハワードが答えた。彼の処置のお陰で助かったのだろう。
グリーンホエールの安全装置にも助けられたようだ。今度製作した会社に感謝のメールを送っておこうとヒスイは考えた。
「治療、ありがとう。
白騎士はその後どうしたんだ?グリーンホエールはどうなってる?」
「白騎士は……グリーンホエールを攻撃したあとヒュテラムの右手を切り落として奪うと撤退しました。
グリーンホエールは現在AIにより自動で着陸してます」
ヒスイの更なる疑問にアルテが答える。
グリーンホエールのAIはコントロールルームに直接ある訳ではない。数メートル離れた位置にあることで破壊は免れたのだろう。
白騎士が撤退した理由が分からないが…………それ以上に気になることがある。
「ヒュテラムは今どうしてる?」
ヒュテラムには自己修復機能があるが、右手の損失を修復出来るのだろうか。
「ヒュテラムは自己修復で右手を再生しましたけど……。
その、なんというか……」
アルテが答えるが歯切れが悪い。ヒスイは視線で続きを促した。
「……今ヒュテラムと連絡しますね」
そういうとアルテは手に持った携帯端末を操作し、ヒュテラムらしき相手に現状を説明してから通話状態で携帯端末をベッド近くの棚に置いた。
『ヒスイ社長、お目覚めになりましたか』
端末から空中に映像が投影され、ヒュテラムの姿を映す。いつも通り淡々とした合成音声でヒュテラムは言葉を送る。
おそらくモックスが持った携帯端末から通信しているのだろう。
「よう、ヒュテラム。俺は……元気とはいかないがまあ生きてるよ」
『ヒスイ社長、話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか』
ヒュテラムの口調は変わらないが、ヒスイには何となく焦っているように思えた。
「……言ってみろ」
ヒスイの口調も自然と硬くなる。
『私をヒスイ運送から離脱させて下さい』
そんな、予想外の事をヒュテラムは提案した。
「え、いや、なんでだ?」
『今回、白騎士が私を要求して襲撃してきましたが、我々は敗北しました。
撤退した理由は不明ですが、今後また襲撃してきた場合防げないでしょう。
私がいなければ襲撃する理由はありません』
ヒスイはなにも言えなかった。ヒュテラムは更に続ける。
『私は元々正体不明の存在です。
我々が知らない情報があり、それが原因で今回の出来事が起きたと思われます。
これ以上ヒスイ運送にリスクを負わせる訳にはいきません』
「離脱して、お前はどうする?」
『私を捕まえようとするものがいれば抗戦し、捕まりそうであればイータリアクターを臨界させて自爆します』
ヒュテラムは口調を変えずにそう告げた。
何を考えているんだこいつは──。
『私を離脱させて──』
「……ちょっと待て、考える」
ヒュテラムの言葉を遮ってヒスイは目をつぶる。
これまでのこと、ヒスイ運送のこと、ヒュテラムのこと、白騎士のこと──様々な考えがヒスイの頭を過ぎる。
ヒュテラムを追い出すべきか?会社のことを考えればそうすべきかもしれない。自分が生きてるのは偶然だ。
──ああ。
「ふざけんなよ……」
「……社長?」
ヒスイの呟きにアルテが反応する。少し困惑しているようだ。
「今気づいたんだが、俺はこの世界にムカついているらしい」
誰かに話しかけるというより、独り言のようにヒスイは言葉を紡ぐ。
「月に住めるぐらい文明が発達したってのに、人間は未だに争ってる。それで父さんは死んで俺はこの様だ。皆馬鹿ばっかだ」
ヒスイの言葉には強い怒りが滲み出ていた。
愚かにも戦争を繰り返す企業たち、将来の自分たちの姿かもしれない襲ってくる月海賊、それをどうにも出来ないと諦めている自分──その全てへの憤りが吹き出した。
「社長、落ち着いて──」
興奮しはじめたヒスイをおもんばかってハワードが声をかけるがヒスイは無視した。
「ヒュテラム、お前は初めてあった日に言ってたよな、『自分のような存在が発展すれば争いを無くせるかもしれない』って」
今思えばヒスイはその言葉に勇気づけられていたのかもしれない。
「お前が世界をすこしでも良くする可能性があるのなら、俺はそれを消させたくない。
自爆するなんて言うな」
それが──今のヒスイの夢なのだ。
「それに、明日にはお前はヒスイ運送の所有になるんだろ。
社長が仲間を見捨ててたまるか」
言いたいことは全て言った。ヒスイは力を抜いてベッドに体を預ける。
『ヒスイ社長』
ヒュテラムはいつもの無感情な合成音声でヒスイの名を呼ぶ。
だがヒスイには、そこには心が込められていると感じられた。
『私は──』
ヒュテラムが何かを話そうとしたその時、グリーンホエールのAIが警報を鳴らした。
『十時の方角に月面航空機スレイプニルを確認。十時の方角に月面航空機スレイプニルを確認──』
ヒスイ運送の全員が、三週間前に襲撃してきた敵──ネオエッダを思い起こした。
「スポンサーにも困ったものだな」
ネオエッダ所属の月面航空機スレイプニルのコントロールルーム内で、ネオエッダ少佐のアレクサンダー・スカルスガルドはその整った眉をひそめ呟いた。
「まさかこちらに何の連絡もなく白騎士が仕掛けるとは……。
考えがわかりませんな」
スレイプニルの機長である中年の男がその呟きに同調する。
男はスカルスガルドよりも年上だが階級は大尉であり、スカルスガルドの部下にあたる。
普通の企業軍ならば月面航空機の機長が最も階級が高いのが常だが、こういった能力重視の階級制度はエッダテクノロジー社ではよくあったことであり、それから離脱したネオエッダもその風習を引き継いでいた。
「我等が信頼ならない、といったところか」
「ふざけた真似を……
現場のことが分からぬものが余計な口を出すべきではありません」
平静を保つスカルスガルドに対し、大尉は怒りに震えていた。
その目はモニターを睨みつけているが、感情は勝手な真似をするスポンサーに向いているのだろう。
「落ち着き給え、大尉。今はやるべきことがある」
「……申し訳ありません、少佐」
年下の上官からの叱責を受けて大尉は冷静さを多少は取り戻したようだ。僅かに頭を下げる。
スカルスガルドは手元のコンソールを操り、数キロメートル先の月面に着陸したグリーンホエールへと通信を送った。
「こちら、ネオエッダ所属、アレクサンダー・スカルスガルド少佐──三週間ぶりだな、ヒスイ運送の諸君」
確実に聞こえているはずの向こうからの返答はないが、構わずスカルスガルドは続ける。
「さて、君達を襲撃した白騎士だが、実は我等とは協力関係でね。この部隊は後詰めだ」
そこで一旦スカルスガルドは言葉を切る。ヒスイ運送からの言葉はない。
「そこで提案なのだが──我等の仲間とならないか?
ああ、襲ってきておいて何を、と思うかもしれないが私は本気だ」
以前戦った時同様、徐々にスカルスガルドの言葉は次第に熱を帯びていく。
「以前も言ったが、我等は優れた仲間を必要としている。君達はそれだけの力があると私は感じた。
ネオエッダの意思という訳ではないが、必ずや私が説得を──」
「寝言は寝て言え、犯罪者ども」
話の途中でヒスイからの罵倒が飛び、通信は切断された。
「やつらめ、少佐の厚意を……!」
「ふむ、こういった強い意思を持つ者こそ仲間に欲しいのだが──仕方あるまい」
怒りに震える大尉とは裏腹にスカルスガルドは涼しい顔──というよりも嬉しさすら覗かせ、LF格納庫へと向かった。
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