五話 アイランド、哀愁(1)

「社長、お願いします!」


 ヒスイ運送所有の月面航空機グリーンホエール。

 そのメインコントロールルームで、社長兼機長のヒスイ・カゲヤマは年上の部下である整備員ザイル・アーディに頭を下げられていた。ザイルの様子は真剣そのものだ。


『ヒスイ社長、私からもお願いいたします』


 LF格納庫から無人LF、ヒュテラムからも通信越しに頼まれた。その合成音声はいつも通り平坦で真剣かどうかは分からない。


「……わかった、申請するけど……期待すんなよ」

「本当ですか!ありがとうございます!!」

『ザイル、よかったですね』


 半ば呆れた様子で頼み事を承諾したヒスイにザイルが感激して喜ぶ。ヒュテラムがそれを祝福したがその声はやはり淡々としていた。


「通らないと思うけどなぁ……」


 ヒスイはぼやきながら頼まれた申請書の作成を始めた。



 MC61年9月28日より、ヒスイ達の暮らす月面のMF社の支配地域は「夜」を迎えていた。

 月は自転=月が一回転する期間と公転=月が地球の周りを一周する期間が一致しており、その時間は約27・3日だ。

 だが月は地球の周りを回りながら太陽の周りを回っているために、太陽から見た自転周期は実際の自転周期よりも伸びる。

 太陽光が当たっている期間を「昼」とするわけだから、月の昼や夜の期間は 約29・5÷2=約14・75 日ということになる。

 人類がそういった月の時間を参考に暦や時間を定めずに地球での時間感覚をそのまま使っているのは、人類が地球生まれであることの名残といえた。



 MC61年10月2日、ヒスイ運送の社員は観光が主要産業の月面都市”トリウィア”へ社員旅行に訪れていた。

 月面運送業の仕事はどこの会社も数日働き一日休むというのが慣例化しており、ヒスイ運送もその例に倣っている。

 だが仕事が少ない時期というのは一年に一、ニ度はあるものであり、そのひとつが十月初旬だ。

 この時期に仕事を調整して三日程の休みを取り、トリウィアに希望する社員を連れて社員旅行に行くというのがヒスイ運送の慣習となっていた。

 トリウィアにはムーンアクアアイランド<略称MAI>という月面では珍しい大規模なプールを含む娯楽施設があり、ここ目当ての観光客は非常に多い。

 ヒスイ運送の男性社員たちが水着に着替えるための更衣室から出てきた。


「久しぶりだなー」

 

 自分たち同様にムーンアクアアイランドに遊びに来た人々を眺めながら、緑のトランクスタイプの水着に着替えたヒスイがひとり言をつぶやく。

 去年は前社長アゲートの死と社長交替の影響で社員旅行を行えなかったため、トリウィアに来るのは二年ぶりである。


「男性陣ー、こっちこっちー」


 右方向からリーナの呼ぶ声が聞こえてそちらを向く。そこには水着に着替えた女性社員たち数人が集まっていた。

 ムーンアクアアイランドでは数種類の水着の貸し出しを行っており、ヒスイ運送の社員もそれを利用している。

 噴水前にヒスイ運送の社員が集まり、ヒスイは例年アゲートが言っていた注意を呼びかけた。

 

「……以上、まあトラブルを起こすなってことだな。じゃあ自由行動の時間です、皆解散」


 社員たちは同じ職場や仲のいい友人同士のグループを作って散らばって行った。


「しゃちょーしゃちょー、こっち向いてー」


 ヒスイはリーナの能天気な声に反応し振り向く。彼女は水色のワンピースタイプの水着を選んだようだ。

 普段はエプロンなどでわかりづらい大きめの胸であることがよくわかる。


「こちら、新入りのアルテちゃんとなりまーす」


 彼女が手の動きで視線を誘導した先には、水着姿のアルテが立っていた。


「……どうでしょうか」


 アルテは金色の瞳でヒスイを見つめる。

 彼女の真っ白な肌を黒のビキニが引き立てており、スタイルの良さも合間って非常に美しい。

 義手を隠すためかモノクロの防水性のパーカーを羽織っているが、面積が広いとは言えない黒布に包まれた美しい形の胸は隠されていないのが煽情的であった。

 パンツ部分は横の布がなく二本のヒモで留められており、そこから伸びる長く白い脚は高名な彫刻家が創ったようだ。

 

(とか言ったらセクハラになるか……?)


 目の間にはアルテを含めて女性五人、全員グリーンホエールのクルーである。

 感想を求められているようだが、ここでセクハラ社長の烙印を押されれば今後の仕事に支障が出かねない。ここは──


「いいんじゃないか。よく似合ってるよ」


 褒めつつ具体的なことは言わない。これでトラブルは回避できるはずだ。


「よし……」


 アルテは小さくガッツポーズをしたが、その後ろの女性陣は不満げだった。


「社長、それだけ!?」

「もっとこう……あるでしょう?」

「それでも男ですか!」

「見損ないました!!」


 酷い言いようである。


「……まあいいでしょー。これから社長にはアルテちゃんを案内して貰いますからね」


 リーナが話を切り上げたがその後の言葉は聞き捨てならなかった。


「待って、どういうことだ?」

「何って、新入りにMAIを案内するのが先代から続く社長の役目でしょ~」


 リーナがにんまりとして答えた。ヒスイには初耳である。


「父さんそんなことやってたか……?」

「社長が知らないだけですね~。皆案内してもらってますよ~」


 それはつまり──。


「女性相手でも、か…………?」


 中年男性が水着の若い女性を引き連れていたということだ。


「え、あ……そ、そうですよー」


 リーナは目を逸らしながら答えた。


(何やってんだよ父さん……。離婚した九年前から……?え、もしかしたらウチの社員が俺の新しい母親になってたかも知れないのか……?)


 ヒスイは頭を抱える。

 リーナが「濡れ衣すみませんアゲート前社長……」と呟いたのはショックで気付けなかった。


「と、とにかくアルテちゃんをよろしくー!」


 アルテ以外の四人は去って行った。リーナはなぜかこちらにウインクをして。

 半ば呆然としながらヒスイはアルテの方を向いた。


「あのーアルテ。今ならリーナたちに追いつけるだろうし──」

「社長に案内をお願いしてはダメでしょうか」


 ヒスイの深緑の瞳とアルテの金色の瞳が向き合う。


「いやまあダメじゃないけど……」

「では、お願いします」


 アルテは表情を変えず軽く頭を下げた。

 ヒスイはモヤモヤした感情を抱えながら案内を始めることにした。

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