三話 戦法、習得(1)

「父さん、どこかにいくのか?」

「ああ、お偉いさんとちょっとな。まあ7時には戻るよ」

 

 ヒスイの質問に父でありヒスイ運送社長、アゲート・カゲヤマが答えた。

 現在、ヒスイ運送のグリーンホエールはMF社の所有する月面工場に停泊していた。

 

「もしかして、仕事が増えるの?」

「んー、まあそうかもな」

 

 ヒスイの声に不安が混じったことにアゲートは気づいていないようだ。

 

「……ET社、また戦争しかけて来るかな」

「そうならないといいが……まあ来るだろうな」

 

 アゲートはようやくヒスイの不安に気づいて振り返った。

 

「まあ、心配するな!そうなった時のために輸送ルートのことをこれから話し合うんだよ。安全確保はちゃんとするさ」

 

 アゲートは朗らかに笑った。ヒスイはその笑みに何度も勇気を貰ってきたのだ。

 

「いってらっしゃい」

「おう、いってきまーす」

 

 ──違う、とめろ。

 アゲートは電気自動車に乗り込み、遠ざかっていく。

 ──電話でも何でもいい、引き戻せ。

 ヒスイはその後、月面運送業に関する勉強を始めた。将来会社を継ぐためだ。

 ──それどころじゃない。早く。

 月の地平線から、赤紫の怪物が──────


「んん……」

 

 グリーンホエール内の生活空間、その個室の一つ。ヒスイは自室で目を覚まして上体を起こした。

 社長の個室といっても広くはなく、ベッドと備え付けの机、クローゼットぐらいしかない部屋だ。

 時計を見る。時刻は午前三時、いつもの起床時間より二時間は早い。

 

「……べつに、もう気にしてないっての」

 

 ヒスイは額の汗を腕で拭って、またベッドに体を預けた。休むのも仕事のうちだ。




 MC61年9月19日、ヒスイ運送がヒュテラムを発見してから6日経っていた。

 運の総量は人生で決まっているなどという話をヒスイは信じていなかったが、13日の二回の月海賊の襲撃以降、ヒスイ運送は襲われてはいなかった。

 本日も何事もなく仕事は終わり、グリーンホエールはある月面都市に停泊している。



 

「俺のことが怖いのか?だから娘を人質にとる」

「なに……?」

 

 男はかつては兵士だった。既に引退したが、彼に怨みを抱いた悪党たちの陰謀に巻き込まれた。

 悪党たちを協力者の手を借りて倒したものの、最後に残った因縁の相手に我が子を人質に取られてしまったのだ。

 

「このまま俺を殺すがいい。怯えたまま、な」

「ふざけるなよ……誰が怯えてるって?」

 

 悪党はナイフを抜きはなち、子供から手を放した。

 

「いいぜぇ、乗ってやるよ。サシで勝負だ……!」


『ヒスイ社長、質問があります』

「ああ、何?」

 

 ヒスイ運送社長兼グリーンホエール機長のヒスイは、LF格納庫にいた。

 その背後にはダークグレーの全身と水色のY字センサーアイの無人LF、ヒュテラムが鎮座している。

 LF格納庫にはLFの胸部をメンテナンスするための三メートルほどの高さの動かせる通路があり、ヒスイはそこに腰掛けていた。

 通路の手すりにはヒスイの携帯端末が乗せられており、立体映像が映画を映していた。

 

『今のシーンですが、なぜ悪役は人質を自ら解放したのでしょうか?そのまま戦えば、子供を助けたい主人公に対して有利であったはずです』

「んー、それか」

 

 月面運送業は意外と暇がある職業だ。残業というものが出ることは少ない。

 ヒスイはそういった仕事後の時間を映画を見ることで潰すのが日常だったが、四日ほど前から仕事が終わった後にヒュテラムと共に映画を見ることにしていた。

 そうした理由は特にないのだが、記憶喪失と言っていい彼には映画は新鮮な情報であるようで、よく質問してくるのだ。

 映画を見飽きてきたヒスイにとっても、質問の答えを考えるのは案外楽しい行為であり、一日の楽しみになっていた。

 

「ほら、あの悪役は主人公に怨みがあるって言ってただろう?最初はただ殺したいだけだったけど、挑発を受けた屈辱を戦いで返したくなったんだよ」

『そういった理由は自身の有利を捨てる程に重要なのですか?』

「人や状況によるかなあ。冷酷に人質をとったまま殺しにくる奴もいるだろうな」

『なるほど、返答ありがとうございます』

 

 そうこう話している間にも映画は進み、いよいよ決着がついた。主人公が勝利したのだ。

 ヒスイはこの映画を何度も見ているのでこの結末は知っているわけだが、ヒュテラムはそうではなく、見入っているようだ。

 やがて、映画のエンドロールまで終わった。

 

『ヒスイ社長、また質問があります』

「なんだ?」

 

 今の映画の内容についてだろうかと身構える。

 

『ヒスイ社長、あなたはどういった経緯でこのヒスイ運送の社長になったのでしょうか?』

 

 まったく関係なかった。

 

「えーと、今さら?」

『私が初めて会った”社長”という役職の人物はあなただったので疑問を抱かなかったのですが、一般的に高い地位に就く人物は高齢であることが多いようです。

 今の映画のラストシーンに登場した人物もそのようです。そこから連想し、質問しました』

 

 確かに、映画には主人公の元上司が出ていた。その顔には老人特有の深いシワが刻まれていた。

 

「じゃあ、ヒスイ運送のことから話さないとな」

 

 ヒスイは頭の中で情報を整理してから口を開いた。

 

「ヒスイ運送は、俺の父であるアゲート・カゲヤマが二十年前に創業したんだ。

 MF社のコネクションと借金でこのグリーンホエールを用意したらしい」

 

 月面運送業の始まりとしては、まあ一般的だろう。

 

「ヒスイ運送の名前だけど……父が当時一歳だった俺の名前から付けたんだ。世間一般じゃこういうのは親バカって言うんだ」

 

 ヒスイはにやけながら語る

 ちなみに、ヒスイの名前は母譲りの深緑の瞳からアゲートがつけたものである。

 

「で、俺が四歳の頃、会社が軌道に乗ってきた辺りで父は俺をグリーンホエールに乗せたがった。

 当然、母は大反対だ。後の離婚の原因だなぁ」

 

 ヒスイは微笑んだまま眉をひそめた。

 当時のヒスイはグリーンホエールに乗りたくて父に味方したが、今考えるとどうかと思う。死ぬかもしれない仕事に子供を連れていくなんてどうかしてる。

 

「父は母を押し切って俺を乗せて仕事してた。

 俺は一般的な勉強を通信教育で済ませて、グリーンホエールで月面運送業を学んでた」

 

 アゲートは息子に会社を継いで欲しかったのだろう。その目論みはうまくいったと言っていい。

 

「そんな生活を続けてたんだが、二年前にET社がMF社に戦争を吹っかけてきた。

 最初の奇襲攻撃で、月面工場でMF社の重役といた父は巻き添えを食って死んだ」

 

 狙いは重役と工場で、アゲートは偶然巻き込まれたのだろう。

 

「社長を誰がやるかってなって、十九歳の俺が立候補してなった」

 

 社員で反対するものは居なかった。

 創業時のメンバーも営業に移ったり、貯金目標達成でやめたりで、グリーンホエールに一番長く乗っているのはヒスイだ。

 

「以上、ヒスイ運送の歴史だ」

『アゲート前社長に関してはご愁傷様です。

 更に質問します。ヒスイ社長の母はあなたが社長になることに反対しなかったのですか?』

 

 ヒスイは驚いた。このAIはずいぶんと人間らしい反応をする。

 

「……まあ、反対されたよ。年に一回は会うようにしてるけど、母さんが怒ってそれを俺がなだめるだけだな」

 

 父と息子、揃って酷い奴だな、とヒスイは自嘲する。

 

『ヒスイ社長、失礼かも知れませんが更に質問します。会社を継がず、別の道を選ぶことは考えなかったのですか?』

 

 そう聞かれても、ヒスイの心はさざめくことは無かった。

 

「まあ、この仕事気に入ってるしな。儲けもいいし」

 

 ヒュテラムは頭部を僅かに下に向け、数秒間黙った。

 

『質問への回答、ありがとうございました。失礼では無かったでしょうか』

「別にいいけど……もうこんな時間か」

 

 携帯端末の時計を見たヒスイは、それをポケットにしまって3メートルの高さから飛び下りた。ここが地球であるなら怪我をしかねないが、月の低重力下では問題なく着陸できた。

 

『自室に戻るのですか?』

「ああ。じゃあ、また明日」

 

 ヒスイはLF格納庫の出口へ向かっていった。

 その背中が見えなくなるまで、ヒュテラムは水色のY字センサーアイをヒスイへ向けていた。



 

 自室に戻ったヒスイは、いつも使う携帯端末の残電力が少なくなっていることに気づいた。

 備え付けの机に置いてある充電器に携帯端末を繋げる。

 

 この携帯端末は確か五歳の頃に父から貰ったもので、頑丈で性能に不満も無いためずっと使ってきた。

 買い換えよう、と以前は思ったこともあったのだが、父が亡くなってからは忙しくてそのままだった。

 

 ──いや、本当にそうか?これを捨てたくないのは父の形見になったからではないのか?

 

 そんなことを考えるのは、先程ヒュテラムに父の話をしたからだろうか。

 

 ──別に、もう受け入れた。人が死ぬのは悲しいがいつかは来るものだ。もう気にしてない。

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