二話 方針、決定(3)
MC61年9月12日午後8時ごろ、グリーンホエールは月面都市ヘカテーに到達した。
本来は12日午後5時ごろに到着予定だったが、救助や月海賊の襲撃といったトラブルが頻発したのだ。こういったことはよくあることであり、積み荷を無事に届けた以上、依頼したムーンフラワー社も問題にはしないだろう。
月面都市ヘカテー。ギリシャ神話の月の神の名を冠したそれは、ムーンフラワー社が管理し、また本社がある大都市である。
月の大地の下に建築されており、空気や食料の生産システム、住居の構造、交通網など……それら月での生活に必要な機能のほとんどはムーンフラワー社が開発したものであり、ヘカテーはその第一号モデルが拡大していったものだ。
こういった地下都市はヘカテー型と呼ばれることもある。
目的地に到着したグリーンホエールはヘカテーの格納庫に停泊し、ヒスイはLF格納庫に顔を出した。
「今日は不運にも二度も戦闘になったが、誰一人欠けることなく生き延びた。みんなよくやってくれた!ありがとう!」
ヒスイは素直に感謝と喜びを伝える。パイロットや整備士達も、成し遂げたもの特有の喜びの声をあげた。
「みんなー、ちょっと遅いけどごはんよー」
調理員のリーナが食事を持ってきた。
戦闘という極限状態は人の体力を大きく奪うものだった。
動く月面航空機の中でよく料理を作ってくれたものだとリーナたち調理員にヒスイは感心した。
喜びの宴会の輪から外れて、ヒスイはダークグレーの巨人に近づいた。
「えーと、ヒュテラム、お前も──」
『申し訳ありません。お役に立てませんでした』
感謝の言葉を伝えようとしたが、遮られてしまった。
ヒュテラムの合成音声は無機質なものだったが、頭部の角度が下がっているようにみえたのはヒスイの気のせいだろうか。
「……なにがあったんだ?」
『敵のクレマチスに攻撃を行いましたが、全て回避されました。撃破のために攻撃頻度を上げました。それにより電力を消費した所に攻撃を受け、回避時の電力消費によりコンデンサの電力が三パーセント以下となり、一時行動不能となりました』
まあ、予想通りだった。
「意外とポンコツね……」
そのやり取りを遠巻きに見ていたアルテがアップルジュースを飲みながら無表情で呟いた。ヒスイの耳にも届いたので、ヒュテラムにも聞こえただろう。
「……まあお前はまだ未完成の試作機だろうし、ミスがあるのはしょうがないさ。次やらかさないようにすればいいって!」
『はい。戦闘時の電力管理は最重要課題として記録します』
ヒュテラムの合成音声の調子は変わることがなかった。
『ヒスイ社長、私からも質問があります。お答えいただけるでしょうか』
「ん、なんだ?」
先ほどの戦闘に関することだろうか。
『月海賊が通信を掛けてきた時のことです。”それでいいのか?”とはどういった意味でしょうか』
意外な質問だった。無人LFに必要な情報とは思えないが……。
「そうだな……質問を返すが、月海賊はどういう奴がなると思う?」
『私の記録にはその情報はありません』
「企業が雇った軍隊が逃亡した場合か、俺達みたいな月面運送業者が仕事を失敗して、創業の際に借りた借金や違約金を払えなくなったらなるんだ」
バルドルを使った襲撃者はおそらく前者だろう。
「通信を掛けてきて、ああいう風に話しかけて来るのは俺の経験上、だいたい後者だ。ああ言ったら思い返して止めてくれるかも知れないと思って、”それでいいのか?”と話しかけたんだ」
通信を掛けて来るのは相手に覚悟させるためか、おとなしく渡してくれないかと望んだのか。口数が少ないのは覚悟を決めるためか、罪悪感からか。
『あなたの考えは理解できました。お答えいただきありがとうございます。しかし、犯罪に走らないように、助け合う仕組みなどはないのですか?』
ヒュテラムはさらに質問を続けてきた。
「あー……昔は月面運送業組合ってのがあったらしいんだが、輸送ルートの情報を売り渡す奴が出て来たらしい。それで信頼を無くして、誰も入りたがらなくなって消滅した、らしい」
情報が曖昧なのはヒスイが生まれた時には既に無かったからだ。
企業と企業が戦争を始め、物資の輸送などを月面運送業者に頼み、相手の月面運送業者を攻撃する。
それで生き延びたものが金に困り、月海賊となって運送業者を襲い……負のサイクルが出来上がっていた。
「月で生きていけるようになったのに、なんでこんなことになったんだろうな」
ヒスイは俯いた。
人類が地球で暮らしていた頃、月に行くことは夢物語であった。それに挑戦する者がいて、夢を現実としたが、資源や技術の問題で移住するとまではいかなかった。
だが地球環境の悪化により生活ができなくなり、人類は戦争や混乱で傷つきながらも努力し、月で暮らしていくことができるようになったのに。
どれだけ技術が進んでも、人の本質は様変わりしなかった。
『ヒスイ社長、私は学習するAIです。私のようなAIが更に性能を向上、発展させれば、人の変わりにすべての労働を担うことができるかも知れません。そうすれば、月海賊や戦争というものは無くなるはずです』
ヒスイは顔をあげて深緑の瞳をヒュテラムに向ける。まるで、励ましているような言葉だった。
「まあ……期待しとくよ」
ヒスイはわずかにほほえんだ。
9月14日、様々な手続きを終えたヒスイは、ムーンフラワー社からの社員をヒスイ運送の小さな営業所に招き入れていた。
理由はヒュテラムのことについて。ヘカテーに着いて直ぐに情報を渡しており、どう扱うかの説明を受けるためだ。
こういった機密が関わることは通信傍受をされかねない無線通信ではなく、直接会って話すのが習わしだった。
「結論から申し上げますと、ヒュテラムなる無人LFの紛失の届け出はありませんでした」
担当の男性社員は機械のような調子で淡々と語った。
「ちょ、ちょっと待って下さい。ムーンフラワー社の開発したものではないのですか?」
予想だにしない答えにヒスイは困惑した。
「はい。第一兵器開発室、第二兵器開発室の両方が該当する兵器開発の届け出を行っておりませんでした」
「で、ではET社」
「現在我が社の管理下におかれているエッダテクノロジー社のものでもないようです。……失礼、話を遮ってしまいました」
「いえ、お構いなく……」
第二候補もあっさりと潰された。あんな新型を造れるのはこの周辺では、ムーンフラワー社とエッダテクノロジー社ぐらいしか考えられなかった。
「MF社の管理地域の紛失物に関する法律はご存知ですね?」
「はい……。
MF社に紛失物の報告をし、当てはまる届け出がない場合、回収した会社が三十日間管理する。
その間に紛失物を破損などさせても、回収した会社は損害賠償などは支払う必要はない。
三十日立ったのであれば、紛失物は回収した会社の物となる。
ですよね……」
MF社も落とし物を預かったりしないけど、管理をミスっても責任はないよ。落とした奴がそもそもミスしたんだし。ということである。
「そういうことですので、管理をお願いします」
「え、はい……」
ヒスイの頭はクエスチョンマークで満ちていた。
「こちら、我が社からのお気持ちです」
「あ、これはどうもありがとうございます……」
贈答品のムーンフラワーチョコを渡された。こういった趣向品は月ではなかなか高価だった。
「では、これからも良い取引が続けられるよう願っております」
仕事を終えた男性社員は帰っていった。
「どういう……こと?」
ヒスイは一人、呟いた。
同日、ヒスイはグリーンホエールのLF格納庫に社員を集めていた。
「先ずは貰ったチョコを配るよ。一人一個ね」
貰ったムーンフラワーチョコを社員が受け取っていく。高級品だけあって、皆ちょっと嬉しそうだ。
無表情なアルテも嬉しそうということは、ヒスイにも何となく分かった。
「あー、俺達が発見した無人LFのヒュテラムのことだが……俺達が預かることになった」
社員たちに困惑と驚愕が広がった。予想が外れたからだろう。
「それで、今後の方針だが……ヒュテラムにはヒスイ運送で働いてもらう」
社員たちがさらに驚いた。
「社長、大丈夫なんですか?その、色々と……」
アルテが表情を変えずに発言する。質問が曖昧なのはこれでも困惑しているからだろう。
「MF社の社員にも確認したが、法律上は問題ないそうだ。うちの会社にLFを管理する倉庫はないし、グリーンホエールに十二トンもの荷物を載せたままにできる余裕もない」
ヒスイ運送は各所の月面都市に取引のための営業所を持っていたが、LFを長期間保管できる大規模な倉庫は所有していなかった。
倉庫をよその会社に借りるにしても、足下をみられて莫大な管理費を請求されるだろう。
ヒスイは後ろを向いて、深緑の瞳を鎮座する煤色の巨人に向けた。
「事前に話したが、お前もそれでいいな、ヒュテラム」
『はい、問題ありません』
ヒスイにはヒュテラムの合成音声の調子は変わらないように聞こえたが、なぜかヒュテラムが嬉しそうにしているように思えた。
(……そんなわけないか)
錯覚を振り払って、口を開く。
「というわけで、ヒュテラムはグリーンホエールに乗り込む。
戦闘があったら出てもらう。LFパイロットは戦術やフォーメーションをこれから相談だ。
報告は以上だ、解散!」
ほとんどの社員はヒュテラムに近づいて話しかけたりしている。最初に敵を撃破したことが好印象なのだろう。
『ヒスイ運送の皆さん、これからよろしくお願いします』
新たな仲間を得て、ヒスイ運送は日常を続ける。
未来の可能性には良いものも悪いものもあり、そして一度進んだ道は後戻りはできない。
これからどうなるか、誰もまだ知らなかった。
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